京都高島屋が「高島屋史料館所蔵 日本美術と高島屋-交流が育てた秘蔵コレクション-」を開催

京都高島屋が「高島屋史料館所蔵 日本美術と高島屋-交流が育てた秘蔵コレクション-」を開催

横山大観、竹内栖鳳をはじめ、鏑木清方や前田青邨、川端龍子など日本画や染織品、下絵、資料など約60点
また、特別企画として、「豊田家・飯田家 寄贈品展」を開催。
高島屋四代飯田新七の娘・二十子が嫁いだトヨタ自動車創業家の豊田家と、高島屋創業家の飯田家から、
このたび高島屋史料館に寄贈された貴重な作品約30点を特別展示される。

大観、栖鳳、青邨、龍子、魁夷と、魂を揺さぶる日本美術が一堂に!京都高島屋で、「高島屋史料館所蔵 日本美術と高島屋-交流が育てた秘蔵コレクション-」開催! – SankeiBiz(サンケイビズ)

高島屋史料館所蔵 日本美術と高島屋 -交流が育てた秘蔵コレクション-
〈特別展示〉豊田家・飯田家 寄贈品展

高島屋史料館所蔵 日本美術と高島屋~交流が育てた秘蔵コレクション~|京都タカシマヤ

会期:2017年3月29日(水)~4月10日(月)
会場:京都高島屋7階グランドホール(京都市下京区)

入場時間:午前10時~午後7時30分(午後8時閉場)

髙島屋は間違って覚えられることの多い百貨店です。横浜髙島屋が稼いでいることから横浜天が本店と思っている人もいます。本店は難波にある髙島屋(略称:タカシマヤ)です。日本橋髙島屋が老舗の風格を漂わせていますが創業は京都です。
美術品を所蔵してきた髙島屋の一族とはどんな人たちだったのでしょうか。調べてみると創業家は屋号の”高島家”ではなく飯田家であることがわかりました。

1803年越前国敦賀(福井県)に生まれた初代・飯田儀兵衛(のちに改名して新七)が京都に出て古着木綿商を構えたのがはじまりです。店を繁栄させたのは二代目飯田新七とその妻・歌(1833-1878)であることが髙島屋サイトに載っています。
Takashimaya archives | タカシマヤ

飯田新七が孫たちをつれて西本願寺大谷本廟に参http://www.takashimaya.co.jp/base/pc/archives/history/img/pic/p1803.jpg詣した帰り道、その門前で眼下に広がる京都の町を指し示し、子供たちに語りました。
「お前達、目を開いてよく見よ。京都広しといっても こうして見ると両目に収まってしまう。その中に住む人の数も知れたものである。志を広大にして日本中はおろか世界の人を得意先として商売する心がけが肝要である。」

店に繁栄をもたらしたのは文明開化に伴う日本ブームでした。来日した多くの外国人たちは日本の美術品を買い求めました。折しも1877年京都では京都博覧会が開催されます。髙島屋は外国人相手に美術染色品の販売などに手を広げ貿易に力を入れたのでした。以来、創業家である飯田家が髙島屋の社長を”世襲”のように担い続けました。

2代:4代飯田新七   (1927年~1942年)
3代:飯田直次郎   (1942年~1952年)
4代:飯田慶三    (1952年~1960年)
5代:飯田新一    (1960年~1987年)

5代目社長以降、創業家は経営にタッチしていません。本来なら5代目の息子が継ぐものと見られていましたが、そうはならなかったようです。

高島屋創業者一族「わしらをなめるな」恐喝 [夕刊フジ] white

秘蔵コレクションが一般公開された背景を辿ると興味深い事実がまだまだ眠り続けているのかもしれません。