日曜美術館「最先端を走った鉄人~萬鉄五郎の格闘~」

日曜美術館「最先端を走った鉄人~萬鉄五郎の格闘~」

『裸体美人』(重文)など斬新・奇抜な絵で大正画壇に衝撃を与えた画家、萬鉄五郎。時代の最先端を走り、自ら“鉄人”と号した萬鉄五郎の絵の世界を紹介する。

『裸体美人』(重文)など斬新・奇抜な絵で大正画壇に衝撃を与えた画家、萬鉄五郎。ゴッホをはじめ、マチスやカンディンスキー、ピカソなど西洋の新たな潮流をいち早く取り込んだが、単なる模倣ではなく、日本の風土に根差した独自の絵を創り上げた。また萬は、江戸時代の文人画に傾倒し、自らも水墨画を多数描いた。番組では、時代の最先端を走り、自ら“鉄人”と号した萬鉄五郎の絵の世界を紹介する。

【出演】神奈川県立近代美術館館長…水沢勉,萬鉄五郎記念館美術館学芸員…平澤広,岩手県立美術館主任専門学芸員…根本亮子,【司会】井浦新,高橋美鈴

放送:2017年7月2日

日曜美術館「最先端を走った鉄人~萬鉄五郎の格闘~」

明治から大正へと移った1912年。このころ萬鉄五郎は次々と自画像を描きます。どれも他に類がない斬新なものでした。

青い背景に赤と緑の雲のようなものが奇妙に浮かんでいます。

その不思議さを一向に気にしていないかのように、萬は穏やかな眼差しをこちらに向けています。しかし近寄ってみるとその表情は荒々しく、力強い筆のタッチから生み出されています。

白い服を着た男が暗闇から浮かび出ています。頭上にはやはり奇妙な赤っぽいものが漂っています。

紫色の髪、虚ろな眼差し。目の下には濃い緑の隈。生気をなくし憔悴しきった表情です。

背景の強烈な赤が絵を覆っています。頭も顔も着物も照り返しを受けたかのように赤く染まっています。

顔は幾何学模様のように分割され、赤や黄や緑の面が組み合わされています。とりわけ異様なのは目です。白目のところが真っ赤です。こんな奇妙な絵を描いた萬鉄五郎とはいったいどんな画家だったのでしょうか。

1907年。萬鉄五郎は東京美術学校西洋画科に主席で入学します。

優等生だった学生時代の作品。着物を着て椅子に腰掛ける女性には窓から柔らかく光が注いでいます。

萬の絵は当時美術学校の教授だった黒田清輝の代表作「湖畔」とよく似ています。戸外の光を取り入れたフランス外光派の絵画を日本にもたらした黒田。

萬もその師の手法を受け継いでいたのです。しかし、本場の西洋ではこうした絵を一挙に時代遅れにするような絵画の革命が起きていました。自然の光と空気を描き出した印象派から、それを乗り越えようとする後期印象派の時代に入っていたのです。

その西洋の最先端の画家たちを、いち早く日本に紹介した本の一つ「後期印象派」。萬たち画学生が争って読んだと言われるこの本にはセザンヌやゴーギャン、

ゴッホやマティスなどの絵がモノクロ写真で多数掲載されていました。

太い幹の木々が、ゴッホ独特のうねるような筆使いで表されています。

大胆な色彩と筆使いで野獣派・フォービズムの運動を指導したマティス。女性の姿は単純化された色の面で構成されています。萬はこうした西洋の新たな潮流を知ると、まっさきにその手法を試そうと格闘し始めます。

麦畑の上に太陽のギラギラとした光が激しく照りつけています。太陽と麦畑というモチーフも、荒々しい筆使いも、ゴッホを思わせます。

背景の黄と緑の面が交差する中に、着物を着た女性の顔が白っぽく浮かんでいます。顔は自然の陰影とは程遠く、赤や黄などの色の面が目立ちます。このころ、萬は自らの絵についてこう書いています。 

「そんなものは絵でも芸術でもないという人があるかも知れない。しかしわたしはそんなことには案外無頓着である。私のやることは芸術でなく私は芸術家でなくとも一向差し支えないのである。絵画の法則、芸術の定義というようなありがたそうなものはこの世にはないものと思っている。私の行為は私にとって生を味わうべく唯一の方法であると信じている。私の求めるものは真の生活なのである」萬の画文集「大正のアヴァンギャルド」(千葉瑞夫・平沢 広編 二玄社)p64

萬の芸術家としての意気込みを示す1枚の写真がふるさとの美術館に保管されています。

萬が自らの姿を演出して撮影したガラスの写真乾板です。

乱雑な室内の暗がりに目を凝らすと、萬が両足を持ち上げ、胸をはだけて寝転がっているのが見えます。まわりにはものが散らかり、カンバスは斜めに傾いています。

そして萬の目がじっとこちらを見つめています。美というものへの反発が会って、萬が前衛への道を歩き始める記念碑的な写真と言われています。

萬は東京美術学校の卒業制作にこれまでにない大胆な裸婦像を描きました。草原に上半身裸の裸婦が横たわっています。布の赤と草の緑との強烈な対比。奇妙に腕を折り曲げた女性は脇毛を露わにしています。

真っ赤な口。真っ黒な眉と大きな鼻の穴が目を引きます。長く美の理想とされてきた女性のヌード。しかし萬の絵にはどこにも優美さがありません。

「萬の描く裸婦像はエロティシズムから無縁なところにあって、そういうものは描きたくなかった。興味がなかった」

「黒田の「野辺」をおそらく見て入ると思いますが、見た当時はいいなと思ったのではないか。ただ自分だったらこう描く。もっと原色を使って対比させて、筆使いは力強く。女性の優美さではなく、原始的な力強さであるとか、自分だったらそういうものを出したいという思いがあったかもしれない」

首席で入学した萬。しかし、卒業作品の成績は19人中16位。萬は粗次様式をボイコットしました。

「彼は相当いろいろ考え行動していました。卒業式をボイコットし、先生とは対立した絵を書いたところにメッセージが込められていると思います。女性の顔や肌の美しさを強調する気持ちは全くありません。むしろ生命力のようなものが絵として生まれ出ることの方を求めた。美をつくることの約束事は一回ご破算としてもっと自然を感じる。そうると原始的なエネルギーのようなものが生まれてきた。そういうことをこの裸体美人というものは表明したかった。マニュフェストのような絵なのではないかと思います」

萬にとって絵に書かれた雲のようなものはある種のとりついたオブセッションのようなものだった」

「自画像の場合は後ろが平面的に描かれているので、まるで絵の中の装飾が描かれているようにも見える。2つあるのは補色の赤と緑が照らし合っているので、画面の中の装飾のように感じる雲です」

「一つだけ浮いている雲は、エモーショナルな感情を伝えようとしている雲です。マンガで言えば吹き出しのように言葉が入ってもいい。こういう情景の工夫は少なくとも当時の西洋絵画、欧米も日本も含めての中ではすごく例外的な特殊な表現だったと思います」