美の壺「旅を彩る 駅弁 」

美の壺「旅を彩る 駅弁 」

旅の気分を盛り上げる 駅弁 。その小箱には、土地の名物はもちろん器や掛け紙など見どころが満載。全国4500以上の駅弁を制覇した達人が、車窓の風景や乗る車両にまでこだわる味わい方の極意とは?日本各地に名物駅弁を生んだ「特殊弁当」の歴史とは?青森・津軽のおばあちゃんの家庭料理が詰まった、もてなしの駅弁とは?駅弁専門のデザイナーによる、掛け紙の制作現場も紹介。見ても美しい駅弁の魅力に迫る。

放送日 2018年6月10日

美の壺「旅を彩る 駅弁」

旅情あふれる鉄道の旅車窓とともに味わいたいのが駅弁です
蓋を開ければ箱いっぱいに広がる土地土地の味
はいその地で生まれた名物が様々な景色を折りまします
赤身はもちろん
器や掛けが味も駅弁の楽しいバラエティ豊かな器は
駅伝をより楽しく演出します
食べて美味しい見て美しい今日は駅弁の魅力を味わいましょう

今日すごくいいですね
景色が全国の駅弁を取材している駅弁ライターの望月隆文さん
これまでに出会った駅弁は四千五百以上日本各地の役をめぐり
その土地ならではの駅弁の魅力を伝えてきました
日東京から新幹線を乗り継いで北海道へやってきた望月さん
函館本線の森駅を目指します
実家でありましてそこで森の名物試しを食べてる
あのー正直森のいかめし今東京駅でも買えたりするんですね
やっぱりも利益
食べる
東京からおよそ五時間お目当ての駅弁を求めて
駅前にある店へ向かいます
昔に出た時間
結構あった頃までは
キュウリだけ時間短くなってからあそうなんですね
まだあったかい暑いです
ほんとまだね高いそれはね現地ならではですね
東京で売ってますけど
もうそのぬくもりを感じるがために
森で降りるみたいなのはありますよね
達人は駅弁をどこで食べるかにもこだわりますの日選んだのは
国鉄時代に作られた車両です
このキハ四十っていうねあのリゼルかですけども
あの昔ながらの青いボックスしとねよく国鉄時代から残っている
すごく駅弁に合う座席旅情を感じられた席そうですよね
お目当ての座席でまずパチリ
さして今日はどっちだ背のタンコ入っている時もあるという
厳しいの駅弁昭和十六年発売の森駅の名物です
当時近くの港で大量に水揚げされていたするメーカー
食料難だった時代
少ない米でも
以下に詰めれば腹持ちがいいものが作れると考案されたといいます
醤油と砂糖の甘いタレでじっくりと煮込まれた行った飴色の駅弁は
旅する人々のお腹と心を満たしてきました
望月
さんを乗せた列車は森駅から内浦湾に沿って
走っていきます

この駅弁はこの海を眺めながら味わいたいお待ちかねの時間です
やっぱり旅ってその土地の人と会ってで
その土地の空気を吸ってその土地の水を感じていただいて
それで色をいただく丸ごとこの小さな小箱でいただくっていうのが
やっぱり詭弁
今日一つ目のツボは小箱いっぱいに広がる景色
明治時代から昭和にかけて全国に張り巡らされていった
鉄道も長距離列車が登場し駅弁が売られるようになります
ご飯におかずを添えた当時の定番普通弁当と呼ばれました
ま一般的に言われてるのは
普通弁当って言われるのが幕の内弁当ですね
まあの三種の神器と言われている卵焼きと魚とかまぼこ
これが入ったのが普通弁当の幕の内弁当ですね
その当時はですね
列車が大体二十時間以上乗ってますからですね
まサンドサンド同じマクロしとか
ですねまあおにぎりにしてしまうところが
あの明治の中頃に入りますとですねマクロ氏の他にですね
地元の産物特産物を使ったですね
黒子弁当っていうのが出始め例えば肉とかですね
三歳とか四回を使った弁当が増えたというように思われます
定期の特色を全面に出した特殊弁当が本格的に普及するのは
戦後の高度経済成長期
昭和三十年代以降好きや登山が流行し
人々が各地の観光地を巡る旅行ブームが到来します
それに合わせて地域色を売りにした特殊弁当が増えていきました
同じころここ神戸にも特殊弁当が登場します
ポストびふをダイナミックに盛り付けた駅弁です
昭和四十年当時珍しい牛肉の駅弁として発売されました
欧米駅で六十年駅弁を売ってきた入江康之さん
これは画期的な駅弁だったといいます
肉飯はあの普通の幕の内とはちょっと変わってまして
肉が入っているということでちょっと高かった
五十円ぐらい高く高かったんじゃないかと思いますけどね
肉飯に使おう肉自体がああいうあのコルドビルみたいな
その大きな肉をあの凧糸で巻いてオープンで焼いて
それを薄くスライスして
それでちょっと横にれたと
ちょっとつけてっていうような形が一からありましたんですけどね
やはりちょっと洋風画があって当時はそんなになかった
と思いますはい
牛肉を使うだけでもインパクトがあった時代
ロストびふという手間のかかる西洋料理にして駅弁に盛り込みます
スパイスを効かせたそ酢で味付け
他の駅弁との違いを明確に打ち出す弁当が生まれました
普通の中の人生でどこでも売ってますからえその頭らしさをですね
その駅弁っていう食を通して伝えられるものを作りたいと
幕末のあの解雇したあの港と行為ですので
あの早くから西洋文化が入ってたんですね
それを表現するのに最もいいのは
やっぱりすき焼きとかああいうものより
もロソリその特色ある食材をですね
食べていただいたその味わったっていうその体験自体がですね
思い出の一部になるようには甲府はしてるんですけれども
発売から五十年余りハイカラな駅弁は
今も頭の名物として親しまれています
これは信越本線の横川駅で買った駅弁釜飯の知ってますね
じゃあもう一つ横かといえばアプト式でしょ
ふと式知らないの群馬県の横川と長野県の軽井沢の間を走る線路は
すごい急こう配でね普通の鉄道ではとても登れなかったんですが
そこで採用されたのがアプト式機関社に歯車を取り付けてね
それを

すごいでしょ

こちらはイラストれたの中代理さんが書いた駅弁一体
どんな味だったんでしょう
これは最初の上に卵が敷き詰められていて
まさか卵しかないのって
あのちょっとがっかり目だったんですけれども
ところがこの駅弁には仕掛けがありました
エビをメインに
うなぎとかすごい豪華な具材がいっぱい入ってまして
あのどんどん食べれば食べるほどあのー
この駅弁の良さが分かってきて
いい意味で裏切られた感じで楽しく食べました
海の幸を卵焼きで覆った新潟駅の駅弁えーに書くことで
出会った時の記憶が鮮やかに蘇ってくると中田さんは言います
私のことも思い出しますし
観光して回ったような見て買ったものとかも思い出しますし
後駅弁をきっかけにいろんな旅の思い出が出てきて
すごい楽しいです
改めてまた見直すっていうことでも
日本各地を鉄道で巡ってきた中田さん
八年前から旅先で出会った駅弁を水彩画で記録
するようにその数三百余り様々な駅弁を見つめてきました
駅弁を各家にあることを実感したといいます
色色々使ってるっていうのは
やっぱり海のものも山のものもちょっと野菜とかも入っていて
本当におかずのバラエティが豊富で彩りも鮮やかになるっていう
あれも食べて
これも食べてっていう
あの作った方の
その地域の気持ちがあの込められているような気がします
色んな色をまとったその土地の味
今日二つ目のツボ彩りに込められたもてなし
津軽平野の南に位置する青森県弘前市
世界自然遺産白神山地への玄関口として観光客が行き交います
ひろひろさんひろさんお嬢さんございました
ここ弘前駅に人をもてなしてくれる駅弁があります
その名も津軽弁どの
弁当にも津軽の食材が盛り込まれていますが

中でも根強い人気を誇るのがこちら
てまは津軽のおばあちゃんが作った弁当スケソウダラを干した
棒鱈を醤油と砂糖の一種粗目で甘くタイタにつけ
地元の人のソウルフードいかの脚と野菜を混ぜて焼くいがメンチ
津軽の過程で食べられてきた九種類のおかずが並びます
考案したのは地元で柴田視点を営む秋田玲子さん
田植えの時に田舎の皆さんが持っていって
田んぼで食べたお昼昼こびるっていうか
ご飯食べる時に入れたものとか
優しい味でしたいなと思って作りました
しかし昔ながらの料理は保存食が多いため色は茶色いものばかり
伝統の色合いが暗く地味になり周囲の評判も今一つでした
もし地元の人はこうした棒鱈入れてとか
駅弁の食材にしては貧弱だと思ったのかしら
やっぱり驚いて
これ駅弁に入れるもんだからとかよくあの言われましたね
色合いをどうするか秋田さんは地元から答えを探し出そうとします
目を付けたのがニンジン
津軽には畑に植えたまま
一ふゆこさせてから掘り出す雪国ならではの栽培法があります
行の下で眠らせることで色が濃く甘みが増すと言います
パラのこと会える津軽の正月料理
ニンジンの怖いにして彩りを添えました
何普段の料理にもヒントを得ます
味噌を溶いただし汁に卵を入れて作るすがるの卵味噌
秋田
さんも朝ご飯に作るというおばあちゃんの味です

心づくしの岡地で駅弁がさらに華やかになりました
どこに行ってもどんな食材でも今は手に入る時代ですから
例えば鰻だったり牛肉だったり
色んなところでお金さえ出すとおいしいものは食べられるんです
けれど駅弁だけは
どこのデパートに行っても売ってないようなお弁当だった私は
自負しております
旅人を温かくもてなしてくれる優しい色の駅弁です
お次はこちら新幹線の駅弁新幹線って
そんなそっけなんか言ってもらっちゃ困るな
ちゃんと名前があるんですから
いいロックまたの名を小町赤いボディがいいでしょう
この列車は小町五秋田行きです
止まる駅は上野大宮
仙台盛岡雫石
田沢湖角館

駅弁のもう
一つの楽しみは器
薄い木で作った揚げ物の中には笹野はに包まれた鱒ずし
小山駅の駅弁です
好きですね会津
塗の産地の駅弁は漆黒の器

中は一転
彩り豊かな山の幸が詰まっています
こちらは何が入っているかお分かりですね
何を前面に盛り付けた鳥取駅の駅弁です
駅弁の容器を収集している人がいます
店舗のディスプレイや美術政策を手掛ける猪本典子さん
全国の駅弁の容器を二十年余り掛けて集めてきました
わりといろんなところに行く機会が多いのでで
駅弁を食べるのがまあ楽しみの一つでもあるので
結構行った先々で買って持って帰るホテルで
奇麗に洗って持って帰るっていうふうにしてるんですね
猪本さんには集めるだけではないもう一つの楽しみがあります
駅弁の容器を弁当箱として再利用するのです
岡山駅の桃太郎にちなんだ陽気にはもの形のおにぎり肉団子は
きび団子のイメージで
広島駅のシャモジ型の弁当には
女性の顔浮世絵の多くびえをイメージしたのだとか
自分が持っている間
すごく美しいお弁当箱とかだとなんかこう
自分のお弁当を作っても
入れ方が決まってきたりするんですねわりとだけどこう
予想外なカニの容器とかにを目の前に出されると
なんかちょっと日頃自分が作らないものとかを作って入れてみよう
みたいな気に
なるのでなんかこう予定
調和じゃない面白さが激便のようにあるのかな
と思って集めてるかもしれないですね
駅弁の器には人を楽しませる工夫が凝らされています
今日最後のツボは食べる前も食べた後も
日本で初めて販売されたといわれる駅弁は
おにぎり竹の皮に包まれていました
明治時代中頃にはご飯やおかずを詰めるため
木を薄く削って作る協議の折箱が使われるようになります
そして弁当の内容を伝えるために掛け紙が生まれます
広告としての機能も兼ね備えていた
竹上その土地の観光名所を掲載したり
鉄道の記念イベントを盛り立てたり
旅を一層盛り上げる役割を果たしてきました
駅弁のかけが実はどのように作られているのでしょうか
駅伝専門のデザイナーを訪ねました
他はハナエさん
これまで三百種類以上もの掛け紙を手がけてきました
このお弁当は結構淡い色調のお弁当なのでなるべくですね
周りのかけガミのピンクも淡い色調で調整をしているんですが
店頭買を見ながら淡くありつつも
ぼけない程度にっていうのを画面で
あの確認しながら調整をしています
こちらは小川さんがデザインしたパッケージ
大正時代から売られてきた体の駅弁です
これまで百年近い間何度もデザインを変えてきました
小川さんが新たなデザインを考えるために見直したものがあります
大正時代に掘られたかけガミの版木です表情があるじゃないですか
このたいってどこ見てるか分かりますよね
なかなかあの昔のえーですとか
文字は味わい深いものがあるので
これを生かしてかけガミのデザインをする
そういうことをしています
小川さんは伝統の絵柄を使いながら
現代にふさわしいデザインを考えます
まず体をイメージさせるオレンジを全体に体の絵は跳ねるポーズは
そのまますっきりとした印象にしました
海の文字は大きく
飯のふた文字は江戸の火消し愛のしるしを元に考案しました
ま普通にあのテンポで売っているお弁当との違いというのは
その面白さであったり
何かそれを食べることによって楽しみを見出すことができる
っていうプラスの要素がある
っていうのは
駅弁の壁紙であるよねっていうふうに思っておりますので
駅弁や器のカケアミその一つ一つが旅の
思い出の一ページに刻まれていきます