日曜美術館・特別編「異形探訪 井浦新 “にっぽん” 美の旅 3」

日曜美術館・特別編「異形探訪 井浦新 “にっぽん” 美の旅 3」

天狗(てんぐ)に鬼、謎めいた神仏像…。各地に息づく異形の美はなぜ生まれた? 司会の井浦新が“にっぽん”の美をめぐる旅の第3弾。旅先で見た意外なにっぽんとは?井浦新が北へ南へ!各地でいまも大切にされている“異形の美”に次々と出会う。井浦が幼いころから親しんできた“天狗(てんぐ)”を探して福岡へ。うっそうとした山々で見つけたのは、人間味あふれる異形の姿。青森では、神社の鳥居で必死の形相をみせる “鬼”と遭遇。鬼の恵みとは?そして山形へ。人々が懸命に守ってきた謎めいた“神仏”に、心ふるえる-“異形探訪”。その先に見えてきた思いがけない“にっぽん”とは?

【出演】井浦新,【語り】伊東敏恵

初回放送日: 2017年3月26日

 

日曜美術館・特別編「異形探訪 井浦新“にっぽん”美の旅3」

日本の各地に息づく不思議な美があります
馴染み深くもあるけれど大人九近寄りがたい
それは医業伸びそんな偉業に心惹かれてやまない人がここに美しくて
あのきらびやかでそういった美というものをもちろん素晴らしくて
それといわゆる逆の存在っていうのも自分にとってはものすごい大事で
そういう異形の存在
形や美というものは自分にとってはこうぶつかり
海がある存在なんですよね
外へ崩れそうなんです
にらみを利かせる
お怪しげな
剣に巻き付く理由
これで仏
技術は謎の
姿を求めて
どこまでもなぜ偉業は生まれたのか
別に守られてきたのか
苦しさや性や詩や喜びや本当に
そこに全て詰まっているっていうことが
企業からは関感じ取ることがいざ田んぼ旅
の始まりはあの巨匠が書いた一枚のえー失礼します
才能天狗ですね


この距離初めてな
そう葛飾北斎が腕を振るった天狗です
天狗は山奥に住空を自在に飛び回る伝説上の存在
家は思って雨風や火を操る神通力があるとされます
人と獣が混ざったような姿を国債は生き生きと表しました
いい顔してるなっているこの藍色の装束がすごい素敵ですね
ここすごいそうですね
やっぱりものすごい緻密にその紋様を描いていて
こんな装束を着ていたんだって初めて知りました
爪のような三本は違うんですかね
足も爪が伸びた赤い足が出ててま行ってみると
ちょっと者向けのようなあの足やね
その体付きだけれどもなんかどこか高貴な印象を受けますよね
やっぱり神聖な存在というか
フィクションとノンフィクションの間にいるような
そんな存在ですね
わかんない下手すれば
ちょっと出会ってしまいそうな創造の世界の中で
こういう風に本当飛び回れる
自由な心をくすぐるような存在なのかもしれないですね
で天狗という偉業が生まれたのか
目指したのは福岡と大分の県境伝説が今も息づく険しい
山々デング伸びが残される数少ない場所です


うわすごい今日今日は凍ってるつららのカーテンが持ってますよ
本物の美と出会うにはこっちもね命かけていかないとだめですよね
ありがとうございました
まず訪ねたのは天狗がこもって修行したとされる神社行きますか
ほら山の中で起こる不思議な現象は天狗の仕業とされてきました
天狗杉
すごい

あ来た来た
宣伝
おはようございます
よろしくお願いします

当時伝わっております天狗の面なんですけれども
私は天狗払いと言いましてまこの麺を使ってですね
その前に一つ人たちにこの間間を払い
そしてまた力を分け与えるというようなことをしてたんですけど
天狗の神通力を形にしたかのような力強い江戸時代
気を巧みに彫り上げ作られました

かっつってこう言っているお金も見えるし自覚しているという
そういう力をこちら側にぶつけてくるため
角度を変えるととても優しい顔が見えてくる
すごいもらってる人気で大笑いしてる顔にも見えますね
血管を出しながら大笑いしてるお顔にも見えてくる
何か不思議なほんと
子供の頃から天狗様の顔怖いって思ったことないんだよ
安心するどちらかというと安心してしまうんですよ
そうなんですよね
なんでだろう
本当てんてんぐに
なんか不正みたいなものを感じてしまってるのかもしれないです
けどねなんかこう
ユングは確かにここにいたと思わせる
不思議なものがあるといいます
練炭のちょっと右肩らは
少し岩が盛り上がっているのが見えると思います
あれがですね
よく見たら何かの顔に見えてきませんがはっきり見えました

施行されていらっしゃったわけだから
湧き上がってきてしまったんですよね
きっともう死んでるの

たまに峠を越え
次なる天狗の住処へと向かいました
そこは天狗の始まりの姿が見られる場所
そしてくおてですか歩く面ですか
すごいいい形してる
見つけたのは鼻の高い天狗とは違い鳥のようなくちばしのあるそう烏天狗です
実は鳥のくちばしを持つ烏天狗こそ日本の天狗の感想です
烏天狗の姿が生まれたのは
鼻の高い天狗よりもはるか前平安時代にまで遡ると言われます
なんかあれですよね烏天狗
日本好きできっと
それは自分の生まれ育ったあの自分のふるさとが
その近くに高尾山があってで
そこにイズナ大権現緑色の顔烏天狗もいて
ま本当幼い頃から馴染み深いですよね
美術でもやっぱ興味が湧くのって
その霊獣だったり理由とかガルダだったりとか
そういう本来目に見えないような
そういう存在のものっていうのはやっぱり興味がありましたね
今そういう風になっている
結構自分の中のるつにこの烏天狗っていうのは間違いなく
やっぱりいてかなり自分
にとって大きなこう影響を及ぼしてる存在でもあれですよね
そんな三浦さんも初めて目にするか
ラスティングがこの先こんにちはこんにちは失礼します
で靴を脱ぐですね
はい並ぶのは山で修行する山伏たちの暮らしを伝える
貴重な品々

 


な高天狗を
取り囲む八体の烏天狗
そもそも山の中で起きる
怪しい現象と不気味な鳥の鳴き声などが重ね合わされて
この姿になったと言います
これらの像はくぼてさんの社にご神体として祀ら
れていました

目の大きさも違うし
血を分けている烏天狗では目をつぶっているようなプラスティック
嬉しい飄々とした表情もあれば
ちょっといまだにちょっと苦しんでるような
つらそうな顔してる表情もありますし
ちゃんとこう一体一体の心情をちゃんと個性を
表わしている

 


人間味溢れる天狗の美が生まれてきたのは
山伏たちが厳しい修行を重ねた険しい山


うわすごい光だ
なんかすごい
旧車なイシダイ鬼が作ったという
八百五十段の石段に挑みます
修行する山伏たちの鬼気迫る姿を見た人が
その姿を天狗に重ねたとしてもおかしくはありません

上部雲が近い来ましたね
短調想像以上の車だったなって思ってたんだ

神仏に一歩でも近づこうとした人間たちの
その喜怒哀楽の最大値の表情が
あのような眉間に皺よせ前を釣り上げ目を引き抜いて
口を大きく開けて
そういう生命感に満ちた
擦り減っていくからこそ
生きようとする人間のその最大値の感情が
表情に表れていったものが全部や
烏天狗のような
その企業の形相の形になっていったのかなっていうふうにも
ちょっと実感としてそういう感じます
ポスティングの天狗もすごいけど
人間はそこまで変えてしまうっていうか進化させてしまう
自然っていうのがすごいあって
上手
の山がくぼてさんが烏天狗の
顔にしか見えなくなってきました

険しい自然とそこに近づこうとする人間
激しすぎる極限の出会いが生んだ異形伸び
なるほど
ちょっと山頂が傘がかぶって朝津軽富士ですね
次なる旅は青森津軽地方
もう一つ日本を代表する偉業と言えば
人々に恐れられる存在に私待っていたのは
想像を遥かに超える不思議な小城でした
突然飛び込んできましたね
それはどうしてだわ
取りに重みがそしたら
可愛いですよね
なんか優しいどうぞって言ってくれてるような
鳥居の上の部分を背負って重そうですけど
支えてくれてるのかなうん常の方が悠々としています
期限を携えてちゃんとゴミいわゆる
某日本アカオニ

何だろう
どういうあれがあるんだろう
あああいらっしゃるうんますね
鬼が鳥鳥もこう簡単にこう背負ってしっかりとこう堪えられる
立派な腰とお尻をしてますね
神社の鳥居を支えている
おこうした鬼は全国でも珍しく
津軽地方を潤してきたいわき側沿いにしか見られません
その数はおよそ四十箇所ほどぶりに祭り上げるほど
この地域の人々は鬼を大事にしてきました
ではなぜなのか
そうですね凄いたくましい意志騒がしい
素材は医師から石田からならではの
の肌の表現がよりお鬼が強いですよね
こうごつごつした新華質っていうこんにちは
早川さんどうぞよろしくお願いします
お願いしますま
この辺のその信仰っていうのはこっちの鬼はあのー
普通悪い悪いことするっていう感じですけども守るという感じで
皆さんのことを守ってる子供さんを守ってる地域を守ってる
そういう感じで昔から私らもお肉って言ってました
地域を守ってる存在として生まれてきたそうらしいですね
津軽弁で例えば鬼とかこの子供に対して相性を付けてこう何個
何個お嫁さんでも嫁っ子とかねそういう感じでっ子なんですね
実はあのあの宗方志功さんがちょっと興味があったらしくて
ここ見に来たらしい
実際来たらしい先輩方が言うには
ずいぶんここ文の言葉いただいたらしいですよ
思考さんという話を聞いたっていう話を聞きました
青森出身の版画家棟方志功も気になる存在だったという鬼っ子
やはり手を動かさずにはいられなかったのか
鬼っ子の姿を作品に残しています
うような色彩で表わされた鬼っ子の力強さ
愛嬌のあるユーモラスな表情
思考の鬼っ子への
親しみが伝わってきます

神社の総代を務める加藤さん
鬼がこのフードで大切にされる訳を語ってくれました
それは昔のつらい歴史と関わっているのではと言います
ちょうどこの玄関の横から大体込めたぐらい離れたところに
このぐらいの大木があったんですよ
を伐採してそれであのー根っこ取り上げて
そしたら人骨が出てきたんですよ
大体連合野芝ここに三つぐらいかなでてきて
多分
その資金の時あの
病気か
それともあの農家の人達のサブのために食べられないで
亡くなったのか寛大旅行の件も厳しい
えー先生が起きたとおもうんだこの日の人達はな歴史があるよね
青森は大きな例外と凶作に度々見舞われてきました
人口が半分にまで激減した二百年以上
ちょっと前の天明の大飢饉を始め
第一には過酷な記憶が刻まれています
人々は必死で命を繋いできました
それをやっぱりその思いを思ってで
まあこのこういう入ってその後にこうそれがあったと思うんですよ
やっぱり夏の身を守るためになぜかねこれは駄目だということで
さまざまなそのーあの人によってで
これが本当の私達祭りのニコだとか
その拠り所だけはやっぱり拠り所にその
ニコが何を意味してるのかって
それは行がなくてもやっぱり拠り所だ
極め付きの鬼っ子がいるというので
訪ねて行ってみるとこれもまた凄いお肉
ちょっとなんか
今まで見てきたお肉の集大成的な集合体みたいな感じですよね
この二個はすごいですね
もっとこうまた終わってがっと開いて踏ん張ってますよね
ちょうどああ来た
まさか入れずに
いうのを入れずに
神聖な
達の力までも取り入れて
更に威力を増した異形の姿
用紙をしていながらも
人のために頑張って頑張ってるっていう
なんか美しいような完全なイケメンですからね
こういう顔こそ真剣なんですよ
必死にお前は踏ん張って生きてるのかっていうふうに
こちら側に突きつけてきますよね
俺はやってるよっていうふうに
俺はみんなの願いを背負って踏ん張って生きてるよってって
やっぱ行ってるな無言で
それにしてもなぜ鬼なのか
国の力を今も感じながら暮らしている場所があると聞き尋ねました
に入るかすごい三沢やってきたのは
鬼澤という名の集落凡人じゃ凄いな
二人じゃ
森には米俵の形をした
珍しい注連縄が掛かっていました
鬼を神として祀る神社です
皆さん何をされてるだろうと気になってしょうがなくて
実はおはようございますこんにちはございます
今日は皆さん今日朝あの今月の二十九日の塾なんですよ
今日からやってます
昔はここの村人のヤジュルという人とさ
このお二という人がさ仲良くなって
それからほらあの色んな話をして
村の人たちが熱がなくて田んぼ作れないということの話を聞いて
その子が生活を送ってくれたみたいなんですよ
水路を作ってくれたっていうことで村人が非常に
助かってこの村が繁盛したということですね
だから神様ということで待ちたいと思います
非常に助かったと思うんですよ
水不足に悩んだ地域を潤した鬼人知を超えた力で支えてくれる存在
この地域では毎年神社に奉納する新しいしめ縄を作ります
一番重いものは四十キロにもなるというしめ縄うん
今も村人全員で取り組みます
これ今あの外には雪を使ってるありすべりから
この季節ならではなかったら
そっと教えてくれた御贄の思い
鬼のおかげで
鬼のおかげで鬼のおかげで単語が作れたらまだもああ
そういうことかそうだ鬼の愛なんですよね
やっぱりじゃあやっぱ鬼への感謝っていうものがあるんですね
そもそもはやっぱりやっぱ
切実な願いや思いから来てますよね
今こうやってね
数分ここにいるだけで
これだけの自然のこう状況状態変わってくるじゃないですか
寒いですし体もしばらく痛いし
人知を超えたその自然現象っていうのはやはりこう
神のなす業だったり
そこで鬼というものが生まれたりしてきたんだろうな
っていう人間がこの手
で作ったその鬼という美の形があるからこそ伝わりやすく
それを見ることによって
自分たちの心に訴えかけてきやすくなってる
今生きている
自分たちが生き抜くために鬼という存在を必要としているから
それがすごい強く今も生きてるんだな
鬼ってって感じ出たとこなんですよね
生きるっていうその力を与えてくれるためにも
人間は鬼の力を借りてでも守ってほしいと
様々な思いを鬼に乗せていつも身近に海行ってね
寄り添うって言うのかもしれないですよね
はいそうですね
人々は五穀豊穣を願い全身全霊で鬼への感謝を表します
鬼がいれば乗り越えられる時に猛威を振自然の中
人々が切実な思いを抱いて大切にしてきた鬼頑張れ頑張れ
力強く生きていくために
企業の美
秘境探訪
介護の旅先は木村さんゆかりの場所

自分の父親のあのふるさとでもあって
もう子供の頃から
もう今でもずっとには帰ってくる場所だったんですけど
自分にとってここの地というのは
やっぱ自然に触れる
っていう思い出がやっぱ一番強い場所でしたから
本当にこの地に医業が存在するのかっていうのが
正直ちょっとまだピン
と来てなくてやってきたのは
山形県南部の白鷹町わしや織物など
自然の恵みを活かした手仕事が盛んな土地です
そんな白鷹に謎の偉業が残されていました

たのは小さなお堂

ちょっとはい
背負って
エビちゃんと書かれてる
日月
両手をこちらに向けてるあの手のってなかなか見ないですよね
両方手をこちらに向けている
謎めいた解けたち
実はこの地域の山の信仰と深く関わっていました
ここにあるのは
概ねあのー小沢徹ということで
でイメージにこのお堂と的に作られたものということですね
元々はそのー湯殿山の沢のところにある滝であったり
動物であったり
それ自体が神仏として
それを拒んでいたというようなことなんですけども
それをさらに偶像化して分かりやすい形にしたというのが
こちらのものなので
長ぐつ小沢崖のはいはい小沢崖とはでは散々の一つ
湯殿山の沢を歩いてお参りする修行ですが
飯村さんは去年小沢崖の一部を体験しました

 

道中に現れた圧倒的な霊気を放つ岩山
そしてタキ人知を超えた自然の力を宿すように
どこにもない姿で形作られたのが小沢物なので
なんかもうに龍
が巻き付い
達の体の色と同じ
ように
えーこの色肌の色があの岩肌自体を表しているのは
あの夏のするんですか
まあちょっと言い方あれですけど
とも色彩豊かで
もうちょっとこれでもかっていう現職で少し最近でいくんですよね
やっぱりね他の代表的なお寺とか
そういうとこ行ってもこの見たことないものばっかりなので
逆に不思議な自分が育てはきてるんですけど
やっぱり不思議ですよね
理由が何件をかじってるだろうなぁとなんでかじってるのをかんで
っていうあの表情に
何かこう僕なんかもありがたいなっていう力強いお姿
嬉しくなってしまうというか
自分も確かに滋さん友達なんか怖さって感じないんだよ
普通を見るとやっぱりこう落ち着くっていうか
このような企業の姿だからこそ
人間なんかが泳がない力によって守ってくれるなっていう
それぐらいの力強さをやっぱりこの姿から感じますし
赤や青や緑の体持っていれば自分じゃ到底かなわないなっていう
そういう姿から心からその思いを
託せるそういう存在ですよね
白高には湯殿山への篤い信仰が受け継がれてきました
十五歳になった男子は皆湯殿山にお参りする風習もあったほどです
人々はどこにもない偉業を祈って
圧倒的な自然の力に通じようとしてきました

うんそして
由良さんがよく知る場所にも企業がありました
答申知らない来たことあるんですよここは
家族で来たことある場所なんですよね
室町時代に建てられた深山観音堂
どうもこんにちはこんにちは上もよろしくお願いします
合わせることをよろしくお願いします
昨夜ご案内しますありがとうございます
それ
は他では決して見られない姿だと言います
そうですか長野どんどん午前中にありますのでそうです
目指すはこの億今回
特別にご本尊にお参りする許可をいただきました
失礼します
ですね
何か様です
バラ図一本の曲だからいち目ですよねだからかなりの大木ですよね
また形が少し残ってるけど
多分一緒にらしきものがあったんですけど
火災で焼けてしまったんですよね
ラケットの姿が
異教異境
の巣ごとだよ
キブツ千手観音像
元々は五メートルほどの大きさの立木
観音だったと考えられています
江戸時代に起きた火災で焼けて今は膝から下が失われている姿
親藁で編んだ敷物にくるむなどして
人々は大切に守ってきました

あの色々と岩肌のような状態になっているのが
なんかより神聖さが増しているような気もするんですけどね
観音様だから本来優しいお顔をされてたんでしょうけど
何でしょうね
優しさと強さを手に入れた顔っていうか
自然の中から生み出された造形がまた自然によって
次の形にあの変化していった
進化していったっていう風にもとれるのかなと思うんですよね
日に開かれたっていうよりかも
なんか火を自分の体に取り入れたことによって
そのさらにその多くの人を力強く救える
なんかそういう存在というか
そういう造形となっていったんじゃないかなって
富山感動唯一無二ですね
いや本当に町の中ではそうですかね
食べるのすばらす宝物つったらいいの
皆さんにとっては
美術
芸術って
簡単に言葉で表すのがすごい軽く感じてしまうぐらいの
その思いの強さですよね
その思いの強さが僕はなんか今回出会ってきた以上っていうものの
その形にその強さが表れ
ているなと思いました
その強さこそなんか生命感であって感情であって
それは苦しさやせや
詩や喜びや何か本当にそこに全て詰まっているっていうことが
この偉業からは感じ取ることができる
でまたそれってすごい作る側の思いって切実だけど
じゃあその切実でこうなものだけで表してよかったら
そうでもなくて
意外とぷっと笑ってしまうようなユーモアがあったりとか
やっぱり切実だからこそ
どこか笑わしてくれるっていうかなん切実さを知ってるから
つらさを知ってるから
そういう気持ちから作るものって
どこか笑顔になってほしい
なっていう願いが込められてたりとかもするしそう感じるし
こっちもなんか大切にしたいっていう思いが募るような
そういう暖かさがどっか
ありますもんね

取材先

「大天狗図」葛飾北斎 

「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」に描かれたカラス天狗

英彦山豊前坊の天狗信仰と高住神社の天狗面   福岡県田川郡添田町英彦山27

福岡県豊前市

求菩提資料館 福岡県豊前市鳥井畑247 入館無料  開館9:30~16:30(入館は16:00まで)月曜休館

八幡宮(石川) 青森県弘前市石川寺山62

白山姫神社 青森県弘前市鳥井野宮本4

八幡宮(撫牛子) 青森県弘前市撫牛子1-3-1

立野神社 五所川原市金木町喜良市字桔梗野40

山形県白鷹町 御沢仏

白鷹町教育委員会 TEL0238-85-6146(受付:平日の8:30~17:15)

白鷹町・御山の千手観音像 江戸時代の火災で一部焼失している