日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー 」

傑作という作品を基にその芸術家の魅力を熱く語り合う「傑作ダンギ」。今回は日曜画家としてスタートし、独自な画風で不思議な作品を描いた アンリ・ルソー に焦点を当てる。

19世紀末にパリの税関で働きながら独学で絵を描き始めたアンリ・ルソー。斬新な構図や遠近法など気にしない「ヘタウマ」的な作品は当時酷評されたが、めげずにその世界観を貫いた。後にピカソは純粋無垢なルソーの絵を絶賛した。スタジオにはルソー好きの女優の鶴田真由、ミュージシャンのグローバー、そして研究者が集結!何が不思議なのか?なぜそんな絵を描いたのか?謎めいたルソーの心理を類推し、作品の魅力を語り尽くす。

【ゲスト】世田谷美術館学芸員…遠藤望,鶴田真由,グローバー,【司会】小野正嗣,高橋美鈴

放送:2018年7月1日

 

日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」

月夜の晩。眠りにつく女性のそばをうろつく一頭のライオン。

恐ろしいのに可愛らしい。

まるでおとぎ話に紛れ込んだような牛着な世界観で知られるルソー。

その初期はどんな絵を描いていたのでしょうか。

フランス西北部の街、ラヴァル。

1844年、不動産業を営む家に生まれたルソー。

子供の頃から画家になる夢を持っていました。

しかし、親の事業が失敗。

借金取りに追い立てられるなど、画を学ぶ余裕はなかったといいます。

その後24歳でパリに出て結婚。

生計を立てるためパリ市の税関に勤めます。

仕事はパリへと運ばれる物資を監視する万人。出世する気などありませんでした。

ルソーの夢は画家になること。

40歳の頃。知りあいの画家を介してパリのルーブル美術館で模写をする許可を得ます。

仕事の合間や空いた時間を使って、日曜画家として独学で絵を描き始めるのです。

カーニバルの晩。

42歳のルソーが描いた初期の風景画です。

月夜の晩。深い森の前に佇むのは、まるでスポットライトに照らされたような男女。

よく見ると森のその先は赤く染まる夕焼け。

それなのに空は満月が輝く夜空。

夕暮れと月夜が同居する摩訶不思議な風景画。

美術教育を受けなかったルソーならではの独自な作風が伺えます。

初期のルソーの風景画は現存するものが少ないため貴重です。

そんなルソーの風景画が見られる美術館が長野県諏訪湖の辺りにあります。

ハーモ美術館。

ルソー作品を9点。日本で最も多く持っている美術館です。

30年前に開館して以来、この美術館では、独学で絵を描いた画家の作品を主に収集し、展示してきました。

その代表格がアンリ・ルソーです。

ルソー作品9点すべてが常設展示されています。

風景画を中心としたコレクションです。

「釣り人のいる風景」

あの「カーニバルの晩」と同じ時期に描かれた作品です。

この絵でも独特で不思議な作風が垣間見えます。

池に小舟を浮かべ、釣り糸を垂れる男。

その周りには強い存在感を放つ木々。

よく見るとルソーは左から当たる陽の光の陰影を、木の幹には描いています。

ところが木自体の陰は地面に描いていません。

そして道行く人々の影もありません。

ルソーの風景画の中でも傑作と言われる「果樹園」

パリ郊外の秋の風景を描いたこの絵にも不思議がたくさん隠れています。

一つは「果樹園」とい題をつけながら、どこにも果物が描かれていないこと。

また、絵の背景の雲と山並みはいつの間にかつながって一体化しています。

ルソーはこの作品で画面を大きく3つに分けて描いています。

画面下には、黒く影のような木々。

中程には秋の紅葉と建物。

上には空と雲と山並み。

平面的な3つの画面が合わさることで不思議な遠近感を出しているのです。

独学で培ったこのルソーの不思議な作風をこよなく愛したのがピカソでした。

ルソーの死後「果樹園」の作品が売られた時、ピカソはわざわざ「本物だ!」とサインまでしています。

神奈川県の箱根に有るポーラ美術館。

ここにもルソーの不思議な風景画があります。

「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」

本作品には、パリ万国博覧会に関するふたつの記念碑的な建造物が見られる。ひとつは1878年のパリ万博の主会場となったトロカデロ宮殿、そしてもうひとつは1889年のパリ万博の際に建設されたエッフェル塔である。トロカデロ宮殿は1937年に取り壊されたが、1909年に取り壊される予定であったエッフェル塔は、今もパリのシンボルとしてそびえ立っている。ロラン・バルトはこの塔を「大地と街を空に結ぶ、立った橋である」と述べているが、水平に伸びるアンヴァリッド橋と垂直方向に伸びたエッフェル塔は、近代の技術発展による世界と空間のひろがりを表わしているかのようである。 ルソーは、1889年のパリ万博の思い出を、ブルターニュ出身の田舎者のルボセック夫妻を主人公にした3幕の軽喜劇に著わし、劇場に持っていったが上演を断られたという。この劇中で、ルボセック氏はエッフェル塔を「でっかい梯子」と呼び、塔が「柵がいっぱいついた梯子でできているとは思わなかった」と述べている。ルソー自身もエッフェル塔に驚嘆し、万博会場の異国の展示物に熱狂した。ルソーは素朴な画家といわれるが、彼はその素朴さゆえに変貌するパリの風景や文明の産物を素直な目でとらえて描き、近代性を独自に表現している。彼の影響によってロベール・ドローネーはエッフェル塔を描きはじめ、ピカソはルソーの独特な表現を称賛した。(『アンリ・ルソー:パリの空の下で』図録、2010年)

ルソーはパリの万国博覧会のために建てられたばかりのエッフェル塔を中心に描いています。

一軒普通に見えるこの風景画にも実は不思議が隠されています。

空を見ると夕焼けを描いているように見えますが、太陽らしきものはまだ高い位置に描かれています。

ルソーが描いた不思議な風景画は当時の画壇から「稚拙で子供の描いたような絵だ」と酷評されます。

それでもルソーはめげません。

さらに新しいジャンルに挑戦します。

それが肖像画でした。

ここにもルソーならではの不思議な世界が広がっています。

子供の表情に愛らしさやあどけなさはありません。

どこか達観した大人の表情にも見えます。

抱えた人形も可愛らしさとはかけ離れたもの。

さらに椅子に座っているわけでもないのに膝を曲げ、足先は草の中に埋もれています。

ルソーには五人の子供がいました。

しかし、そのうち四人を病気などで早いうちに亡くしています。

この肖像画は子どもたちへの追悼だったという説もあります。

しかし真意は謎のままです。

「フリュマンス・ビッシュの肖像」

この肖像画も不思議さに溢れています。

人物は広大な景色を背景に、まるで浮遊するように描かれています。

そして同じような構図で描かれたのがルソーの肖像画の代表作である自画像です。

「私自身、風景=自画像」 アンリ・ルソー

ルソーはこの絵を死ぬまで手元に置き、事あるごとに描き加えました。

それがわかるのが手元のパレット。

この絵を描き始める二年前に結核で失った最初の妻クレマンスの名が。

そしてその横には再婚するもやはり早くになくなった二番目の妻ジョセフィーヌの名が描き加えられています。

襟元に付けられた丸い勲章は、町の人々に絵を教える教授に任命されたときにもらったもの。

ルソーはそれが誇らしくて描き加えました。

背景に描かれているのはセーヌ川の辺りの船着き場。

税関に勤め、パリに入ってくる物資の監視をしていたルソーの職場です。

船には万国旗が飾られ、その向こうにはルソーが造形に心を奪われたというエッフェル塔が描かれています。

そして空に浮かぶ雲。なにかに似ていませんか。

ルソー自身を描いたこの作品には彼の様々な思いがこもっているのです。

ルソーは49歳で、22年間努めた税関を早期退職し、本格的に画家で食べていこうとします

そして60代。晩年のルソーがテーマにしたのが密林シリーズと言われる作品群です。

その代表作。「ヘビ使いの女」。

女の笛の音に誘われたのか、足元にはヘビが這いだし、体にもまとわりついています。

東京都美術館で開かれている展覧会にルソーの密林シリーズの代表作が来日しています。

「馬を襲うジャガー」

最晩年。66歳で描いた作品です。

密林の中で、白馬がジャガーに襲われる一瞬を描いた一枚。

劇的な場面ながらどこか静かな雰囲気が漂っています。

そんなルソーの密林シリーズが大好きだという作家の原田マハさんです。

作家になる前は学芸員として美術の世界に携わっていました。

ルソーへの愛が嵩じて、彼の晩年をテーマに小説をかきあげました。

密林シリーズには独学で絵を書き続けてきたルソーの真骨頂があると原田さんはいいます。

「密林の中にそもそも白馬がいるという不思議さと、それにアジの干物のような毛皮だけのヒョウが襲いかかるっていう、考えてみるとありえないような構図・・・なんだけれども、周囲を囲んでいるジャングルの、鬱蒼とした雰囲気と相まって、なんとも言えないシュールな画面ができてしまっているっていう」

ルソーは生きたヒョウを見たことがなかったといいます。

参考にしたのはヒョウ皮の敷物。

それで毛皮を貼り付けたような形になっているのです。