美の壺「昭和レトロの食卓」

美の壺「昭和レトロの食卓」

平成生まれの若者にも人気!ビタミンカラーのキッチングッズ

京友禅から生まれた!?花柄魔法瓶の誕生秘話

インスタで注目!お小遣いでそろえたレトログッズと暮らす家族

昭和にタイムトリップ!当時の暮らしが体験できる博物館を、いざ探検

憧れのダイニングキッチンで作る、熱々のグラタンは昭和の味!?

今でも素敵!当時憧れの洋食器セットが続々登場!

ハレの日のごちそう、懐かしのお子様ランチも!<File468>

【出演】草刈正雄,【語り】木村多江

美の壺「昭和レトロの食卓」

放送:2019年2月22日

東京・下北沢のアンティークショップ。店内は昭和の時代の雑貨や家具でいっぱい。カラフルな醤油差し。食パンが飛び出すトースター。おばあちゃんの家にあったようなお人形。こうした品々は昭和レトロと呼ばれ、若い世代にも人気です。この昭和レトロの品々が実際に使われていたのは昭和30年代から40年代です。日本は高度経済成長の真っただ中。東京オリンピックや大阪万博に沸いたあの時代。人々の間に暮らしを楽しむゆとりが少しずつ生まれていました。「食卓の周りにも新しい風が入ってきた時代」。日本が元気だったあの時代。不思議と惹かれるかわいなつかし、昭和レトロの食卓へようこそ。

飾る

昭和レトロに魅せられた瀬尾美名さん。家の中はまるでレトロ。三人の子供の子育てが一段落した5年前から、こつこつ集めたレトログッズは千点以上。お子づかいの範囲で集め、なるべく手作りするのがモットー。毛糸で敷物を編んだり、古い布を探してきては棚に貼ったりしています。「色がオレンジとか黄色とか緑とか明るい色が多かったり、形とかも今にないお花の形とか、すごく可愛くて」。特に気に入っているのがキッチン用品の花がら。真っ赤なボディに色とりどりの花が印象的な保温ジャー。調味料入れはポップな花がらです。家族も花柄の食卓を気に入ってくれています。「友達がいっぱい写真撮ったりすごいていってくれるのが嬉しい」。「お家にいながらにしてお花畑にいるみたいに気持ちも上がりますし、キッチンに立つことも多いですので楽しく毎日の家事ができると思います」。今日一つ目の壺は幸せだなあ。僕は花柄といる時が一番幸せなんだ。

北名古屋市の昭和日常博物館。昭和30年代から40年代の日常生活の場面や物を集めたユニークな展示。およそ10万点を超える昭和の資料を収集しています。ここにもありました。花柄。昭和の食卓まわりでは花柄が一大ブームを巻き起こしていました。「食卓周辺で爆発的にブームをなっていうのは魔法瓶。それが中心になって花柄が広まっていった」。こちらは百年以上にわたる魔法瓶の歴史を紹介する魔法瓶記念館です。魔法瓶の変遷を見ていくと昭和40年代急に花柄が登場します。花柄魔法瓶の第一号を手掛けた坂下清さん。工業デザイナーの先駆けです。

昭和30年代、欧米に駐在していた坂下さん。海外の食卓を飾る花にヒントを得ます。「今でいうブーケみたいな綺麗な花を円形の所に生けるような飾り方を日本はしないですよね。雰囲気を豊かにするような演出をするような道具があってもいい」。食卓で使う道具を華やかにしたい。坂下さんは魔法瓶を花柄で飾ろうとひらめきます。注目したのは京友禅。日本人が古くから慣れ親しんだ花柄です。坂下さんは一流の京友禅の作家に依頼し、花柄を描いてもらうことにしました。「結婚式の振袖。裾にきれいに花柄が取り囲むようなのが私のイメージでした」。そして誕生したのがこちら。花柄魔法瓶の第一号です。春の花園をイメージしたカラフルな花ばな。まさに食卓に華を添える魔法瓶でした。発売すると瞬く間に大ヒット。他のメーカーからも次々に花がら魔法瓶が売り出されました。それからおよそ20年。デザインを変えながらも花がらは長く愛されました。「デザインは生活に潤いを与える大切な要素。最初は心配でしたが評判を聞いてほっとしました」。花柄は魔法瓶以外にも広がり、昭和の食卓は空前の花柄ブームに沸いたのです。

広める

昭和30年代にはいると集合住宅。いわゆる団地が次々と建てられました。食卓にはちゃぶ台に変わってダイニングテーブルが登場します。こちらは理想の団地と言われた千葉常盤平団地の再現です。当時の人々にとってダイニングキッチンのある欧米風な食卓は憧れ。食卓で使う器も和風なものから洋風なものへと変化していきました。明治時代から続く洋食器メーカー。100年以上に及ぶ洋食器の歴史を展示しています。こちらは昭和30年代から40年代に製造された食器。それ以前は欧米への輸出が中心でしたがこの頃から国内向けの製造が本格化しました。「その時代になりますと一般の家庭の生活水準というのが向上いたしまして一般家庭で洋食のメニューが食べられるようになる。そうすると揃いの絵柄で統一をした食器。洋食器というのが憧れになってきました」。スープ皿からティーカップまで同じ絵柄で統一されたディナーセットは羨望の的。こうした洋食器が広まるきっかけの一つがこちら。昭和34年当時の皇太子ご成婚の記念に作られたものです。まっすぐ伸びる杉が描かれたモダンなデザイン。このシリーズは全部揃えると18種類58点になります。オプションとして急須や徳利も。しかしこれだけのセットを一度に揃えるのは至難の技。そこで考え出されたアイデアが頒布会というシステム。月々500円の会費を払うと1回目はコーヒー茶碗5客。2回目は大皿1枚とスプーン5本。毎月違ったアイテムが届き10ヶ月で全セットが揃うのです。他にも和風な絵柄のシリーズ。今の皇后美智子様をイメージしたプリンセスシリーズなど。人気のあった絵柄は 年間10万セットを売上ました。この頒布会というアイデアが起爆剤となり、日本の食卓にもモダンな洋食器が広まっていったのです。そこで今日二つ目のツボはアイデア満載ナウな食器。
この時代食卓のレギュラーメンバーになったのがガラスの器。食生活が豊かになりサラダやフルーツなどを盛るのに大活躍。飛ぶように売れました。当時を知るガラスメーカーの代表廣田達夫さんです。「時代にあったガラスといいますか、いいガラス使いやすい量産効果といいますか」。それまでガラス製の器には主に吹きガラスの技法が用いられていましたが、量産するには不向きでした。そこで活躍したのがプレスガラスの技法。金型を使って作ります。こうして作られたプレスガラス。一度金型を作れば同じデザインのガラスをいくつも作ることができます。こちらは日本の伝統的な籠目模様。この頃で作るのに適したシンプルかつモダンなデザインが次々と誕生しました。しかし、よりされたデザインをより多く作ろうとガラスメーカーが競っていた時代。こうした製品を金型で一つ一つ形成していたのでは生産が追いつきません。そこで新しい仕組みが考えられました。円形の台に同じ金型を複数用意。ガラスの材料を入れ回転させてプレスすることで同じ製品を一度にたくさん作ることができました。回転式プレス機と呼ばれたこのシステム。当時小さな町工場で開発された技術でした。「東京オリンピックが一つの契機」

食べる

京都の老舗百貨店。最上階のファミリー食堂は今も昭和のスタイルが人気です。奈良県にお住まいの吉岡さんのご家族。この日まもなく5歳になる大翔(ひろと)くんの誕生日プレゼントを買いにやってきました。「子供の時はもういつもデパートの食堂で食べさせてもらって屋上の遊具で遊んでそれがもうすごく楽しくて子供心にも嬉しくて嬉しくて」。デパートの食堂で食べる憧れの洋食。それを家庭でも再現しようと昭和のお母さん達は頑張りました。そこで今日最後の壷は、憧れの食卓。料理研究家の江上栄子さん。昭和30年代から料理学校やテレビ、雑誌でヨーロッパの家庭料理を紹介してきました。当時料理を習いに来るお母さん達は大変熱心だったと言います。「戦争時代を過ぎやっと物が出てくる。そうすると家族においしいものを食べさせたいという気持ちは、女性の心の中に沸くんです。なんとかして洋風のお料理を子どもや主人に食べさせてあげたい」。有田焼の窯元の家に生まれ育った江上さん。家庭料理研究家の草分け江上トミさんの長男と結婚し料理の道へ。現在では娘の佳奈美さんも後を継ぎ、親子三代にわたってフランスの料理学校で学んだ味を日本の家庭に伝えています。昭和の人気メニューを当時の作り方で再現していただきます。もちろんホワイトソースから手作り。およそ10分。ようやくホワイトソースが出来上がります。具罪は子供が大好きな肉団子、このソースでニンジン嫌いの子供もおいしく食べらてほしいと考えました。さらに一工夫。耐熱皿にオーブンが普及したのもこのころ。料理の幅がグンと広がりました。チーズの代わりにパン粉とバターで工夫して焦げ目をつけたグラタンです。「インスタントのものがなかったので、自分で作らないとものがございませんからね、そういう時に自分が気持ちを込めて作ったものを食べて家族が美味しいと言ってくれて、そしてそれが役に立つ実際に役に立ったら嬉しいと思いますね」。およそ50年前から使っている鮮やかなブルーのテーブルクロス。ファンシーな花花柄のコップ。華やかなサラダボウルも愛着があって今でも使っているものばかりです。 「戦争が終わってね、そして自由が帰ってきて、そしてだんだんものが出てきて、手を伸ばせば自分のものになる時代になってきた時にやっぱり心ときめかしてみんなで生活自身を楽しんでたんですね。可愛いじゃないですか」。昭和の時代のかわいいものたち。食卓から私たちに元気を与えてくれます。