美の壺「のどごし涼し そうめん」

夏の定番!そうめんの知られざる「素顔」に迫る▽奈良・三輪そうめんと大神神社1200年の深イイ関係▽ソーメン五郎改め松本幸四郎のそうめん愛▽絶品!キャビアやトリュフとコラボ▽梅雨があるからおいしくなる!?そうめんの不思議▽84歳・手のべの妙技・細さ0.2ミリの白髪そうめん▽どんどん伸びる!「白い生き物」熊本発・夜通しの手作業に密着!▽意外!そうめん評論家のイチ押しレシピとは?<File480>

【出演】草刈正雄,松本幸四郎,池側義嗣,奥村彪生,ソーメン二郎,【語り】木村多江

放送:2019年9月1日

美の壺「のどごし涼し そうめん」

たっぷりの湯に解き放たれるそうめん。冷たい水にさらされて絹糸のような幽けき美しさ。熊本で作られるそうめんは針の穴を通すほど。進化を遂げるそうめんは世界の珍味とコラボレーションします。歌舞伎役者松本幸四郎さんも大のそうめん好き。日本の夏の魅力、そうめんの知られざる魅力に迫ります。

いにしえ

万葉の万葉のふるさと。奈良・三輪山。三輪山をご神体とする大神神社。毎年二月、神様がその年のそうめんの相場を占う神事が行われ、全国からそうめん業者が集まります。そうめんと神様との意外な関係探っていきましょう。古事記や日本書紀にも記されている日本最古の神社のひとつ大神神社。およそ1200年前。奈良時代の終わり頃、三輪山の神様からこんなお告げがありました。「この家に小麦をまき三輪山から流れる清流で麺を作り、飢饉に苦しむ民を救うように」仰せのままに小麦を水車で粉に引きこねてのばしたものがそうめんの起源と伝えられています。江戸時代には大和三輪そうめん名物なり細きこと糸のごとく白きこと雪のごとしとめでられました。今もそうめんはこの土地の特産品です。箱に記されているのが鳥居の形。それも三つ繋がっています。三輪素麺の証として明治の中頃から使われてきたそうです。「三ツ鳥居と申し上まして、当社独自の鳥居になっております。拝殿の奥にございまして今日の結界でお役目をしている大切な鳥居になっております。神様三柱お祭りしてるので三つ鳥居があるのかなという解釈をしております。神社の最も象徴的な鳥居をあのそうめんの商標にされてますので、お素麺とは切っても切り離せない関係にあるのと思います」長い歴史を持つそうめん。今日第一の壺は時が醸す味わい。

大神神社の門前にあるこのお店。年間を通して不動の人気メニューがにゅうめんです。春夏秋冬、季節の野菜が彩りを添えます。茹でたそうめんをもう一度温め、熱いダシをかけていただくにゅうめん。この店では製麺してから2年寝かせたひねものを使います。喉越しを楽しむのはひねが一番だとか。「色々試してみましたが2年物の一音が良いかなと思って使っています腰があって、あの扱いやすくて美味しいです。これも大神神社が授けてくれた贈り物かなと思っています」

そうめん處森正

こちらは大神神社の大鳥居の前にあるそうめん店です。創業天保九年。180年続く老舗です。その保管倉庫を覗くと木箱がぎっしり。三輪そうめんが作られるのは冬から春先まで梅雨の時期はじっくりと寝かされます。実はそうめんにとって梅雨は大切な季節です。「そうめんは生きているというか呼吸をしてるんです。この梅雨の時期の高温多湿の時に自分でこう湿気を吸って、露があがるとその湿気を吐き出す。それによってあの腰であるとか歯ごたえができるんですよね。ですから梅雨の時期でも特に人と感じだったりとか温度管理はせずに自然のままで保管していくのが昔ながらの保存のやり方ですね」木箱に記されているのが製造年度。これは今年初めての梅雨を越した新ものです。こちらは前の年2回目の梅雨を越したひね物です。さらに三回梅雨を越した大古。時の移ろいがそうめんの味わいを深くします。

三輪そうめん 池側

三輪そうめん 池側 / TOPページ

和食の歴史に詳しい料理研究家の奥村彪夫さん。「できたてのそうめんを倉庫に納めて高温多湿な梅雨を越させることを厄と呼ぶ。厄とは災いとか災難という意味ですが、 そうめんにとってはそのことが幸いしてこしが強くなるんです」実際に新物と大古を比べてみました。分量もゆで時間も同じにします。「新物は粘りが残っているため、盛るとこんもり丸く丸山型になる。でも大古はもう粘りが失われているために小山型になる。食べるとその違いは克明に変わってきます」大古を試食する奥村さん。「のどごしがよろしいな。やっぱりそうめんはのどで食べる食べ物ですね」 腰があるので冷やしてもよし。温めてもよし。それでは千二百年の歴史いただきます。


熊本駅前のホテル。趣のある日本料理店。名物の一品は。熊本の小さな町で手作りされている南関そうめんです。その細さは光が透けるほど。湯の中に吸い込まれたそうめんは一煮立ちすれば出来上がり。「デリケートなそうめんで、湯で時間が数秒変わるだけでのどごし、味わいがかなり変わってきます。召し上がられたお客様は、その細さとのど越しの強さに感動されています」繊細なのに腰がある。その秘密とは。

千羽鶴

ザ・ニュー ホテル 熊本|公式サイト-ニューオータニホテルズ

極細のそうめんを作っているのはの県境南関町です。江戸時代から将軍家そうめんを献上してきた製麺所。技を受け継ぐのは84歳になる井形朝香さん9代目です。二本の竹の棒を操ってそうめんを細く長く伸ばす手延べの技。機械を一切使わない手作りのそうめんです。白髪そうめんといい、その長さはゆうに4メートルを超えています。この細さは井形さんにしかできない達人の技です。わずか0.2 ミリ。針の穴を通すほどです。「昔のまんまです。作り方もなんでも。手加減というのは言葉では言い表せないですね。手がちゃんとわかっていて、手加減を。七代目がそうめんの神様というくらい上手だったから。そのばあちゃんが、私の手はあんたに譲ったって言ったんですね。それ聞いたときはうれしかったですね」手からてへ受け継がれてきた伝統の技。今日二つ目の壺は、愛おしむようにはぐくむ。

南関(なんかん)そうめん

山の奥にもう一軒製麺所があります。庭先で干されているのがもうひとつの南関そうめん。糸のように束ねられた曲げそうめん。美しい曲線は手作りならではです。綾田慎也さんは父の仕事を受け継いで9年が経ちます。手作業で行うそうめん作りは丸二日がかりです。夜9時。夕方に仕込んだ小麦粉10キロ分の生地を2~3センチの厚さに広げていきます。そうめん作りは全身を使う体力勝負。渦巻き状に切れ込みを入れます。手で握りながら均等な太さにして行きます。手のひらを使って細くしていくより上げという作業。親指ほどがやがて小指ぐらいの細さになります。そうめんが切れずに伸びてゆく弾力の決め手は小麦粉に加える塩加減です。「今日はちょうどいい具合に塩加減はできてるかなという感じです」この日の夕方、綾田さんは正確に塩を量り塩水を作っていました。翌日の温度と湿度を予測して、毎日塩分の濃度を変えていきます。綾田さんの傍にいつもあるのが大切にしているノートです。そうめん作りを始めた頃から毎日の気温や湿度。塩分量を記録してきた塩分帳です。「今日どのくらい作ったか自分の体に覚えこませるために毎日記録はしてました」9年前に父を亡くした綾田さん。父に負けないそうめんを作りたいという思いで塩と水の黄金比を導きました。ほんのわずかずつ湿らせる程度に入れていきます。「水分が少ないほうがコシがでておいしくなると思いますので、なるべく水分量も少なくしてこねるようにしています」ひたすら生地と向き合う無心の作業。綾田さん実はレスリングでオリンピックを目指したこともあったそうです。今はそうめんの生地と格闘します。生地の中まで水分を行き渡らせるよう表明も割いていきます。「機械だと一定の動きしかできないと思うので」絶妙な塩分濃度と、体を張った仕込みの末に弾力のあるそうめんの生地が生まれまるのです。翌日の早朝午前4時。寝かせていた生地のお目覚めです。熟成した生地をどんどん伸ばしていきます。そうめん作りは生地の熟成に合わせて行うため、早朝も深夜もありません。よりをかけながら30センチの幅に8の字に渡していきます。30センチがおよそ3倍に。さらにそれを長く伸ばしていく手延べ作業。八の字に交差したところは竹の棒ではなします。気温や湿度によって力加減を変えながらみるみるそうめんは伸びていきます。「そうめんは生き物みたいな感じなの手、あやしながらいうことを聞いてくれるような流れにもっていくのです。材料がシンプルなだけに、いかに手塩にかけて作るかでアバが変わってくるかとは思いますね」次の仕事は綾田さんの母、美佐子さんが引き受けます。糸巻のような木の枠にそうめんを巻きつけ束ねます。こよりで丁寧に留めていきます。二日がかりで作ったのはおよそ200束分。乾燥させないように一気に束ねなければなりません。「だからほんと朝の5字まで、明るくなる時があるんです。握ってちょっと大きいなと思ってめんどくさいときはおまけ」自然に寄り添いおおらかにはぐくまれたそうめんです。

曲げそうめん

完全手作り南関素麺製造本舗 『綾田製麺所』

そうめんジローさんの本

そうめん屋はやし

そうめんの可能性に挑戦しているのが「そうめんやハヤシ」の西島正和さん。

茹でたそうめんとからめるのはカツオに昆布に干し椎茸からとった出汁とごま油少々。

そうめん_はやしさん(@soumen_hayashi) • Instagram写真と動画

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