日曜美術館「幻の国宝 佐竹本三十六歌仙絵 」

日曜美術館「幻の国宝 佐竹本三十六歌仙絵 」

百年前、日本美術史を揺るがす大事件“絵巻切断”によって散り散りになった秘宝「 佐竹本三十六歌仙絵 」(さたけぼん・さんじゅうろっかせんえ)が今秋、京都国立博物館に過去最大規模で集結する。

36人の名だたる歌人の肖像に、詠まれた和歌などが書き添えられた歌仙絵。

完全な状態であれば、第一級の国宝だったとされるこの絵巻はなぜ切断されたのか?

現代の文化人と最新科学が、歌仙絵の最高傑作に込められた魅力を解き明かす。

【ゲスト】東京大学大学院教授 国文学者…ロバート キャンベル,京都国立博物館 学芸部 研究員…井並林太郎,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2019年11月10日

 

日曜美術館「幻の国宝 佐竹本三十六歌仙絵」

京都国立博物館
幻の国宝とも言われる貴重な作品が今公開されています
鎌倉時代に描かれたとされる佐竹ぼん三十六歌仙絵です
日本文学の礎を築いた和歌の第一人者
宮中に仕えた恋
大槻女流歌人万葉集や百人一首などに名を連ねる
当代一流の歌人三十六人の肖像が描かれた下線
その最高傑作とされます
およそ八百年前に描かれた命が今も多くの人を魅了し続けています
声を感じるわけ
歌の声を風景はないけれども
あの人は読んだ声を人物から感じることができる
本当に事だと思うのはこの二つとして同じもないんですよ
全部違うもう似たように思うかもしれないけど
よく見ると全部違う描かれた当初
河川へは上下二巻の絵巻物の姿をしてい
ました
あの頃が百年前切断されバラバラになってしまうことに
しかし奇しくも切断されたことで
絵巻は新たな芸術へと生まれ変わったのですね
美術文化財えー過去の資料ではなくてですね
今のものとしてえ存在感を放ってくるわけですね
佐武さん十六か千円時を超え
幻の国宝と歌われる作品の魅力に迫ります
日曜美術館です
今日のテーマは佐武ぼん三十六か千円なんですが
これはもし絵巻の形で残っていれば
もう間違いなく国宝級という大傑作なんですね
それがはいバラバラに切られちゃったんですね
どうしてそんなことが起きたんですね知りたいですよね
今日はまず歌を手がかり
にこの傑作の魅力を紐解いていきます
鎌倉時代に数多く描かれた下線下線へとは
歌人の肖像に詠んだ歌などを書き添えたもの
中でも最高傑作とされるのが佐竹本三十六歌仙絵です
恋の歌を雅に歌い上げた女流歌人
講義
岩橋の夜
の契りも絶えぬべし
あくる詫び意識葛城の上夜の契りを交わした後
明るくなっても帰らない男性に姿を見せたくないと恥じらう歌です
現代歌壇を代表する歌人馬場
あき子さん豚の世界観がえに見事に表現されていることが
作品の魅力だと言います
動きがあるし
それからなんかあの叙情性がありますねえーにね
カチンとしたもんじゃなくって表情がある
表情っていうのは顔の表情だけじゃなくて姿に表情がある
装束の動き着物の衣装の動きえー乱れから
その人物の内面に達する何かがあるっていうことね
そういうことはなかなか
のもんだと思いますね
大君の心情や歌の情景が
表情や髪の毛の描き方に見て取れるといいます
この女の表示は色っぽい目してますね
目つきがねちょっとこう
流し目をするような体を傾けながら
こう上の方にこう流し目をしてるあたりがね
呼びかけている女っていうそういう感じになってるんでしょうね
やっぱり女の人のあの色っぽさっていうのは
この上の流れで出したん
ですねでこれは非常にあの乱れ方も美しい乱れ方をしているし
それからこの下がりばっていうんですけど
こう半分これ切れてる上がありますね
これがあの大木が間に合わない時には顔にこう書ける
そういう上だから切ってあるんですよ
これだけ短く端正な中にある色っぽさと
あの情緒っていうのをね出している
仰せの後の夜明けに漂う上品な色かが
表現されています

更に歌人のたたずまいが歌に寄せた心情をより際立たせる作品も
月の歌を詠んだ
平安時代の歌人
藤原のなか有明の月の光を待つほどに
我が世のいたく更けに行けるかな
空に昇る月を待ちわびながら自らの老いに思いを馳せる
この歌
老い
を重ねた悲哀が河川のちょっとした仕草に現れています

これなんか膝を見てますねうん膝を見てるし
膝を抑えて立とうとしたのかわかりません
それはだけどあのちょっと片付いて悲しい顔してますよね
どうしたんでしょうね人生我が家も痛く老けたんじゃないですか
うんこう膝に手をかけてねだから痛いんじゃないかと思っ
たりしちゃってね面白いですよね
読み手の内なる声を随所に感じさせる表現が
この河川が傑作たる所以と婆さんはいいます
感じるわけ歌の声を風景はないけれども
あの人が読んだ声を人物から感じることができると声っていうのは
やっぱりある現場感を持ってますからね
その面白さもあるでしょうね
その人に成り代わって歌を読んでみるとね
なんか違った単なる歌よりも
もうちょっと面白い歌に読めてくるっていうねことがある
情緒豊かな河川の絵姿がわか一つ一つの奥深い世界へと
いざなってくれるのです
では今日のゲストをご紹介しましょう
国文学社のロバートキャンベルさん
そして今回の展覧会を企画した
京都国立博物館研究員の印南インターもさんです
よろしくお願いいたしまいたします
あのキャンベルさんは
この佐竹ぼん三十六歌仙下にとても惹かれているそうですが
まず単純に私が生きてる間にほぼ全員が一度に集まっているように
そこに居合わせる
お目にかかれるとはとてもやっぱり思ってなかったんですね
いやいいなって
やっぱりこうまとまったものとして見られたなっていうのが
本当に奇跡のようなあのー展示で本当に嬉しかったです
南さんキャンベルさんが大絶賛してましたけれども
展覧会の見どころと言いますとですね
やっぱりその今回のあの佐々木分三十六歌仙絵が
百年前の大正時代にあのーバラバラになってしまってから
あの百年という節目でもあって
どう本当に作品の魅力そのものもなんですがあのー
その百年前の事件ですね
このあのーまあいいというかえー
美術の鑑賞とか保存とか
そういったことを考えるきっかけにもしていただければな
と思っています
百年前のその切断ということを
改めて振り返る機会ということですよね
で今日は特別に伊波さんが京都からその百年前の切断
以前の絵巻の姿をした
もう本をこのスタジオ本当にお持ちくださいましたこちらです
すごい元々はこういう絵巻の形になっていたんで
それを歌人ごとにま河川ごとに切ってしまった
ということなんですよね
でその火星って色々あったと思うんですけれども
特にこの佐竹本三十六歌仙がスペシャルというかね
特別な点っていうのはどういうところですかその歌人たちの
姿表情仕草っていうのが非常に豊かでですって
あの多分今をこれ開いていくとえー同じ男性であったとしても
違うポーズをとっていたりとかっていうええ
表現の非常に豊かさ幅広さっていうのは
他の河川とひとつ大きく違うところかなと思います
このなんかあの中では
キャンベルさんは小野の小町に関心があるというか興味ですね
いやあのこれはあの色味柄で移ろうものは
世の中のっていう
人の心の花をはかなさとか寂しさを歌ってる訳ですけれども
よく見るとまるでこう
風が左から右へとこう流れているように見えて
ここがこう唐衣をあの来てるんですけれどもここのところですね
ちょっと裏返ってるんですよねっと裏側に見えるんですね
髪の毛にも動きがありますし
もにかけて全部この風が外からこう一時の風が吹き込んできて
ちょっとやっぱり季節の変わり目はかなさま自分のさこの色を
つまり
美しさ風貌が変わっていくっていう
それも顔を見せないで
私は筋肉の眺めるものにこう顔を見せないっていう
ちょっと何ていうんでしょう
その内向的なその部分っていうものが歌と響き合わせてるところが
私は素晴らしいと思うんですよ
歌の内容とそのものがこうしてるっていうこと
なんですかそれは一人一人のその火事風
はいその歌の内容とその表現っていうのがあのー
全て対応してその仕事に響き合ってる
和歌を読んでいただいた上でその表情
仕草を見ていただくと
こういう気持ちで読んだんだなとか
こういうシチュエーションだったんだなっていうことが強く
共感されるような別れ方がされているのかなと
小野小町の機能とという形でして歌がですね
許さればサボの河原の皮義理
友迷わせる千鳥なくなりという夕方にですね
あのーサボ側というならの側のまあ
霧の向こうで友達とはぐれてしまった
千鳥の泣いてる声を聞いているというそういう歌なんです
ちょっと寂しい歌のかも
しれませんが
ただ座ってるだけじゃなくてこっちを向いているんですね
でやっぱりわざわざこちらを向けているということはあのー
その寂しそうな千鳥の鳴き声というのが聞こえて
耳を澄ませているようなことだと思います
でポイントとしてはこの冠の後ろに下がっている水泳という
んですけどもこれが揺れてるんですね
これでやっぱりその振り向いている動きとか
もしかしたらその音というのがえーでは表現できないので
風のような形で心情表現を行ってるんじゃないかなと
ぱっとこう動いて静止した瞬間を捉えているように
政治的というよりはちょっとこう瞬間
日本美術古いものにはあんまりないような表現し
風が吹いている瞬間という方向ですね
面白いですね
やっぱり細部もう本当に語り尽くせないぐらいに
様々な魅力と技が込められていますけれども
実は最新科学で見ていっても
多くの河川には大変な技が込められていることが分かってきました
日本画家の千住博さん
佐竹ぼん三十六歌仙絵には
医師の細やかな技が詰まっているといいます
千住さんが注目したのは平安の寄稿し藤原孝光
緻密な描写が際立つ下線上です
わずか二センチの顔に一ミリ以下の細い線が重ねられ
眉や髪の毛が本物のように描かれています
まぶたを描いた線は上下で墨の濃さが変えられています
柔らかな眼差しからは繊細な心情が伝わってきます
非常に高貴であのーなんだろな
まあある意味で言ったら人の上に立ってる人なわけだから
そういう貫禄もあり
しかしこの人間味も出しながら
本当に小さな顔には各そのまそこでま描いてるっていう視線
こうやってこうやっている自然からね
もうそういう細かい緻密な計算が全部できて
いると思いますね
千住さんの言う絵師の緻密な計算
それは最新の科学調査でも明らかになりました
傾向線分析装置で下線に使用されている
絵の具を調べると
孝光の顔の部分に肉眼では分からない注目すべき結果が出ました
時にはなかった鉛がちょっとだけナチュラルメイク
背景の髪の色に近く一見何も塗られていないかのような顔の部分
ここに船舶という白い顔料がごくわずかに塗られていたのです
こうなんかこう透明感があってこう空けていくような
ちょっとこう
何て言うか色白のだって
そもそも大変な美男子だけで色の人からやっぱりこう
あんまりこうカキみたいな色じゃなくて
透けるような肌の色っていうのは
やっぱりかき分けたかったんじゃないかなと思いますよね
やっぱり
上に乗っかって絵具の量が全然違うんですよね
他の河川と比べてみると
確かに孝光の肌の色は白く透き通っているように見えます
名門の生まれでありながら父を早くに亡くし
全てを捨てて出家した藤原孝光悪ばかり手堅く見える
世の中に羨ましくも住める月かな清らかに輝く月と自分自身を比べ
世の中の生きづらさを嘆くこの歌には
悲しみが漂っているかのようです
絵師は若き青年が抱えていた心の憂いを
この透明感ある白で表現したのかもしれません
それも白系の色を薄く塗って表情を出していくっていうのは
ちょっとするとあのこう
筆にたまった絵の具である部分だけぼわっとこう
白っぽくなっちゃったりするものなんですよ
だから薄く塗ってあるところで止めるっていうのは
やっぱりもう
本当に枚数を書いてる経験の豊富ながらじゃないと
なかなかうまくいかないものなんですよ
絵具はよっぽど楽ですよね
だからものすごい経験というか
半数を書いてる人ならではの技巧なんだと私は思います
次に調査したのは
講義飯の技巧派着物の細かい部分にも
隠れていることが分かりました
じゃあ灰色に見える上着の部分を調べてみると
あるあるあるあるあるま今グレーに見えてしまってますけども
当初はあのもしくは光輝くような銀嶺が売られていたま
それが非常に広い面積で売られていたと思われます
灰色に見えた部分には銀粉を膠で解いた銀嶺が塗られ
きらびやかな銀色が広がっていたことがわかりました
調査結果を元に復元された当時の色がこちらです
上着に重ねられた華やかな銀十二人への重の部分には
金も使われていました
こう君の装束が成功に描かれていたのです
千住さんはここに飯のある大胆な企みを受け取りました
だから当初はもう目にも鮮やかな銀色で
すごく華やかな経だったと思うんですよ
で銀色があのま早くて半年ぐらいから変色を始めることは
画家だったら今も昔もみんな知ってるわけで
確かに書いたときは目にも鮮やかなギンギンですよ
もうビカビカの銀色ですよでもそうそうで
あったら顔は引き立たなくなっちゃいますよ
だからここら辺に落ち着いて初めてこの色があって
この顔の白い色がやっぱりこう強調されてくるし
やっぱり全部つを想定してその時の流れをもですね
道具として扱っていた
今私たちが見ているこの姿も
今から何百年も前の作者の想定の中で
少しずつ少しずつ時の流れとともに変わっていった
その変化であるし
毎回見るたんびに違った表情をしているという
そのなんていうんでしょうかね
毎回が一期一会であると何かこう書いてる人間の作家の
この息遣いみたいなものを伝わってきた時を経た二分
色にこそ映えるつややかな白い顔
絵師の緻密な計算がそこにもあったのかもしれません
南さんは今回科学調査に立ち会われてどんな新発見がありました
まいろんな部分の顔料成分を
ちょっと色々調べさせていただいたんですけども
ま非常に多種多様な金銀で
青色はあの群青という絵の具であったりで
緑色局長という絵の具であったり
といったものがひ普段に使われている
ということがわかりましたので
やっぱりそういう
あの高価な絵の具をしっかりと使っているという点
でもこの火星とは違う非常に手の込んだ
作画されてるなっていうことが改めて確認できましたしで
映像でもあったように
それをゴテゴテと塗ってるというよりは
えー本当に要所要所に適度に塗ってる
その絵具の発色っていうのを
本当に適切に抑えて売ってる
っていうのがよく分かったのが一つですかね
そうやってね
いろんな色が使われていて非常に手が混んでるわけですよね
やっぱり後世にこれを残していくものだっていう
そういうこうあのある種の最初からこう計画と言いますか
そういうものがあって作られたものなんですかねそうですね
あのやっぱり他の河川この時代のもの
ではその上のサイズは絵の具という点でも佐竹もかなり違いますし
ある意味決定版のようなものを作るような意識が
もしかしたら制作者側であった可能性はあるかなと思いますね
相当なんか高い志のもとに作られてそうですね
キャンベルさんは今ご覧いただいてどこが一番気になりましたが
一つは絵の具あのすごくキラキラ
あの光元色が二分鈍色に
あの少しずつ
こう変わっていくっていうことは分かってたわけですね
工芸品でもそうですし
それをまあ計算してあのー使うこと他にももう少し後の時代です
とこう分かっているところもあるので
だとすると本当にそれはあのー面白いもので
表情をこう一つ一つうす脱いで真っ白に仕立てていくのと同時に
ちょっと深まっていく色絵の具がこう
少しずつこう
落ち着いていくっていうことを考えて作ってたとすると
作った人だけではなくてそれ
をおそらく依頼して制作した人も
かなりあのーリテラシが高いという
だからやっぱり見巧者だったっていうことはあのー
考えられると思うんですよ
もうすごくやっぱりこうあのー
非常にあの絵をちゃんとこう見分ける力を持っていた
つまりたくさんの優れたものをあの見て見分けることができる
ために人が最初に受け止めた人じゃないかな
という風に思うんですね
やっぱりでもなんか
それをこれを作ろうって考えた人飯にこう書かせた人っていうのは
人がやっぱり色々こうした方がいいんじゃないか
ああしたらいいんじゃないかっていうことだったってこともあるん
ですかあのー
私の考えとしては
絵師はやっぱり宮廷のそのいろんな仕事をする
プロの職業絵師ではないかとは思うんですが
だとすれば和歌の情緒とかを表現するっていうことは
必ずしもやっぱり知識としてあるわけではないと思うんですよね
そうなるとやっぱり今言ったような発注
する人がすごい細かい指示をした
ということは考えられるかなと思います
それに見事に応えられる技術を持った技術であった
ということになりますと
もう一つはそこに歌の前に漢文で書かれた一人一人の歌人の
ちょっと経歴のようなものが描かれている訳ですねで一人
一人の歌人のパブリックなつまりその人のこの職位職階であるとか
お父さんが誰なのかとか
その人のこのえていたこの経歴っていうことが書かれていることが
私たちから見ると歌とあんまり関係ないじゃない
歌の干渉には直結しないですね
隣にあるんですけれどもけれどもそれ
も多分発注した人
あるいはそれを考えて思ってこう当てたいっていう人のなんかこう
状況が反映されているかなと思うんですね
何かやっぱりこうえ過ぎ去った平安時代の王朝の時代
宮廷の文化をえー知らせるひょっとして知らなくなっていて
それを歌と一緒にこう社会を少し
こう分からせると言いましょうか
そういう啓蒙的なあの意図もあったのかもしれませんし
これだけの傑作がしかしながらバラバラになってしまったというね
そういう運命をたどるわけですけれども
続いてはなぜ切断をされてしまったのかその辺りを見てまいります
元々は絵巻物に仕立てられた河川への最高傑作
百年前に切断されバラバラになってしまいます
その背景にはこの傑作を守ろうとした人々のドラマがありました
それまで絵巻を所有していたのは秋田の旧大名佐竹家でした
しかし大正時代家計の苦しさからか絵巻を手放すことに
これがあの秋田の経験の入札大正六年の十一月
五日にさだけの皆さんですから
このこの子に三十六歌仙時間って書いてますよね
これ三十万三千円で売りに出した絵巻の金額は
今のお金でおよそ三十五億円
国内屈指の名品とはいえ買い手が見つかりません
この時代国内で買い手のつかない貴重な文化財が
海外に流出する例が相次いでいました
絵巻の流出を恐れた美術商たちが頼った人物とはどんなこと
旧三井物産の初代社長益田孝財界の中心人物でありながら
美術品の収集かとしても名を上げていた人物です
明日は外に相談するんですよね
一人じゃなかなか買えないもんですから
あのーダンカン切って
もともとは一番いつ切って繋いだ巻物をなもんですから
元に戻すってことで切ってしまうんですね
どんどんの思いついた箕作
れは絵巻を河川ごとに切り
個人では誰も購入できない作品を多くの人の手で守る
というものでした
大正八年土嚢の求めに応じ灯台切手の財界人たちが集まります
どんなのあと三井財閥を率いた男
詫間芝浦製作所後の東芝の社長となる岩原建造
富岡製糸場のおなでき伊藤と呼ばれた山家事原富太郎下線上は
どんなが信頼を置いた人物たちのもとへ
ばらばらとなって取っていったのです
切断された山木は
それぞれの所有者のもとで新たな美術品へと生まれ変わりました
下線上に命を吹き込んだのは表具の存在です
教具とは絵画や書に布や紙を張って掛け軸などに仕立てる
切断された河川編を購入した所有者は
意匠を凝らして競争を施しました
こちら
は佐竹本三十六歌仙絵藤原兼輔の掛け軸です
歌人として数多くの掛け軸を見てきた戦争さん
この掛け軸をどう見るのでしょうか
このお金すけの兵庫はですね
非常にこう品の良い配色でですねまず本誌の色というのがですね
まあほとんど黒い装束の人物で
わずかにこう差し色でえー口に水が入っていたりですね
ほぼも少しほんのりと色が染まってるかもしれませんが
本当にこう色んな要素が少なくてシンプル
なんですけれどもえ基本的にはその表現の色にはえー
本州の中に入っている色はほとんどこう使われない
つまりま中の本誌の色をあくまでも引き立てるということが
えーこの評価の中に求められているんじゃないかなと思います
落ち着いた色合いで統一された表層が下線上を引き立たせています
さらに切りと呼ばれる記事にもある仕掛けが隠されていました
これが非常にお洒落でですね
一見遠目から見たら飲む時に見えるんですよ
ところが同色のやや淡糸で模様が織り込まれていて
光の角度によってえー模様が現れてくる
だから一見多分にじり口をゴージャスを開けてですね
と思いで見た時は無地の茶色い上下の布が施されている
ように見えると思うんですが
よく見ていただくと獣のしかもかなり大柄のですねえー
獣の模様が幾重にも織り込まれていてですねま
非常にこう何て言うか男性的な力強いきれいですね
河川への周りには二つの文様も施され
風情を損なうことなく華やかさも演出しています
一見シンプルで簡素に見えて
贅沢な貴重な布を使っているというのは最高の贅沢であり
ま趣味の良い贅沢と言ったらいいでしょうかねえ
そんな感じがして
その辺りもま持っていた
茶人の美意識できるようが
存分に発揮される点なんじゃないかなと思います
分割された河川へは
全て趣向を凝らした掛け軸に姿を変えていきました
故郷の雪景色を呼んだ坂の上のこれノリの河川へには
雪山を描いた絵画が組み合わされました
所有した増田永作の趣向で
室町時代の襖絵が大胆に掛け軸へと仕立てられています
平安時代の貴族源の下
五の掛け軸には渋みのある表層が施されました
水面に映る中秋
の名月を詠んだ歌
和紙に墨で描かれた
模様は
波紋を表現しているのでしょうか
昨日の雪の表層には
きらびやかなセンスが散りばめられた
華やかな綺麗が使われています
表層を施した人物の遊び心が感じられます
か先への所有者たちが表層に力を入れたのには
茶の湯の文化が大きく影響していました
こういうま美術品を求めるま数寄者コレクタの多くはですね
いわゆる写真な訳ですね
そうするとやっぱり彼らはその彼らが求める美術品というものが
そもそも茶の湯に使えるもの
茶室を彩るれる道具であるということが
彼らが価値を見出す美術品の大前提だったわけです
その佐竹本の場合
はですね全く全部が切られた状態では本誌だけなわけですから
それを受けた好き者達がですね
みんな競っていい布を使って表現して
それを今度お互いに呼び合う訳ですよね
そうするとえあいつがとったやつはあんな標榜したからおれ
あれに負けてられないとかですねえー
ちょっとあいつのは趣味が悪かったから
俺はもう品よくまとめてやろうとか
みんな多分競って
お互いに空けて持ち主が呼んだり呼ばれたりっていうことで
非常に当時のお茶の世界は活況を呈したんじゃないかな
好きモノの本を流転した下線所有者の交代により
さらに装いが変わることも
佐竹本三十六歌仙へ藤原中組
中文を購入した北村
金次郎は
手に入れた掛け軸の一部を変えたと言います
それが下線上に一番近い一文字と呼ばれる部分
最も高価な綺麗をあつらえると言います
用いたのは中国の食地方で作られた絹の布職工二式です
奈良の法隆寺にも伝わり
千年以上前から重宝されていた貴重なものです
絶対にこの職工ニシキをここへ使いたかったら
もうそのなか文を中文の佐竹本を道具屋さんで見た時に
時にその釘付けの直交ニシキを見た時に
もうパッと閃いたんやと思う
これで一文字にしたらいいな
新たな美意識を取り入れ
進化してきた下線それは日本美術のあり方にも通ずるものがあると
それは単なる美術文化財過去の資料ではなくてですね
今を生きる美術品今を生きるものとしてですね
そこで息づく生命を宿すと言ったらいいんですか
単なる過去の遺物ではなくてですね
今のものとしてえ存在感を放ってくるわけですね
この絵巻の切断どうですかこうひとつながりだったじゃないですか
それを切っちゃったから作品が一つ一からま一から三十六年だった
そうなんですね
やっぱりその絵巻であるからこそのこう順番に出てくる
その時間の流れとかですね
バリエーションの豊かさっていうのは
ちょっと失われてしまった部分もあるとは思うんですが
今出てきたような一途いちずに作られる表具であったりとかま
新しい美を獲得してき
た作品の新しい歴史と捉えることも不可能ではないのかなという
これ相当なことをやってるんだっていう自覚があったわけですね
切るっていうことは間違いなくあったと思いますね
あのーこの事件のその中心にいたような
小芸術性のあの当時の記録などを見ますとえーやっぱり
この作品をもう本当に国民の宝であるということは
あの自ら述べていまして
しかしあの誰も買い手がつかないっていうことを
非常に深く嘆いている言葉残ってるんですね
でこの分割っていうことは本当にもうやむを得ないことであった
ということはあの当時からそういうことはあのー
そういう思いでやっていたんだと思います
これがまたリスクの分散ですよね
ですからそれをみんな
それぞれが違うところに持っていくことによって
関東大震災であるとか繊細であるとか
まあ来るであろうという彼らがおそらく予期していた
いろんなことからこう守ることができるっていう
あの気持ちもあったんだろうと実際
確かにその切った切断したダンカン式でしたっけ
あれは関東だしたら前ですよね
そういうのもともとおっしゃるこれ
多くのあのやっぱり大事な文化財が
あの震災で東京や横浜にあったものが失われていることを考えると
まそれはやっぱり分散をしてもらって良かったな
というふうには思いますね
なるほどまあそういう形態を変えることによって
新たなこう表現としての価値を加える
今日今表具の話をしてとても面白かったんですけれども
それは非常にやっぱり日本の美術に限らず
文学でも音楽でも
本当にこう一つツーテイする一つの方法だと思うんですね
そういうことをやることが日本のスクラップアンドビルドではなく
あるいはそのまま継承するものを継承しますけれども
少しずつそれを違うこう
形を加えて継承させていくっていうことを常にこう
伝統がこう固定した泊まったものとしてではない
少しずつそれを今風に今使える今の私たち
の当時の人たちのこの生活の他のえー状態にこう合わせながら
大切にしていくっていうことを
それがかなりあのー一般的なことじゃないかなと思うんですね
あの絵巻見ても漢文がありね
あの平仮名で和歌ありえがありっていうことで
既にもうあの多様性っていうものがあるもの
それがこう切断されても
あなたの兵具を付け加えられることによってまたこうさらなるこう
美しさや意味を持っているっていう
だからその流転の歴史の中で価値がどんどん膨らんだり
より新しい形の価値が加わっていったの忘れられること
佐々木本三十六歌仙というのは形は変わってある
意味壊されてしまった部分もあるけれども
えーと私たちは多くの人たちがやっぱり見て楽しむ
学ぶ何かを感じる形に
生まれ変わっているというふうに思えば
何かこう日本文化としてつながるあのー
相乗的なそういうものを感じられるような気がしますね
あのしかもそれでね
あのー表具が非常にこう
多様な神兵具が一つ一つも全然違うじゃないですか
それを標語を施した方でもやっぱりそこ猫なんて
いうのは情熱とかですね
愛情みたいなのがあって
もう本当に思いもよらないような組み合わせ
みたいなものがあると思うんですね
その元々あるものを尊重しつつ新たに付け加え
本当に百年の歴史を標語が物語ってると思いますので
大事にされたと伝えられてきたということをそこ
から見比べていただく
ということができるんじゃないかなと思います
じゃあもう本当に王朝文化から百年前の人たちの思いから
それを伝えてきた人たちの色んな思いから
色んなことが体験できる空間にですね
今日はどうもありがとうございました