日曜美術館 「至宝からひもとく天平の祈り〜第72回 正倉院展 〜」

日曜美術館 「至宝からひもとく天平の祈り〜第72回 正倉院展 〜」

奈良・正倉院の貴重な宝物を年に一度公開する「正倉院展」。コロナ禍の今年は人数制限など異例尽くしの展覧会となった。鎮痛剤とされたナウマン象の歯の化石、実際に人々に使われた生薬など「正倉院薬物」が数多く出陳。サイが描かれた「鏡」や美しい「琵琶」、珍しい「フェルトのじゅうたん」など正倉院ならではの宝物が一堂に会する。天平時代の宝物に込められた人々の祈りと願いを手芸にも詳しい光浦靖子さんとひもとく。

【出演】光浦靖子,【奈良国立博物館 館長】松本伸之,

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

放送:2020年11月1日

日曜美術館 「至宝からひもとく天平の祈り〜第72回 正倉院展〜」

奈良、東大寺の北に位置する正倉院。

ここで1300年にわたり、守り伝えられてきた宝物が今年も公開されます。

奈良国立博物館恒例の正倉院展。

今年は新型コロナウイルスの影響で、事前の予約が必要になるなど、特別な体制で開催されることになりました。

出陳されるのは、こんな時だからこそ人々に希望を与えるような宝物の数々。

穏やかな世界を願った祈りの道具。

これはいったい。

初出陳4件を含む59件が公開されます。

「だめかな思ってたんですけど開催されて良かったと思います」

「毎年開催されてるじゃないですか。だからやっぱりちょっとされないと寂しいですね。細かいお花がたくさん散りばめられててそれがすごく素敵でした」

会場で宝物を見ることが叶わない方のためにもたっぷりとお伝えします。

日曜美術館です。今年も正倉院展の季節がやってきました。

今年は新型コロナウイルスの影響で開催できるのかしらという心配の声もあったんです

けれども、無事に開くことができました。そもそも歴史を振り返ると戦後間もない昭和21年に展覧会が開かれて、それが戦後疲れた人々の心を癒し、誇りや勇気を与えたということで、そこから毎年のように宝物の展覧会が行われるようになったということなんですね。

今年はコロナ過っていう状況ですけども、ある意味で正倉院展の原点に立ち戻るような形になったんですね。

その2020年の正倉院展どんな宝物が見られるのかこちらです。 

すぐわかる正倉院の美術 改訂版

作者:雄介, 米田
発売日: 2019/10/12
メディア: 単行本

先月72回目の正倉院展が始まりました。

人々が見入っていたのは《平螺鈿背円鏡》。

直径およそよ40センチ。

正倉院の螺鈿の鏡の中で一番の大きさです。

その装飾は豪華絢爛の一言。

赤い花は貝殻を加工して貼った螺鈿に海亀の甲羅タイマイと琥珀を組み合わせたもの。

散りばめられた青や緑の石はイラン原産のトルコ石です。

特筆すべきはこちらのサイ。

サイは遠く南の国を象徴する動物で、幸福をもたらすモチーフだったと考えられています。

《桑木木画碁局》奈良時代、貴族の間で流行した囲碁の盤です。

縦横19本の線が引かれており、これは現代の碁盤と全く同じ。

ルールも今と同じだったと考えられています。

特徴は側面に施された装飾。

奈良時代の超絶技巧がこれでもかと詰め込まれています。

染め上げた象牙を彫って文様を乱す撥鏤。

ススキや萩などの植物。カゲロウや鳥が精緻に彫られています。

そして撥鏤の周囲にもご注目。

額縁のように見えるのは、細かな木を寄木細工のようにはめ込んだ木画。

色の異なる木などをミリ単位で貼り付けています。

こちらは仏に捧げる品々を入れるための箱。

朽ちたような模様の柿の木の板を複雑に張り合わせています。

白い縁は象牙。

内側には高級な木材の黒檀があしらわれています。

中にはお香が収められていました。

1300年前のおしゃれが垣間見える宝物も出陳されています。

全長30センチの刀子。

紙や木管を削る小刀ですが、腰から下げる装飾品でもありました。

漆塗りの鞘に施された赤や青の玉飾りと金の装飾が高貴な趣を感じさせます。

こちらは《墨絵弾弓》

小さな球を弾く遊戯用の弓です。

よく見ると、びっしりと墨で絵が。

今日のサーカスの源流とも言われる中国の民間芸能、散楽の様子です。

長さ160センチ。幅3センチの弓の上に描かれた人物の数は実に96人。

楽しげに楽器を演奏する人々。

4人を肩に乗せてすっくと立つ大男は苦しそう。

大陸から海を越えてもたらされた敷物《花繊》

長さ2.4メートル。幅1.2メートル。

羊の毛を圧縮して作るフェルトで出来ています。

元々は遊牧民の生活道具でしたが、日本では僧侶が法要の際にこの上に座ったと言われています。

鮮やかな赤や青。

1300年前の布の色まで確認できます。

花繊に魅せられて作り方の調査に取り組んだ人がいます。

京都在住のアメリカ人ジョリー・ジョンソンさん。

世界各地を訪れフェルト作りを研究してきました。

その豊富な経験を買われ、正倉院宝物の特別調査員に抜擢。

研究者達に混じり、作り手の立場から調査を行いました。

「初めて行った時にこの素晴らしいもの本当にディスプレイの前に泣きました」

ジョリーさんは間近で何時間も観察し、その作り方を考え続けました。

「珍しい。一番大きい。今までのフェルト。すばらしい蔓と葉っぱと花模様。どういう風に作る。どんな技法。是非あるものはっきり説明したい」

ジョリーさんが導き出したフェルトの作り方を見せてもらいました。

まず作るのは紋様です。

少し固めて色付けしたフェルトを切って並べます。

水につけて形を整えながら草花を作っていきます。

「ちょっと重ねてだけど、ひっくり返した時に綺麗なイメージになります」

この上にかけるのがふわふわの羊毛。

白いベースになります。

「縦横色々な方向から乗せたら絡まり安い」

ジョリーさんが掛けたのはお湯。

繊維の表面をほぐし絡まりやすくします。

全体をきつく巻き、腕を使って転がし、摩擦をかけていきます。

「羊毛均等に、水分均等に、摩擦均等に」

転がし続けること1500回以上。

ようやく20センチ四方のフェルトが出来上がりました。

模様部分にレースの白い繊維が少し混じって見えます。

宝物と同様、複雑に繊維が絡み合っている証拠です。

正倉院の花繊の大きさはジョリーさんが再現した70倍。

1300年前途方もない手間と時間をかけて作られ、遠く奈良まで運ばれてきたのです。

「当時はできない、メガネない。模様が細かい。結構時間かかりましたから、一生懸命に綺麗な模様を作って、びっくりしたのは奈良までつれて持ってきました」

今日のゲストをご紹介しましょう。

奈良国立博物館館長の松本伸之さん。

そして手仕事が大好きで様々な作品を制作されている光浦靖子さんです。

よろしくお願いいたします。光浦さんはVTR見いってらっしゃいましたけれども・・

「気になっちゃう。碁盤の縁の細かいモザイクのところ。これをやった人はすごいなと思ってワクワクしちゃって」

どうやって作ったんだろうって思ってしまうものがいっぱいあります

「物の値段って皆さん材料費で換算しちゃうじゃないですか、そこにとてつもない人件費って言うか労力と時間があると異様なものに変わるじゃないですか。ワクワクしちゃって」

「メイドインチャイナの可能性が高いかなと。ただあまり断定はできないんですけれども」

96人。色々な表情をしたのはまさに。

「今日という百コマ漫画。最初に聴衆が居て、前口上申し述べる人物が立ってました。その後から楽舞が始まった。様々な出し物がまたずっとついてくと大変面白い」

今年はコロナ過っていう大変な状況。

「正倉院宝物の本質の一つが守り伝える。こういう精神なんですね。そして未来へつなぐ。そういう意味からすればコロナ禍にあっても展覧会自体は何としても開催を続ける。そしてさらにまた来年以降にも続けていく。そのようなところでコロナの感染予防の万全の対策を様々取りながら開催にこぎつけたというところです」

そして今日はジョリーさんが再現したフェルトをお借りしてきました。

レプリカなのでお手にとってご覧ください。

「固い硬い羊毛です」

「水分つけてしかもきつく締めて押さえつけると、紋様部分と地の部分が絡み合う。そして全体が固く引き締まる。それで敷物にも耐える。羊毛が縮んで絡んで。縮絨という伝統的な技法であったんだろうと思うんですが、紋様も間に埋め込むみたいですから、ある意味長い間光技巧的なものがはっきりとしなかった部分がありまして、それが作者も参加していただいたことによって、こうやってやればいいのかということがより具体的に分かってきたという状況があると思います」

巨大な花繊はどうやって作られた。

「実際に何人かで巻いてやったんだろうとは思うんですけども」

正倉院宝物が成立した奈良時代は疫病が流行った時代でもありました。

宝物の中にはそうした病に苦しむ人たちを救いたいという願いが込められたものもあり

また続いてはそちらを見て行きます。

《五色龍歯》重さ4.7キログラムのゾウの歯の化石です。

灰色がかった白や、クリーム色。

ところどころに見える淡い青色の筋。

まさに五色の龍。

この宝物実は薬なんです。

痛みを和らげ精神を安定させる作用があるとして唐から輸入されました。

《種々薬帳》正倉院の薬が献納された際の記録によると様々な種類の薬が治められていたことがわかります。

その数60種類。

例えばこちらはお腹の張りや痰などに効果があるという生薬。

他にも熱冷まし、強壮剤など、中には現代でも漢方薬として使われているものもありました。

世界各地から様々な薬を集め、献納したのは光明皇后です。

夫・聖武天皇の治療のために集めていたとみられる薬を、人々を救うために献納したのです。

《種々薬帳》の最後には光明皇后のメッセージが記されています。

「病に苦しむものがあれば取り出して使いなさい」

なぜこの言葉を遺したのか。

光明皇后が創建した奈良の法華寺を訪ねました。

「浴室と描いてますが、これでからふろと呼びます。どうぞ気をつけてお入りください。こちらがお風呂ですね。お水に浸かるわけじゃなくて蒸気で体を温めるっていうことなんです」

光明皇后が庶民のために作らせた唐風呂。今で言う蒸し風呂です。

大きな釜で湯を沸かし、床下から蒸気を送り込みます。

汗とともに体内から悪いものを出すことは奈良時代の医療行為でした。

東大寺の創建に関わる伝承が記された東大寺縁起絵巻。

そこには病気平癒を願って光明皇后を自ら千人もの病人の体を洗い流す姿が描かれています。

「天然痘がはやり、飢饉があり、お兄様達4人も亡くされて、すごく痛手ですしね。そういう痛みっていう心がわかられた方。辛さ。光明皇后となれば国母ですよね。国の母として国民の幸せを願うって言うのは当たり前の事なんでしょうね」

その思いが実際に後の世の人々を助けることになります。

例えば光明皇后の死後50年を過ぎた814年の記録。

病気の僧侶のために薬物が取り出されたと記されています。

この時取り出されたものの一つ、大黄を今回の正倉院展で見ることができます。

大黄は下剤として使われる裸の植物の根を乾燥させた生薬です

現在保管されているのは31キログラム。

しかし収められた当時の記録では7倍の221キログラムあったとされています。

正倉院から持ち出され多くの人に処方されたのです。

国を想い人々のために行動した光明皇后。

正倉院の薬はその優しさを今に伝えています。

光明皇后。愛の人だなと感じましたけども三浦さんもねあのVTR見ながら優しいっていう風におっしゃってましたけども今ごらんになって光明皇后っていう人については物語についてどのように思われますか。

「まさに公助だなぁと思って。今、自助・共助・公助。今ちょっとコロナと時代がちょっと重なっちゃってるからあっと思った」

飢饉とか病気が流行った時代にというのもあるよね

光明皇后は社会福祉事業とかに対して開かれた方だった

「記録を見ても、薬を大仏に収める以前から、悲田院とか施薬院という療養施設や困窮者救済施設と言う国家社会福祉事業の先駆け的なことをやられた方ですので、当時大和の国が政治体制、法律を設定して国の体制が整えつつあった時期に、既にこういうことをやられた。この薬の残り方を見ても公共精神と言うか慈愛精神に満ちた方だった。まさに皇后に相応しい方だったのかなと想像できる」

病人の世話をしている絵が残ってますけれども、そういうお話が人口に膾炙するっていうかずっと人々物語を共有してきたっていうことなんですかね

「そうだと思います。正式の記録には社会福祉事業早くからおやりになってます。そういったことが人口に膾炙して後々まで書かれるようになったということだと思いますね」

そしてお風呂にお入りになった

「6月が光明皇后の命日にあたる月になるそうで、年に1回だけ、今の唐風呂は江戸時代に再建されたものであるんですけど、平成に入ってさらに手を入れて、私も特別に一度入れさせていただきました」

で、どうでした。

「蒸気がふわっと。穏やかなものかなと思ったんですけど、ものすごい出て。びっくりするぐらい。相当ね最初びっくりするぐらいそこに入りました。もうすぐでないとだめかなと思うぐらいなんですが、しばらくすると慣れてきて。30分ぐらい入ってたんですけれども、その日一日逆に実に爽快」

ヒノキのような木の香りがするんですが、それはおそらく何か混ぜてるんではないかと思います。ただし昔はないか生薬の類を混ぜてたかもしれない言われてますのでおそらく、ちょっとやそっとの病気だったら本当にけろっと治るんではないかと」

象の歯は本当に薬なんですか

「強く砕いて、鎮痛消炎とかですね。かすかに匂いがあるようなことも耳にしてましたけども、成分は今も通用するのが残ってると」

宝物展を拝見して驚いたんですけど宝物のイメージですけども、これ薬ですよね。薬が宝としてその所蔵されていることの意味とは。

「今日は正倉院宝物の一環として見てますけれども、当時は非常に高価な薬であったことは間違いないわけですね。天皇クラスに位しか手に入らないようなものであったり、庶民には手に入らない。ただそれを大仏さまに捧げることによって大仏にすがる。仏教の力に空にすがることによって、もっと大きくなるような願いがあったんだと思います。今日で言う宝物という感覚とはちょっと違ってたと思いますね」

薬使えた人ってどれぐらい偉い人なんですか。

「お坊さんですとか貴族ですとか、記録に残る範囲ではある程度の方になってしまいます」

そういうのの記録が全部残ってるのがすごいとこですよね。

「このために使いますよというのが今でも残ってまして、この正倉院文書にいつ誰が使ったかそういう歴史的な経緯もでわかるとこれも正倉院宝物ならでは。世の中に伝わってきて今まで来ているものならではですね」

記録をきちんと残すという行為も宝なんですね

奈良時代の人たちは疫病などに対して祈ることでなんとか安寧な状態にならないかと思うということをしました。

続いては祈りにちなんだ正倉院宝物を見ていきます。

奈良時代。聖武天皇や貴族が大切にしていた仏教の教えがあります。

喜捨。

自分にとって大切なものを手放し、徳を積む。

喜捨された品々は正倉院に数多く納められました。

中でも目立つのは武器や武具。

《金銅鈿荘大刀》

全長75センチ。持ち手は紫檀。

金銅で装飾され、山型の金具には青色の瑠璃が埋め込まれています。

シンプルでありながら貴重な材で美しく仕上げられており、儀礼用の太刀と見られています。

こちらは馬の鞍。木や皮、鉄など様々な素材を組み合わせて作られています。

奈良時代の馬具の姿を現代に正確に伝えています。

座る所に敷かれた皮には、花をくわえた鳥やから花といった唐を代表する図柄が描かれています。

一歩足を乗せる足踏はつま先をすっぽり覆う日本式の壺型です。

「正倉院の馬具をよく見ていくと唐風のところと独自の日本風なところと入り交じってるんですね。きっと自分達の乗りやすい、作りやすいものを整備していく。ちょっと見には唐風だけどもよく見ていくとそうじゃないっていうのがたくさんあるというのは当時の時代をとっても反映してるかもしれませんね」

仏様への献納品。

その入れ物にもこだわりました。

《粉地彩絵箱》

大切な献納品が地面に触れないよう足がつけられています。

青い葉には赤い花。緑の葉には紫の花など

奈良時代らしい鮮やかな彩色が施されています。

法要で使われたとみられる楽器も出品されています。

《紫檀槽琵琶》

古代ペルシャに起源を持つと言われる四弦の琵琶。

笛や打楽器などと楽団を構成し音楽を奏でたと考えられています。

胴の部分に描かれているのはつがいの水鳥と襲いかかるハヤブサ。

一瞬の出来事を見事に表現しています。

こちらは《孔雀文(もん)刺繍幡(ししゅうのばん)》

正倉院宝物の中でも屈指の美しさを誇る刺繍です。

細かく角度を変えて刺された絹の糸。

光の加減で様々な表情に見えます。

幡(ばん)とは法要の時に掲げられる旗のようなもの。

どちらの面から見ても美しくなるような工夫が凝らされています。

両面刺繍です。

しかしこの技法は扱いが難しく、日本ではほとんど途絶えてしまいました

両面刺繍とはどのような技なのか。

祇園祭のタペストリーなどを手がけるこの道50年の刺繍家、樹田紅陽さんに見せてもらいました。

幡に描かれていたモチーフの一つ百合の花。

表から針を入れ裏を見ずに作業進めます。

「両面縫いというのは、図そのものは上の図を同じように縫っていけば裏も同じように上がりますけど、裏の糸の扱いを表から見てるように同じように綺麗に扱うのがむつかしい」

作業をさらに難しくしているのが糸。

光り輝く表面を作るためによりをかけていない糸を使うからです。

裏側も糸を乱さず作業をするにはかなりの集中力を要します。

「リズム感がね大事ですもんね。線の流れ勢いとかニュアンスを大事に気持ちを乗せて縫っていくには、リズムが大事かと思いますね」

進めるうちに不思議な心持ちになったという木田さん。

「少しやらせてもらって思いますことは、やはり昔の人も荘厳という気持ちでね、仏様を荘厳する気持ちで一針一針呼吸するように縫っていくわけですけれど、そういうところであのお祈りに通じるようなね願いとか祈るとかそういうもんにのって作られたのかもしれませんね」

単にモノを作るってことじゃなくて仏の祈りが込められてる。こういうのをご覧になってどうですか。

「細い絹糸一本一本が、緊張して手に汗かいちゃいますけども、自分の手の汗で糸が細いやつがついてきちゃったりとか、もうすぐ間違えちゃうとか、全然」

縒ってな糸ってのは扱いが難しいんですか

「触っただけ自分についてきちゃう糸もある。電気でついてくるのもあるし水分でついてくるのもあるし、細かい作業好きなのにひーっ手なりました」

祈りにちなんだ品々ということをご紹介しましたけれども、武具とか馬具とか戦いのための道具と祈りってとても遠いところにあるような気がするんですが、そうではないんですね。

「喜捨という精神ですね。自分の大切なものを仏に捧げることによって功徳を得ようと言う。当時は武具争いに繋がるものを放棄することによって平和な世の中を願う気持ち。ただこの当時仏教というのは今の我々の捉え方と違いまして、薬もそうですし、自然科学的なことも思想哲学もすべて含んだ最先端の科学のようなもの。祈りを捧げることによって色々なご利益を得るこれは極めてその時の国家運営にとっても大事な要素だったんだろうと思います。宝物っていうことは全てある意味、明日への希望につながる祈りという風な捉え方が出来ると思います」