日曜美術館 「奄美への道標(みちしるべ) 画家・田中一村」

奄美の自然を描いた独特の作品で人気を博す画家・田中一村(1908-1977)。しかし生前は、大きな公募展で落選を繰り返し、無名のまま、69年の生涯を閉じた。奄美の傑作は、どのようにして生まれたのか。近年、若き日の作品が次々に発掘され、模索と葛藤の日々が明らかになってきた。東京都美術館で開催されている過去最大規模の展覧会を舞台に、東京、千葉に暮らしながら、独学で探求を続けた格闘の軌跡をたどる。

初回放送日:2024年10月27日

日曜美術館 「奄美への道標(みちしるべ) 画家・田中一村」

【レビュー】「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館で12月1日まで 画家が望んだ「絵の決着」がついに上野で – 美術展ナビ

「思ってたよりずっと大きいですね。」「そうですね。私はもうちょっとちっちゃいかと思った。」
夕日に染まる奄美の情景を描いたアダンの海辺。生涯最後の絵を描くために奄美に渡った画家が
閻魔大王への土産物だと言葉を起こした一枚。海が音が聞こえてきますねこれそしてこれがアダン。もう堂々と中央にそうですね。南の島っていう感じの猫の果実が描かれ神々しいですね。」「そうですね光ってます。」
銀色

田中一村(1908-1977)

田中一村。50歳にして1人奄美に渡り、無名のままこの世を去った伝説的な画家です。近年新たな作品が次々と発見され知られざる実像が明らかになってきました。

昨日もおとといもっていう感じで情報が寄せられてますし、まだまだで出ていますね。もうどのくらい書いたんだっていうぐらい見えてくるのは自らが信じる絵を探し求める若き日の模索たゆ当選を重ねた
不屈の情熱の奇跡が切れてますよね。こうなんかやっぱりキレッキレが頃奄美という独自の境地に一村はどのようにしてたどり着いたのか。
?絵に秘められた天海への道しるべ

かつて一村が暮らした千葉市。この美術館では近年1村の作品の発掘に取り組んできました。
その調査をけん引してきたのが副館長の松尾智子さんです。
「楽しく出てきたっていうこの辺なんですけど、1村の作品の情報が各地から寄せられ、多くが一般の家庭で見つかっています。ここ十数年の間に250点近い作品が新たに発見され、今では800を超える作品が確認されています。
この日は展覧会に向けて作品のチェックが行われました
ちょっと気づかなくぎょっとするのが
これも最近出てきたんですか
?そうです所有者から連絡があって
その時北海道に住んで北海道まで見に行きました
おじいさんとかが
そんな無名ななんか人っていう感じじゃなかったけど
っていう風に聞いてると自分たちをその若い頃ね
その時代では
それなりに有望な若いイケイケの画家だったっていう
印象だったみたいな話は何人かから聞いたことあります

田中一村は明治41年栃木に生まれ5歳で東京に移住。彫刻家の父に絵の手ほどきを受け
幼い頃から神童と呼ばれました。7歳の時に描いた幼くして墨で巧みに形を捉える技を身につけていることがわかります。すでにベーソンズ父が筆を入れたことに腹を立て破り取った後が残されています。出身地の栃木で発見された14歳の時の山水画です。一村は子供の頃から古い中国の絵をもとにした漫画に打ち込んでいました。漢詩も学び史上豊かに描いています。

これ本当に最近発見されたものなんですけれど
何しろ?年齢が若いことと
綺麗な散水が鳴ってことで驚きまし散水側プロの
画家でも昔からそうですけど
最終段階っていうか
それをもうこの段階でかけているので
吸収する力とかなんか見たものを形にする力って
やっぱり長けてるんだなっていうことがわかります
その腕で1村は新進気鋭の難画家として活躍します
17歳で全国美術家名鑑に名前が載り
支援者を集めた学会も開かれるほどでした
初公開となる
18歳の散水が
民から真の時代にかけて活躍した中国の画家の絵を書き写しました
1村の山水画は次第に学びや模倣の域を超え
独自の個性を表し始めます
強い墨の筆致形をデザインのように
単純化しながら市場あふれる理想郷を描こうとしました
何かちょっと理想的な姿を象徴的にエッセンスを書く
っていうのが何らの世界だから
きっとバス立て長の画面でっていう時に四角のもので
現実的なものは下の方に書き尊いものはるかなるもの
そういうのは上の方に書くとか
そういうなんか伝統的な絵画
の構造とか当然のようにずっと身について学んで来たと思いますよ
1寸の展覧会場を訪れたのは
画家の山口晃さんです
東京パラリンピックのアートポスターも手がけた
山口さん大和絵など日本の伝統的な絵画の様式を用い
多彩な表現を生み出しています
いかがですか?一生懸命ですね
8歳市長の絵を一生懸命こう写すっていうことで
我をむなしくしてどうかするような
感じでやってんだと思いますけど
月夜の梅山口さんは随所に一村らしさを感じると言います
ドッグワット行きますね
コズミをガンガンガン足していくんですね
あそこは潰れちゃってますね
すごい踏み込みですよね
詰め込みがすごいって声が聞こえいいですけどね
つぶれちゃってますから
本当に花びらですか?あれは上でしょうか
?目に見えないですよね
アンカーの稲穂をちょっと油で揚げる
パパパンとポップコーンみたいに開きますけど
ああいう感じのトントントンやっぱりそういうね
こう弾ける勢いというかちょっと似合う
片足かけるような力強さってんですか
?そういう自分でもわかる字がっていうよりも
そのなんかその押し規制でやってるとどうも自分の動きが鈍くなる
そういうところが出てきた時に
じゃあ絵をどう変えていこうかっていうしようと思ってないけど
そうなっちゃうっていうのはその人の処分が出てきてるんだ
と思いますけどね
今日のゲストは画家の山口晃さんです
よろしくお願いします
申し上げます山口でございます
山口さん田中一村というとどういう印象をお持ちです
か?わりとその何ですか?苦心
サンタと言いますかね?あのあっち
の人生のちょっと中止が向きすぎてしまって
肝心の絵がなんだかせっかく見て本当に見てもらってるのかしら
?というのがなんか一言だから
心配になっちゃうと言いますかね
ですから
こうなんかこうそういう物語で売るんじゃない
なんて絵描きさんというか
磯野絵っていうものをもうちょっと見てみたいな
早速参りましょう
1村というと
奄美のねイメージが先ほどの話もありましたけど
あると思うんです
けれどもこちらは段が描いていた時代
20歳の頃の作品です
支援者から依頼を受け
金箔の大画面に渾身の力で筆を振るった
豪華な衝立咲き乱れる蘭の花と
勢いよく伸びる竹の群れ
その姿が墨だけでシルエットのように浮かび上がります
濃淡のねやっぱ濃いところが力強いですね
そうですね炭のあの何て滲み方ってますかね
?見ますと
前の筆が乾かないうちに
次の筆重ねてるなっていうところは早いですし
それでも速さみたいなのも
目で追っていくうちにこっちに伝染してくるって
言うんですかね
体の動きもかなり激しいですね
絵の意味とか
このモチーフはどういう象徴性があんだろうっていうのの前に
なんかその心持ちというか気分が伝染してくるんですね
こっちもそういう紅葉してきて
というあれがやっぱり醍醐味と言いますか
ねまずは鑑賞の第一歩
作者とごシンクロしているっていうのが思いますので
本当におっしゃる通り紅葉してます
私裏側に見てみましょう
こちらも同じ20歳で書いた作品で
こちらは雰囲気図ですね
ボタンの花が描かれていますが華やか
ですねだいぶ印象違いますね
すごいですんでしょうか
青は全部おかしいです
もうちょっと上入れるとかなんかあるんですね
入れ方が一番
そこで切ったら
落ち着かないんじゃないかなっていうところでパサっといって
それによってこうぱっと画面の空間を見失って
こっちがこうふわーっと浮くような
そういう浮遊感って言うんですかねこれもやっぱりリズムがそうですよね
やっぱり茎から伸びてきたところ
そこにこうバックに
青いね全部違う音楽奏でてるわけです
でも引きつけられますね
そうです1村は18歳の時
東山魁夷らとともに東京美術学校に入学します
しかしわずか2ヶ月で退学
病気や家庭の事情とされていますが
そこから誰の教えも受けず絵の道を歩むことになりました
そして23歳
1孫の新たな決意を伝える
一作水辺で蓮が枯れゆく冬理想郷を描く
漫画とは違いその目で見つめた光景です
いっそはこの絵について
後に知人への手紙でこう語っています
自分の行くべき我堂を自覚し
その本堂と信ずる
絵をを支援してくれる人たちに見せたが
参道は得られず絶縁したと
この言葉によって
そこからの20代の画業はすべての支援者と離れ
筆を置いた空白の期間とされてきました
しかし新たな事実が分かってきました
2013年に発見された
豪華な屏風23才の昭和6年です
その時期は空白の時期だと思われていたんですけど
この屏風が出てきた大変びっくり23歳の頃の作品
椿ず屏風支援者から高価な金屏風を提供され
強い思いで挑んだことが伺い知れ
ます近似を埋め尽くす勢いで咲き誇る紅白の椿
花びら1枚1枚の模様や雄しべまでまさに真に迫ろうとしています
これが一番驚きの発見かもしれないですね
全支援者と絶縁してはいない
それから筆を追ってはいない
引き続き画業は続いていて
いろんな成果を出してたっていうようなことがはっきりと分かった

こちらも同じ時期の作品です
はいこれはすごく最近出てきたもので
またこれもまた別の傾向の絵をすごく立派に描いている
という意味でこれも驚きでしたね
椿図とは
全く趣の異なるモノクロームの系統図葉にみなぎる
生命力が伝わってくる
強く鋭い1村は
写実に軸足を置いた独自の日本画を模索していました
その筆は驚くほど細密独学独歩ですね
一人で歩むというかちょっと本当に頑張っていて引き迫る
っていうかここはやっぱり自分の転換期で勝負だ
みたいな
ここってやりきらなければみたいな
なんかそういう覚悟というか
昭和13年29歳の時
1村は千葉に移り住みます
当時はのどかな田園風景が広がっていました
その2年前父親と弟を相次いで亡くし
親戚を頼って祖母と姉妹妹を連れ
ての引っ越しでし畑を耕し
内職もこなす生活
それでも支援者から依頼を受けながら絵を描き続けます
ふと目に留まった深まりゆく秋の光景
赤や木に色づく木々の葉を一枚一枚克明に描いています
何をどう書けばいいのか
それは自然の色と形が教えてくれる
一村は草木や花をつぶさに観察し写生の腕を磨きました
そんな1本が強く引かれたのが鳥です
家の中にもたくさんの鳥を飼い
様々な姿を繰り返しスケッチしました
時には死んだ鳥を手元に置き
羽や体の構造まで捉えようとしたと言います
数ある画家と比べても
1村の各鳥は異彩を放っていると語る人がいます
鳥類の生態を研究し
日本美術にも造詣が深い
高橋正夫さん
1村が千葉に住んだ時代に書いたきつ
この絵はキツツキの特徴を逃さず捉えていると言います
キツツキというのは
木に垂直に止まることができる
なんで止まることができるのかというと
一つは鳥の足って
普通は前3本後ろ1本の指なんですけど
垂直に止まる時に後ろ1本ならば辛いので
1本の指が下に来ていて前に後ろ
にににになってるんですよね
でこの下絵とか作品を見ると
指が前2本後ろ2本になっているとで
もう一つはこのしっぽが第3の指みたいに作用していて
3点で止まる
ちゃんと尻尾が幹にくっついていると
こういうところは死骸とか見ててもわからないんですよ
実際
キツツキが木に止まってるとこ見ない限りは
わからないところなんで
そういうところは気づきの基本を抑えてるなと思います
動きが速い
スズメも細部まで正確に捉えていると言います
スズメって逃げちゃいますけど
鳥ほとんどそうなんですが
野外でじっと待ってると意外と近寄ってきてくれることがある
こっちから行くと逃げますけど
あちらから近づいてくるのを待ってれば近くで見れる
ことがあるんですよ
でこれを野外で見ようとしたら理由があった
ちょっと前ぐらいから竹林に入って
じーっとスズメが来るのを待っててで
こういう風景を見れるって感じなんですが
そこまでやってたんですか?やってたと思いますね
やらないと
あれは書けないと思いますから
そして数え40歳の節目の年雅号ベーコンから1村と改め
中央花壇に打って出ます
戦後間もない昭和22年
近代日本画の巨匠川端竜氏主宰の清流展に出品した
白い花山ぼうしのみずみずしい緑の葉咲き誇る白い花
同じ形は2つとありません
その奥に霞むような竹が覗き有限な空気が漂います
そして片隅にひっそりと息づく命1村
大きな酵母展で初めて入選を果たしました
細かく見るといっぱい苦しんだ跡があって
椿にあったような
もうどこでも書かなければっていう感じを少し抜いて
やや整理して印象的なところを重点的に書いたりとかそれ
は嬉しかったでしょう
嬉しかったっていうか
やっとスタートラインに来たみたいな感じかもしれないですけどね
続いては
大きな公募展に出品した2つの作品がこちらに並んでいます
目が覚めるような緑ですね
生涯で唯一大きな公募展で入選した作品がこちら
たった1つたった一人これだけなんだそうです
そうか
なかなか評価をねされてこなかったという顔料持ってますね
本当に物理的にぷっくりしてるんですね
それでは形が切れてますよね
こうなんかやっぱりキレッキレの頃
やっぱ尖がってると思う
んですねこの頃は
形のねあの能動的形ってよりは切れてる
形っていうんですかね
走って
そこから自然さと運動性の筆に行きつつ
でも形っていうギリギリの攻め具合とか
うっすらと死体見えてますね
結構残ってますね
この花が本当はここに描こうとしたのかな
というようなやめたんですね
やっぱり彼の絵の中では親切な親切な途中にあったの
椿の絵なんか見ますとね
こういう隙間をもうみんな埋めちゃうんです
そこを埋めたらわからんっていうところも
飛ばないですね
それに比べるとやっぱりかなり形とか枝ぶり流れ
みたいな
見えるような字の字の残し方っていうんですかね
ではこちらは1年後展覧会に出した絵です
千葉の農村に訪れた秋金屏風に描いた修正
中央手前に大きな木がそびえる大胆な構図が
1村の自信を感じさせます
余白のバランスって個性的ですね
あと絵の具の子結構ね
厚みがやっぱりかなりこう
意図的効果的に使われてて重そうですもんね
そうですね
この葉っぱのねべたっとつけて
横にこうちょっと走らせたような形にしてくって言うん
ですかね漫画のさっと筆で走らせたたちまち形にする
みたいなところとその写生でカチカチとやったものの
ハイブリッドでぷちっとこう形に収ちょっとこう
手品的なっていますかね
あのそういう日本画の可能性みたいなのを表してきてる
って言うんでも
多分かなり意欲的だったと思いますしわかんないかな
それがちょっとこれは同時にもう1作品
この同じ展覧会に公募展に出して
もう一つの方は入選したんですけれども
こちらは落選したとでこそそのことにも激怒しまして
だったらもうその入選した方
も辞退するということでちょっと短気なんですかね
?あった人だと思うので
その辺はこう我慢ならないのことっていうのは
色々あるんでしょうね

田中一村終焉の家


昭和33年1村は50歳にして奄美に移り住みました
そこは亜熱帯が育む豊かな生命の宝庫
ピストンが毎朝2時間かけて歩いたという
本茶峠日差しが出ると急に暑くなんですよ
暖かく奄美にある1村の美術館で6年間学芸員を務めた
前村たくみさん
その毎週この峠を歩いたと言います
同じ自分も絵描きなもんですから
彼がずっと歩いてたところ
一緒に歩いてみるとまたちょっと自然の移り変わりとか
そういう変化にも自分を築くんじゃないかなと思って
なんか一層がやったことは全部やってみた
いなみたいなところがあってヒカゲヘゴです
結構日陰保護の群生が見られますよね
葉っぱも非常に巨大ですし書いてません
我々は今見てる風景は
全部1本が見てる風景なんですよね
1村の心を捕からは奄美の珍しい植物
これはソテツの実です
生き物がうごめくような姿に
強く惹きつけられている様子が伝わってきます
南国の魚やエビもスケッチしました
様々な色合いを持つ五色海老が気に入り
一つ一つ違うトゲまで
正確に描き分けながら何時間も見続けたと言います
奄美の奥へ
さらにその奥すると見えてきたのは
亜熱帯の強烈な色彩とは違うもう一つの色の世界
ヴィラージュの森緑の葉を持つビローを墨だけで描きました
漫画で修練を重ねた水墨の技
墨の濃淡だけで葉の重なりだけでなく
逆光のように刺すかすかな光まで
こんな雲の多い天気が多くて
森に入ると今日みたいに入っていくと
あちょっとものとな感じだなー
みたいな鮮やかなハイビスカスじゃ
なくてこういうものとな感じの植物が織りなすですよね
本当に炭の濃淡だけでだからどちらを明るくするか
奥行きを奥にあるのは明るくし
手前ある方を暗くしてとかいうの
これ複雑に組み合わせている状態だと思うんですよ
ただくすみの濃淡のこう積み重ねなのが混乱か
それが熊竹欄を入れることによって
すごくいいアクセントになってますよね
蝶々も止まってるし
いやこの世界はね
やっぱりすごいと思いますよ
晩年体調不良に苦しみながらも
1村の探求は止むことはありませんでした
ほらクワズイモの実が見えてました
いやーようやく発見ですね
いやー
すごい!すごい!
すごい!
すごい!
すごい!すごい!すごい!すごいすごい
!もう花が咲いて
このこれは1個ずつ見に成長すると思うんですけども
奄美に群生するクワズイモ1村は新たな
境地に69歳で亡くなる数年前に書き上げました
空を覆うように広がる大きなクワズイモの葉
その赤い実のまわりには
ソテツハマナタマメの花や実が締め切り合います
海には立ち上りと呼ばれる岩神様が
島にやってくる時に立ち寄るという奄美の人々の心の拠り所です
海の向こうにある彼岸の世界命が躍動する
この世の光景よいしょ
前村さんはこの絵を見て
1村のそれまでにない世界観に気づきました
これが詳しいものを見なんですか
?みたいなこと言ってるうちになんかね
?2本の詳しいものにする
全部入れたんじゃない
?だからあるものを一層が描写して
あの絵を描き上げたんじゃなくて
詳しいmodという植物をメイン持ってきてその中
に全部のその過程を盛り込んだみたいなとなると
1年間の季節もそんなに入っているという風に
まあ自分の中で発見があったんです
身になり熟した赤い実が顔を出しやがて朽ちてゆく
決して同時には見ることのできない季節の移り変わりを
11つの絵の中に描いていたのです
つまり1年間でこれ回ってますから
生命の誕生から死までを表すもうこれを築いた時は
嬉しくてね僕
本当に1本のにとっての私の宇宙みたいなのが
この奄美しかも
この周辺の世界だったんじゃないかなと思うんですけど
夢中ですすごい生命力だなあと思います
まずそれが一番生命力蠢いてるんですよね生命力がこの土地にしかない
この土地で
出会った植物たちからもらう
エネルギーのようなものを乗り移ってる気がします
なかなかその自然を描いてるんですけども
それがやっぱり彼の中彼っていうこう
一つの期間を投下してんで枯れて
自我がそこにおいて限りなく抑えられ
て一つの装置としてこう
画面を作る絵筆になっちゃってるみたいな
そういうことを透過性っていうか合理的できたものって
感じが美味しい人するんですね
素直に絵を描いてきてで見えてきたものに
割と全力でがっとその行くことを恐れない
こうした
本当にぶち当たり続けてきた人だから
ここから生きてたらさらにどんどん2回3回変わってっだろうし
内装もずっと若い時からモチーフにするもの
を見てこうやってね
見てくると自然の中の整理されたものじゃなくて
ぐちゃっとしたものとか
でもすごく神秘的で
そういうものに惹かれてきたような気がしていて
自然の自分がコントロールできないものに対する興味
そういったものを一貫して感じてきまし
たね

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aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。