雨や雪など自然の変化を巧みに織り交ぜて日本の風景を情緒豊かに描き出し、“風景の叙情詩人”と呼ばれる歌川広重(1797-1858)。その代表作の一つに、中山道の名所や宿場を網羅したシリーズ版画『木曽海道六拾九次』がある。番組では、『木曽海道六拾九次』を、旅・自然・人間という3つの視点から広重風景画の魅力を紹介するとともに、摺(す)りの再現などを通して、 広重 の技の秘密を明らかにする。
初回放送日: 2020年9月13日
日曜美術館「日本の原風景〜広重の“木曽海道六十九次”〜」
黄昏時柳が風になびき
船と筏が静かに川を下っていきます
しみじみとした情緒が漂う広重の傑作で
風景の抒情詩人と呼ばれる歌川広重
その浄化される風景画が数多くあるのが
木曽街道六十九次
中山道の風物を描いたシリーズです
広重は風景とともに
旅する人々の人間模様も
描き出しました
焚き火の煙が立つメカ煙管の日を映し合う
孫と旅人つくばのはずれにある
木賃宿に着いた
旅人た囲炉裏を囲んでくつろいだ雰囲気
和やかな話し声が聞こえてくるようです
あこういう人いるよね
という人物が
彼の得意の風景画の中で息づいている
千変万化する自然
の姿を描いた広重木曾海道六拾九次では
月夜の名作が目立ちます
上官を醸し出す広重の技の秘密を探るため
釣りの作業を再現してみました
情緒ある夕焼けのその空気感染ですかね
これ出すんで
複雑にさせてるんじゃないですかね
昔て面白いけど
スルホ大変ですはじめ浮世絵師
の溪斎英泉が手掛け
途中から広重が引き継いだ木曽街道六十九次
今回は広重の絵に絞って紹介していきます
江戸と京都を結ぶ中山道広重は
これを木曽街道と題して描いています
主に海岸沿いを行く東海道とは違い
山また山を越えて行く険しい街道です
今の風景と見比べながら広重
の絵で中山道を旅していきましょう
ここは中山道で最も高いところ
遠くの山並みが見渡せるよ
標高せんごひゃくさん
じゅーいちMもある和田峠なんだ
広重が書いたのはこの和田峠の雪景色
冬の間はいつも雪に覆われていたそうで
遠くの山々も山肌も真っ白だね
山道を傘を
かぶった旅人たちが怒っているけど
前の職場から恋を越えて
次の職場までにじゅー
KM以上もあったんだって
くまの感覚としては
最長で旅人にとっちゃ
道の険しさだけじゃなくて
その距離もきつかったんじゃないかなあ
江戸時代は誰もが
自由に旅できるわけではなかった
んだ関所がされたりしたんだ
ここは中山道の有名な福島関所があったところ
今は跡地に当時を偲ばせる建物が建っている
これが広重が書いた当時の関所の様子
山の斜面高い石垣の間を
赤松出てきた人と
これから向かう人がすれ違っているね
その奥にはセクションの中
でちょうど検問を受けている
様子が書かれている
入鉄砲出女という言葉があるけど
江戸に鉄砲が持ち込まれないか
女性が江戸から脱出しない
厳重に取り締まったんだっけ
中山道の名所の一つ
小野滝流れ落ちる水を見ているだけで
清々しい気持ちになるね
そう旅の楽しみはなんといっ
ても綺麗な出会えることだね
あれ電車などなかった江戸時代
どんな風に足を止めて
ゆったり滝の景色を楽しんだんだ
ほら旅人敵の方を指さして
とっても嬉しそうだよ
幅広く流れ落ちるその姿を見ると
昔はきっと今より
水量がはるかに豊かだったと思えるね
それにしても右側に
ある突き出た二つの岩はおかしな格好で
何か滝の方になりてるかのように見えるね
木曽川がゆったりと流れている
ここは大手の私と言って
渡し舟の船着場があったところ
山また山の木曽街道だけど
川を越える水が出たりすると
ここ何章になったそうだよ
真っ青な木曽川
を木材を運ぶ
いかだや旅人を乗せた私船が行き交っている
川岸には半分のオムツ替え顔針ここなんだね
大きな石に腰掛けて一服する
旅人やこちらはどこだろうか
傘を上げて何かをやっているね
夕方なのか空もほのかに赤みを帯びて
のんびりとした風情だなあ最後は街中だ
よ道の向こうには
琵琶湖があるはずなんだけど
ビールに隠れて見えないね
ここ大津は中山道の最後の宿場なんだ
広重の絵では
琵琶湖にはっせんの白い本が
いくつも見えるね
牛大八車のにお運びさん
人連れの女性達が華やかさを添える街道
両側に並んでいる建物は旅籠な
んだけど家ごとに
いろんな釣り看板が下がっているのが見える
そんなかにカタカナのトロが
組み合わさったデザインのものと
その向こうに漢字の十の字があるよそう
きっと広重と読ませようとしているんだ
いい子だから広重も遊んだのかなあ
中山道は海がないんですね海なし
県をいくわけです
でもその中である時間であるとか
ある一瞬であるとかを切り取ることで
とても魅力的な
風景の側面を見せることができた
さらにそこにそこに住まう人であるとか
そこで働く人であるとか
そこで旅をする人というのが
描かれることで私たちも何かここに
行ったことがあるような
見たことがあるようなっていうような
そんなイメージを持つ
そういう作品が多くあると思います
広重は風景の中に人間模様を描き出しました
中山道の旅には
路上で宿場で
様々な人々の出会いが描かれています
遠くかすむ白山を望む茶店がありその前の
川沿いの道で何か起きているような感じだなあ
稲敷旅人が振り向いているその傍に
ちょっと苦しそうな男がいる傘を逆さにして
物乞いをしているんだね
その後ろから戦争を持ち
左手を差し出して駆け寄ってくる男がいる
俺にも入っているのかな
そんな人々のことはわれ関せ
ずといった風情で茶店の男が一人
榛名山の方を見上げているね
ここは軽いぞ今でこそ信じて有名だけど
当時は寂れた村だったらしい
すっかり辺りが暗くなった中
焚き火の煙が白く立ち上っているね
手前の焚き火で旅美人
柿渋に勢い落ちそうとしている商品
お分かりで勝ち気の
歯が半分赤い
傍らには馬に乗った旅人とマンコ
くっつけて火をつけなっている
どこか微笑ましい馬の横っ腹に
ある提灯の明かりが
旅人の姿を浮かび上がらせているね
満月が昇る落としているけど
あたりは深い霧に包まれていて
人や木々の輪郭がぼんやりとして
シルエットになっ
ているね道を行くのは
地元の人かなご人連れの親子だ
浸透はお父さん背負っている子供は眠りこけている
次はお母さん赤ちゃんを懐に抱いている
そして最後は
お姉さん後ろを振り向いて指を指しているね
缶切りの中を行く一家祭りに出かけて
家に帰る姿だと言われているん
だけど中には四人組
仕事じゃないかなっていう説もあるらしいよ
ひがくれって何かいかにもむさ苦しい安宿に
旅人たちが止まっているよ
思いの外までは
おばあさんが米を研いでいるようだけど
ここは木賃宿ホラー大きく書かれているんでしょう
makidaiだけ食料を持参して
止まったんだ
今着いたばかりの旅人が
わらじの歯も磨いているね
隣では世間話に花が咲き
鞄を囲んだ旅人たちがやれやれ
とくつろいでいる
貧しいながらも
和気あいあいの雰囲気が偏っているね
あのいかにもそこで暮らしてそうな人や
あるいは旅人が勝手にこうその中に物語を
作っていくようなあのその人物があってこそ
大啓会の風景画が全体として出来上がる
宮腰のこの作品は
以前は夜逃げの家族だ
という風に言われてますか
あのなんでこれが夜逃げ
という風にされたのかと返答
ほっかむりしてるからなんですね
きっとこれは米源違いないと
言われていたそれが根拠なんですね
ただ近年は山間のきりで
後髪の毛も衣服もこう濡れてしまう
ぐらいのきりだから
このような被り物をしていたのだろう
一番おそらく元気なのは
一番後ろを歩いている女の子で
彼女が後ろを向いて
さらに小指指を指してるんですねこれが
おそらくはそのまだ祭囃子が後ろの方で
聞こえていてね
お母さんまだまだなんか音が聞こえるよ
なんて言葉を選んだから
お父さんお母さんに
もうちょっと遊ぼうよって言ってるんじゃないか
というのがまあ考えられるところです
木曽街道の中で一番ぐらいに好きなのは
このを楽しくの絵
ですね木曽街道の作品の魅力って
こう物語があって
どこかセンチメンタルで
というところだと思うんですけど
これはまさにあの
センチメンタルなお話が想像されます
辺り一帯にススキが生い茂る物寂しい風景の中を
ちょうど旅人たちがで会おうとする場面です
本堂造立という幟を持ち寄付
を求めて行脚している僧侶
こちらは一緒巡礼の旅をする意向
戦闘の人物は
胸に赤子を抱えていることから
お母さんだとする見方があります
しかし菅原さんはお父さんだと思います
男の人でしょう桃のあたりまでこれ
露出してますので男性ですね
赤ちゃんを抱えてもうそんなに
年老いてもいない男性が歩いている
巡礼にとなると奥様を亡くされたのかしら
だから旅に出たのかしら
というふうに考えてしまいます
抱えているものをのための使命を帯びた旅
なんだろうなあと
そこがまぁ私の好きなポイントとか
特に物語が小顔そこから来見えてくる
ような素敵なポイントだなあ
と思ってるんですけど
広重は浮世絵の風景画に
季節や時間ともに千変万化する自然の姿を取り入れ
日本的情緒を醸し出しました
ひときわ優れたその技によって
広重は風景の抒情詩人と呼ばれます
雪に覆われた山々が連なる山道を
馬に乗った旅人
二人と孫二人が向かってくるね
降り積もった雪で
孫の足はそれまで埋もれた手紙も真っ白
旅人達は二人とも雪の積もった傘で
顔が隠れて見えない
きっと底冷えする寒さに
身を縮めているんだろうな
しんしんと降る雪に音は全て吸い込まれ
画面全体が静寂に包まれている気が
するね真っ黒な空から雨が垂直に降り注ぎ
地面を叩きつけているよ
そんな顔笠をかぶり
カッパを着たさん
人の侍が歩いている
この雨じゃきっと潰れだろうに
向こうには沼が広がり
白鷺が飛び立とうとしたり
羽を休めたりしている
祥楽の湯には灯りがともり
その前の通りを旅人や
馬が行くよ
遠くの空は明るくなっているのかな
こちらは横殴りの雨だ
突然のにわか雨に皆慌てふためいているよ
シルエットに霞ん
何か被っているしかけてくる男たちも
傘代わりにかごやこもかぶっている
辻堂のように見える建物の中は
いち早く避難した旅人や虚無僧たちで
いっぱいだ夕立が襲ってきた一瞬のスナップ者
神のように書き留めているひろしでは
人を動かして
どんな瞬間を捉えたのか見てみよう
この夕立の恵庭今
紹介した初刷の藩と色合いが異なる
あと釣りの班がありますこちらがお釣りです
通常初刷の方が
レジの意図どおりに剃られ
ていると考えられています
こちらがあとすりーです
夜釣りは画面全体が暗くもの等なのに対し
あと釣りは明るくカラフルな感じもします
あの初刷の方が
あの突然雨が降ってきたのでに
人で煙っている
じめじめとした空気を感じますね
夕立の空気感というものがよく出て
ますよねそれに対して
空も明るくなっているのに
雨足としては夕立のような
叩きつけるような雨になっているので
若干抵抗としては
不自然に感じるように思います
初刷とあと釣りでは
季節まで変わってしまうような絵もあります
まずこちらがあの初刷の方になりますが
あの全くあのま枯葉色ですよね
枯れ葉色で冬枯れの景色
こちらの大名行列が
やはりここに至るまでに峠も越えて
皆さんちょっと疲れた様子っていうのが
あの風景からも
その大名行列の一行たちの心情とも
ちょっとリンクしているように見えますね
こちらの方を見て頂きますとも
青々とした新緑の書家すごく爽やかですよね
本当にこの風景と一緒に
この大名行列を見るとさぁこれから頑張るぞ
あの大名行列進んでいくぞ
というような
ちょっとこうあの子
元気のある感じに見えますよね
広重がまりぞーとしていたものは
やはり最初の初刷の方の冬枯れの
風景だったと思うんですが
まああの売り手のその版元の方が
青々とした初夏の温かな雰囲気の方が
売れるのではないかということで
変更したのではないか
という風には
雪の一つとして言われています
松の木の枝越しに大きな満月が見えるよ
画面の半分が
シルエットに沈んで
手前だけが明るくなっているね
白い犬に乗って戯れる子供達も
固まらを仕事を終えた孫が通り過ぎていく
花をあげて見上げているのは
お月様なのかな
橋もその上を歩く馬小屋馬
天秤を担ぐノースも
そして大きな松の木が真っ黒だ
でもよく見て濃淡西の
隅で振り分けられていて
ちょっとようになっているでしょう
月明かりでできているんだね
柳の向こうに満月が昇っている空には
夕焼けの名残の茜色がわずかに残っている
川を下るのは以下だと違うんだ
流れに乗って静かに進んでいくよ
柳家あしが風になびきどこかもの寂しい
この黄昏の条件が胸に迫ってくるなこれ
広重の前が行の中でも
屈指の名作と言われているんだよ
なぜこの作品が傑作と言われるのでしょうか
釣りを再現してもらい
その秘密を探ることにしました
浮世絵の復刻版を多く手掛けてきた
渡辺版画店専属の釣り師渡辺英二さん
です最初に住みの輪郭線を擦ります
そして色をのせていきます
まず愛で川の水を釣ります
続いて少し色合いの異なる愛で空を剃ります
これを入れてから
多分これがあっても
ベース渡辺さんは
この柄が情緒を醸し出しているのは
空のすり重ねによって
黄昏時の微妙な雰囲気を
出しているからだと言います
今これがあの薄くなってもらいたいところに
このボカシ雑巾で水を小春わけですね
手乗りをちょっとやっぱり月が良くするため
つけてで上の方はの国しておきたいんで
上にだけ炭やつけてて
このブラシで
上の声の子下に持っていくんです水
のあるところに
その時点でグラデーションができるようですね
焦がした空に
薄墨でぼかしを施した雲が現れました
今度は紅に種を混ぜた色で
ぼかしをかけていきます
夕焼けが終わろうとして
まだわずかに空に赤みが残っている状態です
そして二年やトークの家の屋根川面や柳
芝など細かく色を重ねていきます
さらに地平線のあたりに薄墨また
空の上に濃い墨が加わり
よん闇が迫っている感じになります
最後に月の周りにぼかしをかけます
マリ猫水を張るわけですね
デコイ絵の具を中心に
お化けをちょっと微妙な力加減なんですけど
この声の水の方
に持っていくわけです
困る9月の周りですよねで
適当なところで止めてする写し取る
だから厳密に言ったら
一枚一枚絶対に同じものはないんです
柔らかな藍色のぼかしが入り
満月が浮かび上がりました
結局空だけで合わせて
ろく回すりーを重ねました
やっぱりこれはひろしが多分
空を中心に見てもらい見せた
言ってみてもらいたい
見せたいって
いう感じだったんじゃないでしょうかね
夕方になってくその空の時間の移ろい
みたいなあって
そこでは風も吹いていて
木々も揺れていてて
船も大きい子聞こえる音と同時に
どんどんこう動いていくなんて絶対
に言ったこともないところなのに
何かしら懐かしくてて
ここにこのこの場所に
自分が何かいるような気がして
真に入ったこともないのに
ノスタルジックな気持ちになる
映画のラストシーンのような
まるで動画のように
この2人の船頭さんの二艘の船が
ずっと向こうの方まで動い
て行って映画のラストシーンのに巻って
出てくるような
そんなイメージがこの世の中にはあります
菅原さんのイメージのように
絵を動かしてみました
広重はこの木曽街道のシリーズを
どのようにして描いたのでしょうか
長い間現地に行かずに書いたと考えられて
実際に先人の
図や絵を参照したと思われる作品があります
例えばこの小野滝の風景
同じ風景をこの数年前に
北斎も描いて垂直に落ちる滝の様子や
それを旅人たちが
橋の上で見物する構図も見ています
またディテールを見ても
滝の傍にある祠と
左にある建物の形がそっくりです広重
はこの絵を描くさ
北斎の絵を通しをしたのではないか
と思われます
はるかに琵琶湖を見下ろす
素晴らしい景色が広がっています
風光明媚な展望所ご覧のように茶屋があり
旅人たちが話に花を咲かせた
出たりしています
広重がこの絵を描く際
ヒントにしたのではないかと
言われてきたのがこのモノクロの絵です
琵琶湖を見下ろす風景ですが
空から見たような間の工事です
広重はこの絵の中の茶屋と同じ高さまで
視点を下げその光景を絵にしています
先人の絵を参考にしながら描いているので
しかし菅原さんは
木曽街道ろくじゅーきゅー釣り
には広重が現地を訪れて描いた絵が
少なくともじゅーよん点あると考えています
イギリスの大英博物館にある広重のスケッチ帳
菅原さんはその中に
木曽街道69次の上と
よく似たスケッチがあることを突き止めました
ページ送って行くとか見ていくと
あれあれあれという発見
がいくつもあって
その中でこんなに木曽街道のスケッチ
というのがあるんだ
これは下絵として
使われたものなんじゃないのか
小雨が降る松の幹の街道
今まさに大名行列の先頭が軽い
という職場に到着しようとしているところです
大名行列が来たというので茶屋の旅人
たちも通りに出て跪いています
こちらは軽いのスケッチです
大名行列や旅人はいませんが
風景は松並木も茶屋の配置もそっくりです
今の滋賀県を流れる愛知川の口径で
橋を渡る旅人たちや
牛を弾く女性などが描かれています
この柄にも
山宮橋の形がよく似たスケッチが
ありますそれだけではありません
別にもう一つ
スケッチ上には
潮引く女性のスケッチも残されているので
これも川が見える風景
中央に描かれた二人の女性と
背負っている細長い荷物が目を引きます
この人物も付知町にありますには
この地方の特産品の布か麻の茎だと
思われますおそらく
現地取材をしなくては得られないという
いくつかの要素がありました
その一つが
腰を弾く少女と女性のつーであったりありがとう
大きな自分の身長身の丈よりも
大きな荷物を担いでいる女性の姿であったり
そうしたあの風俗というのは
現地取材でなければ
書くことができなかっただろうと
そしてそれらをスケッチ帳の中に見つけた時
あこれはやはり実際に旅をして
そしてそれをもとに
木曽街道を作ったのだろうなあ
ということがわかりました
自分が旅先で会った人に
あのなんか気になった人
書き留めたんだろうなと彼の絵画
世界の登場人物を
自分の旅デコ取材して回ったような
そんな感じがしましたね
書かれてる人物たちにね
広重の街道シリーズの代表作の一つ
木曽街道六十九次これらの絵は
日本の原風景を思い起こさせます