日曜美術館 「極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜」

日曜美術館「極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜」

源氏物語が書かれた千年前、日本人の「あの世」観を決定づけた本が登場。極楽往生を願う貴族が重視したのはイメージの力だった。観音が一夜で織り上げたとされる国宝「當麻曼陀羅」。そこには極楽のイメージトレーニングの方法も描かれる。臨終の際「お迎え」をイメージするための絵画も。そこには死にゆく者が握った糸も残されていた…。国宝「早来迎」などの至宝を通して、悲しい死の向こうに幸せを願った人々の祈りを探る。

初回放送日:2024年5月19日

日曜美術館 「極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜」

京都知恩院。浄土宗の総本山です。四月、改修八百五十年を記念する法要が行われました。全国から集まったおよそ二百人の僧侶が念仏を唱えながら堂内を回ります。ナムアミダブツと唱えれば、誰もが極楽浄土に往生できる。

そう教えを説いたのは、平安から鎌倉時代にかけて生きた僧侶・法然です。救われるのが難しいと考えられていた庶民にも手を差し伸べる画期的な教えでした。

極楽浄土。そこは死後に行けるという平和できらびやかな夢のような世界。平安や鎌倉の人々は、そこに生まれ変わるためにはイメージの力が必要だと信じ、そのための多くのアートを生み出しました。

それらが集まる展覧会が、東京国立博物館で開催中。その後、京都、九州に巡回します。極楽へ行くためのアートとは。

「今、なぜか鳥肌が立ってしまいました。これはウェルカムパレードですかね。」

人生の終わりの苦しみを和らげるイメージの力とは。紫色部と呼ばれることになるまひろを主人公に平安時代の喜びと悲しみが描かれる大河ドラマ「光る君へ」。ドラマでは、きらびやかな王朝文化だけでなく、疫病の流行、川に打ち捨てられる死体など、すぐ身近にあった死の不安も描かれています。まひろは光と闇が交錯する中を生き抜き、やがて源氏物語の執筆を始めます。

ちょうどこの時代、日本人の死後の世界観が大きく変わっていました。変えたのは比叡山の僧侶・源信。源氏物語に登場する僧侶与川のソーズのモデルとされています。

比叡山の奥にある与川で修行を続けた源信は985年、一冊の書物を表します。

往生要集、極楽へ行くためのダイジェストです。極楽浄土に生まれるための教えや実践は、濁りきった末の世を導く目や足である。様々な経験に書かれていた地獄や極楽の様子を抜粋し、匠の編集でまとめた、いわば死後の世界のガイドブック。この往生要集こそが、地獄と極楽という日本人のあの世のイメージを決定づけたといいます。

「往生要集が先日される以前、日本には神道であるとか、儒教や道教、あるいは陰陽道のような宗教も伝えられておりました。ただ、あの原始には、それらの宗教に解かれる世界観、特に死後の世界といったことがはっきり明示されていないといったことなど、おそらく踏まえて、仏教の様々な経典の中から地獄と極楽という描写を描き出そうとされたのだと思います。」

往生要集絵巻

往生要集を絵画化した往生要集絵巻。源信は地獄をこう書いています。

鬼はかなとこで口をこじ開け、煮えたぎった銅を注ぎ入れ、内臓を焼きただれさせ、肛門から出す鬼が焼けた金床で舌を抜く抜いた後に再び舌が生えるが生えてくるとまた抜く

「凄惨ですね。血の池地獄であるとか、黒城地獄であるとかという、こうことを文字ではなくて、絵を通じて具体的にたくさん残るような形になっていくのは、源信が一つの大きな契機になるんだろうなと思います。」

では、極楽とはどんな場所なのか。その情景を描いた絵が、原神の生まれた地、当麻にあります。

當麻寺

當麻寺。平安時代に建てられた国宝の本堂は曼荼羅堂とも呼ばれます。本尊として祀られるのは仏像ではなく絵です。

極楽浄土の様子を表した當麻曼荼羅。本堂にかけられているのは江戸時代に写された模倣です。奈良時代に作られたとされる原本は、滅多に見ることのできない秘術です。

今回、その原本が史上初めて奈良県外で公開されました。想像をはるかに超えるスケールでした。

国宝・綴織當麻曼荼羅。およそ四メートル四方の巨大な画面。実は織物です。その超絶技工から、およそ1300年前に中国等で織られ、日本にもたらされたと考えられています。

「こちらからは目が合わないのに、向こうからはすごく見られているような感じがするんですけど、確かに圧というやつが試されているような感じがします。」

今回のゲストをご紹介しましょう。この展覧会を担当された研究員の瀬谷愛さんです。よろしくお願いします。これはどういったものなんでしょうか

「縦横四メートルほどの大きな画面なんですけれども、つづれ織りというのは、縦糸と横糸を一本ずつ交互に折っていく平織の技法ですね。このつづれ織りの當麻曼荼羅は、一寸三・三センチに対して縦糸が六十本、三センチメートルの中に六十本の縦糸を、縦糸が六十本、三・三cm の間に、それが四メートルの幅にわたって縦糸がありまして、そこに対して横糸が一本ずつ、上下、上下と織られていくという、想像するだけでも大変な技法なんですけれども、それにその糸もですね、いろいろな色に染められた絹糸を使っています。」

欠損を補って後年描かれた修復部分の 間に、当初のつづれ織りが残っています。勢至菩薩の顔の上の方。柔らかな眼差しは千三百年前を彷彿させます。

「お顔が判別できる部分っていうのがありますね、優しいお顔ですね。」

完成から五百年以上経つと、このつづれ織りは仏の力を借りて織り上げられたのだと信じられるようになっていました。国宝・當麻曼荼羅縁起絵巻。伝説の主役は中将姫。極楽浄土に憧れ、當大麻寺で修行に励んでいたある日、年老いた天が忽然と現れました中上姫はその言葉に従い、蓮の糸を五色に染めます。すると今度はうら若い女性が現れ、一夜にして大麻曼荼羅を織りあげてしまったのです夜が明けると女性は空の彼方へ。曼荼羅を折ったのは観音菩薩の化身だったのです。さらに年老いた尼は阿弥陀如来の化身でした。尼が阿弥陀如来の姿に戻って極楽に帰る様子が一つの画面に表されています。

「今はなかなかその色味を千二百年経って感じるということは大変難しいけれど、見ていると、イメージの脳内に湧き上がってくるような、染みてくるようなところを感じていただけると思います。」「そうですね、その染みてくるって今おっしゃってたけれども、私たちが感じた気配というものかもしれない。その大きな気配に見つめられているような、大きなものにこう見られているような感じがしていたんですけれども、先ほどから。」

古くから大麻曼荼羅は多くの模倣が作られてきましたその一つ、鎌倉時代に写されたものです。

當麻寺護念院住職の葛本雅崇さんにその絵解きをしてもらいます。

「こちらが大きな當麻曼荼羅のくっきりと描かれたバージョンということなんですね。」「そうですね、こんな鮮やかな絵だったんですね。」「まず真ん中を拝む時には、一番目に飛び込んでくるのは、中心におられるのが西方極楽浄土におられる阿弥陀さまでございます。そしてその横に観世音菩薩、勢至菩薩、その周りをたくさんの菩薩様たちが阿弥陀様の御説法をお聞きになっている。まさに極楽の様子が表されています。演奏されているところもございます。」

「極楽に生まれた方たちをお祝いするかのようにですね、お仏様方が楽器を持って演奏されているんですね。」

舞台の上で演奏し、踊っているのは極楽に生まれ変わって喜ぶ死者の魂です。

「雲に乗っているお客様が楽器のお持ちになられたりとか、當麻曼荼羅では楽器も飛んでいるところが描かれているんですね。」「太鼓を、太鼓を発見しました。」

往生要集にはこう書かれます。

大空に数知れないほどの楽器が散らばっていて、打ちもしないのに自然に鳴り響き、素晴らしい教えを奏でている。

「こちらの周りを見てみますと、細かくたくさんの絵が描かれているんです。右の端から下に向かって、この世にいながら極楽を観想いわゆるイメージする方法が細かく細かく示されているんですね。」「縦のこの一コマ一コマっていうのはこういう風にイメージしてくださいねっていう教本みたいな。」「そうですね、上の一つ目、小さな井の中に夕日が書かれているのが見えます上の阿弥陀様のおられる極楽浄土というのは、西の方にあると言われている西方極楽浄土。暗く沈む沈む夕日を見ながら、阿弥陀様がおられる極楽の世界をイメージする方法がお経の中で説かれています。

極楽イメージトレーニングステップ一。

沈む夕日をじっと見て、目を閉じてもイメージできるようになる。

ステップ二。

清らかな水を目の前にして、極楽浄土の透き通った大地をイメージする。

イメージトレーニングは十三段階。極楽浄土にある宮殿や町並み、そして仏の姿など、ステップを追って繰り返しイメージします。

そしてステップ十二では、自分自身がそこに生まれ変わる瞬間をイメージ。ついには 極楽浄土のすべてをありありとイメージできるようになります。

「そして下の段は右から左に読んでまいりますが、全て九つの絵が描かれています。」

曼荼羅の下のブロックには九種類の異なる死の瞬間が描かれています。

「これは生前の我々の行いによって、必ず等しく皆この極楽浄土に迎えられるのですが、その迎えられ方が生前の行いによって変わっていくという様が描かれています。」「迎えられ方。」「そうなんです。」

最上級のレベル九では、死の瞬間、阿弥陀如来が多くの菩薩を引き連れて迎えに来まする

たくさん来られる菩薩様方の中には、鼓であるとか、弦楽器ですね、琵琶であるとか、ハープのようなものを持っていたりとか、様々な菩薩様の役割に応じて、いろんな楽器を持っておりになります。ということは、我々が臨時の時を迎える時というのは、非常に美しい音と共に、たくさんの菩薩様が迎えに来られる。」

レベルが下がると、楽器を持って迎えに来る菩薩の人数が次第に減っていき、レベル三になると音楽はなく、阿弥陀如来と二人の菩薩だけが迎えに来ます。そしてレベル一、如来や菩薩は現れず、極楽に連れていく蓮の台だけが迎えに来ます。

「少なくなってくるということは、オーケストラの人数が減っていくような感じです。」「上級になっていけばいくほど楽器の数が増えていくっていう、どんどんゴージャスな音楽になっていくんですね。でも、この絵に描かれる前は、その文章というか読まれるものから、それぞれの人が独自のものを想像していたわけですよね。それが絵になって流通する、世の中に多く出ることによってイメージが限定されることになりませんか。」「この世界があるということを知っていただくというところにあります。さまざまな形で極楽の世界を知るきっかけをいただくということは、やはり安心して生きることの一つになるのではないかなと思います。」「そうか、そういうふうに今を生きている人々がここから力をもらうんですね。」

極楽浄土に生まれ変わりたいその願いは、さらに新たな形式の絵画を生み出しました。

国宝・山越阿弥陀図。山の向こうから阿弥陀如来が姿を現しています。死者の魂は山の中へ向かうという古くからの信仰と、西の彼方にあるという極楽浄土、二つのあの世のイメージが合わさった日本独自の仏教美術です。

左右には菩薩が雲に乗ってやってくる姿が描かれます。左側にいるのは勢至菩薩。死の時を迎えた人をねぎらうように手を合わせています。右側の観音菩薩が持っているのは蓮の台。ここに死者の魂を乗せ、極楽浄土に連れて行くのです。

山越阿弥陀図は鎌倉時代に数多く作られました。それはある儀式に使うための絵画でもありました。

「山越しに

阿弥陀の阿弥陀と三尊の範囲の姿が見えるので、山越し、編み出すというふうに呼んでいるんですけれども、イメージとしては、山岳、山岳ってとても大きいですよねそれに対して阿弥陀さま、観音精神の姿がさらに大きいという、そのイメージをまず見る人の心に膨らませてくれる、そういった絵になります阿弥陀さまが胸の前でジェスチャーをされているんですけれども、これは阿弥陀が説法する時の、皆さんに教えを説いている時のジェスチャーになりますですので、 普段は阿弥陀浄土に極楽にいる時の説法なんですけれども、この場所自体がもうほぼ浄土に近づいているというか、そういったところも表現しているというふうに考えることができます伊藤が出てますか手からそうなんです、糸が出て、まして、今残っているのは糸の、残念なんですけれども、こちらの秒部ですね、この糸があることによって、実はそのなくなる方が隣人するときですね、亡くなる瞬間にこの病部を枕元に置いて、この涙の手元から出ているこの糸を、糸の端を握って浄土に迎えられるという、その瞬間に握っているその儀式臨場の儀礼をですね、のためにこの糸がついているっていたっていうことが伺えます へぇ、これがまさにその隣人の儀式の時の様子が描かれているものなんですけれどもこのように糸が網田に来から伸びていて、そしてまさに、この臨場しようとしている人と結 ばれていて、この方が間もなく亡くなられるという瞬間ですこれはその糸ですかこれはこの山越し編み出す描画と一緒に伝えられてきた五色の糸でございまして、こういった形で貴重な、おそらく昔中世の臨場行儀で使っていたであろう糸が一緒に伝わっていますこちらを実際に握りしめてしまって、本当に誰かが握りしめたわけですよね最後の時に本当に物理的に連れて行ってくださいという本当に強い願いが込められてますね隣人の瞬間猛漏とする意識の中で阿弥陀如来のビジョンを見ることができれば、次の瞬間には極楽浄土に生まれ変わっている死後の幸せをもたらすのはイメージの力だったのです最初に坂本さんがご覧になった早ライブを出すというのも、この臨場のその瞬間を描いた絵なんですよそうだったんですね食べてちょっと見てみましょうか

国宝・阿弥陀二十五菩薩来迎図通称来迎図。

「こうして見えているんですねご臨時を迎えられた方にはこの景色が見えているそうですね。さっきあのウェルカムパレードと言ってしまったんですけれども、間違ってないですか。」

「大正解だと思ってます。素晴らしい。この画面自体が正方形であるということがとても大きな特徴でして、その正方形をですね、対角線でズバッと切るこの構図自体も他になかなか例がない。この対角線に切った左下の三角形は、ほとんど自然形しか描かれていない三水の美しい風景を描いている。その斜面をこう、すごく勢いよく下ってきているよ。そのスピード感が非常に見るものに印象深いので、すごい速さでお迎えに来てくれるというように見えるので、こういったニックネームがついています。」

「なるほど、だから雲の形もこう並んでるんですね。リュウみたいにあの楽器の人数が多いですね。」

「そうなんです。こちらは阿弥陀さまと二十五菩薩とフルオーケストラに来てくださっていて、そうですか。しかも小さな仏様が怪物と呼んでいるんですけれども、小さな仏様がたくさん来ていて、さらに遠くに宮殿が見えて、うっすら見えているこれがフルコースの最上級のお迎えなんですね。大麻曼荼羅の右下に描かれていた最上級のお迎え。それが日本の美しい風景に重ねて描かれているのです。

その楽しげなというのはもう第一印象からあったんですけれども、その意味がわかると、もっとその人にとって、往生する方にとってどんな意味を持つのか、それがその人をどれだけその人は生涯支えてきたかということを思いますね。」

「このお迎えをずっと待っていたんだなぁという世の中が辛い言葉だらけというのを、やはりこういうイメージを持って支えにして、大使飲んで生きてこられたんですよね。そう思うと漠然と昔の人とかっていうわけではなくて、一人の人として私たちと変わらない人生を生きていたんだろうなぁと思いますね。」

極楽浄土に往生するためのイメージトレーニングとしてのアート。その究極が藤原の道長の息子寄り道によって建てられた平等院鳳凰堂です。

左右対称の豪華な建物は、極楽浄土の宮殿をこの世に作り上げたもの。道内には金色の阿弥陀如来、その周囲では雲に乗った菩薩たちが音楽を奏でています。

「大城洋州以降、極楽浄土をありありとイメージできる御堂が次々と建てられました。しかし、平等院のようなお寺さんは、まあそれこそ藤原市であったり、あるいは平泉の金色堂の場合には欧州の藤原市のような、まあお金持ちというか、ああいう方々が作ったお寺さんですけども、一般の方々はそれこそテラーを作ることはおろか、小さな仏像であってもなかなか作れないという状況であったかと思います。」

今からちょうど八百五十年前、そんな庶民にも手を差し伸べる教えが解かれました浄土宗の開祖法然です。法然の代表作『本願念仏集』最初の二行は法然直筆とされ、そこに教えの根幹が集約されています。「ナムアミダ仏」と唱える念仏こそが、阿弥陀如来の選んだ極楽往生のための唯一の方法である。その教えは日本仏教に革命を起こし、今も受け継がれています。国宝『法然上人絵伝』。法然の生涯と弟子たちの活躍を描いた絵巻、全四十八巻、その全長は五百メートルを超えます。法然の死から百年後、十年の歳月をかけて作られたと言われています。これは浄土宗の始まるその瞬間を描いた場面です。

「この場面はまさに京都で、専修念仏、念仏だけを信じて行っていきましょうということを人々に問われ始めたという場面を描いています。」

「じゃあ、それを初めて聞く町の人々なんですね。」

「そうですね、杖をついていたり、あの方は早くこっちにおいでって言ってるんですけど、誰かを呼んでいるような仕草で、話始まったよって聞いた方がいいよみたいな。面白いですね。皆さん、表情が豊かで、この法然の近づきやすいというんですかね、親しみやすい雰囲気というのも気になるんですけれども、実際はどうだったんでしょうか。法然の特徴としては、頭の上が平べたかったということが言われています。」

「ちょっとふくよかで、皆さんに説法されているお姿は、他の親しみやすい姿と共通しています。もし仏像を作り、塔を建てることが阿弥陀仏の願いであるならば、貧しくて生活に苦しんでいる人々は極楽浄土に行けなくなってしまいます。法然は、仏はすべての人々を一人も残さず救うと信じ、イメージの力を借りなくてもナムアミダ仏と唱えるだけで極楽にいけると説いたのです。」

法然の一周期に作られたとされる阿弥陀如来像。その像の中には、法然の教えを受けて極楽往生を願った人々の署名が収められていました。その数は四万六千人。その多くが庶民のものでした。法然の教えは瞬く間に庶民に広まったのです。

そんな法然はどのように死の瞬間を迎えたのか、逸話が伝わっています。弟子たちは林獣の儀式のために阿弥陀如来像と五色の糸を用意しました。しかし、法然はそんな必要はないと背を向け、極楽浄土へと旅立ったというのです。法然はイメージの力ではなく、ナムアミダ仏という言葉の力を信じたのです。

「後年、上人の場合には、必要条件としてのイメージはいらないと言いましょうか、ということが大前提なのですけれども、だからといって、私たちはそのある意味イメージがないとそれを思い描くことができないという存在、心を持つ私たちなんだろうなと思っております。残された弟子たちが生み出したもの、それはイメージの力を限られた人の間ではなく、大勢の人々と同時に共有するパフォーミングアートでした。當麻寺に伝わる菩薩面、鎌倉時代に作られ、法然の弟子が制作に関わった可能性があります。これは菩薩の顔のお面です。二十年ほど前まで実際に大麻寺小中雷光練育用意識という行事で使っていたものです。先ほどご覧いただいた四メートルの曼荼羅の世界から実際にお札様方が出てこられる早来校の様子を、まさに劇のように表した野外劇のようなものですね。極楽な世界から菩薩様が中将姫様を迎えに行き、そしてお届けになった忠誠姫様を極楽の世界へお迎えするという、そういう模様でございます。」

中城姫の命日に合わせて毎年四月十四日に行われる練り供養。二十五の菩薩が、本堂から渡されたおよそ百メートルの橋の上を練り歩きます。美和やことをもって現れた菩薩たちはやらい号から抜け出してきたようです。舞いながら現れたのは観音菩薩と静止菩薩。観音菩薩は死者の魂を迎えるための蓮の台を持っています。蓮の台に中将姫を乗せると、たたえるように掲げ、極楽浄土に見立てた本堂に帰っていきます。

「宗教の歴史として捉えるとちょっと遠く感じるかもしれないですけれども、本当に人々が生きてきた、この何かを信じて一生懸命生きてきた様子や、そしてその願いというか、救われたいということは今も全く同じですし、これは救いが必要な世の中である苦しい世の中、生きるのが苦しい人々がたくさんいる社会、庭というのは今も変わってないわけですから、そういった生きる力、また死を怖がらないでいられる力、そしてご縁に分かれてしまうという悲しみを乗り越える力というのは、私たちも今もとっても必要としていて、そのためにこうして絵画が生まれたり、織物が生まれたり、また演劇の始まりのようなパフォーミングアーツが生まれたり、オーケストラがあったりという、このアートとのつながりというのも深く感じましたね。」

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