日曜美術館 「特別アンコール 語りかけるまなざし 彫刻家・舟越桂の世界」

2024.05.12.日曜美術館「特別アンコール 語りかけるまなざし 彫刻家・舟越桂の世界」

3月に72歳で亡くなった彫刻家・舟越桂さん。クスノキを素材に、従来の人物彫刻にはない独特の存在感を放つ作品で、具象彫刻の新しい可能性を広げました。私たちが、舟越さんのアトリエでの創作に密着したのは2003年。まだ見ぬ形を求めてクスノキと対峙する、静かな対話の記録です。

初回放送日:2024年5月12日

日曜美術館

静かに佇む人の姿、遥か遠くを見つめるような眼差し、現代に生きる人々の姿の凛とした美しさを讃えた船越桂の人物像です船越はその作品で何を語りかけようとしているのか彫刻家船越桂の世界をたどります新日曜美術館今日は、楠木を素材に、現代人の日常の姿を掘り続けている、彫刻家船越桂の世界をご紹介いたします。

「特別アンコール 語りかけるまなざし 彫刻家・舟越桂の世界」

私はこの間、船越さんの展覧会に行ってきたんですけど、美術館でやってますもんね船越さんの作品を見ていると、木とか山とか、お水が人間の姿に生まれ変わったらこういう形してるのかなって思いましたねその中歩いているととても気持ちよくて、森林浴をしているようなオープンになってはい、でも再戦でやったのはこれなんです天童新田さんの永遠のこの表紙になっている船越さんの作品となった時 ですそういう方は大勢いらっしゃるんじゃないでしょうかね今日はこの作者、天童新田さんにスタジオにおいでいただいておりますどうぞよろしくお願いします天童さんは 船越さんの作品と出会ったのはいつ頃だったんですか個人的には十五年ほど前に初めて拝見しましたその時どんな印象を持ちましたか彫刻に対して美術の教科書的な、例えばミケランゼロとか運慶とかという概念があると思うんですけど、そういうものを軽やかに覆して、今を生きている人の無名の個人の存在を掘り表現されたということで、とても親しみを感じましたし、今自分が一番欲しいと思っている形が目の前に現れてきたような気がして、 とてもそれ以来ずっと敬愛していました四年前ですか、永遠の子そうですね、出た時、この表紙のデザインには船越さんの作品をとそうですね、デザイナーの忠さんという方から提案があって、本当にずっと好きだった人の作品でしたから、本当に使っていただけるのかというのが不安だったんですけど、決まった時は本当にすごく嬉しかったですねこれ、本を書いている最中に決まったんですか最後の原稿を最終チェックする前に決まってスリが上がってきて僕はその頃本当に作品が仕上げの段階なので、精神的にも参ってて、ちょっと甘えたいような気もあったんですけど、そのすり上がってきた見本を前に置いておくと、この登場人物と自分の登場人物と名古市彫刻が重なってきて、表紙が妥協するなっていうような、ちゃんと描き尽くせって言ってくれているような気がして、 それで最後まで自分自身を出し尽くすことができたのは、この船越さんの表紙のおかげだったと思ってますさあ、それでは早速、彫刻家 船越桂その人と作品の世界をご紹介いたしましょう彫刻家船越桂、五十一歳クスノキで人の姿を掘り続けてきましたアトリエにはクスの爽やかな香りが満ちていますクスノキは色も割と温かい感じの色をしていますし、それがその人物色を塗るにしても、下の木の色をずいぶん見せてますから、そういう意味で僕にとってはちょうどいい人物、作るのにはいい素材なんじゃないかなと木肌のぬくもりを生かして薄く彩色を施された等身大の人物像現代の人々の日常の姿を表現したその彫刻は、今にも語りかけてきそうな印象を見る人に与えます従来の人物彫刻にはない独特の存在感を放つ船越の作品は、愚小彫刻の新しい可能性を広げるものとして、国内だけではなく海外の国際美術展などでも高い評価を受けていますごくごく日常的な電車の中で見たりね、あるいは映画館でたまたま戸惑い合わせた人だったりねなんかこう来やすく、毎日眺めている人たちの肖像の中に、症状の中にね、あるものこの現代の私たちの暮らしぶりの生活環境の中で捉えられる人体像というものは、なかなかこれまで彫刻というような形では認識されていなかったわけね今日の僕たちの手で作る人体像のある種の原型の一つを ね、提示してくれたというところがあるね船越の彫刻はまず人物を徹底的にデッサンすることから始まります一つの彫刻を作るために、時に数十枚ものスケッチやデッサンを重ねることもあるという船越掴み取りたいのはその人ならではの存在感ですある程度その人らしさっていうのは必要なんで、似ているっていう言い方してもいいですけども、それはね、外したくないんですよね それは似顔絵とは違うけれども、その人があそこに立っていた時の感じっていうのが欲しいのでそのためにはどうしてもある種似てないと、その人らしさが出てないと船越には実在の人物をモデルに制作した作品数多くありますこれは三十代の頃知り合った男性会った瞬間、目調になると感じてモデルになってもらいましたまた十八年ぶりに見たんですねで、あの時はやっぱり顔が細かったんかなっていう風なものを受けましたけど、でもね、その時もちょっとやっぱり自分の現実の顔とその彫刻の作品は明らかに違うなっていう、その彫刻には品格があるって僕言ってるんです よその品格みたいなものっていうのは、僕が現実にじゃあ品格持ってるかったら、これは全然やっぱり違うと思うんですねその辺がやっぱり彫刻家が作った、作った 人の何かだと思うんですよこちらは、ある古典会場で見かけた女性の不思議な佇まいに惹かれてモデルになってもらった作品です本当にその当時見た時にはすごく客観的にその像を見てたので、自分の中の何かが凝縮されて出てるっていうふうにはその当時は思いませんでした今になってみると、やっぱりこう切り取られた昔の自分の姿をそこに見ているような感覚があってで、二十代のその自分の姿をポーンと見せられた時に、なんかすごく 失った何かがあるのかなっていうふうにちょっと思ったんですねで、それが何なのかなと思うと、やっぱりその作品自体が持つその時私がどうだったのかっていうことよりも、作品自体が持つすごく純粋な感じとか無垢な感じとか、なんか汚れのない感じって、私はすごくその時の冬の本っていう作品に感じたんですけれども、それがすごくなんか今の自分に迫ってきてこの作品は同い年の友人である美術家森村康正がモデルです自ら様々な人物に扮したセルフポートレートで知られる森村ですが、船越の手で彫刻になった自分の姿を眺めていると、不思議な感覚が湧き起こってくるといいます自分画像になってるって感じるんですけど、モデルに向かってその彫刻家としての名古屋さんが向かった時に何を求めているのかっていう時に、このモデルさんの内面じゃないような気がするその人らしさとかね、その人の持っている何かが、個性とか、その人の持っている内面の魅力とか、そういうのじゃないんじゃないかと思うんですよそうじゃなくて、ねこのモデルの、人を突き抜けて存在する何か、このモデルを超えたものなんですよそれは多分、 人間を超えたものであると同時に、人間の中に宿っているかもしれないようなものですよねそれは頭で彼が考えているんじゃなくて、それをあの 何か感覚的にね、その、なぜか捕らえてしまうんだとモデルを突き抜けて存在する人間を超えたものそんな彫刻を船越はどのようにして生み出すようになったのでしょうか船越の父は愚小彫刻家として名高い船越安武ですひたむきに制作に打ち込む父の姿を幼い頃から見て育った船越は、ごく自然に彫刻の道を選びましたしかし、やがて、何気なく彫刻を始めてしまった自分に、ある物足りなさを感じるようになりますダーク入ってからかな他のみんなはいつ彫刻家になろうと思ったか、明確なポイントがあるんですよあの先生に出会ったからとか、ある彫刻を見たからとそう思ったら僕だけないんですよ、そのポイントになるその場面がそれがね、なんかすごくね、物足りなかったことがありますねそれ、ずっと勉強してっちゃってって感じで自分はなぜ彫刻家を目指すのか大学院へと進学し、さらに彫刻を学びながらも制作に打ち込むことのできない日々が続きましたそんなある日、函館郊外にある教会から、新築された聖堂に飾るための聖母子像を掘ってほしいという依頼が、船越のもとに持ち込まれましたひなこしはここ、トラピスト修道院を久しぶりに訪れましたその像は窓から差し込む光に包まれて、瓦の姿のままそこにありましたあなのか、久しぶりですね 本当に懐かしいですね長い衣をたなびかせ、天に登るような性母指像高さ二メートル三十センチもある対策です木彫の像をという修道院側の願いを受けて、船越は初めて楠木を使ってみることにしました木にのみで分け入る心地よい手応えに、船越は自分にぴったりの素材に出会えた喜びを感じたと言います名高い修道院の彫刻を作るという大きな重圧の中、二年がかりでようやくこの正母子像を完成させました最初にこうなってますから、あそこに設置して、皆さん足場組んでそうなりましたよねちゃんとフックに引っ掛けて、その間ずっとどなたもどういうふ うにもおっしゃらなかったんですよそれでね、皆さんどう思ってるのかなと思ってすごく怖かったんですよそしたら新規様の一人が二階からご覧になりますかっておっしゃってくださって、階段を上がっている途中でその神様が素敵なマリア様をありがとうございましたっておっしゃってくださってねその時は、やっぱりちょっと涙ですってそうでしたね喜んでねいたしました聖母子像に取り組んだ貴重な経験が、船越に大きな転機をもたらすことになりました実 際にどんなものを作っていくかっていうのは本当にね、まだ見えてきてない、あるいは絞り込めていない時代でして、だらしない生活をしている僕とマリア様との間に何の共通点もないじゃないかということで困ってましたけども、ある時にふっと思ったのは、マリア様 はその神の宿るというふうに天使によって告げられるわけですよねその時にはもしかしたらすごい名誉だったかもしれませんけれども、同時にとてつもない不安を感じたんじゃないかって思ったんですねで あっと不安という点において、ならば僕らだって日々いろんな不安を抱えて生きているわけですから不安ということだったら僕もマリア様にそのもしかしたら共通のものを持っていると言えるのかもしれないというふうな気がして、そこからその考え方としては 少し楽に動き始めたっていうかな、 進み始めたというところがありました誰もが胸の内に抱える喜びや悲しみ、そして不安一人の人間として感じることを彫刻に放り込もうこの時、船越の彫刻家への扉が開きました街の喧騒、行き交う人々船越は人々の姿を見つめ、その声に耳を澄ませていますどこなのか笑った土地になるのは、目は外を見てるんですけども、なんかその自分の中を見ているんじゃないかなって思うような、そういう視線を持っている人なんか、その人の姿を通して人間について考えられる何か考えたいとかね、私を通じて私を題材にして人間について語りなさいと言われているような気がすることもありますね本当にそうなんですよねなんか船越さんの作品って、いろんな角度から見ていてもなかなか目が合わないし、言葉もないしでも少し離れたところでじっと眺めていると、中からじわじわと小さな囁きが聞こえてるんですよねやっぱりあの、本当に、ああ、そうだな、同時大臣だなっていう感じがするんですよね その天童さんご自身も、今の時代の人たちの、現代に生きる人々の心の傷に寄り添って小説をお書きになっていらっしゃるわけですけども、船越さんの表現の方法と似た共通のものを感じるんですが、船越さんはその芸術作品が誰のためにそこに置かれるのかということに、とても強く意識されてきたと思うんですよともすれば、一般の人々にとって芸術というものが敷居の高いものになりがちで、一般の人よりも業界の人とか若い人のための、なんかもてはやされる芸術のようなものが全面に出てきてしまっているけれども、一生懸命お米を作っている人とか、野菜や果物を作っている人、あるいは工場に働く人、それから一生懸命子育てをしている人にとって、ふっと横を見た時に寄り添うような芸術共に歩いていく芸術というものも本当は必要だろうし、その必要性を船越さんは感じられて、いわゆる職業としての仕事というよりは、人生の仕事として、そういう今を生きる人々とともに、ある芸術ということを意識されて作ってこられたのではないかなと感じていますマリア様にさえ、あの不安なら私にもわかるという形でねなんというかさ、やっぱり自分の中の感情をいつもその原点に表現していくっていうのは、それは天童さんが、例えば永遠の子で、あの親から虐待を受けた子どもたちの姿を描くとき、やはりその子たちに寄り添う形で追体験みたい な形でお金になるんです自分が その傷ついた人の気持ちにならない限りは、その表現が嘘になると思いますし、 その上っ面だけになって、本当に例えば傷ついた人にとって、それは二次的被害というか、さらに傷つけるような表現になってしまうんじゃないかむしろ自分自身がその傷を受けた場所に立って初めて見えるものってあると思うんですよそういうものをごまかさずに自分自身は表現してきましたけれども、そしてやっぱりそれは今という時代ならではの、一人一人の心の中にある傷というものを見つめようとしていらっしゃる例えば船越さん、常に自分の内側を覗いて、あえてそれをもう一回誰のためにっていうことを懸命に葛藤し続けてきたと思うんですよね自分は昔の人間でもないし先の人間もでもなくて、今生きている人間で、その自分の中から出てくるものっていうのは、やはり今の人と会話しうる、あるいは会話していかなければいけないっていうふうに感じてらっしゃるしだから新しいしだからオンリーワンな存在なんだと その人間も、あるいは彫刻も、そういう意識っていうのかなそういう気持ちがとても強い方のように思いますけど、船越の人物像が写実的な形を超え、大きな広がりを見せ始めるのは、九十年代、四十歳を過ぎた頃からのことです山のような体を持ったこの作品は、ある日山を眺めていた時、突然人間は あの山よりも大きな存在なのではないかと感じた経験がもとになっています二人の人間が一つの胴体を持つ不思議な形は、傷ついた一人のラグビー選手をもう一人が抱え歩く姿から生まれました人間は一人では生きられない、深いところで通じ合っている姿を表現したかったと言います人間を見つめた時、自分の中に湧き起こってくる様々な想いそれを自分にしかできない形で見る人に伝えたいと船越は言いますいろんな世界中で嫌なことがあったり、今また嫌なことが寒りっぱなことのように行われたりとかっていうことはいくらも見ますそれで腹立ったりやり場のない怒りを覚えたりすることはありますけれども、人にはそれぞれ役目があるっていう気がするんですね怒りと悲しみとぶちまけるような形の役割を与えられているのは僕ではないような気が良くします割と静かに、それでもそれでも肯定していく、行きたいっていう形をとる時は なんか僕なりに少しお役目を果たせるような気がするという、そんな思いがありますね今年二月、船越は新しい作品の制作に取り組み始めましたこれまでの集大成となる大規模な展覧会に出品するためです壁には彫刻のためのデッサンが貼られています大きく膨らんだお腹背、中から左右に伸び立って不思議な姿をしたラフ像ですこれまで船越はほとんどラフ像を作ってきませんでしたしかし今年になって、今なら自分らしい形のラフ像に取り組むことができるのではないかと感じたのですその理由は船越自身にもわかりませんお腹はこういうふうに膨らんでますけどな妊婦さんという感じは全く僕の中にはなくて、レッサンをしていく中で、なんか割と豊満な体の形の面白さから、なんかお腹はどうしてもグーッと大きくなってしまって割と僕の中では自分の中の何を表現するためにこの形が必要だっていうのが明快にはまだなってないんですけども、珍しく見切り発射をしてみようと思いました自分にとっても初めてのようなこと、人間全般にとってもある意味では初めてのようなものを探していくべきだと思うんです僕自身がという人間は初めての存在なんだから初めてのものを作る、少なくとも新鮮なものを作るそれがもしかしたら全ての人が初めての存在なんだということの証明につながればいいかなとは思います制作二十三日目船越はのみを絵筆に持ち帰ると、作品に色をつけ始めました白く地塗りをした後、油絵の具で木肌の質感を活かすよう、薄く彩色を施します人間の姿をした彫刻なのだから、色があるのが自然に思えたと船越は言いますさらに絵の具が乾かないうちにバステルの粉を定着させると、人の肌のような微妙な表情が生まれました船越の彫刻の特徴である目は、削った大理石でできています黒目の部分を鉛筆で描き込み、その上から樹脂を塗り重ねていくと、目は次第に深い光をたたえ始めますんよいしょ、目を外射視するようにしてるんですよね初めはただ単に遠くを見ている 視線みたいなのが綺麗だと思って好きだったんですけど、いろいろ立ってから遠くを見るというのは自分の中を見ている視線なんじゃないかなという気がしてきて、最近はそういう風に言っているんですけど、なんか結局のところの一番遠くにあってわかりにくいものっていうのは自分なんじゃないかなっていうような気がしてて、まずはちょっと切ってくれる首を置いてみるか、とりあえずは前からちょっと前にするとか今回の作品で船越が特にこだわっているのは、背中に取り付ける手の部分です背中から左右逆に広げられた 両手デッサンを仕上げた後も、何度か他の形を試みましたどうしてもやっぱり手の位置が気になったのかななんかやっぱり変すぎるかもしれないと思っていろいろやってみて、そしていくつかやってみたんですけどやっぱりでも最初にやったその一番変なポーズでポーズに見えるものですけど、でもあれが一番面白いと思って音楽が鳴ってなくなるんじゃないかいろんな気がしてきた中野君もちょっと手をこっち方向にある船越しがこだわっているのは手の角度ですでもしょうがないね小さいような気がするのはこれも理屈じゃなくてすごく微妙な違いでも輝きが出てくるのと、そこから何度か手が狂うと板の位置で 角度が違う方へ行くとさっき持ってた輝きはなくなっちゃうなって感じがするんですよねここがこっちについてたっけついてないですよ見てたことになる状態です 制作三十七日目、腕をいよいよ胴体に取り付けますこのままよし、それも味方がすごい違うあれちょっと なんかあっ、声がこうじゃないですかさあ 違うここですねあと、そういう後ろ数が多くすぎない多分そうそっちいいんじゃないかな

本当に微妙なバランスとか意外なものの関係で急にそれが生き生きしたものにな って、一つの完成した世界が出来上がったりする欠けているところとか、おかしなところ、不思議なところ、あるいは場合によっては間違っているところもひっくるめての、一つの完成した世界みたいな船越がふと制作の手を止めました意外に横からのが面白いなぁと思って見てましたさっき、こっちとか向こうからの真横からのが、どうやったらこうやって羽ばたいているような、ふわっとふっと見えたりして、横から見た、横から見たところのことはあんまり考えなかったんですよね割と正面性のこと考えてたんで、さっきさっきかな、気がついて、ふっと前にここから見てふっと思ったら、なんかこう、肘とかこっちの腕とか上腕とかないのに、なんかそれがあってこうやってるみたいにふっと見えたんですそれは作品が息づき始めた瞬間でした三月三十日、制作を始めてから五十八日目の明け方、船越は作品を完成させました四月十日、オープンを控えた船越の古典会場の一角に、新しく生まれたばかりのその作品がありました静かに差し伸べられたって包み込むような、深い安らぎに満ちた 姿ですこの作品は僕にとってはすごく多分大事な作品になるような予感はしてるんですけど、それはある種人間の不思議さですとか、神秘的な部分とか、あるいは形には見えにくい祈りのような感情というかな、そんなようなものはありそうだなっていうふうに思って自分では見てるんですけど、割と見えるものを作るところから始めたんですけど、見えない、最終的には見えないもの、立ち現れてくるまで制作は続けたいなと思う方ですけども、その思いですとか、そういうものが作品からにじみ出すようなものを目指して作っているつもりでいますすごい力の抜けていて心地よい広い作品が、意外にも作業では大胆なことをされていたんですね見ていたいとか思ってしまいましたけど、スタジオには作品のもとになったデッサンをお借りしてきました水に映る月食天野さんはこの作品、どんな風にご覧になりました僕はこれを命を讃える性母像として感じたんですよそうするとそのこの形が不思議な形ですけれども、例えば古代のうぶす神とか、そのインカとかマヤとかの豊穣をたたえる像なんかも こんな形してると思うんですよそういう古代の人の命を讃えるスピリチュアルなものが、あるいはもしかしたら今を生きる 名越桂という人間の心と意識として繋がっていたのかもしれないそういう高さがもしかしたらあるのかもしれないと思い まして 逆に今という時代を超えたものを感じるそうです一般的に言えば、こんなに膨らんだお腹であるとか、みなぎった乳房だとか、手が 肩から生えていると、こういう形、ある意味では非常にエキセントリックな形として捉えられがちですけれども、それでもなおなんかある品格が漂いてるんですよね名古屋さん自身は人間というものがとても弱いものだとか愚かなものだし、醜い面もあるというのはとてもよくわかっているけれども、それでも人間がここまで続いてきたのは、人間が心の奥底に美しい部分があるからだと思うんですよその美しい部分とか、善なるものを 表に表すことで、その表現していこうだから品格が出てきてるんだと思うんですやっぱり美しさの中の深さとか、そういった精神面を大切にされていたん ですね 精神性をやはりすごく感じますよね今、日本という国に生きていられて、しかも彫刻を作れてそれを発表できるというとても幸せに恵まれている自分に何ができるだろうかということを名古屋さんは強く考えられたと思うんですよそういう自分ができることは、vtr でもおっしゃっていたような怒りや悲しみを爆発させることではなくて、むしろ本当に彫刻家としてその命を深く考えた作品を制 作して それを届けていくことではないかということを思われたんだと思うんです静かに、それでも肯定するというのが自分の役割だったそうですね、 それを人々に受け止めてもらえて、ただ人間は壊したり崩したりするだけの存在ではないと想像することもできるし、祈ることもできるし、愛することもできる、しこうして何もない地平に形あるものを想像することもできるんだよということを見る人にも、あるいは見ない人にも、そういうものをコツコツと作り続けている人間がいるっていうことだけでも意味があるんじゃないかということで、続けられているような気がするんです今日はどうもありがとうございました。

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