101歳の洋画家・入江一子さん。描いては眠り、目覚めては描く日々を送る。シルクロードの各地を旅して生み出した代表作を交えながら、新作に挑む入江さんに密着する。
入江一子さんは50歳を過ぎてからシルクロード30か国以上を旅し、風景や人びとを描いてきた。そのバイタリティは101歳のいまも健在。「だんだん絵がわかってきて面白くて、もう命がけで描いている」と語る。東京都杉並区のアトリエで新作「青いケシ」に挑戦する入江さんの日々に密着。さらに、シルクロードの傑作「トルファンの祭りの日」「敦煌飛天」などの魅力をひもときながら、波乱の人生と絵にかける情熱を見つめる。
【ゲスト】洋画家…入江一子,【出演】ノーベル賞受賞者、女子美術大学名誉理事長…大村智,美術評論家、多摩美術大学教授…本江邦夫,作家…有吉玉青,【司会】井浦新,高橋美鈴
放送:2017年6月18日
日曜美術館 「青いケシを描く~洋画家・入江一子 101歳のアトリエ~」
東京・阿佐ヶ谷。JR阿佐ケ谷駅から徒歩6分の住宅街に、「入江一子シルクロード記念館」があります。
洋画家・入江一子さんが2000年資材を投じて建てたアトリエ兼自宅の美術館です。
館内には彼女のライフワークであるシルクロードと花の連作をはじめ、常時100点以上の作品が展示され、季節ごとに入れ替えられています。
今年101歳を迎えた入江一子さん。現代日本の洋画家を代表する一人です。
1916年生まれの入江さんは今もこのアトリエ兼美術館で創作活動を続けています。
50歳を過ぎてから絵筆を持って旅をし、風景や人々をを色彩豊かに描き続けてきました。
色とりどりの民族衣装をまとった女性たち。
「トルファン祭りの日」はシルクロードを描いた傑作です。
構図や色づかい、人間に対するまなざし。
入江さんの作品にはひと目見ただけで印象に残る特徴が感じられます。
シルクロード灼熱の大地トルファン。
中国新疆ウイグル自治区。
盆地は砂漠のオアシスです。
トルファンはぶどうの産地として知られています。
ぶどう祭りでは民族衣装をまとった人たちが舞い踊ります。
夏の暑い時期。
ぶどうがいっぱいなる風景を入江さんは見に行きました。
夜、ホテルに戻った入江さんは洗面所に行って明かりの下で朝まで夢中になって描いたことを思い出すといいます。
砂漠に昇る朝日や沈む夕日。
太陽の輝きがもたらすシルクロードの色彩に入江さんは魅了されました。
入江さんが描き始めたのは青いケシの花を題材にした作品です。
中国四川省。
4300メートルの高地で見た忘れがたい風景の一コマです。
シルクロードの作品が壁面を埋め尽くすアトリエ。
入江さんの日々はまさに画業一筋。
ここで毎日絵筆を握ります。
か細い指先の先端に握られた木炭の黒い線が、力強くキャンバスを走ります。
「一番最初はこの全体を構想してやりますので、なにくそという気分でやります。良い絵を作ろうという覚悟ね。この山の上から始めます
画面下には花の形が現れてきました。
「一気にこれを描いたのだから。山もちゃんと描いて花もちゃんと描いた。死に物狂い。本当。描きましたよ」
入江一子さんは1916年。
当時日本の統治下にあった朝鮮半島の大邸で裕福な貿易商の家に生まれました。
絵の大好きだった入江さんは小学校6年生の時に描いた静物画が評判となります。
「小さいときから絵が好きで、一日一枚絵を描くことを6歳で経験しました。一日一枚絵を書きました。絵が私の生活の第一義です。そういう計画をいたしまして、たとえ食べ物が会っても、りんごがあってもそれを描かなきゃ食べない。お魚の新しいのが出てきても鯛なら鯛を描いてから食べる。そういうふうな習慣をしていました」
1934年。
18歳の入江さんは生まれて初めて海を渡り、東京の女子美術専門学校に入学。
当時、女性が本格的に絵を学ぶ場所はここしかありませんでした。
22歳の自画像。強い意志を感じさせる眼差しが印象的です。
卒業制作「沼地風景」
朝鮮半島の大地と沼が抽象画風の力強いフォルムと色彩で描かれています。
第八回独立展に初入選して話題となり、入江さんは画家としての第一歩を踏み出しました。
1953年独立賞を受賞した出世作「魚」。
師匠である林武から「清水の舞台から飛び下りた気で描け」といわれ、必死で描いたといいます。
このころ入江さんは暗い色調で厚塗りの作品を多く描いていました。
入江さんの一日はアトリエと寝室の往復。
一時間絵筆を握り疲れるとベッドに横になる。
そして目覚めるとまた描くというのが日課です。
家族やアシスタント。
ヘルパーさんなど様々な人に支えられて一人暮らしを続けています。
「韓国で育ったものですから辛いものが好きで唐辛子をかけます。」入江家の食卓によく並ぶのが焼肉。朝鮮半島で生まれ育った入江さんは肉が大好物なのだとか。
「辛いものは誰にも負けません」
デッサンに取り組む入江さん。
山や草花に加え、遠景には馬に乗った人物も描かれています。
描かれているのはかつて中国の高地への旅で目にした光景です。
「山の形、花の形を写すだけでなくて、こういうふうな雰囲気がデッサンで出ることが、
空気、山の空気、雰囲気、そういうものが現れることがいちばん大切なことです。これからは色を塗っていくわけです。色彩を・・・
色を塗ると非常に真実感が出てきて楽しいです。デッサンは大変な難行苦行です」
入江さんの画家人生はいつも旅とともにありました。
中央アジアの国ウズベキスタン・ブハラの街角。中学で美術教師をしながら画業を続けた入江さん。
シルクロードの旅を始めたのは50歳を過ぎてのことでした。
30年以上にわたって描き留めてきたおびただしい数のスケッチ帳です。
シルク・ロードの要衝。中国・トルファンでのスケッチ帳には現地の文字が丁寧に記録されています。
ピンクのブラウスの若い女性。街角のデッサンからはシルク・ロードの土の香りが漂います。
日本人にはおなじみの敦煌のスケッチ。
1979年入江さんはこの地を訪れました。
帰国後完成した「敦煌飛天」です。
ずっとあこがれの場所だった砂漠の大画廊。北京からも遠く離れた砂漠の町。
幻の敦煌を描ききった喜びが画面から伝わってきます。
ボスポラス海峡が真っ赤に染まっていくイスタンブールの朝焼け。
シルク・ロードをモチーフにした最初の作品です。強烈な色彩との運命的な出会い。この時の感動が入江さんをいっそうシルク・ロードへの旅に駆り立てていきました。
~毎年のようにシルク・ロードに通われた。入江さんをひきつけた魅力とはなんですか?
「こういう風の所。未知なところに行って、画材がたくさんある。
画材が多いからそれを描きたいと思って、どんなところでもかき分けて行きました」
~人をたくさん描かれていますね
「民族が好きなのです。風景ばかりではなく民族が好き。だから今ああいう人が不幸な目にあっているのが気の毒でたまりません」
「あんな純情な人が戦火に追われてシリア、イラク。かわいそうですね。ああいう純情な人が幸せになって欲しいと祈るばかりですね」
入江さんがスケッチをした地域や遺産の中には戦火で破壊されたり、紛争地帯で今は近づくことさえできない場所もあります。
バーミアンの石仏は後にタリバンにより破壊されました。
シリア・パルミラ。
古代遺跡の神殿や列柱の傍らを羊飼いがゆったりと歩いています。
今や失われた風景。
入江さんの現地取材による風景ははからずも貴重な文化遺産の記録となりました。
1992年。
76歳の入江さんは驚くべき決断をしました。
かねてから話に聞いていた幻の花。
青いケシの花を一目見るため、中国四川省の標高4300メートルのスークーナンシャンへの登山を決行したのです。
土砂崩れでバスでの異動ができなくなり、耕運機に乗ったりどろんこの未知を歩きながら山あいの集落にたどり着きました。
さらに奥地の村からは、ヤクに荷物を載せ歩く他ありません。
登山経験もなく、76歳の入江さんは馬に乗って現地を目指しました。
「突然霧が流れてきて、見通しが悪くなってきました。Uターンして帰ろうとすると、突然青いケシの花が咲いているのが見え始めました。
息苦しい四千メートルの高地に青いケシの花を見ることができたのです。感動を心に留めながら、私はベースキャンプに向かって降りて行きました」
3月にデッサンを始めたキャンバスに彩色が始まりました。
25年前、入江さんの心に深く刻まれた青の色が塗り重ねられて行きます。
次第に姿を現す幻の青いケシ。
中国の旅の光景が蘇ります。
「一番先に目についたのは青いケシ。だからそれを描いています。とてもきれいでしたよ。感激しました。これが一番印象に残っています」
数日後、アトリエでは入江さんの制作が続いていました。
画面の左上に描かれた人と馬。馬上の人は誰なのか。
「私です。私が乗ってます。今では楽しい思い出です。よく行ったと思っています」
「だんだん昔のことを思い出して、このケシをぜひ描いてみたいと思うようになったものですから、描いてみたいと思っております。24時間馬に乗ってそしてテント生活が2泊。もうフラフラでした。高山病で。この絵を描きました」
「人生の最後にもう一回この端を、100歳の記念に描いてみたいと思って描いたのです。当時の様子を今でもそのまま思い出します。十分に描きますので本当にうれしいです。若返った気持ちで書いています」
「人の魂をいつまでも引っ張っていくような絵を描きたい。ただ写して上手下手ではなくて。今、絵はだんだんに絵がわかってきて面白くて、絵がよくわかるんです。情けないのは体力が一番心配なんです。この体力を維持したら・・・」
「絵はだんだんかけるようになって・・・絵がだんだんわかってくるのです。だから命がけで描いています」
四千メートルの山道。灼熱の砂漠を踏破してきた入江さん。
今、同じ地球の上で東京の地面を踏みしめています。
花の命に挑む101歳の画家です。