美の壺「風土を織り込む 紬 」

美の壺「風土を織り込む 紬 」

絹糸を染めて織り上げる着物、紬(つむぎ)▽繭から真綿を作り、手で糸を紡ぐ結城紬▽奄美大島で絹糸を染めるのは島の泥。清流で泥を流すと現れる艶めく黒。大河ドラマ「西郷どん」のテーマ曲を歌った里アンナさんが祖母から受けつぐ泥大島を着て歌う「糸繰節」▽長野県安曇野で守られてきた、絹のダイアモンド、天蚕糸。神秘の輝きが紬に。▽古美術鑑定家中島誠之助さんも登場。紬と古美術の共通点とは?<File 537>

初回放送日: 

 美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺「 風土を織り込む 紬 」

 

土地土地の風土を移す着物紬
くずまゆなどを真綿にし、紡いだ糸で裏技を作ったのが始まりです
紬とは止めた絹糸おった布です
その技は農閑期の仕事として受け継がれてきました
筑波さんの裾の有機地方では今も変わったを手で紡いだ糸がおられています
奄美大島では奄美の自然を丸ごと的どろどろで染めた大島紬アフリ
長野では希少な点三の眉が意図に紡がれ、その輝きが紡ぎに生かされています
今日は三つの土地の紬の魅力をご紹介しましょう

赤坂にあるホテルの庭園
こちら本物の美術鑑定かの中島誠之助さん
長年紬を愛用しています

この私の今の雪も二十五年ぐらい来てますけどね
着れば着るほど体になじんでくる部とっていうかな
その土地とか作った人たち紡いでくれた人たちの業っていうものが
直接肌に座ってくるでしょう
例えばこ美術品でも五百年前のものを見た時五百年前の人と対話ができるわけでしょ
それと同じような感覚っていうのは紬は持ってますね

中島さんのあの常套句もそうした対話の中から生まれたと言います

ええ結城紬っていうのはそれを紡いでくれた人が一つ一つ心がこもってますからね
私がよくいい仕事してますねっていうのはそういう見たものだけじゃなくて
そのものを作る人そしてそのものを形作ってきた何十年何百年とという文化の積み上げ
それがいかに生きてるかっていうことがいい仕事なんでしょうね

長い間受け継がれてきたいい仕事
その現場を見てみましょう
茨城と栃木にまたがる鬼怒川沿いの地域
鬼怒川はかつてキナの皮と呼ばれるほど兩岸には桑畑が広がる一大養蚕地でした
江戸時代贅沢が禁止された後も見た目が質素で堅牢な結城紬は武士や町人に好まれました
でも愛されたのはその暖かな着心地と肌触り
百十四年前から結城市で問屋業を営むおくざわたけしさんです

ー綿から糸を紡ぐという世界に類を見ない手で紡いだいとは大変空気をたくさん含んであったかいわけです
私も子供の頃風邪を引いたりするとおばあちゃんとかおふくろにね首の周り毎月なさいって伸ばしてくれて
こう巻いてくれました。でこんなにあったかくて軽いなら何とかそっから糸を紡いでおったらどんなにいいかなって
始まったんだと思うんですね生きるための知恵でしょうねー

まゆはいっ絶対姿形をどう変え次へと生まれ変わるのでしょうか
今日一つ目のツボは平らかに積み重ねる意図のぬくもり

まず訪ねるのはひとつむぎのこの道五十年の上の千恵さんはキダイの名人と言われる存在です
湯の中で眉をひとつひとつほぐしながら袋状に裏返し片手に重ねていきます

お湯の中でトントンってやってましてね
勤務地をね自然にお蚕さんは教えてくれるんです
ここが熱く濃くてこっちが薄いそれを平等に平等に平等に平等に平等に
いい人が積もりますように

眉を五個分重ねたら両手を八の字に動かし性均一になるよう伸ばしていきます
袋状にするのは弾力のある上質な意図を取るための先人の知恵
紬の語源はこの真綿から糸を紡ぐ手作業に由来しています
乾かした真綿を途切れないよう上野さんは紡いでいきます
どこまでもどこまでも一本の平ナイト節を取り汚れ
そういうものがありましたらまたから取り除く節は
後に糸が切れる原因もあるからです

大木はノリの役目一の頭に必要とされるおよそ二千個の眉が匠の手を経て一本の痛いと姿を変えます
その長さおよそ三十キロメートル
三か月ほどの時間を費やします
結城紬を代表する模様
それは亀の甲羅をかたどった亀甲模様
六角形の中に十字を描く亀甲模様は染め分けた意図を織り上げることで現われます
擦りとも呼ばれるこの模様糸の染めわけにも匠の技が

おようになる部分はあらかじめ角で印が付いています
その印を寸分たがわずもめ糸で結んでいきます
この後の染める工程で糸で結んだ部分は染まらずに模様として残るのです

平等にっていうのは平均的にってことですね
気持ちも平等に幅も平均的に脂肪の力も平均的にっていうことですよね
手間がかかっても正確に綺麗にできればいいわけだから

元の紬に括られる数は多いもので十万箇所に上ります
染め分けられた意図をたて糸よこ糸に貼り、織りあげると亀甲模様が浮かび上がります

降り手の腰の微妙な動きでタテ糸の張り具合が変わる時
バタおりまさに人機一体となり意図は布に取り上げられていきます
紡いだ糸なので本当に優しく糸に関わっていかなかったらば
森友切れたり自分の気持ちは平常心で平らに置いていかないと人はすぐ分かりますから
打ち込みもムラなく怠惰に折り上げていくっていうのを心がけて出てます

いにしえから伝わる手仕事は世界無形文化遺産にも登録されています
蚕の愛を敬い慈しむ営みが雪には息づいています

この紬はご主人いやあのこれあの祖父が鍛えた紬で古くてどうしようかと思ってたんですよ
えー仕事してますね
はい

大島紬の故郷鹿児島県奄美大島
西郷隆盛が三年の歳月を過ごした島としても知られています
大河ドラマ「せごどん」のメンテ間を歌った佐藤アンナさんは奄美大島で生まれ育ちました
あー降りて降りた佐藤さんにとって大島紬は常に身近にありました

私の家族があの大島紬の仕事をみんなしていたので
おばあちゃんが発足をしている時におじいちゃんと島唄の練習をしたりもしていたので島だと紬とというか機織りの音とっていうのが
いつも私の中にある生活の音いう感じでした

この日来ているのも祖母から受け継いだ大島紬柄は次の質といいます
で泥染めの着物になるんですけれどもまあばあちゃんは亡くなってしまったんですけれども
何か一緒になんかばあちゃんがこう一緒にいるような気持ちでこう守られているような気がするんですね

泥染めとは島の泥を占領として黒く染めた大島紬のこと
奄美の自然をこう丸ごととこうまとうことができていることは幸せだと思いますし
地味なように見えてすごく繊細な柄とその柄がとても浮き出て見えてくるようなま
魅力が凄くこう大島紬にはあると思います

機織りをする祖母の傍らで祖父に手ほどきを受けた人
繰り武士歌の歴史は薩摩藩の支配下にあった頃に遡ると言われています

江戸時代大島紬は性として納める貴重な絹織物でした
切ることを禁じられていた島民が持っていた紬を田んぼに隠したところ黒く染まったのが始まりと語り継がれています
今日二つ目のツボは土が染める黒の味わい

こちらは大島紬の伝統的な柄かつごう柄の図案
ソテツやハブなどの模様は天のように細かく染め分けられた意図が繋がり柄となります
すべて絹糸でおられる大島紬
柄を施すにはまず白く染め残す部分をもメートで締め込みます
そうすることで一旦の上にします

泥染めっていうのもみこむように何度も何度も貯めていくもんですから
ここはしっかりとまあ閉まってないと色がかぶってしまうので
僕らが一番気を付けなくちゃいけないのは強く打ち込むこと

こうして精緻ながらを出す準備を経て初めの作業へ
泥染めは泥の前にもう一つ自然の力を借ります
車輪ばいと呼ばれる木材から抽出した液で染めるのです

この木の中にはタンニンっていうあの成分が含まれとってね
その担任が多くあるかないかで染色のあの色が決まってきます
さわり具合ね

木材にするのは島に自生する樹齢十年以上のシャリンバイ
雨風にさらされ厳しい環境で育つほどタンニンが多く含まれると言います
サリン前を細かく砕き二日間に出していきます

意志週間寝かせ発酵させた抽出液に布をつけます
染まり具合を見ながら何度も繰り返し読み込みます

川札ですけどこの泡の中には空気がいっぱい溢れてますんでその空気に触れないと
泊まっていかないっていうのはこのシャリンバイ止めですよね

鮮やかな赤土色に染まりました
そして切り立った山裾に位置する泥耐え
肥後さんが五十年代歌謡
この泥田は鉄分が豊富です
泥の中に含まれる鉄にタンニンが反応することで布は黒く変化していきます

はいはいたくさんある頃っていうのはあるんだけど
自然の道路に付けてあのーやっぱりこういうツヤツヤというのが出てきますので
そういう艶をあの出てくるのがやっぱりこうカラスの塗ればいいというものじゃないですかね
車輪はいと泥に染める一連の作業を何度も繰り返し
肥後さんが艶のある黒を追い求めます
清流が泥を流すと布が命を宿したかのように漆黒の艶が現れます
そっか自然と人がおりました
偶然の賜物大島紬の黒は島の人々の誇りを象徴する財の絹織物です

北アルプスの麓、長野県安曇野には絹のダイヤモンドと呼ばれる意図があります
天災やヤママユと呼ばれるまゆから取られた気象ナイト
天然の萌黄色と光沢が特徴です
はいはいはい日本在来種のてんさんはクヌギの葉を食べ緑の眉を作ります
うん暖かく伸縮性に富むてんさんの糸を紡ぎ、農家の人たちは普段着に織り込んできました
北アルプス有明山の麓のクヌギ林でてんさんは地域の人たちに守られています
安曇野で生まれ育った田口正しさにとってクヌギ林は遊び場でした

子供ながらにその日本を見るともう緑で本当に綺麗な虫だなっていう印象は今でも残ってますねうん

江戸時代
農家の人たちは保温性と輝きを備えた点三を育て糸を取り機織りを始めました
全国的に価値が認められた点三の意図は明治三十年代に最盛期を迎えますええ
しかしその最中安曇野穂高の広大な山林が陸軍の演習地として開墾されます
点三は姿を消しました
戦後わずかに残ったクヌギを育てることから再開した点三の糸作り
今川口さんたちは昔ながらの方法でてんさんの糸を紡いでいます

てんさんはですね、誰かがこう世話しないと消えていく運命なんですよね
どうしてもあの自然と共存していかないとてんさんも生きられないし人がクヌギを守り

クヌギは萌葱色の意図を育む豊かな連関
今日三つ目のツボは自然が宿る意図の輝き

てんさんの糸が織り込まれた紬です
わずかしかできない点三の意図は装飾として使われます
早朝あーいや茜色に染まる空にさし昇る一筋の朝日
編纂の意図で表現されています
睡蓮を思わせる一枚
ヨモギなど草木染めの糸でおった頭
二点三の意図が生かされています
平織りの上に点三を乗せてきらめきがちょっとこう前で二着れるような
そういう織物をあの考えまして、それを光とか水のきらめきとか
そういう表現に使いたいなと思って

松本で四十五年
地元の草木で染めた糸で紡ぎを追ってきた武井豊子さん
てんさんが持つ天然の色と輝きを帯びに織り込んでいます

よいしょうん不思議で神秘に満ちた天蚕の輝き
ああええ経糸を救いながら絵を描くように取り上げていきます
あれ点三の輝きで皮もの澄んだ美しさを表します
はい素材の衣にしても自然の恵みをいただいておりっていうことをしていると
自分が思ってた以上の美しさが出たり不思議な力があるんじゃないかな
命の光を糸に宿し風景をお類と波紬には自然を敬う日本人の心が生きています