美の壺 「響きあう 駅舎 」

美の壺 「響きあう 駅舎 」

旅情を誘う日本全国の 駅舎 の世界!▽北九州、古き良き駅舎の姿をいまに伝える重要文化財指定の貴重な駅とは?「終着駅」が醸す郷愁▽作曲家が自ら案内!発車メロディーに込められた秘密▽絶景にうっとり、夕日の海に染まる駅舎▽湖上にポツン、大自然にたたずむ駅の魅力に迫る!▽駅舎に温泉!?なんとも珍しい温泉駅の物語▽太宰治の愛した駅舎はいまも現役、レトロな憩いの空間を守り続ける人々の思いに迫る!<File513>

放送:2020年9月18日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「響きあう 駅舎 」

日本におよそ九千あるといわれる鉄道の駅
日にち人が行き交う駅には様々な表情があります
百年ぶりに蘇った大正ロマンに満ちた行設計に溶け込む
駅どこにあるかわかりますか
かつて駅の改札で使われていた懐かしい道具
なんと今でも現役です
駅の音楽発車メロディにも秘密が
今日は懐かしくも新しい駅の魅力を味わいに出発進行

東京の表玄関東京駅
大正三年に完成した日本を代表する西洋建築
国の重要文化財に指定されています
大正から昭和初期に西洋建築の駅が全国各地に作られました
そう東京駅と同じ大正三年に誕生しやはり重要文化財に指定されている駅があります
福岡県北九州市の門司公益です
六年の歳月をかけた修復工事で昨年百年前の姿が蘇りました
そんな文字交易が大好きな音楽プロデュサノ向や豊さんです
はい世界中の鉄道を乗り歩くのが趣味という無界屋さん
鉄道好きが高じて百五十の駅に及ぶ発車メロディを作曲しました
向井さん後半は文字交易のどこに惹かれているのでしょうか

歴史のある駅っていうのがまず一番大きいですよね
大正時代にこれを作った時のこの外側の色にあ今回のこの修復工事で
また戻したんですよねそういうところもですねあそうなのかも事故って
もともとこういう色だったのかっていうのを今のこの二十一世紀令和の時代に
まみんなが知ることになるというそういうところにこの歴史を持つ
駅の凄さっていうのがあるんじゃないかなと思いますね

明治二十二年
文字校が開校
石炭や米の特別輸出高として貿易の起点となりました
その二年後にできたのが所在門司駅です
明治三十四年に本州を結ぶ関門連絡線が運行されると利用客が増え大正三年今の駅舎が建設されました
堂々とした佇まいは左右対称のルネサンス様式の木造建築です
大正時代のにぎわいを思い起こさせる広々としたロビー
こちらは一等待合室ですうん現在は切符売り場として使われています
二階には大正時代天皇陛下も訪れたき品質が残されています
シルクのカーテンは壁と同じ模様で誂えられています
開業当時はまだ珍しかった高級洋食店です
旅へ向かおうとする人が食事と対話を楽しんだことに想像を馳せる
一時文字公益にはもう一つ別の魅力があります
それは執着役としての姿
向井亜紀
さらにその楽しみ方を教えていただきました

文字交易のひとつ前の駅で列車に乗り込んだ向かいあさんす最高ですね
これポジションこのままこの列車を文字後に付くっていうことは
ま鉄道用語でいうと終端駅
いわゆるその先にもう線路がないからなかなかね
そのどんつきの駅に着くところは少ないんですよですからそれをこの
現代のこのすぐ後我々これをですねかぶりつきっていうんですけど
頭という見てるっていうのがたまんなくいいですよね

文字公益に近づいてきました
隅田帯域には列車の走り方に本特徴があるのだとか
慎重に電車が入ってきますよね
それはそうですよね
この先にもうれるはなくなるわけですから
ここがあの終端駅を持って
共通した特徴ですね
であそこの見えるかなゼロ
まさにここから起点でレベルが走って
今一年後です
周りの海は
車内に忘れ物がございませんよご注意
ください
終着駅から降り立つと誰もが新たな一歩を踏み出します
今日最初のツボは駅から始まる物語大分県大分駅です

2015年
新しい駅舎に生まれ変わりました
ホテルになった駅ビルの最上階には
大分の街を一望できる露天風呂
天空の世界が広がります
大分駅の天空を仰ぐイメージでむかいやさんが作ったものがあります
それは発車メロディーです
高いビルもあるそしてそれを見上げての空に昇っていくを見たい
そんな気持ちでこの音楽を聴くことで乗り降りした人たちがそうだよなって言うね
なんか合成合成が取れるように添えたい

十秒間の発車メロディにはその街のイメージに加え
無界屋さんの強いこだわりがあります

この音楽ってのはその方がおられる方が
次に何かをするためのやはりこのイントロダクションっていうかですね
何かこう皆さんこれから頑張ってねとか下さいとかって
そういったときに乗るための音楽ですから曲を植えてないですね
曲を終了させないまだまだ音楽が続くよねみたいな形で発車メロディを終えて乗っていただくと
駅から列車に乗った人がその先でメロディを完結させる

駅と人とのはモニが日にち生まれています

ありましたありました
駅といえば
やっぱりこれでしょ懐かしい伝言板ですね
あの友達にね
鉄道マニアがいましてね
前にもらったんですよ
あーなんで相合い傘が書いてあるんですか
ちょうど十代の学生の頃
一人でこっそりね
こういって相合い傘を書いておいてねえ
自分で誰だよこんなものを書いたのね
こんなものを書いたら噂はいでも
僕たちって周りから見るとお似合いなのかな
ああ思い出すな
あの時の彼女の顔を駅に行くとね
思い出していきます

愛媛県伊予市瀬戸内海沿いに
香川県の高松と松山宇和島を結ぶ予算線です
はい山間の住宅地にひっそりとたたずむ小さな駅があります
下灘駅
無人の駅舎を通り抜けると目の前に広がるのはほむと真っ青な海
まるで海の上に行が浮かんでいるかのようです
下灘駅が最も入るのは夕刻

海と夕日が作り出す唯一無二の景色が広がります
今日二つ目のツボは駅が作り出す風景

静岡県榛原郡川根本朝
大きな水の流れという意味を持つ大井川流域の町です
井川線の始発駅千頭駅井川線が好きで
よく写真を撮りに来るという
森島由直さんです
うん森島さんが乗り込んだのは
少し小さめの赤いトロッコ列車
このレトラな列車で目指す先は
日本でもですね珍しいきれいな駅があります
でそこに行ってみたいと思います
水力発電所の資材運搬用列車として開通
その後昭和三十四年に
旅客鉄道として開業しました
トンネル六十一か所鉄橋
なんと十五か所を走る森林鉄道です
途中日本一といわれる
急こう配を機関車で押し上げながら
栗と登っていきます
坂を登り切り
千頭駅からおよそ一時間
目的の駅に着きました
よいしょ降り立ったのは
ゴムと待合所だけの小さな駅うん
駅の名はおく置い小城駅
実はホムに立っただけでは分からない
驚きの場所にありました

まるで湖の上に浮かぶ駅ダム建設によって
できた人工股の
わずかな陸地に作られています
なるほどその珍しい景色を堪能しようと
人々が息を訪れます
季節によってまず光が違います
光の指し方が違いますね
それはま午前でも午後でも違います
季節で太陽の高さも変わってきますし
毎回違う絵柄があるもんですから
ついつい通いたい
夏は青々とした緑に
エメラルドグリーンの湖
秋は太陽の高さが下がり湖面が輝き
紅葉と相まってまた別の風情を醸し出します
大自然の美しさに加え
駅があるからこそ深みを増す味わい
自然をこう凄く感じられるんですけれども
でもその中で人の気持ちというか
あの人の存在を感じられる駅があることで
その人との関わりをよりこう
実感的にあの見ることができるかな
という風に思います
列車と駅と人が大自然と共鳴して
独特の絶景を生み出しています
うんいや久々にきちゃいました
織田で作ってもらったんでしたっけ
この格好にもね思い出があるんですよ
通学の電車の中でね
なんかお気に入りの女の子がいましたね
なんか前にも聞いたようなそうだっけ
あの結局その子にも
ふられちゃいましてね
その時に駅員さんに
言われた言葉があるんですよ
ここはね恋の利益じゃない
恋の違うんだよってまた言ってる

群馬県桐生市
ここにちょっと変わった駅があります
わたらせ渓谷線です
うん列車が入線したのは水沼駅ホームに隣接する大きな駅舎と思ったらます
温泉マーク水沼駅に駅舎はありません
建物全てが温泉施設ほむを降りるとすぐ音
そういう日本でも珍しい駅なのです
ふーん週に二回はここにやってくるという縦の地的さんです
温泉来て入ってゆっくり休んでそのまま帰る時もあるけど
大体こう来た場合には待て手伝ってね
あの布の違いちょっと買い物ない
逆にこうや先にやらないで
もう行った帰りに寄るそれで収まる
うん明治四十四年
足尾銅山の功績のウンパ線として開通
その後一旦は廃止されたものの
平成元年地元住民の要望で復活しました
そのとき駅に人が集まるように
温泉を引いたのです
六キロ先の源泉から引くのは
ナトリウム塩化線です
舘野さんは毎回
列車の時間に合わせて温泉に浸かります
タイトルですぐ歩かないでも温泉あるんだ
うん温泉でくつろいでそのまま
ホームへ

朝最後のツボは駅は
人をつなぐ
うん
うん青森県五所川原市うん
雄大な津軽平野を走る津軽鉄道線です
津軽五所川原駅から津軽中里駅まで
全長二十七キロを走っています
うんその中間に位置するのが
足の公園駅
ホームが一つだけの無人駅です
うん桜の役として知られ
春には多くの観光客が訪れます
足の公園駅は
文豪太宰治の
小説の舞台にもなっています
やがて金城を過ぎ芦野公園という踏切番の小屋くらいの小さい駅について
金城の町長が東京からの帰りに上野で足の公園の切符を求めそんな行きはないと言われ憤然として津軽
鉄道の足の講演を知らんのかとい駅員に三十分を調べさせとうとう足の講演の切符をせしめた
という昔の逸事を思い出し
この太宰の小説に登場する小さな駅舎が今でも残されています
うん昭和五年に作られた旧駅舎です
屋根に設けられた腰折れ破風
簓子下見と呼ばれる板が洋風の意匠に仕立てています
旧駅舎は現在は喫茶店です
しかし店内は駅の名残が当時のまんまです
この板も全部全てこのカウンタも当時のままですね
出入り口で入ってきてここで切符をお求めになる感じです
一枚板と観阿弥で作られた窓口へー
当時の出発ロビと駅事務所がこちら
昭和五年に開通した津軽鉄道線
それまで交通手段のなかった住民たちには待ちに待った鉄道でした
この街で生まれた太宰治はよく駅の近くで遊んでいたといいます
ゆっくりした時が流れ次第にノスタルジックな気分に

おまたせしました

太宰治が高校時代弘前市の喫茶店でよく飲んでいたというコーヒーの味を復刻したものです
小説片手にコーヒーを飲みながら列車を眺める至福のひととき
そしてこんなものも

こちらが切符の日付を入れる
でこれで八これはあの家で切符を販売して委託販売してるから
そうですねはい活用されてますし
開業当時から今も使われている改札用具です

太宰もこの改札を
とうとう列車に乗ったかもしれませんね
役として本当に活用できてるので
その当時の雰囲気もあの味わえるかな
と思ってましてこれをずっとね長く保ってきたらなと思います
へーラテンとしてそして現役な駅舎として活躍する足の公園駅
おっぱいラベル扉の向こうは十年間変わることなく列車が走ります
人が集まり人をつなぐうん
駅舎は今日もそこにたたずみます