日曜美術館 「 竹 の宇宙へ挑む」

日曜美術館 「 竹 の宇宙へ挑む」

120年の歴史を持つ堺市の竹工芸家の4代目。田辺竹雲斎は、9500本の 竹 ひごを使い10メートルの巨大なインスタレーションを作り上げる。4代にわたり追い求めてきた匠の技。「亀甲編み」で竹ひごを自由自在に組み立てていく。出来上がるのは「ワームホール」という宇宙空間。二つの世界をトンネルのようにつないで、目に見えない世界を表現していく。作品の展示はわずか数日。終わると再び竹ひごに解体する。

放送:2022年5月22日

日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「竹の宇宙へ挑む」

竹から生まれたかぐや姫
古より竹は
人々の想像力をかきたててきました
名工たちによって生み出されてきた工芸品ええ
そして竹で新たな世界を生み出そう
としているのが四代田辺君歳です
不思議な形空間を圧倒的なスケール
この空間の中には
こう色んなこうエネルギーとか
こっちからみたいなものが常にこう
流動しながら動いているのかもしれない
それが私たちの世界を
支えているのかもしれないっていう
それからその後の構造の一端が
ふっとここに
竹を使って可視化されたっていうような
その世界には数学物理学
宇宙理論まで取り入れられているするのだとか
世界を映す現代の竹の物語へようこそ
へえ日本最大級のあとの見本市
ここで聞くん採算は新作を発表しました
うんここですね
ますこれはこれは
何か目がくらむ感じですよね
これどうなってるので
こっちにこっちに繋がってるんですね
何か作品タイトルワームホールワームホールとは
二つの離れた領域を結び付ける
トンネルのような時空構造
なんとも不思議な作品です
無数の竹ひごがひしめき蠢き
一本一本が複雑に重なり集まっています
思いますうんだから
もうこうなったらほとんどあれですよね
秘密基地みたい秘密記事で
こっから中に
何か入っていけそうな感じがあります
何かあの生き物のすに見える
っていうんですかね
だから映画の中の中で
不思議な生物がこういうところにこう
それこそ蛹っていうか眠っていて
そこがこう出入りする
みたいなイメージがありますよまでも
こんなの見たことないから
ちょっとびっくりしてますよ何ですか
これはもう一つ
でっかこれすごいですね
壁になんかたり付いてますよね
おすごいやっぱりさっきの上は全然大きいな
作品タイトル循環りさ
キュレーション幅四点五メートル高さ六点
五メートルの巨大インスタレーションです
じゃ初めまして初めましてよろしくお願いしたいです
お願いしますお願いします
あの初めて作品を拝見しまして
もう本当にあの驚いちゃってで
まあ僕なんか抱いてる
その竹のあの道具っていうか竹細工のイメジ
そういう定義をぶっ壊されたって
これってなん何なんだっていう
もうそれしかなないんですよ
なんかもう本当
不思議ななんかこう
竹でできた巨大な生き物と
生き物が巨大な生き物が羽根って
壁にがっとこう張り付いてるようなね
すごい迫力だなと思うんですけど
はいそういう竹の素晴らしさっていうものを
なんかこう体全体で表現できるのは
あとを作れないかな
ということであの始めたんですけども
こういう花篭とかそういう従来のある伝統
工芸ではなくて
こうそれ自体がこうでこう
空間も全部この竹で埋めてしまうような
そんなあとを今あのー作ってます
このあの塩廃ションはただ見るだけじゃなくて
是非こう体感していただくっていう
コンセプトで作ってますので
この中に入れるようになってました
ぜひよかったら一度入ってみてください
靴のまま行ってよろしい
乗っていただいて大丈夫です
そうですねあっこれは結構快適
快適っていうか気持ちいいですね
くしクッションが効いてるんですね
これなんかこう
多岐に触れているという感じも過ごしますし
秘密基地みたいですねそうですね
あの小さい頃こう窯雪のかまくらとか
なんかその独特の空間があって
凄くワクワクするような感じに
なったと思うんですけども
まあそういうちょっと子供
心想い起こさせる秘密基地ですとか
そういうものもイメージして作りました
あとなんかこう竹の皮記号ですか
だからこう甘れていることによって
その隙間からこう光がねし
それぞれの場所からこう違う形で
光が入ってきてて何か外
からだと結構こう
エネルギッシュに見えるように作ってるんですけども
中に入るとこうやさしいさに包まれるような
なんかそれで竹林も
竹の葉から木漏れ日が入るんですけど
森林浴というか
そういうようなイメージを持ちながら
心地よいこの竹の中ができないかな
都会に現れた竹林外の雑事も忘れます
高知県須崎市温暖な気候を好む
竹の産地です
ここに治勲採算の作品にとって
欠かせない林があります
地域の特定の山にしか自生しない
虎竹表面がトラ模様です
今からま二十年ぐらい前に初めて
この竹林に入った時に
私が小さい頃から竹の美意識というか
竹に美しいと思った姿が
この作りには全てあったんですね
それはこうマリンとしたたずむ姿とかま
遠くには小川のせせらぎが聞こえて
風で笹が揺れてっていう
竹と自然が醸し出すこの美しさみたいなものが
この作りには全てあって
まこの美しさを表現したい
っていうふうに思いました
こちらは黒竹というまた別の種類
こんにちはあこんにちは結構本当
綺麗に履いてますねそうですね
ちょうどあの十二月に入ると下降りてくるから
色好きがよりよくなる
金崎彰人さんは黒竹を育て
加工する専門の職人です
そう色好きの良い黒竹を育てるには
竹を間引いて光の差し込む林を作ります
二年目の選りすぐりのものだけが
違うんさいさんのために使われます
ピ伸びやかに育った黒竹節と節の間が大きく
独特な黒みを帯びています
土佐の黒竹というのは
渋い黒黒という言い方がいいですかね
我々あのーよく言うのが
秩父黒ツヤとかいう言い方をするんですけれども
本当に一本一本模様が違って自然の色なので
そういう意味での
あの良さっていうのはあるのかなと思います
しまたけ自体も美しいですしあとは
こう竹に粘りがあったりとか
あの凄く柔らかさがありながら頑丈なのでま
普通の間だけであと編むよりも凄くこう
奥深さが出たりとか
まさにこの自然がもたらすビっていうのを
この竹を表現してくれるので
はい自然のエネルギを一身に蓄えた
竹伐採された黒竹は和歌山県にある
加工場に運ばれます
金崎さんは明治から続く
黒竹専門の職人の三代目
乾燥させた黒竹は
長さを切りそろえ節を削りとります
そうああはいそして
黒竹本来の美しさを引き出す技
八百度に熱したろで
焦げないを炙ります
あのー作業するのは息子のひろさん
熱して柔らかくなった
黒竹が固くならないうちに
万力を使ってすばやく髷を強制します
もともとあぶる前は
もうこういった形でもう白っぽいというか
そのろう上のものが
表皮で覆われているんですけれども
はいこれをえーとばな形で
温めてあげることで
あのー元々持っているこの色艶が出て
かつその竹には
余分な脂分が含まれているので
それが温まって浮き出る
ことでそれがあの松屋になるというふーん
竹林の手入れから加工まで
職人たちの手仕事が
地区光源を支えています
商人と職人のまち大阪堺午前八時半
工房の朝は掃除から始まります
はいはいうんこんにちは
こんにちはごめんくださいいたします
うん一度揃っての出迎えに者さん
なんだかそわそわああはい失礼します
失礼しますご覧ください
あありがとうこんにちはお久しぶりです
ありがとうございます
でお弟子さんですか
大変なんか定年を迎えいただきまして
ちょっとちょっと緊張しましたって
いつもああいう形で
挨拶をお客様が来られる
としているんですけども
田辺治勲採算は
百二十年の歴史を持つ地区
工芸家の四代目ですでございます
どうぞすごい失礼します
失礼します
あじゃあ今の弟子入りしてる
あの烈士なんですけども
今十年の弟子の修行期間がありまして
十年のプログラムなんですね
それは昔から
あの後三年五年
七年十年という初伝中伝奥伝
皆伝っていうのがありましてで
最終的にあの十年で免許
皆伝という形になるんですけど
そうするとあの独立して
弟子を持っていいとかですね
まずは地区工芸の
基本の技術を見せてもらうことに
こう竹をどんどん割っていったもの
なんですけど
この一番経皮の部分だけを使うんですね
はい更竹のだいたい
一パーセントぐらいしか使わないですね
表皮の一番いいところだけを
あのー竹工芸と呼ばれるものは
思うんですよ
そうですそうですね消費の一番いいところ
そこが一番繊維が細かくて
例えば百年初代
関西の作品だと百年前ぐらいなんですけど
百年後もきっちりま使えるとか
そういうそうなんです
これもだって結構大変なんですよね
きっとこう大変なんですけど
竹割三年と言いまして三年間
毎日やるとだいぶ思うように
ひたすらもう朝から晩まで竹終わって削って
その中でこう丁寧に作るとか気持ちを込めるとか
そういう技術の向こう側みたいなものを
あのー作る姿勢をこう学ぶっていうのを
職人としての姿勢を
最初に学ぶ代々の教えです
最終的にこれぐらいまで
細くアドバイスをしてみてください
たくですかなんですそうこれすごいですね
時計には思えない
それで幅零点六厚み零点
一八とかなんですよね
こう普通だとここでパキって折れるですけど
技術を上げていくと
こういう風になっても
ここがパキって折れないですね
ああすごい意図ですよね
こうなったらちょっと
本当に言葉を失っちゃったんですよなん
でこんなことができるの
すごいな結べるですよね
むしろいいですか僕はきれないんだ
これこのぎゅっとある程度いくと
折れてしまいますけども
代々の治勲差異が考案した
竹編みの技法は二十種類以上
その一つ一つに名前が付いています
千本の丈が集まって編まれると形容される
先週充実はい縦の庇護に横の庇護を組み
その位置をずらしながら編むことで
螺旋状の模様を生み出します

先週網を使って作り上げた作品
ほかぜ風をいっぱいにはらんだ
船の帆です
はちきれんばかりのエネルギー
そのものを見ているかのよ
はいおよそ百年前
世界を驚かせた作品があります
こちら側の初代の作品です
でも百年そうですね
これはあの千九百二十五年にですね
あのパリの装飾ぺスのあの万博がありまして
そちらに出品してあの銅賞を取った作品は
こういうている時のあの作品ですね
リューリ今日式複壷形花かご唐物と呼ばれた
中国文化特有の装飾が施された作品
現代においても
再現の難しい超絶技巧が
いくつも施されています
初代治勲際は地区工芸に限らず
幅広い教養を身につけた人物でした
煎茶道を嗜み
水墨画を描き
監視を読んでいたといいます
当時その文人思考という
いわゆる中国の
そういう教養人たちの思想みたいなものは
最先端のその当時のあとだったんですね
その最先端のあとに
あの自分もその中に入って
教養を身につけながら
あの作品を志すっていう
あのそういう最初のまそのいわゆる竹細工から
竹工芸品になっていく
最初の作品ですね
二台田辺君
細野作品林専門花篭漫画や書をたしなんだ
二台は初代の唐物とは違う
表現を模索しました
生み出されたのが透かし編み

光を透過し
微妙な陰影に彩られた作品は
若者と言われます
そして東大四台の作品現象現象とは
新年最初の満月のこと
拮抗透かし編み極限まで
細くした竹ひごが織りなす世界は
幻想的です
こちらは数学の世界から発想を得た作品
世界一美しい数式と言われるオイラーの等式
そこから導き出した曲線を
竹ひごで正確に再現しています

人間の手とコンピュータが融合することで
初めて生み出せる世界伝統を踏まえながら
貪欲に最先端の文化や思想を取り入れてきた
代々の田辺君際の姿勢が
今も受け継がれています
二月滋賀県
大津の倉庫で新作作りが始まりました
長さ十メートルの巨大なインスタレーション

その始まりとなるのは
手のひらほどの六角形格子です
そこに竹ひごを出し
講師の数を増やしていきます
これが基本となる亀甲編みです
弾力のある竹ひごで作られた貴子網は
自在に折り曲げることが可能です
見る見るうちに
不思議な形が出来上がっていきます
大野さんがあとの見本市で見た
あの不思議なワームホール
大きな筒のような物体を
亀甲編みのパーツを組み合わせて
繋いでいきます
このワームホールっていうものは
二つの世界をつなぐ
このトンネルのようなものをだと思うんです
けど私がやっぱり学生の頃に
そのアインシュタインがその本を読んで
あのホワイトホール
っていう存在を初めて知ったんですね
ブラックホールって
やるのは小さい頃から知っていて
全てを消滅させて飲み込んでいく
宇宙にそういうものがあってっていうで
その先にトンネルがあって向こうに全てを生み出す
ホワイトホールがあるっていうことを読んだ時に
すごくこう衝撃的だったんですけども
でもそういう何か
生み出すところを破壊するところが繋がってて
両面があるっていう
でもそれが全部が一つの宇宙として存在するっていう
まそういうところに
すごく面白さと
凄く不思議さとなんていうんですかねま
衝撃を受けて
まそれがずっと自分の心の中にある中で
こうあと活動するし続けてい
ましてまこの循環する中で
この両面が存在してそれが繋がっているっていう
そういうイメージの形なんですけどばかりです
エネルギがなんか
こう向こうにこう行くようにしたいええだから
なんか例えば吸い込まれたとか
エネルギーが向こうに渡っていくようにしたい
んで未知なる存在を形に
する
そのために欠かせない技術が新網です
骨組みの上から
新たに竹ひごを刺していくことで
形を自在に操ります

作家の技術と感性が問われます

新網で作った代表作運動
湧き上がる雲に乗っててん掛ける理由
そのエネルギーが不規則に絡み合う岳から
ほとばしるようです

ラミは代々のちくんさんが
大切にしてきた技術です
鍋に炊かれたお湯は
太く削った竹ひごを柔らかくするためのもの
思い描く線や形を銃皇無尽に編み込みます

これってなんか頭の中で
もうそれは即興ですよね
特に次に交際差し込むで
どこにこのあのー
庇護を持ってきたってことは
多分こうましてね
なんか即興演奏してるみたいな
本当に感覚で全部作ってるんだけど
そうはおっしゃるけど
これでもそういうある種こう
この形としてそれがこうきちんとある
強度を持って
維持されなければならないわけじゃないですか
それもわかるわかるんですよ
ここに次にこれ入れてってだってこれ
ただ適当に僕らがやってこんな形
で絶対そうですねなんかこう
形は作ることはできるんですけども
そこに美しさとか
あの造形力とか
こうたたずまいとかだけが隅々まで綺麗なのか
とかいろんなことの総合で
その作品がいいかどうか
っていう風になると思うんですね
だから一番こう
インテリジェンスと技術も含めて表現でいる
というか作家の一番のこう
その人の力量を表せるものだと思う
その新網新網が私
小学生の頃から
あのー父に教えられて化合あん出たんですけど
この新見っていう技法
小学生の時にこうやってたんですけど
なかなかやっぱり難しくて
そうすると祖父がちょっとやってきて
ちょっと貸してごらんって言って
のかごをこう取り上げてですね
こう編むとみる
みるうちに素敵なかごに変わっていってで
魔法のように感じたんですよ
これがやっぱり熟練された人が完成で
出す美しさなんだっていうのをなんか小学生
心に凄く感じまして
自分が作ってる途中まで作っている
なんか苦労して作ってるものを見て
どれどれを取ってでま
ほうですよそうするとなんかすごい素敵
すごいすてきになって
オブジェになってその手さばきとか
何もこう気負うことなくさらっとする
その技術の高さとか
何かそのちょっとしたその仕草に
全てが凝縮されてる感じが子供心にしてで
すごい長けてて思ったんですね
二台田辺治勲際は明治四十三年生まれ
繊細な透かし編みを追求する一方で
豪快な新網を得意としていました
うん六十歳を過ぎてから
語った言葉があります
ただ竹の特性について行けばだけなんです

その代表作海花籠

太い竹と細い竹
異なる太さの丈が絡み合い
母なる海の深さを写し取ったかのよう
子供心に強烈な印象を残した祖父の技
その技を再さんは今も追求しています
フランスアメリカスイスなど
新網で作った大規模なインスタレーションは
九カ国三十八作品に及びます
あのー今これだけテクノロジがとかこう進む中で
自然素材を作ってこう
しかも手作業だけでなんかこう
機械を使うわけでもなかったり
ボンドを使って止めたりするわけで
手作業だけでこう組み立てていくっていうことに
なんかこうアフリカのプリプリミティブな
十のようなこうそういう原始的
なものを感じられるんだと思うんですね
やっぱり人間って
基本的にものづくりとか
生み出すものっていうのは
なんか楽しさを感じっていうのはま人種とか
あの男女とか年齢問わず心に響いて
あのー面白く感じられる部分があるんじゃ
ないかなと思います
新網を使った巨大インスタレーションは
今や採算の代表作となっています

新作ワーム掘るの政策が
佳境を迎えていました
外の一個上のそれなんでこいつ一緒だよ
みたいな
そううんうん一つ
目の六角形の講師を作ってから
四巨大なワームホールの誕生です
はい巨大なインスタレーションは
一度分割した会場に運ばれます
ぐらいでした
何かこれは会場の中でどう見えるのか
最終調整を行います
重いわなんかちょっと出てるやつと
一番下にあるやつあるやんかうん
それそれそれもちょっと出してくれ
出し過ぎだし
絶対みんなで伸ばしてくれる
もうちょっとしたもっとですね
行き過ぎたそこを引っ張って
今からもう本当に完成に近づいていくので
なんかこう四五の一本一本とか
によってこう緊張感とかが全然変わってくるので
やっぱりその一本一本大切に
何て言うんですかね
この表現したいことに対してのなんか
庇護の方向性みたいなのが見えるんですけど
それを自分のイメージをに当てはめる
みたいな感じですね
これまた難しいところで
あんまり理想的にやり
すぎるとなんか新らしさとか
偶然性みたいな網も残していかないと
なんかすごくこう来るなんていうですかね
緊張感があり過ぎるようになるんで
伝えたい世界があると言います
そうですね静かな山の中にも
すごく根底にはすごくエネルギーがあったり
ま太陽もそうですし
風もまた水の流れもですね
すごくやさしくても
その根底のエネルギーっていうのは
ものすごくあると思うんですね
それは人も同じで
あの穏やかな中にもこう
すごくエネルギーがあったりとかま
自分自身はそういうこう根底のエネルギ
いろんな人とか
自然が持つま
根底のエネルギーっていうものをまこう表現したい
こう竹林の中にも美しく見える部分もあったり
非常にこうその下にあの猫が張っていて
非常に力強い部分があったりとか
何か私もそうですけど
いい面も悪い面も
あったりとかそういういろんなことがこう
網重なってあのエネルギーが重なって
こう一つの渦となって
繋がっていくっていうことを
作品で表現したいですね
作品ワームホール

そして循環りさ
キュレーション

九千五百本の
竹紐が使われているのだそう
まこのタイトルがですね
循環というあの
そういうコンセプトのタイトルなんですけどもま
こうあの上の部分はですね
このエネルギが生命が誕生するとか
ビッグバンとかですね
そうですねこうエネルギーがま何かを生み出すとか
あとはこう壁を越える時とか
エネルギーのスタとみたいな爆発みたいな
ものをイメージしてまして
そのエネルギーがこうずっと来て
こう回って循環していって地に行って
またあのーこう
上に戻って
日本に戻っていくっていうてまなですね
そういう意味でこうエネルギの循環
あるいは命の力の循環をですね
この間こう母というか
その女性の胎内みたいな
ものを表わしてまして
後を宿してまそれがこうま今
私たちがこう存在するのも
ずっとその輪廻の繰り返しの中で生きているとか
そういう生命の循環みたいなものも
イメージしてまして
あのーひとりで
その母の胎内っていうかこう
菩提の空間っていうのは
大人にとっては一番心安らぐ
安全な場所だっていうことだと思うんですけど
そこからま私たちは
全てがそのこの世界にこう生まれてくる
という意味では中の空間のすごくこう
穏やかなその場所から
命の力がこのツールを通ってこう違う
世界に結び付くってそういう感じですよ
なんか異なる世界を結びつける通路
っていうような
そういうあのー印象を受けますけどそうですね
もともと自分たちが生まれてきたところ
っていうのはすごく安らぎがあって
やっぱり帰る場所であったりとか
ま原点のその包まれる人は
やっぱりこう包まれて助けられて
こう生きていくものでもあるとか
そういうものも色んなこと
がまその循環というものの
中に存在するんじゃないかなというてまあ
これはあの展覧会が終わるとだけを全て解く
ですけども一本
一本を抜けるように作っていまして
この竹はですね
あのーこれだから
作品は形がなくなってしまうんですけども
素材は全部再利用するんですよ

そうなんですね
それで違う場所に
またその竹を持ってきまして
その高田でまた違うアウトを作る
生まれ変わるですね
同じ竹ひごが今度
また違う場所で違う作品で生まれた
そういう意味の循環ということもやってまして
どうしてもやっぱり十パーセントぐらいは
傷んで使えなくなるんです
けどもまた十パセント新しく足すんですよね
そうすると人間の細胞とかと同じように
ずっと循環していって
常に同じ状態を保つことが
十年後も同じ状態を保つことができるので
まそういう意味でこうあのー
亡くなっていくものと
生まれていくものが中に交じり合いながら
ずっとこの持続
可能にこう続いて
それも一つの大きなテーマとして
のインスタレーションを存在しています
展示最終日粉砕さんは
作品に自由に
触れてもらうことにしました
ちょっとうん遠慮がちに触る人
大胆に触る人
それぞれが作品が語りかける言葉を
五感で感じます
これが一本たりとも同じ色がないですね
同じ模様でこの人も
あの同じものが人は一人もいなくて
それそのいろんな人が編み込まれて
社会の中に存在して
まその中で
一つの社会が成り立ってたりすると思うんです
だからそれぞれの個性
ある日本たりとも同じ竹はなくてです
ねそれが見込むことによってこの構造を作ったり
世界を作っているっていうことを編む
ということであの表現したら素晴らしいですね
だからその一本一本がまある種
自分がそこにあるっていう感じですよね
そうやってそれで自分も何かこう
この大きな構造を支えることに少しの一部
になって話してなるべく話ですね
展示はわずか三日間
巨大なインスタレーションは
展示が終われば解体されます
一つの作品としてはこれで完成で
まあの終わるんですけども
またこの庇護はまこう説いて
またそれを使って次の作品に繋いでいくっていう
やっぱりこれで
例えば捨ててしまおうってなるとま竹林ま
これの庇護を作るのにもすごく時間をかけて
あの丁寧に作ってたりとかまあそういう
それぞれの人の思い
みたいなものを
すぐ捨ててしまうことになるのか
やっぱり素材とか
そこにまここの庇護に
来るまでにかかわった人とかですね
いろんな人の思いをまた次に繋いでいくっていう
はい世界を映す現代の竹の物語はこうして