日曜美術館「被災した美術品を救え!〜 文化財レスキュー 最前線〜」

日曜美術館「被災した美術品を救え!〜 文化財レスキュー 最前線〜」

去年、台風19号で多くの美術品が被災した。収蔵庫が浸水した川崎市市民ミュージアム、文化財の救出に当たる長野市立博物館を取材。 文化財レスキュー の最前線を見つめる。

放送:2020年1月26日

 

日曜美術館「被災した美術品を救え!〜文化財レスキュー最前線〜」

激しくほどあげているのが現状です
去年日本各地で災害によって文化財の危機にさらされました
台風十九号で長野県では筑摩側が氾濫し
甚大な被害をもたらしました
被災した寺では多くのボランティアが入り
生活の再建が進められています
まさかというその一言に尽きるっていうとこなんですけども
全く想像もしてなかったことです
そんな中泥水をかぶった掛け軸や古文書など
懸命に運び出している人たちがいました
地域の文化財をなんとか救い出そうとする
地元の博物館の学芸員達です
それが今回最大の全然知られてないものですけど
本にしてもお塾にしてもえーこんなものっていうのはありますよね
やはりあのすごく貴重なものがかなりありましたね
一方で未曾有の浸水被害を出した美術館があります
大量の雨水が地下から浸水し
収蔵品およそ二十三万店が被災した川崎市市民ミュージアムです
棚から崩れ落ち
水に濡れた美術品膨張した漫画本によってゆがんだった
日本各地から学芸員や修復家が集まりレスキューを続けています
現場に入ってきますとまずそのカビの臭いが花をつけます
カビが進行するのを止めたい
これ以上劣化をしないという状態で
安定した状態にしていくということが目指しているところ
文化財のレスキューが本格的に始まったのは
東日本大震災の時でした
被災した美術品の応急処置のため全国から専門家が集まりました
震災からおよそ九年今も修復が続けられています
被災文化財その十年たっても
まだ半分以上残っている作品を元に戻す活用するまでは
かなりの時間とお金とかかるのはもう仕方ないことなんですよね
災害が頻発する美術品をどのように守るのか
文化財レスキューの最前線を取材しました
以上美術館です
去年は台風十九号の水害や種類以上の喝采など
多くの文化財がそうした災害の被害を受けました
今日はそうした文化財を
災害からどうやったら守っていけるのかをテーマに考えて
いこうと思っています
ま文化財や美術品
僕たちはそれがこうそこにあってで
そこでこう干渉する
享受するっていうことを当たり前だと思ってますけども
それがその文化財がそこにあるっていうこと自体が実はね
そんなこう当たり前のことではないんだってことが
災害などによってねそうですねはいえー今日は
まず台風十九号で
二十三万点もの文化財が被害を受けた川崎市市民ミュージアム
ここで現在どんなレスキューが行われているのか
その辺りから見ていきます
去年十月日本各地を襲った台風十九号多くの河川が氾濫し
未曾有の被害を生み出しました大量の雨水が地下から浸水し
た川崎市市民ミュージアム地下収蔵庫に保管されていた
美術品の大半が水に浸かってしまいました
崎市が出しているハザードマップでは
以前から洪水による浸水の危険性が指摘されていました
取材した美術品はおよそ二十三番かつてない大きな被害でした
美術館は現在閉館中立ち入りは禁じられています
川崎市から緊急支援の要請を受けて駆けつけた岡田健さん
全国の文化財を保護するネットワークの責任者です
冷蔵庫に入れたのは四日後でした
残念ながらえー開けた結果は全ての種族に水が入っていた
もう中にカビがついていてという状態でした
たくさんの作品が被災しているんだけれども
どうしたらいいだろう
というところがなかなかま見出せないというところがありました
激しい水の圧力で壊された扉収蔵品の九割以上が
水に使っていました
日の湿度は百パーセントカビの発生が大きな問題でした
現場に入ってきますとまずそのカビの臭いが鼻をつきます
でこれはもう普通に書いたことのないような匂いがするわけですが
一般の家庭の環境
の中に比べてまあ何千倍も多いという状況で
カビの菌がこう飛び交うという風になります
そうしますと現場での作業は一時間も続けることは難しいということになりますので
いわゆるその防護服という上下のつなぎの物で
頭からすっぽり被るようなものを着てそしてゴーグルをつけ
て機密性の高いマスクをするという形を取って
健康管理も行っているということです
美術品の多くが棚から崩れ落ち
水に濡れてカビの繁殖の恐れがありました
優先的に救出されたのが近代日本画を代表する安田靭彦の作品
およそ六百点です
安田期以降の作品は一番奥の冷蔵庫に入っていましたけれども
まあ幸いにしてま有名な草薙の剣という作品がありますけれども
これは桐の箱に入って
その外側に漆塗りの箱に入っているという状態でした
二重函にしていたということがあってですのでカビは付いてい
ますけれども比較的きれいな状態で出てきたと言えると思います
算出した美術品は
これ以上カビが生えないように仮設コンテナに保管されました
えーカビというのは
湿度が何十パーセントを切っていれば
それは抑えられるということですので
まその音質土の状態を保つということをまあ
あの目指してこういう設備を作っているということです
美術品の他に漫画や映画
フィルムなどは九つの収蔵庫に収められていました
およそ六万三千円の漫画文は
水で傍聴棚が動かず壊して搬出しました
映画フィルムの収蔵庫は棚の下まで水が入っていました
映画フィルムなどは水に使ってしまうと
フィルム自体が使い物にならなくなりますので
外部の専門家が心配してすぐに救出活動を行いましょう
各地からそれぞれの分野の専門家がレスキューに参加
それができたのは東日本大震災の経験があったからだと言います
えーま東日本大震災の当時
まあれだけの災害が現実に起きてしまったということを
実感として持った人たちが
今回の一級委員会のようなものが
すぐに立ち上がるような連携体制を作っておきましょう
ということが提案されて
私たちの各団体がまこの活動を行っているということ
になりました
二千十一年三月の東日本大震災の津波が甚大な被害をもたらした
宮城県石巻市河口近くにあった石巻文化センタは
多くの文化財が被害を受けました
ままさか津波っていうのはちょっと考えてはいなかったですね
建物の一階天井部分まで大体行った感じだと思いますけど
収蔵庫が一階にあったんですけれど
あの緊急性の高いものからレスキューしたんだと思うんです
けれどもやっぱりカビの心配という風なことで
そこは随分気を揉んだところだとは思いますねはい
文化財を一刻も早く外に搬出し応急処置をする必要がありました
まずレスキューの最初の課題は
濡れて汚れた大量の美術品をどこに運べばいい
受け入れ場所の確保でした
受け入れてくれたのは仙台の宮城県美術館でした
美術館自体も被災していましたが
比較的被害が少なかったこともあり
駐車場や走行応急処置の場所に提供してくれました
えーと泥とか
あとま仮とか
そういうものものを一度あの綺麗にしてからでないと
中に入れられないので
まあこの場所であの一回最初に
まずはお普及処置をしたというところになります
搬出された文化財の応急処置は汚れの洗浄から始まります
全国美術館会議のメンバとして洗浄などの作業に取り組んだ
修復課の伊藤由美さんですあの海の近くのセンターです
だから海水津波の海水と同時に砂パルプお水汚れゴミですね
そういったものも
全て絡めたようなものが付着してしまったという状況です
完全に乾き切ってしまいますと
もう固着してしまいますので
現場でできる限りまで占めてるうちにあのー取るということで
応急の洗浄をしています
汚れを少しでも減らしておけば
カビは勿論あの繁殖は少なくて済むということはありますが
ある程度はもうここの汚いものは取るということまでは
個々の現場でやり
たいというのが一つの目標でした
洗浄が終わると古文書などはカビが生えないように冷凍保存します
美術品は乾燥やカビの菌を除去する
くん蒸などの応急処置を施します
これ以上作品が劣化しないようにする
こうした安定化の作業が大事でした
こういった応急処置でもですね
その作品に対しての処置ですのである程度専門の知識がいります
修復かですね
専門家を少しあの声をおかけして
生きていただくということをしました
ただ人数が限られていますので
学芸員全国の学芸員がその修復科の指導を受けながらサポとできる
状況ですねあのそういった体制を作りました
こうして東日本大震災で作られたネットワークが
川崎市のレスキューに行かされたのです
石巻市では震災から十年目となる二千二十一年
石巻文化センタに代わる新たな施設がオープンする予定で
建設が進められています
その設計には津波被害の経験が活かされました
海からはちょっと遠いところになってますし
ここは一メートル五十センチかさ上げしてえー
そこから建物が建っているという状況ですね
以前の文化センタはま酒蔵娘がま一階部分にもあって
まそれが結果津波が入ったっていうこともあるんでえー
今回の建物は酒造子は二回
どういうことが起こっても素早く対処できるために
日頃から心づもりだけは知っておかなければならないのかな
という風には考えるところがあります
ではゲストをご紹介しましょう
の文化財保存支援機構の理事長三輪嘉六さん
そして国立西洋美術館副館長で
東日本大震災の後はレスキューに参加して
石巻などの現場にも行かれている
村上浩也さんですよろしくお願いいたします
あの村上さんは
あの川崎市市民ミュージアムの現場に行かれたそうですが
その今回の被害をどのようにご覧になりましたか
じゅういち月の半ばから本格的な救助作業が始まりましたけれども
カビの信仰が思ったよりも早くてですねで
それがあの作業が非常に難しくしてますカビ
をなんか被害のこう深刻さっていうのがあるから
もう非常に伝わってきましたけどもえー
文化財の被害の多くはカビと虫
つまり生物被害が圧倒的に多いわけなんですけれども
今回は水害という中でまあほとんどもう水浸しの状態化学過程で
えーどんどんカビてくるしかも収蔵庫というその
密閉空間ですので非常にカビが発生しやすい状況だから
被災後数日でま全体にカビに追われる
っていう状況が多分続いてきたとそんな風に思います
あのあんな防護服をね付けてるってことはやっぱり人間のね
体にも相当悪影響は
どうしても一日にできる作業できる時間が限られ
ますのでなかなかあのーまあ
早くやらないといけないとは言いながら
あのなかなか難しいところですね
まずは書道として
カビ対策を何とかしなければならないという段階を経て
この後はどのような形でえーこれ以上カビが進行しないようにする
ということですね
燻蒸をして乾いたところでカビを取っていくと
あまり一気に乾いてしまうと絵の具が剥がれたりとか
あるいは神が歪んだりと
かですねそういう問題がありますから
特にかびの生えた資料が大量にある場合には
まあ対応が極めて難しいですね
これ先が見えてるんですかまあの修復という点でいえばですね
とりあえずあのカビのえー拡散を防ぎながらえーカビの除去で
特に怖いのはカビはあとを残しがちなん
ですよねだから
そういうところをなるべく丁寧に取り払っていくとか
これから当面しばらくつ続く大都市川崎市のですね
しかも中核的な大ミュージアムですので
収蔵品の数量もえ相当数えー
そこへの収蔵庫への全体の水による被害っていう点で
まあ経験したことのないえー同じ未曾有の
大被害ということだと思います
このねレスキューの動き出しが今回は非常にスムーズだったという
風に伺っけれどもそれはどうしてなんですか
あのやはり東日本男四歳の時のま経験が大きいと思います
あのーまこういった大規模な災害への対応というのは
その被災した地域や施設
だけでは対応できないと
そうするとま被災地の外から専門家が急に出かける必要があります
でまそのために
あの情報収集から学芸員や修復可能手配と
それから資材や車を手配するとまあ
そういったいろんな作業が伴うですけれども
幾つもの各分野の組織が連携して大きな全国的
な防災ネットワークが定着していたと
そのことは非常に大きな意味が被災地では優先順位がね
例えば人名だったり
暮らしだったりっていうことにどうしても分かれますよね
そういう時にそのネットワークの力っていうものがですね
あの被災地の中ではあの文化財まで手が回らないとだ
からこそあの被災地の外から急に出かける必要があるわけですね
この辺のその協力体制をどう作っていくかっていうのも
やっぱりやったことがないと難しいですよね
そうなんですよね
だから学芸員なんかがですね
対応するっていうのは
やはり文化財その他の美術品の取り扱いに慣れ
ているつまり
文化財の構造だとか内容だとか
そういうところが分かっていることの大事さっていうんですかね
だから学芸員なんかが先頭に立ってですね
レスキューに入っていくというのは
大変意義のあることだと思うんですが
続いてでは地域のお寺やあるいは個人が持っている文化財
をどうやって災害から救っていくのか
長野市の取り組みを見ていきます
竹馬側の水が住宅街に流れ込んでいます
台風十九号により筑摩川の堤防が決壊した
長野市長沼地区多くの家が浸水し倒壊した家もありました
二カ月が経った去年十二月
ボランティアによる復旧作業が続いていました
長野市立博物館の学芸員たちが
被災した地域の文化財を救い出そと現地に向かっていました
戦国時代に創建された古刹勝覚寺今回の水害で
本堂の中まで水に浸かりました
まさかというその一言に尽きるっていうとこなんですけれども
今度自体が昨日がもう普通の地面よりも高くなっていますので
この中一メートル
ここまで水来るっていうのは全く想像もしてなかったことです
掛け軸や日本が古文書など
寺が代々守り伝えてきた貴重な文化財が被災しました
音楽これがね
不思議なものマリアのみたいからこちらも難しそうですねはい
こうした全ての文化財は長野市立博物館が預かり
応急処置や修復をした後に地域に返すことにしています
入れてその中心で文化財レスキューを担っているのは
長野市立博物館の学芸員原田和彦さんです
何が書いたのかちょっと分かんない
顔見知りの住職から被災した掛け軸や古文書があると聞き
地元の大切な文化財が失われることがないように
救出活動を始めました
本当にあの長野市にとっては非常に重要なものっていうのは
いっぱい作業してる中でもですね
見てますんで
これがどういう価値のものかっていうことは
皆さんにこう公表していく
お伝えしていくような仕事っていうのは義務かなと思っています
これは次に原田さんが向かったのは
一回がほぼ水に使った休暇です
要請があれば
個人の家に伝わる歴史資料や美術品も集めて変わります
はいあのー大宮の方に入ってたものに関しては
もう泥の中に埋まっちゃってて
泥を出す時と一緒にもう出しちゃったって感じですかね
家主が冷静に一個一個これは大事だから取っておくんだよ
というようなことをやれる状況じゃないですよね
応急処置の作業は今回
台風の被害を直接受けなかった長野市立博物館で行われています
濡れてくっついてしまった
古文書などの資料一枚ずつ慎重に剥がし
水分を取り除く作業が続けられています
かなりのものが濡れてたりしたんでですね
ちょっとびっくりしたんですけど
これは手に負えるかなっていう心配ありましたけどもね
いろんな方からこうご存知頂いたり方法を教えてもらったりして
少しずつこう自分なりのですね
自分たちなりのやり方っていうのが決まってきたんで
原田さんを支えたのが
阪神淡路大震災で
歴史資料の保全活動を始めた歴史資料ネットワークでした
今回の長野市立博物館のレスキュー活動
その支援によって始まりました
いやはい長野にもネットワークをつくり
物資や人の支援をしてもらっています
近隣の寺から予想を超えて集まった多くの掛け軸や絵画
仏像など今後それぞれ専門家の意見を聞き
修復の方針を決めることになります
仏像からですね
掛け軸から文書から色んなものがあって
ここにみんな違うんですよね
やり方がやっぱりこれやっぱり一人で抱えてですね
どうしようって悩んじゃうとやっぱり進まなかったので
本当にあの水害というのは明日
明後日の本当にあの時間がない活動ですから
やはりこういった資料
ネット横のつながりって
すごく大事だということをすごく実感しましたね
三百を超える掛け軸は
仏教美術の専門家たちによって
損傷具合や美術品としての家事などについて
記録が行われていました
こっちは見えてる限りですねこれが今回最大の元かもしれない
新たに発見された歴史的に貴重な作品です
戦国時代
信長と対峙した石山本願寺の検尿承認を描いています
こうした作品のほとんどは
重要文化財などの指定の内に指定の作品です
しかしその多くは
地域にとっては大切に守られた価値ある文化財です
指定物件ですけども
やはり指定物件に大人なものいっぱい出てくるんですよね
やはり悉皆調査というのはやっぱり大事でしょうね
あのーやはりあのーすごく貴重なものがかなりありましたね
今やっぱりあの安定化の仕事しかないですけども
これがある程度落ち着いてきたらやっぱり文化財的な
価値っていうのはしっかりですね
位置づけていく作業もこれが私の仕事かなと思いますけどね
あのー美術館のね
収蔵庫にあるものはきっと貴重だろうなって
こう分かりやすいですけれども地域のお寺とかね
それこそもう個人のねお宅にあるものででも大事なもの
これはどうやったら守れるでしょうどう考えたらいいですか
地域の単位で文化財を守るネットワークというのを作って
おくことがと重要だと思いますね
ま全国的な組織が全てにすぐにあー対応できないと
やはりそれぞれの地域で最初の対応というのができるように
ネットワークを作っておく必要があるとで
そのさい今紹介されていた史料ネットというのは非常に重要ですね
あの資料ネットの方々
というのはどこのお寺や個人のお宅に
どんな資料があるかということをよく調査されていますし
そういう資料
ネットの経験と
教育委員会や
博物館の体制というのを結び付けていくことは
とても大切ではないかと思います
一番まあ基本になる問題はどこにどんな資料がどういう形で
存在するかということが
これまであまり多く分かってなかった訳ですよね
それは民間のもの
特に民間のもの
で一番私なんかかけてたのが多分悉皆調査だと思うんですよね
本当にあのくまなく山村から町中に至るまで
細かなそういう悉皆調査というのが
繰り返し繰り返し行われることが
一番理想だと思うんですでそこでしっかりした台帳ができる
そうするとあのどこにどんな被害があってもですね
台帳をベースにしてえーま文化財の保存
あるいはゲストの活動ができるというまあ
多分そういう展開が一番理想の形だと思います
ま被災してですねその初めて発見され
たいわゆる未指定の重要な文化財っていうものが
こうあると思うんですけれども
まあ十指定というと非常に軽々しく考えられがちなんです
ましかしそうではなくて将来の指定の有力な候補でもある訳です
でま日本の制度で国がして
あるいは都道府県の指定あるいは市町村の指定と
まあいろんな段階があるわけなんですが
特に地域あるいは地区の歴史や文化をしっかり見て国はですねえー
そういうものをほんとに細かく
しっかり理解しながら大事にしていく
そういう展開が大事だというふうに思っております
どこの自治体でも防災計画というのは作っているはずですけれども
やはりその中に
文化財の防災というのを一つ
きちんと入れておくことが必要じゃないかと思いますね
それがあれば
あのーまああの文化財に対する対応
というのも随分変わっていくと思うんです
では続いて救出した美術品
応急処置の後の修復はどのように行われるのか
その辺りを見てまいります
東京芸術大学今日どうぞよろしくお願いします
保存修復の専門家土屋裕子教授を中心に
津波で被災した美術品の修復が
九年近くたった今も進められています
これがこのような状況です
周りのこのぼつぼつした黒い点っていうのは
これカビですかはいカビです
一週間でこういう風になったと思います
津波により学芸のほとんどがなくなった
岩手県の陸前高田市立博物館美術品の搬出が遅れました
そのため作品の多くにカビが生えてしまいました
こういう部分はあのー何でしょ塗って隠したりするんですか
はい油絵の数理の基本で絵の具の上にですね
この輔祭といっこの汚れを目立たなくするためには
一層のワニスを塗布いたします
それでワニスを塗布して
その上から油絵具ではなくて採用の後に除去できる
そういった絵の具でもってこういたします
このカビのシミっていうのは取れないです
これを取ろうとすると
結構強い溶剤と言いますかこう液体を使うんですけれども
それがあのこの作品を痛めてしまうので
なかなか難しいね
水害にあった絵画の修復で完全に除去できないのがこのカビです
燻蒸して金を除去しても完全には取れず
こうした黒いしみになって残ってしまいます
の工房で行われている水彩画の修復
ここではカビを除去するために漂白液を使います
紙の繊維を傷めないノードの漂白駅で
旅を一つずつ丁寧に除去していきます
はい完全に消えないにしてもどのぐらい変わります
その漂白でカビをただ
やはり最初濃かったカビの跡があの少し薄くなって
図柄が明確に見えてくるような感じにはなると思います
津波による被害でもう一つ厄介なのが塩分の除去です
盛岡ではアクリル画の脱塩が行われています
塩分が残っていると大気中の湿気を呼び込み
絵の具が収縮し亀裂の原因になることもあるからです
うんそのため水で塩分を溶かし給水四十で抜き取っていきます
脱塩処理をして汚れた部分に色を補い
クリーニングをすれば修復が完了します
二千十一年から考えて二千二十年だっていうときでも
作業は終わらないですね
来年で一応十年っていう区切りが終わりますけれども
半分ぐらいしか終わらないと思うんですね
あのーものすごくこの修理の作業っていうのは
時間もお金もかかるですね
まあねでも本当に何もかも失ってしまったような地域のみ
皆さんにとってみると
きちっと作品が蘇るっていうことは
それはすごく大事なことなんでしょうね
文化財っていうのはやっぱり心のよりどころになると思うので
それを見て色んな感情がありますですので一点でも多く修理したいと思います
岩手県立美術館ではこれまでに修復の終わった作品の展覧会が開かれました
地元とゆかりの深い画家の作品三十五点が展示されています
まだ薄暗い朝の光の中で踊る人物を描いたあさまだき
記載した直後は顔の部分の絵の具が剥がれ落ちていました
下のように色を補い復元されました
パリの街角を色彩豊かに描いた作品
左側被災した直後は色が剥がれ落ち傷もありました
なか福田鮮やかな色彩を取り戻しました
無念近くの歳月を経てようやく地元の人たちに披露された作品
しかし展示ができるのはまだ半数修復も多くの課題が残されています
をマイナスだった状態をもう復元
そのときの状態に近くするっていうことしか私はできないので
それを目指してるんですけど
展示室に作品が展示されるまで
これが私たちの関わらなければいけないところだと思っております
ので展示があのかなったときによかったなって
そういう思いになればいいなと思うんですけど
柴田さんはね修復の現場に行かれてましたけどもあのどうでしたか
まあねとにかく途方もない
時間と記録と労力を必要とされるようなね
お仕事でゴールが見えにくい
つまり全部は治せないし完璧に前と同じ状態にも戻らないですよ
ねこれってどこで線引きをするんですか
まず大きなそれから落ち着いてしっかり修理していくかって
これはまあ作品の内容だとか作品のまあ
言い方悪いですが価値っていうんですかねえ
そういうところにも左右される場合を
被災文化財のあるいは被災資料の状況を見ながらその程度に
応じて修理をしていく
まそういうことにどうしてもならざるを得ないと思うんですね
あの西洋美術館でも
常にこう修復をされている
その作品っていうのもあると思うんですけども
なかなかこれ
どこがやっぱりどこで終わるのかっていうのは難しい問題ですか
今あの西洋美術館でも
石巻文化センターのま被災した美術品を預かっています
お預かりしてえその間に出来る限りの修復をま寄付金を集めながら
ただ東日本大震災から九年たってますがまだまだ実際終わらない
あの応急処置というのは
まあ人間で言えば傷口を消毒して包帯を巻くと
まあそういうような限られた時間の中での作業ですね
それに対して本格的な修復というのは
まああのその状態の調査から始まって
色々なまやり方がある中でどういう方法を取るか
そしてさっき宮先生がおっしゃったようにどこまでやるか
そういうことを判断して一つ一つやっていかないといけないと
それは大変な時間がかかりますね
まあ特に昨今はこう未曾有の災害が起こるようになって
被害をなるべくこう受けない避けるっていうか
そういうことをすくなく少なくて現在という言い方を
よくするんですけども
まああのそのために
これまでの危機管理のあり方なんかも
当然見直しをしっかりしなきゃならないし
再再検討しなければならないような課題っていうのは
多分いっぱいあると思うんですね
ま美術館で言いますと
阪神淡路の大震災をきっかけに
あの地震対策というまかなり進んだと思います
一方であの水害に対する備えというのは本当にまだこれから
あの本当に東日本大震災以降
特に近年あの度々あの水の被害というのが起きてますので
それは改めて見直しをする必要があると思いますね
例えば海や川の近くで地下に収蔵庫があると
まあそういったことが本当にいいのかという
よりはかなり危険ですね
ま今のえー自体を見ると
あのその施設ができた時とは
条件が自然の条件が変わっているわけですから
収蔵施設のえー条件っていうのをもう一度
本当に見直したほうがいいと思いますね
で典型的にはですね
ちょうど十数年前に出来上がりました
九州国立博物館
ここの酒造神っていうのはちょうど二階にあるわけですが
ちょうど卵の黄身みたいな
そういう役割をしゅうこうがしておりまして
ま酒造神っていうのはえー
各博物館資料館の一番大事な部分ですので一番いい
場所に酒蔵こを作っていくっていうのがま
今の大事な文化財の保存の基本的な考え方
そんな風に思ってます
残っているんじゃなくて
残していかなきゃいけないというそうですね
じゃあ私達に出来るレベルの明日から
私たちに出来ることってないですよね
いかに文化であるとか文化財
とかに関心を日常的にどう思っていくかというまあ
そういうことその大事さっていうのはあると思うんですね
我々の普通の生活の中で
普通に文化財や美術というものを考えていく
取り入れていくまそんなあり方っていうのは
一番基礎的な面で大事じゃないかなとそんな風に思って
おりますけれども
やはりあの共有をするという考え方がとても大事だと思うんですね
あのまあお寺にあったり個人のお宅にあるものでも
その地域の全体そのためのものであるというまあ
そういう意識を持って日頃からあの情報を共有していること
そして一緒にえーその文化財を保存し
ていくという
そういう姿勢を持つことが大切ではないかと思いますね
今日はどうもありがとうございましたありがとうございました