10月に石川県金沢市にオープンした 国立工芸館 。かつて皇居の側にあった東京国立近代美術館工芸館が移転した。収蔵されているのは、明治以降「近代」に作られた作品たち。ある時は国の後押しを受け日本文化を世界に知らしめ、ある時は芸術家としての個性が爆発する。鈴木長吉、富本憲吉、松田権六、角偉三郎など、<伝統>と<個性>が拮(きっ)抗し生まれる美しい世界を紹介する。
放送:2020年12月20日
日曜美術館 「至高の工芸をあなたに〜金沢 国立工芸館〜」
皇居のほど近くにあった伝統工芸品の殿堂東京国立近代美術館
その名品たちが今年も引っ越し
移転先は加賀百万石の城下町金沢です
新たに国立工芸館として
この秋オープンしました行ってきましたよ
金沢にあのメレンゲ作りの建物なんかが並んで
てなんか木々も葉を落としてね
なんかで趣があるって言うか
歴史の街っていう感じですよね
今日はどうぞよろしくお願いします
主任研究員の花井と申します
よろしくお願いします
建物自体も結構古いのでそうです
こちらはもともと金沢の家に
長く保存されていた
明治後期の陸軍の朝鮮第九師団
司令部庁舎と
将校たちの工場として使われていた
建物を保存一句して活用してる
どうぞ可愛いお邪魔します
この部屋ははい
あのこちら最初の展示室は
国立工芸館の街子
紹介のようなお部屋ですね
他の代表する名品を集めておりますので
是非ごゆっくりお品物をごひゃく
台国立工芸館の
コレクションは全て明治以降近代の工芸品です
素晴らしいですね
どれもすごいな
すごいなこれ一緒に
なんかあのケーキだと思いました
これですよすごいなこれ干渉した小野さん
気になる作品がありましたが
手に乗せてめでたい
見たごセンチほどの小さな裏に
実に細かな模様が施され
ています実はこれ
硯で墨をするときに水を注ぐ水滴という道具
銀を1/4含んだ
銅の合金支部いちを使っています
くちばしから水が出る
ちょっとびっくりした表情なんかも口が開いて
この犯人の症状ですとか
本当にたくさんの金属を交換して
イタリアので混んでいたりして
あの花の柄が細かいですよね
金属なのにフサフサしてるよねえさわ
旅館部屋に入って
すぐ吸い寄せられたんですけどね
このちょっと美味しそうな色合いって
言うんですか
これこれの色ってところ
着物でピンク色を出すとすごく難しい
赤やピンク白などの土の層がまるでミルフィーユ
のように重なっています
表面の無数のひび割れによって生まれる
独特の表情アクションの松江高専さんは
最初はなるべく傷が出ないように
出ないようにで作ってたんですけども
ある時ふっと見た時に
この地図の美しさにハッと驚いて
そこからもつるっとしてなくていいんだ
よって動い日々も
シワもシミもいいじゃないです
こういうことなんだろうか
そもそも現代の工芸とは何だったのか
どのように発展してきたのが
その始まりを物語る作品があります
桜の花に鳩が止まってい小さな鳥は
それ焼き物です
初代宮川香山の作品超細密にして勝利あり
京都出身の高山が明治時代横浜へ移住
どこで釜を開き
超絶技巧の作品を次々と生み出しました
取りますみたいなそうです
そうですもちろんいますが
実はいる花も桜花びらがほら
すごく長く生きた動物
彼はもともとこういう作風の人だったら
それと明治になってなんかコンサートそれ
までパトロンだった
大名家からは
ちょっとパトロネージが絶たれてしまう
してくれる方がいなくなってしまうので
彼は横浜に来て
横浜といえば港町で貿易ですね
明日ので海外向け主に欧米向けの焼き物
お米の輸出用のあの商品という作品が
外貨獲得という意味もありました
けれどもあり日本の技術力を
海外の人に発信してくという
大きな命題を背負って
焦げ形がものづくりをしていたとあります
じゅーきゅー世紀半ば
ヨーロッパで始まった
万国博覧日本政府が
初めて公式に参加したのは
1873年オーストリアで行われた
ウィーン万博でした産業技術を
競い合う万博の場で
日本は自国の技術をアピールすべく
こんなものを展示します
名古屋城の金の巨大さと派手さで
人々の目を引こうとしたのです
こちらは龍の絵が描かれた巨大な提灯
世界は驚きます
日本の職人の技術の高さに
海外の人々の度肝を抜くべく
工芸家たちは
超絶技巧を発揮したのです
国家の威信をかけて
そして明治の超絶技巧の真骨頂が登場します
1893年のシカゴ万博に出品され
最も高い評価を得た工芸品
キンコウカ鈴木長吉の十二の鷹
鋭い爪部位によって
形の異なる羽くちばしをかすかに空け
にやりと笑うかのような表情道を
中心に金や銀などの金属を使い
作られました
作者の長吉は実際に鷹を飼育して射精を繰り返し
製作に余念を費やしたと言います
いかに本物らしく作るリカに
誰にもできない技を見せつける
それが明治の工芸の目指すべき道でした
しかし20世紀を目前にし
時代は大きく変わりまし
た1900年のパリ万博で
新しい芸術の潮流が注目を集めたのです
アールヌーヴォーです
曲線を生かしたフォルムに
自然を抽象化したデザイン
人々はしなやかで軽妙な世界に心奪われます
こなたきこってり写実的だった明治の工芸は
時代遅れになったのです
そんな中新しい工芸のあり
方が生まれてきます
こちらは富本憲吉の作品です
あのー明治の工芸形は国家のため
信仰というのが
あのバックグラウンドにあったんですけれども
富本憲吉の世代になると
個人として自分の表現として工芸品を作る
ということで一からこの人作るんです
今まではあの工芸っての
は基本的には分業で
それぞれのプロフェッショナルがそれぞれの工程に
たくさん入って積み重ねていくんですけども
富本憲吉からそっちから送って生地を焼い
微妙な成功になんか
興味なんか分割してるって感じじゃないですよ
なんで職人さんの角栓とは
やはり違うのですがそのまま大正
から昭和にかけて活躍した富本憲吉
その姿を写した貴重な映像です
元々インテリアデザインを学び
ロンドンにも留学したことのある
富本陶芸の世界へと
本格的に足を踏み入れたのは
20代後半の頃
富本は宣言していました模様
空模様を作るべからず
富本は過去の名人達の
作品をしっかりと学ぶ一方で
その本は決してしませんでした
このシダの文様も独自のもの
自分の目で自然を見つめ
射精を繰り返し生み出したので
陶芸だけではありません
竹細工の世界でも
作家の個性が光るようになります
生野祥雲斎の丈下記の通り
まるでメビウスの輪のよ竹と
いう素材を知り尽くす作者は
その弾力性を最大限活かしています
さらに竹ひごのツルツルとした
表側だけが見えるよ
薄い二枚を払わせにして
ダイナミックにして繊細作者達は惣菜生き方
そして自らのアイディアを三位一体にし
唯一無二の世界を構築するようになったので
古くは
縄文時代から使われてきたと言われる
漆の器底にも
個性豊かな表現を追求した人がいます
松田権六漆の神様姿勢と言われました
マツダの言葉です
人にマナーモードにはなる
自然に学ぶ先人に学びその作品に学び
そして目の前に広がる自然に学ぶ蒔絵螺鈿
有職者箱松田は
正倉院宝物の琵琶に施された文様ヒントに
優雅な有職者をデザインしました
正倉院物は違う
色味の木材をはめ込んで作った木象嵌ですが
マツダはそれを
漆芸家ならではの技法で表現しました
金や銀などの金属の粉を上手く蒔絵
貝殻の内側虹色の光沢を持つ
部分をはめ込む
社殿それらの手法を見事に使い分けることで
歴史ある者様が新しい輝きをの生まれ変わる
埃ひとつ許さない
マツダの攻防を撮影した貴重な映像で
ものまねお城って言ったらね
もしもそうだったら別に難しくないんですよ
ただそれはもうしゃんもその話しちゃって
国宝に匹敵する国保
でないものを作ってことになってくると
どうしてとしてなかなかできません
マンセルを一生懸命に目標にしても
勉強はしているつもりなんですけど
会えず変化を続けてきた近代の工芸
多くの作家が創造のヒントを求めたのが
その土地土地の風土です
こちら沖縄の件4月
のイベントなんで
こんな形なんたろう
そうなんや三日月刀のここの模様に見えて
実はこの紐通しがついてますはい
この星の恋に落ちるそうなの
携帯用の家で教えてもらえる沖縄の焼き物って
家の色はもともと黒いんですね
節分が凄いので
白い焼き物を作りたいときには白い化粧
してるのは着物で
こういう色合いのものありますので不安です
生活に使うね昨日の泊まりごほん時は九州です
はいこちらの鍋島藩と江戸時代からまあ
有名な鍋島焼昔から
そのこの地域っていうのは
白い純白の児童が取れる済んだ
純白の下地のおかげで
赤も青も鮮やかに見えます
この城があるからこそ
透明感のある模様が生まれるので
同じ時期でも北陸の九谷焼だと
また趣が違います
九谷の北窯の作家の作品です
地の塩比較すると済んだ純白の鍋島焼に対し
九谷焼は少し灰色係限りがあるよ
そもそもその記事自体の色が白が真っ白だったら
その余白
を見せたかもしれないんですけども
少しあの色合いが限りのある色たので
鮮やかな色を乗せるのに適している
国とにの焼き物が
あの記事そのものよりも
エロ絵の具で見せてくって言うか
9月6日目を引くぐらい
美しくにもあそこやっぱ行かないですよね
やっぱちょっとくすん
だ白だからの背景色になれるるっていう
そしてフードを感じさせる極め付きの作者が
この人お家の壁の板を取ってきた
作者の角偉三郎は捨てられようとしていた
廃材をつなぎ合わせ大皿に仕立てました
傷だらけでも
その風土に根ざす素材に可能性を見出した人
近寄るだけでかぶれる
と言われる漆
それを少しも躊躇することなく手で触り
絵付けをしていく角偉三郎は
型破りな手法で器を作り続けました
木目が残る生地にあるで
漆と遊び戯れるようにして施された文様
そうやで素朴な風合いが伊三郎の特徴です
お酒のせいもあるけどね
TYの道具だとどう
しても綺麗になりますよね
均一したものになる
その調子によってね来ての拡張子によって
その思いもかけない違うよさ
子って出てくるショタショタれたりする
膨らんできたり
あれはせんがに人だって石川県輪島市
ここで輪島塗の職人の家に生まれた伊三郎
しかし若き頃
は職人ではなく芸術家を目指していました
漆のパネルに絵を書いたさんじゅー
はち歳の時発表した作品この作品で
伊三郎は日展の特選を受賞
しかしこの前衛的な表現に迷いもありました
そんな時輪島市の隣の小さな集落であるもの
と出会うのです歴史ある寺の住職がい
さぶろうに見せてくれたのです
村人たちが昔から使ってきたという
おわん号ろくまで高台が高く
厚手で大ぶり古くは
室町時代から使われてきたと言います
昔は畳とか午前何でもない
自分から作っていたのかもしれない
そうすると泊まりでも
むしろの上にでも置けるで
安定させる形
そしてあのなんだ
あれくれたの
作業不思議探偵社と入って持ちやすいように
という楽譜生活の中でゆっくりできた家は
その土地の風土を感じさせる終わん伊三郎は
漆本来のあり方を見た気がしました
アルテグラ本堂で転がったり
大広間でワット寝て好きなだけ食べ
ながら話してるとありがとうございました
しょうぞう横浜行ってきました
入ってこれから作りますって言って
帰って作風はガラリと変わります
荒々しいデザインに素朴な形し歌詞
漆の作品として認めない人も多くいました
それでも伊三郎は
自分のスタイルを変えませんでした
綺麗には
しない手を加えつつ
風土に根ざした素材を活かす伊三郎のスタイルは
今も受け継がれています
息子の角ゆいさんです
降ってきて着くと思うんですけども
守りこういう自然の素材が丸見えな時は
あんまり目立たないとね
待ってもいいかなと
自然の通りからみたいな感じすね綺麗
な本当には自分で綺麗なものだと
本当に少し酷い好みというものがあると
ちょっと嫌な感じしますけど
もう一度作ってるものは
そんなに雰囲気的にも素材に近いものが
ちょっとした節が反対に個性
父は言ってましたね
父が目指した者さんはこう語ります
勝手に出来たって
おかしいですけども
家の人に行かれてないけど
昨日このように
入ってきたっていう言い方をしてました
けども本当になんか
私からは切れたようなって
今生まれてきたって感じ
セント千年から生まれてきたそういう感じで
バスの試練と密着した
本当にお椀っていう漢字を
ほんと父が作りたいと思ったんでしょうね
今が繋がるて作ってる今回
利三郎が手でつけをした
ごーろく案を収蔵庫から出してもらいました
特別に触らせて頂きます
別れそうなカレーですか
思ったよりほんとだよね
綺麗で来てる感じが入れたにおいても
そうだよみんな器です
のでその模様の中っぽいですね
りんという風に書いてあるんですけども
はいあの入ってこれですか
今でも見えないですよね
やはり買って頂きたいと思って買ってくと
この漆野とまくってるのが
透明感を見て行くので
その含まれてる部分が
キラキラと分かるようになってまし
たから使って行けば
行くほどの作品の妻が出てくると
長い時間をかけてずっと淘汰されて損し
この発明に着いたっていうのは
昔からあったけど
あまりのやはりすごく不幸には彼の個性
こまれていて
頭の中にこう
自らの創造性をぶつけて来るって言った
ですねその子の
長い年月培われてきたそのデントって言うな
それを受け止めきれるってコストコ
その構成作家の個性とその伝統が会話して
作品が生まれてる
北陸の風土が生んだ九谷焼のコーナーに
あの作家の作品がありました
決して無法はせず
新たな表現を目指した富本憲吉です
実は富本は九谷
焼の北出がまで学んでいました
黄色のところに点々が売ってあるんですね
実は黄色いいう薬って流れやすいんですね
すごく一番時計安いので
なぜてん点もかかったデザインではなくて
決める機能がある
それをあの時に行って
昔の北端には
みんな黄色に点々があるだってことを
気づいてそれをも嬉しそうに
その発展を支えてるんですよ
きちんとそのデザインには
その理由と機能がある時のそれは
もう昔から代々皆さんわかってきたことだ
なるほどいま自分は分かったとも
実はこちらの器見えないような人ます
人のますね
北さんもあの受け入れる側とし
て糖尿とさんです
非常に好影響を受けたっていう感じが
素晴らしいよね
和光自然界にあるものを自分の持ち主として
よくお使いになってタッチすると
もし頃寝たかな
よかいるって言うのは自然で
それをお互いにお互い行ったら
やってる感じがします
これだからその北出さん
ていう職人職人さんも
特に近代的に目覚めになる方法
違うんですよね
そして人ですよね
その二人が新しいものがも出ていくって
いうのね面白いですね
今それぞれの土地で
風土に根ざした
新しい個性が花開こうとしています
ここでひゃく年以上続くたに焼の窯元です
現在の当主
である4代目の吉田幸夫さんは
去年工房の横に
石造りのユニークなギャラリーを新設
天窓の光差し込む室内に
初代からの作品が並びます
あのー本当の色っていうのは
やっぱり代行の試練コートがやっぱ一番よくって
明治時代に活躍した初代は
まさに超絶技巧金沢の特産である金箔を
粉にしてまく
キンプリの手法で人気を得ました
三代目の吉田みのりさんは
透明な釉薬を金箔にかけ
その輝きを長持ちさせる手法でにせん
いち年人間国宝となりました
そして東大のゆきおさんの作品
少し山の正面に
もう少しで気をつけてますね
ちょっとあの味わいのある色調に
なってるかなと思っています
やっぱりこれも金を使って
お仕事でもう代打
本当にしても命にしてきた
うちの伝統的なものを引き継いで
新しい表現をしていたいなっていうことで
始めた仕事です
飾るだけでなく使ってほしいというゆきおさん
地元の料理店でも実際に使わ
れ方だとか
そしてこちらは同じ工房で製作するよ
キヨさんの息子太郎さんの作品
京都で学びました
最近は使われていません
ここ来たかというような感じはありますね
確かに大雪時に
ちょっと僕ながらだとおもちゃですけども
やっぱり掃除するとこないじゃんね
黙って見てます
父母のものとか
昔のままのものを
どうやって乗り越えるか
ってことは常に考えてきましたが
同じだった見附正康九谷の伝統技法
赤絵細描によって
独特の作品を生み出している作家です
日本画で用いる面相筆の周りの毛を一周
文ぐるりと鳥さらに遅くしています
文様はオリジナル
ヨーロッパの教会のドーム
天井やイスラムのアラベスクをヒントにしている
と言います見附さんの作品は
現代アートの美術館でも展示されました
まるで絵画のように壁に掛けるという
ユニークな点
見る角度によって表情を変えるオブジェのよう
僕の場合はパリキャンパス的と言うか
干渉していただく方が嬉しいですね
全て題名は無題にしてるんですけど
自分がその柄を作って
お客様が何かそのお皿を見て
どっか違う世界に浸っていただくと言うか
違う世界に連れてってもらえるような中
そういう作品ができたらいいな
と思って作ってます