20世紀で最も重要な画家の一人とされるフランシス・ベーコン。その死の直前に、千点を超える作品群が、親しかった友人バリー・ジュール氏に秘密裏に託された。それは、生前の「ドローイングは描かない」「デビュー前の作品は破棄した」といった伝説を覆すもの。存在が知られるや世に衝撃を与え、真贋(がん)をめぐる議論も巻き起こしてきた。初来日した作品に、ベーコンを愛してやまない写真家・レスリー・キーが迫る。
放送:2021年5月23日
日曜美術館 「フランシス・ベーコンの秘密 バリー・ジュール・コレクション」
人間の奥底に眠る恐れを目覚めさせる画家がいます。
20世紀で最も重要な画家の一人。
フランシスベーコン。
戦争の世紀。
絶えることのない殺戮の狂気を見たことのない三頭の怪物に表し。
神なき時代。
人は何によって生きるのか。
宗教の意味を問いかけた。
現代人の孤独を、うめき声さえ失われた大きな口の漆黒に描きました。
完成した絵だけが真実を語る。
そう信じたベーコンは絵画から一切の物語を排除。
絵が生まれる背景を消して明かしませんでした。
隠し続けたベーコンの秘密に迫る作品群が初めて日本にやってきました。
バリー・ジュール・コレクション。
死の直前までベーコンが密かに手元に残したペイント跡の残る雑誌の切り抜きや写真。
コレクションの中にはベーコンが決して描かないと宣言し、この世に存在しないはずのドローイングもありました。
これらの作品は死の直前、友人・バリー・ジュールに手渡されたものでした。
「彼は私の車に書き込みされた雑誌やデッサン、たくさんの本、何枚かのフルてえを積み込むように命じました。それからアートワークをどうしたらいいか尋ねると、バリー、君はどうすべきか知っているといいました」
中にはベーコンがベーコンになる前、修行時代の若き日の油絵も含まれていました。
処分して存在しないと言われていた作品です。
しかし今回、ベーコンの著作権管理団体はいずれもベーコンの手によるものではないとの見解を示しました。
今は亡き偉大な画家、フランシス・ベーコンが友人に託した問題のコレクション。
その知られざる真実に迫ります。
アトリエに人を入れなかったベーコンの作業風景をとらえた珍しい写真があります。
ロンドン、リースミューズ7番地。
ベーコンのアトリエ兼終の棲家でした。
許されてこの写真を撮ったのはバリー・ジュール・コレクションの所有者、バリー・ジュールです。
ベーコンが手に持ち何かを描き加えている写真。
そこにはベーコンともう一人の人物が写っています。
金髪で長身のこの男性こそバリー・ジュール。
このペイント作品もまたジュールコレクションの中の一枚です。
「面白いことに私が初めてフランシス・ベーコンに会ったのは実際に直接顔を合わせたわけではなかったのです。1978年の1月の初め、私が車を止めふと見上げると私の住んでいる通りの端の壁に窓があったのです。そして誰かが窓ガラスに力強いストロークで人物や顔などを描いているのが見えたのです。
アトリエの近くに住んでいたジュールは不思議な出会いから14年。
細々とした身の回りの世話をする関係から、いつしか海外を供に旅する気の置けない友人。
ついにはアトリエの鍵を預かることに。
ベーコンが描き上げた作品が気に入らない時は代わりに絵を処分するほどの関係になりました。
そんなジュールにベーコンが死の10日前に贈ったのがバリー・ジュール・コレクションです。
日本で初めて公開される秘蔵コレクション。
展覧会を誰よりも待ち望んでいたアーティストがいます。
写真家レスリー・キー。
シンガポール出身のレスリー。
光に満ちた華やかな色彩の写真で世界を舞台に活躍。
自らのセクシュアリティがゲイであることを公表し、昨年パートナーのジョシュアと結婚しました。
「ベーコン亡くなったころに私は初めて日本に来て、学生の時に神保町で本屋でフランシス・ベーコン。やっぱし影響されてました。ベーコンの自分が自然に見えることも、ある思いを感じました。自分の人生を賭けた作品を残すことは魅力的だ」
コレクションと対面する日が来ました。
「この雨の中まるでベーコンのテントみたいにね、その色が色々飛んでいく」
まず訪れたのは油絵の部屋。
独特な画風で本格デビューする前に20代初めに描かれた作品。
ベーコンは生前全て処分したと話していました。
入り口に一枚の絵が飾られています。
自画像。
ベーコンの死から四年後、ジュール・コレクションの存在が初めて公になった時
真っ先に公開されたコレクションを象徴する一枚です。
ピカソと並ぶ20世紀最も重要な画家と言われるベーコンの未公開作品の発見は大きなニュースとなり、美術界はわきたちました。
しかし、おどろおどろしさとは無縁の絵に関係者からは本当にベーコンが描いたのか疑問の声も上がりました。
こうした中、ジュールは一枚の供述調書を作ります。
アトリエの向いに勤める女性がベーコンがジュールの車に作品を入れたのを見たとの証言でした。
これに対し、ベーコンの遺産相続人はジュールに作品を返すよう求めました。
しかし、その後訴えを取り下げています。
今回ベーコンの著作権を管理する団体に見解を求めたところ、次のような回答が返ってきました。
ジュール・コレクションはベーコン以外の誰かが作ったものだと信じている。
本物と認めていない作品と一緒に番組の中でベーコンの作品を使うことは認めない。
展覧会を企画した神奈川県立近代美術館に聞きました。
「作家本人がそれをオーソライズするためにも死んでしまってるのが決定的ですよね。どうしても真実はちょっと見えにくくなる。そのことに対していろんな反応が起きた。でもそれ、ある意味その反応自体を見ていくことも面白いことです。あれほど生きてる時から伝説のような人が死んだ。見せないものが見えてきた。ではそれ何と、みんなが思う。見る人によってその見え方が違う。一流のアーティストあればあるほどその部分は非常に複雑に反応を呼び覚ます。その経緯も含めてこの展覧会は興味深い展覧会だというふうに思っています」
今も論議が続くジュール・コレクション。
レスリーの目にどう映ったのでしょうか。
「なんか原点がわかるね。少しでも最初から本人が持ってる関西じゃないすかくすんだけど鮮やかさを聴く続くすんでいる気がする。なかなか難しい色基本は攻めな」
レスリーが色彩とともに注目したのが絵の中の線でした。
「もともとまっすぐの線と人間の人間の形をまじてるのがここに見える気がするどんどん後半の方は真人間に送るコメットのその環境にこの彼がいるのはその大きさで環境には線を書いてあるんですか」
作風を確立した後のベーコンの絵では、レスリーが言うように人物の周辺を線が囲っています。
檻のように見える線。
レビュー以前に書かれたとされるジュールコレクションの絵にも後の作品に通ずる線が描かれていました。
私から見ると刑務所みたいに、一人と女刑務所の中で入るの人達みたい。それはまるで田舎で港仕込まれてる
これらの絵を描いた頃、ベーコンが20代始め、独学で絵を書き始めまもなくのことでした。
彼の人生は波乱に満ちています。
厳格な父のもとアイルランドに生を受けたベーコンは病弱で喘息持ち。
ほとんど学校にも通えませんでした。
17歳の時母の下着を着けているのを父に見つかり勘当。
家を追い出されます。
あてのない放浪生活の始まりでした。
身寄りも保護者もないベーコン。
身を寄せたのは夜の世界。
同性愛者のコミュニティでした。
法律で同性愛が禁じられた時代から自らがゲイであることを公表し生きたベーコン。
その横には家を追い出された時から献身的に尽くす乳母、ジェシーライトフットがいました。
次に訪れたのはXアルバムの部屋。
Xアルバムとはウバジェシーの死後落胆したベーコンが彼女の写真アルバムの表紙に大きくバツを書き、全ての写真を抜き取った台紙一枚一枚に絵を書き連ねたもの
生前決して書かないと言っていたドローイングがまとめて発見されたのは事件でした。
「すごいパワー。どのくらい夜の時間どのくらい時間を使って書いてるだろうね。社会に自分が思ったの感情を何か残したいと思う。それをどんどん言葉じゃなくて絵にして残すって言う彼の一つのコミュニケーションツールとしてかもしれないね」
注目したのはゴッホを題材としたはち枚のシリーズです。
「彼はあるけどフランシスベーコンのシャコインっては評価されてる時期だからね珍しいですかあんな評価されてるの自分が」
確たる地位を築いたアーティストが
あえて過去の巨匠の作品に挑むレスリーはその意味について考えていました。
「1回自分の世界離れたいやつで怒られてそのもう一人の学科の自分に想像して飽きちゃって一回自分を止め休んで自分がこうなる時はどんなものできるって事はまた次のステージ試してるだから写真家。私も含めて音楽アーティストも含めて、最初の頃の作ったものはいつもすご特別と思ってねどうか5年10年経ったら形自分の女と一緒に釣り行きは出てきてるじゃんですかそれにさんじゅー年間あったら飽きちゃった時にもう1回何か原点に戻るためにはたまにまた行きましょう気に自分がいるのに好きな作品を見てそこでまた新しくを乱すこれは書くことなんてまだ次の彼が作品の次の展開になったかもしれないね」
ベーコンは油絵でもゴッホ題材にした作品を何枚も発表しています。
より鮮やかで強い色彩絵
ゴッホをテーマにしたドローイングを書いた時期
ベーコンの作風は大きな変化を遂げました。
ベーコンの代名詞ともいえる叫び。
それをタイトルにしたドローイングがあります。
ベラスケスの名画を題材にベーコンは油絵、叫ぶ教皇シリーズを描いています。
その下書きとも思えるドローイング。
しかしその絵にはベーコンにとって別の意味があったとも考えられています。
「完成版が頂点であって、例えば鉛筆のドローイングは層構造を考えればそれは下の方にあるって言う考え方っての普通のアカデミックな腕の考え方ですよね。完成作品よりも上とか下とかそこのではない。また準備という構図の中で描かれたものでもないきっと。油絵として完成させたものを今の自分はどう見るか。どう感じるか。時間は完全逆流してる。そっからまた別のエモーション感情が生まれる。その行ったり来たりをしてるんで何か一歩通行の時間の道筋がごにあるわけではない」
「ショックでしたね。恐ろしいショックでした」
50年前日本に初めてベーコンを本格的に紹介した酒井さんもジュールコレクションに驚いた一人です。
「なんかもっとちゃんとしてよって言うな事言われてるような気もしたし、それから頭でっかちで物を考えるなよってこと改めて言われたような気もするし、もっと率直になれて言われたような気がしたし。とにかく言われっぱなしで帰ってきました。今まではタブロー(壁画ではなく、板絵やキャンバス画を指す。また、絵画に於いて完成作品を指す言葉でもある。)の代表的な作品を目にしてきたので、その奥の奥の奥にある原点にあまり触れたことがなかったから。ベーコンはデッサンしないよと通常は言われてたんだけども、今回のあれは広い意味で言えば最もデッサンらしいデッサンとも言えるし、摩訶不思議なデッサンともいえるし、ベーコンにとってのデッサンですね。ベーコンの絵の持ってる力って言うんですか、内在しているエネルギーというのかな、そういったものはどういうことに、どういう仕組みになってるのかってことを考えるきっかけにもなりましたね。とことん飲み尽くし、人間は何か問いただす。今まで固定観念として普遍化されているものも、一旦めくって剥いで行くと地金が出てきたりすると違う性質のものが見えてくるじゃないかっていう感じがベーコンの絵にあるんですね」
対象を飲み尽くしその裏に潜む真実を描く。
そこには愛すること愛されることの絶望を知るベーコンの壮絶な体験がありました。
それはある映画に描かれていました。
同性愛者だったベーコンと恋人ジョージ・ダイヤーの出会いと別れ。
レスリーは来日間もないどん底の時代にこの映画を見てその意味をずっと考えてきました。
「生まれた時に親がいなくて片方親がしないとお父さんでお母さんが早く亡くなって。亡くなった瞬間まるで絶望な人と思ってましたが過去網膜最後まで通えなかったし若い時に感じた痛みと苦しみと孤独とすごく若かったので、その可能性があるとか若いままですごく長かった感じ」
愛するがゆえに傷つけ、破壊する独占欲。嫉妬。
「20年前見てすごく怖かった。すぐ覚えてる。実際映画の中でこういう絵いっぱいあるじゃ。人間がまるでしちゃった中で、人間一人一人が皆刑務所みたい」
「人間と人間の関係。愛するとの関係を一つの自分のこっちにしたくらい冷やしてねすごくある意味ぐちゃぐちゃしたく一度無茶苦茶したくなって浮かれ中で息がある気がする手に入れたら逆にダメージしたい。ディストロイしたい。食べたいお会いしたいですかそのことで生まれてきたのがさらに変え中での美しいもの気がするね」
ベーコンはジョージとの関係の中で見えたものをいくつもの絵画に残しています。
「彼等はAに自分に自分のものにする。できないからどうしてもできないならば逆にカレーカレーの関係を通して自分の画家としての格のだけ過去の感情を一回何て言うかな彼が想像するみたいにジョージをくるっていくまでに調子乗子様連れて行くまでにペンとしていく。それと野良猫ハートを出して血だらけぐらいに、そこがやっとその華麗な彼の本当に最後ひとつの帰りの電車の中で一つで当然ステーション死ぬ。死ぬっていうことについて、ベーコンさん美しいと思います。ベーコンペットが死んだらめちゃかなしだけどでもこちんた姿を写真出す気持ちを知りたい。ベーコンさん国分わんともだけどでもAO彼氏ため犠牲が必要。自分に愛する人。愛する気持ちを犠牲することでバリスタの完成が彼の絵になるんですかね」
バリー・ジュール・コレクション最後の展示室。
そこにはペイントが加えられた写真が並んでいます。
ベーコンのプライベートゾーン。
閉じられた寝室を覗き見るような濃厚な匂いに満ちています。
これは電気椅子による死刑執行を世界で初めて撮った写真。
撮影が禁止される中。隠しカメラで記録された死の瞬間です。
映画殺人狂のモデルになったフランスの連続殺人犯、アンリ・ランドリー。
公判で延々と無罪を主張した時の写真です。
「肉体がすごくを表現する写真が多いですね。スポーツだけ見るとやっぱり腕が見えたり胸が見えたり、太ももが見えたり、足が見えたり、全て筋肉が動いてる。汗、傷。多分そこが彼はすごく好きだね。恋する。片思い。全てベーコンの作品は私から見ると、愛とエロティックが同時に彼は絶対それは残してるし、そこで孤独。そこで怒り、ジェラシー。それと苦しみ。彼は隠せずに描いて残してるかなと思ってる。写真の違う一面を感じてどんどん上に書き出し始まったら、一つ枯れフランシス・ベーコンの人間としての趣味。人間としての彼の感じたことが、彼の手が自然にいろんな色の色彩を使って描いてる。絵を描いているベーコンは画家。でも紙に書いてるベーコンは一人の男。男を愛する男。ひょっとしたら、コンプレックスもいっぱいあるんじゃないかなと思ってます。私も実際男が好きということも結構30代の後半ですね。20代の時にも男が好きってことは前面に出せない。出せるのに勇気がなかったんですよ。きっと私もその時にフランシス・ベーコンと一緒で色んな雑誌や写真を見て、心の中で憧れ、好き。心の中で会ってみたい。心の中でこの人とエッチしてみたい。それができないことにしても違う方法にその人との関係性を作りたいわけ。フランシスベーコンは私から見ると彼はすごく気に入っている人が自分のものにするためにオリジナルでいろいろかき集めている。毎日いろんな男と出会ってるように気がするなと思った」
ベーコンの人生を取り巻いた数々の男達。
その中でもジュールは晩年の14年間世界で最もベーコンの近くにいた一人です。
彼が見続けたのは恐怖や孤独と向き合った偉大な画家ベーコンではなく、どこにでもいる老人。
ごく普通の人間・ベーコンでした。
彼の元にはベーコンの署名入りの手紙や公文書。はては夕食会のレシートまで、思い出の品が残されています。
中でも貴重なのはベーコンの許しを得て録音された160時間にも及ぶ肉声テープ。
これまで決して公開されずにきたテープを世界で初めて公開します。
芸術談義から下世話な話まで二人の親密な関係が伺えます。
しかしベーコンとジュールの友情に満ちた日々は突如終わりを迎えることとなります。
ベーコンが死を迎えたのはジュールと別れてから10日後のこと。
マドリードで心臓発作で倒れ、付き添う人もないまま、たった一人でその83年間の人生を閉じました。
無神論者だったベーコンは、皮肉にも臨終の際カソリックの司祭によって見送られています。
「ただ僕が思うのは、ベーコンやってて何か僕の心の中での答案ですけど、何かある種の優しさがあるんですよ。それは分からない僕にも。これはある種の宗教的感情って言ってもいいかもしれないし、それはねやっぱり彼のなんちゅうんだろうなあ、僕は色彩の秘密みたいな感じがする。
気持ちが揺れてるところが隠されてあるんですよ。壊しきれないものがあるんだね。だから黄色色がだとかあるいは赤色とか、何か絵画のところでアクセントみたいなところです。そういう物のヒントに入ってる。これは作為的じゃなくてなんか自然にそうしないと絵が救われないみたいな。
自分の気持ちが救われないみたいな感じになるんだ。これは表現者としてすごいことだと思いますね。単にに絵を描くために描いているわけじゃないんですね。天啓みたいなものがある」
レスリーはジュール・コレクションと出会ったあと、新しい表現を模索しています。
「ベーコンの伝えたいメッセージと自分の伝えたいメッセージはちょっと違う部分もあるけど、でもお互いは同じ道通ってますね。寂しいところとか苦しみととか、孤独が強い。でもネガティブとは思っていない。=私の絵がいちばんポジティブと思われるかもしれない。もし私が逃げてる。彼の方が逃げてないかもしれない。私逃げてるからどんどん輝くものってあまり孤独のものをわかりやすく見たくないから。彼は見せてると思うから。一番ベーコンが一番正直かもしれない」
フランシス・ベーコンの死から29年
未だに論議が続くバリー・ジュール・コレクション。
死の直前密かに託された作品たち。
今も静かに人々の心を動かし続けます。