石川は工芸技術の人間国宝が9人もいる工芸王国。木工芸の川北良造さんはその長老的存在。豊かな自然に包まれて暮らし、恵みに感謝しながら木を活かすものづくりに励む。しかし今年の1月1日、自然は工芸王国・石川に地震という試練をもたらした。毎年その質の高さで注目を集めてきた石川の伝統工芸展も開催を危ぶまれる事態に。過酷な状況で手を動かし続けた能登の人間国宝や匠たち。そこにはものづくりへの壮絶な覚悟があった。
初回放送日:2024年7月7日
日曜美術館
樹齢2300年と伝わるご神木を見上げるのは、まもなく九十歳になるこの方。「いつ見ても立派や」木工芸の人間国宝・川見太良三さん。三十年前、59歳の時、認定されました。工芸技術の人間国宝が9人もいる工芸王国石川。その長老的な存在です。
木の性質を知り尽くした川北さん。導き出すのは木目の美しさを生かしきる形。それは石川の大自然に包まれる日々の中から生まれます。
「自然って本当に不思議なことがたくさんありますよね。少し知るだけで、頭が膨大な情報でいっぱいになります。一つでもそういうものに触れると、感動しますよね。」
しかし、今年の一月一日大、自然は工芸王国石川に地震という試練をもたらしました。苦境に立たされながらも手を動かし続けた能登の工芸作家たち。
「作らなければどうにもならないその先どうなるか考えていてもどうにもならないし、とにかく作って前へ進むしかないということ。」坂本美雄さんが地震後、初となる石川の伝統工芸展を訪ねました。出会ったのは、匠の想いが詰まった珠玉の作品の数々。「みんなやっぱりお一人お一人、心に残る風景というのも残されてるんですね。」匠たちのものづくりへの覚悟とは。工芸王国石川に生きる匠たちの今。
「工芸王国・石川に生きる」
石川県南部、山中温泉を貫くように流れる川のほとり。「草もう収穫してこうやって椎茸がね加えて。」自然の恵み豊かな絶好の場所に川北さんの工房はあります。日曜日以外毎日工房で手を動かす川北さん。89歳現役バリバリ。ろくろを使って木を回転させながら形を削り出す引き物の技。その生地に漆を塗って仕上げる山中の漆器作りには400年の歴史があります。
「何ですか?父親が明治35年の7月13日に生まれた。親の誕生した時と、それから亡くなった時と、ただやっぱり、いつも心に忘れてはいけないと思って。」
引き物の名手と呼ばれた父のもとで修行を始めたのは17歳の時。火と共にある暮らしは、かれこれ70年を超えました。父に学んだ木の仕事。それは現在、息子や孫にも受け継がれ、3代並んで日々手を動かしています。長男のヒロヒコさんは、熟練の匠として石川の伝統工芸会を支える役目も果たしています。祖父、父に学びながら、若い感性で木と向き合う孫の裕さん。こうして代々受け継がれてきた技が、工芸王国・石川を支えています。
「やっぱり目線で見た時に、難しかったですね。でも、ちっちゃくて簡単そうに弾いているように見えたんです。そういうふうに簡単にできるのかなと思ってたんですけど、やってみると全然できない。やればやるほど、さらに細かくて、相当でかくて高いレベルの技術が必要だと感じました。」
高みを極めた人間国宝の技によって、みるみる輝き出す木の魅力。小僧陰魚物にも用いられ、古くから珍重されてきた黒柿。自然に生まれた黒い木目を優雅に生かしています。
神奈でさまざまな模様を刻みつける加飾引きも、山中の漆器の特徴。一ミリの大幅に八本もの線が刻まれた超絶の技。国宝の薬指示等々を支えていた古代などで作り上げたのは、奈良時代に戦で亡くなった人々への祈りを込めて作られた百万頭を再現したもの。複雑な形を一つ一つ寸分違わず、無神の境地で削り出しました。
「山中温泉にやってきましたね。綺麗な川、すごい透明で、足をつけたくてウズウズしてます。ここですね、もう先生が後ろ姿が見える。失礼いたします、お邪魔します。羽田先生、初めまして。さあ、こんにちは。いやー、めんどくさい。はい、できて嬉しいです。お手柔らかに。失礼します。」
新鮮な場所に川岸さんが削っている木は、二十年以上寝かせたものがほとんど。ちょっと名古屋市です木が収縮しなくなるまで乾燥させて、初めて仕上げにかかることができます。「こういう仕事です。見事に美しい木目が出てきましたね。木目のね、綺麗になってくると、これもこれは昨日買おうというんです。」
川北さんのものづくりは自然とのかたらいが何よりも肝心。インスピレーションの源も身近な自然にあるといいます。例えば、削り出したばかりのこの器は。
「ああ、これは朝の朝側のね花びらが怖いなんといっても自然が一番多くの携帯は我々に散らして、それに気がするかどうかだけなんです時に。」
鬱陶しい 雨も、川岸さんにとっては、モノづくりを助けてくれる 天の恵みです。取り出したのは漆。漆という鳥は天が与えた本当にすごいオレは天然
雨の降る日は早く乾燥する湿気がないと乾燥しない。生地に透けた漆を薄く塗っては、布で拭き取り木目を活かすよう仕上げてゆく吹き漆。漆を塗っては一日 乾かすそれを十回以上繰り返します。乾き具合を注意深く見ながら、漆を塗り重ねることで生まれる美しい艶替え出の顔 である 木目が一番輝くところを見極めました。自然と呼吸を合わせながら花開かせた朝顔の器です。
木の時間に寄り添うことで、思いがけない不思議と出会えることも。「これ、モダンな黒柿です。黒柿は本当に珍しいんですけど、こういう黒い模様が駆け抜けるのはめったにありません。これも、私が今から5年ほど前に見つけたものです。こんなに大きくなったんです。枝の切り口が黒いでしょう。あれが黒い部分です。」
柿の木滝に黒い模様が出る確率はごくわずか。確かめるには、木が育つのを待つしかありません。
「枝を切ってみてびっくりしました。噂に頼らず、黒いと思っていましたが、植えてから50年ほど経って発見するというのは、長い時間の流れを感じます。私の宝です。長生きさせてもらったおかげで、こうして枝まで生かすことができ、仕事を続けられる体にしていただいたことに、本当に感謝しています。これからも感謝の気持ちを持って仕事を続けていきたいと思っています。」
川岸さんが気長に育てているのは柿の木だけではありません。山中湿気の技を学ぶ研修所所長を務める川北さんは、毎日欠かさず足を運び、次世代の職人たちを指導しています。
「はい、レンダーはどうしてもハーガーゴマ丸く巻くと、先はなるべくこませ、自ら手を動かしながら引き物の極意を伝授いい速さにつければこのままこれとこれとこのまま出るように練習の私のこんなんですけど、先生のこんな環境みたいな同じ刃物使ってるんですけど。」
工芸王国石川には、県立の伝統工芸の研修所が三か所もあります。川北さんは和島の研修所でも長年講師を務めてきました。
「おめでとうございますじゃあ、健康な無理なものも自体もそのために合わせて、この時間の中に。」
工芸王国の層の厚さを示すのが、毎年初夏に開かれる石川の伝統工芸展。熟練から若手まで、その作品の質の高さで、全国の工芸展の中でも特に高い注目を集めてきました。しかし今年一月、長年続くこの展覧会の開催が危ぶまれる出来事が起きました。
「山中は震度5強でしたが、味もは7分ほどで、大変でした。二日目には、私が言えば、足元の問題で先生方に何度電話しても全く通じませんでした。香りはすぐに伝わることになっていましたが、政治の問題が絡んでいたため、仕事どころではありませんでした。」
1月1日、工芸王国石川を襲った地震から5か月近く経った和島へ向かいました。手付かずのまま残る倒壊した家々。未だに多くの人々が避難生活を余儀なくされています。ここは漆器の店や工房などが軒を連ねていた輪島朝市のあたり。痛々しい焼け跡がさらされていました。
「邪魔なものは撤去してしまったんですけど、こちらが橋屋さんの工場なんですけど潰れちゃって。」塗り橋の失礼作家大門祐二さん。蒔絵と塗りを手がけるこの道四十五年の匠です。大門さんの住まいも基礎が破損。作業場は物が散乱し、手のつけようがないほど。三月初めまで水が出ない状態が続きました。
「例えばこれ、 筆洗う道具で油が入っているんです漆の付いた筆とか刷毛を菜種油で洗うんですけど、これもひっくり返っちゃって、油がガーッと流れて、そこにいろんな金粉だったり材料が混じり込んで、それはちょっと大変でしたけどね片付けるな。」
三十年以上、毎年石川の伝統工芸展に出品を続けてきた大門さん。混乱の中、小さな作品なら何とか出品できるかもしれないと手を動かしてきました。「気力っていうか、やる気っていうか、そういうのはもう失せてしまうというか、そういう状態でしたけどね通行しているうちに、そろそろやらなきゃ間に合わないなとか、そういう時期に来てたもんで、よく考えたら日々あんまりないやんって感じでそれで少し本腰入れてっていうか、仕事するようになりましたけどね。」
大門さんが選んだモチーフ、それは馴染み深い和島の風景でした。「鴨浦って和島の海岸なんですけど、去年何度も通ったんですけど、ついこの間、震災の後初めて行ってみたら隆起して岩の風景が全然変わっていたんですけど、海とかはね、鳥も飛んできましたねそういうのが昔のまんまで、ちょっとなんかいろいろ考えることがありましたけどね人間の世界はいろいろこう動作をしてるけど、鳥とかそういうのは全然変化ないんかなっていうふうに思ったりしてました作らなければどうにもならないこの先どうなるかは色々考えるとあるんですけども、考えていてもどうにもならないし、とにかく作って前へ進むしかないということで続けてきたんですけども。」
輪島市内に工房を構える蒔絵作家・鬼平啓治さん。「さあちょうど山溝が流れてまして、この山水を使ってちょうど水道が来るまで生活スイーツとして使ってましたねお洗濯とかトイレとか、ちょうど冬の雪解け溝で豊富だったんで、まあなんとなくそんな感じでやってました僕ちょうど坊主なので、雪を頭にかけて頭、頭頭洗ったりしてましたねもう焼け草でした。」
五月半ばまで毎日水汲みを続ける生活を送っていた鬼平さん。一日数時間でも手を動かすことで心の安定を図ってきたと言います。
「この作品は、月面から見た地球の姿を表現している感じですね。漆の表現でこんなものができるのではないかと思って、青い色合いがメタリックな感じがします。方向によって沈んだりするのは、この色節の特徴です。遠くで見ると青が見えないのですが、明るいところで見ると、ベタッとした通常の色合いとは異なり、マニキュアのラメのような感じの漆になります。この自信を持って感じるのは、ここまで来るともうやりたいことをやった方がいいなということです。作品作りは自分の表現ですから、いつ死ぬかはわかりませんが、大きな災害がきっかけとなって、自分としてはやりたいことをやった方が健全だと思っています。生きているだけでもラッキーだと思っているので、今後もチャレンジしていきたいと思っています。」
石川の三つの研修所の一つ、和島出迎技術研修所。六月末にようやく断水が解消したばかり。秋ごろの授業再開を目指しています。「ここが先週かって言われている一年生の机と二年生の机 があるそういうところですね。」
人間国宝の小森久美恵さん、研修所の所長を務めています。「何にも立てようがないんですよね 本当に本当にすごい揺れでしたこれがしっくり返って、おろしをこぼれた時に牛が固まって乾いてくるとこんな状態になるんですよ普通は綺麗に塗るから、この後ろになることはまずないんだけどもこれも地震のお気に上げというか、こんな状態ですね。」
小森さんの自宅も物が散乱し、多くの作品が破損。しかし自分のことより気がかりだったのは、三月に卒業を控えた研修生たちのこと。妥協を迎えていた卒業政策を全うさせたい小森さんは、震災直後から金沢や富山の大学などに研修生を受け入れてもらえるよう奔走しました。そして当初の予定より二カ月遅れの五月、無事卒業制作展の開催にこぎつけました。慣れない環境に身を置きながら手を動かし続けた研修生たち。それぞれ地震による痛みを抱えながら、晴れて十四人が卒業制作を作り上げました。
「僕の作品は卒業制作がこちらです。」出現を学ぶため仕事を辞め、故郷の輪島に戻った日野祐樹さん。朝市のエリアにあった自宅が消失しました。卒業制作は能登の海に落ちている海洋をモチーフにしたもの。
「もちろん気も沈みましたけれど、やっぱりそう言っていても前に進めないと思うので、こうなってしまった以上、そういったものも活かしたり、逆に反発するような形で頑張っていく姿勢というのが大切なのかなとは思いますね。」
夫とともに熊本から輪島に移住し、出現を学んでいた末藤香織さん桃 猫飼い猫のてんちゃんがこたつで丸くなる姿が桃に見えたのがアイデアの源。しかし自信を作品と向き合う時間は過酷なものとなりました。「今回の地震で、てんちゃんも夫も亡くなったけど、どういう気持ちで作ったらいいかはいまいち気持ちはあまり入ってなかったんですけど、とにかく手だけ動かして、優しくなるように、柔らかくなるように、丸くなるように、そんな気持ちでやってましたもうそれだけですねこれ以上なくすものはないっていう感じなんで、そのままをさらけ出したって感じですね。」
「自然は残酷でありますが、また誠に美しいものであります人間国宝小森さんから若き漆人たちへそれは私自身がやっぱり嬉しいっていうものに対してすごく惚れてるし愛してるし、そういう気持ちをやっぱり生徒には続けてもらうためには、やっぱりものを完結させるってことは大事だと思ってたんで 本当 にうるし、抜き向いて一滴をいただきながら、我々はその恩恵を受けながら仕事してきて、そういう意味では何らかの方ってやっぱりお返ししなきゃいけないこともあるそれを生かしていいものを作っていくっていうのが我々に課せられた使命だと思いますね。」熟練の主人になることを念じますとともに、充実した人生を送られることを先行いたします。
五月十日、伝統工芸展に作品を搬入する日が近づいてきました。大門さんは和島の匠たちの作品を取りまとめる係一体どれだけ集まるのか予想できずにいましたやってきたのは、大門さんがウルシの大先輩と慕う寺西翔太さん被災して 金沢に避難しているので、何とか仕事こそもうちょっとやってるんで、作品も仕上がったんで、坂本康則さんは新作を準備できる状況ではなく、以前制作した作品を、内野薫 さんは仕事ができない間に手の感覚が鈍る中、かろうじて作った新作をみな展覧会を盛り上げたいという気持ちは一つ少しずつ作品が集まってきました。輪島の匠たちの意地の結晶が、ついに金沢へ野党だけでなく、地震の影響をそれぞれに受けた工芸王国石川しかし事前の心配を覆し、出品点数は去年とほぼ変わらず五月二十二日、地震後初となる石川の伝統工芸展が無事に開幕しました。各地から届いた力作がずらり。おはようございます工芸王国石川の長老も会場へ一つ一つの作品と真剣に向き合う川北さんあなたの夢物ぼかし素晴らしいと思うしただねずっとねなんか近郊の仕事に見えるだからやっぱり今日を活かすということをねやっぱり私はいつも心よりも百角形のそれぞれの色を、模様あるいは先にそれぞれを生かしてあげるんじゃないかなあなた、これ何人使わ ぬ、どういうものにどういうもの私、これ素晴らしい技でねスーレーと作品ですけど、なぜもう少し大きくなってきてなかったそれはそれは残念やっぱり工芸化は要のピノ水球ですからで、その業をお互いにね、やっぱり心していくんです二回も 大きいせっかく素晴らしいって感じがねぇありがとうございまやってきましたお、 早速、河北先生の作品がわぁねぇ、このお、顔がくっきりとしていて、口のキーも綺麗ですね欅頭神代桂、二つの木の個性を存分に生かした川北さんの八絶妙な神奈遣いで、削った後に金をあしらった装飾太陽のような輝きを放つ晴れやかな器ですあの場所で生み出されたと思うと、こう ね、急に親しみが湧いてきますね入選を果たした野党の匠たちの作品が会場を彩ります漆黒に浮かぶ地球月面旅行へと誘うのは鬼平刑事さんこういう発想は初めて見ました多分、月から見て、このぐらいの距離にぼーっと地球が見えるんだろうなって近づいた時よりも、ちょっと離れたところからの方がびっくりしますわー 綺麗これ綺麗 暗闇に浮かんでるみたいな波を繊細な螺旋で表現したのは寺西翔太さん吸い込まれますね胸がいっぱいになるそして大門裕二さん輪島の海に夕陽が沈もうとする中、雨が水も低く飛んで行く姿可愛らしい顔しているみんなやっぱりお一人お一人、心に残る風景というのも残されているんですねしっとりとふりしきる 雨厳しい冬を越え、待ちわびた春に咲く菜の花のとの豊かな風景が目に浮かびますこれはすず焼きですってダイナミックですね夜の鈴の海で目にした月と縦山の光景最高賞を受賞したのは、田畑脇雄さんの鈴焼きの皿今回、厳正な審査によって選ばれた十四の受賞作品のうち、五つを矢島と鈴の匠たちが占めました。坂本さん、ある作品が気になった様子響き合う 金と黒人間国宝山岸和夫さんの作品漆を磨いて光らせた黒に浮かぶ青紫がかった花々実は花に色はつけていません。刃物で掘る角度を加減し、光の反射で色彩を感じさせる技清める花浄化と名付けました。知り合いの方でもたくさん亡くなりましたしね本当に大変な思いをされている人が大勢いますんで、そういう方の気持ちを思うと、このタイトルがいいのかなと思って浄化といたしました作りたいという気持ちには地震の後やりますちょっとね、答えてましたけども、好きでずっとこれやってきたということは体に染み込んでますんでね不思議でしたこういう毎年この時期に、 この展覧がありますんで、ちゃんと体が覚えてるんでしょうね輪島で生まれ育った山岸さんその住まいは地震で全壊しました
運び出せた作品や道具はごくわずかいつ輪島に帰れるか、先行きは見えないままです今は金沢で避難生活をしながら、慣れない環境で製作を続けています地震によって左肩を骨折する大怪我をした山岸さん体が本調子ではない中、三月になり手を動かし始めました研ぎ出して木になるわけですねこれとこれですねこれがうまく救出 できた不思議と これは助かったんだってこれも去年から構想練って仕上がり途中までやってたところをこういうことがあって仕事止まったんですけど、この七十の人生にしてこんな色使うのよ
最終的には なんで虫をやっているということを問われるんでしょうねやっぱり私だから皆さんに今しばらく時間いただきたいということの人間は、科目で働いてきた人たちですから、必ず必ず立ち直るというふうには断るごとにはお伝えしているんですけど、それ口に自分で言っちゃった以上は自分がそうやって見せないとねだから作るのこれしかないもん体が覚えてるっておっしゃっていたから、これまでの時間というのが難しいことがあった時もその人を支えたり、前に進めたりするんだなぁと思ってそう思うとね、何してる時も無駄じゃないし、地道に 思える一日の作業がね、ちゃんと意味をなすんだなぁとその積み重ねがその人になっていくんだなぁというのを感じましたし、自然に教わったり、自然に、まあ異形の念を抱いて一緒に作っていくというか、自分が何か作るんじゃなくて、一緒に作るっていう思いで きっと他の作家さんもいらっしゃると思うから、本当にお一人一人に会いに行きたくなりました石川に生きる匠たちのこれからまあ、これは自然の焦る朝やからねまあ、どうしようもないことですけどもね、そういう試練に打ち勝ってね、前進できるのは人間だけですからですから、やっぱり伝統工芸仕事というのはね、大勢の人たちがね、気持ちを一つにしてね、続けていく、助けられていくというね、それにはまあ、びくともしないものがね