日曜美術館 「Be yourself 汝自身であれ 勅使川原三郎 」

勅使川原三郎

ダンサーで振付家の 勅使川原三郎 。今年、ベネチア・ビエンナーレのダンス部門で金獅子賞を日本人として初受賞。独自のダンスメソッドに基づく独創的な身体表現は世界に衝撃を与え「新しいダンス言語」と評された。「ダンサーはもっと言葉を持つべきだ」と語る勅使川原の創作現場に半年にわたり密着する。活動拠点の東京・荻窪。愛知県芸術劇場でのワークショップ。そしてベネチアでの記念公演。勅使川原三郎が語る自分自身とは?

放送:2022年9月25日

日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「Be yourself 汝自身であれ 勅使川原三郎」

ドロイングは私の日常
私のダンスはえーであり私の絵はダンスです
それは世界と関わる私であり私の中にある世界です
見えないものこそが見えるもの
動かないものこそが動くものを作ってる
だから裏も表も一緒なんです
だからもっと言ったら裏こそが表なんダンスをするということは
そういうことを記号的な理解じゃなくて
身体体で感じることをお互いにしよう

入会それ業者写真とか
映像で描けないものを打ち取れないものを見たい
という非現実的なものが現実ということを通して
見えてくるような気がするので消えていくからだ
現われ出る動き
自己とのより深い関係を作ること
びよーあせる何時地震
である

いい感じだったので
できればもう少し前にすればで
後に関してはなんか枠があった方がいいのかもしれないそうですね

横切るか戻るか
マイケルかはっきりしないで
ちょっとバランスが崩れるように見えるので
それは打ち合わせしてやってください
確認自分がこう言ったら
こうしてねっていうことを要求するそれを受け入れるあ
それはできるできないっていうことを
いや要するに対話するっていうか動きでとっさに
考えないとえっと大事だから分かんないんですよ
読めない読めない自分で書いて読めないだいたい読めないですね
どういう現象が起こってるズレてるんですかね
連れて現実がずれるんです
現実等
現実が混ざっ
ちゃうんですね

ちょっとお待たせしました
ちょっとうそぐらいですがすごいですね
くらいですよっていうかクラスだと比べたら自分の足が欲しい
好きなことが好きな時に
二十四時間音も計をどのようにでもなる場所
もうボロボロだったんですけど全部変えてダンスバッドなんですよ
あのコンクリトとかカーペットとかっていうかはどこにもない
是非そうしようって
どこでも踊れると別にあの出すことがなきゃ
踊れない訳じゃないんだけどそういう風にしました
自分の代みたいなしろっていうかそうですね
自分でトイレっていう全体がですか
どうぞ一緒にしましょうみたいなそうです
これ欲しい持ち歩いいいですよ
これはこの場合に少しあのカメラの位置を下げてもらえます
もうちょっと顔したアトリアしもっと伸ばしてピンと僕かかった
あげてあげて
とかおった
ネタになる

人形って
じゃあ何なのかなと思うと人間切り替えられたものというか
人形の中に人間が
入るのかもね
どうして人魚
人方っていうものを作る人の形をしたものを作るのかなと

有名な認識の手記っていうか
日記の中で世界でおかしくなっちゃうって言って
投げていくんですよね
それは第二次大戦が始まりそうで
その恐怖感っていうのを彼は察知して
そのあとロシア革命っていうか
連邦になったり前の代理店関係っていうか
ちょっと別の仕方を本人がちょっと
だぶってるとこがあったけど
彼は自分の部屋にバンって人形が押し込められた時に
原作では肖像画があって恐ろしい肖像画で権力の象徴のような
そういうそれを恐れおののくっていうような子があって
彼はそこから出たいんだけど
自由になれないとかっていう世界女性と映し鏡の
ようにした作品ということを言ってしまうと
行き過ぎだと思うんですけど
何かしら影響を受けているということは言えるんじゃないかな

思うんですが
だからそういう意味では
自分が正直に作品に向かいたいなと思いますけど
そうそう今日はどっちかって言うと
照明を作って場面をゼロから作っていこうという証明と
音楽を合わせてで出すとあの場面を
作っていくっていう

朝ロケってところから変えた
方がいいかなと思うんだけど
五十二で三四年間

アウトして
緩やかになんか

えーと壁を七十
ですね
自分でやっぱりそれを二十パーセントぐらい
十パーセントから五六
明るいよりも
暗いところをじっともっと見てみて何かあるかもしれないぞ
という興味の方が暗い所にある
かが周りの暗いことによって立ち上がってくるっていうか
近づいてくるっていう見える見えないじゃないんじゃない
かな見ようとするかしないかっていうことからっていう
見ようとしていると
だんだん見えてくることがあるということが見るということだろう

これコピ美です
コピー用紙好きなんですよ書きやすいです
これは多分四十円と僕は相性がいいと思っているコピー用紙は
これも何だろうなと思う
何ですかねあるでしょうか
なんかこの中になんか入ってるような気もしますね
この中にこのなんかこれが何かで固まりで
この中に何か入ってるんじゃないかなって
想像してるじゃないですよね
空想してるんじゃないか
そういうものが見えるっていうか実際にそうですね
見えてることを書くような気がしますね見えてくるっていうか
だんだん見えてくる自分
の中に目の前に見えて捉えどころがないですよ
自分がねそれが自分にとっては面白い
あのここいつ何考えてんだろうっていうように話しながら書く
っていうか自分とそう自分だから誰かと
まあまあ嫌ってるかもしれないけどり画像っていうか
十歳ぐらいの時のことと
その頃に初めて自分が生きているってことを自覚したっていうか
それは大人の言葉だけど
まあ自分も生きているんだなってことに気が付いたっていうことが
自分にとって一番大きな出来事ででその前は
多分覗いていったんですよねね
という穴から周りを覗いていた自分の存在が
というものを知らなかった
なるべく外側に体の外側に出たくないというか
そういう感じはありました
簡単に家から家に凝ってますね
それからあーコボルドが好きでしたね
あの部屋の中に凝っている部屋の中のえー真ん中にいるじゃなくて
隅っこにこもっている
ある種事故事故慶応の裏返しだったのかもしれませんけど
とにかく見られるのが嫌いだったし
聞かれるのが嫌だった影がだから好きですね
真っ暗闇もあれだけど
陰かげっていうか中華地点みたいなのが好きだから
好きばなし木とかそういうのあるかもしれないですね
でも実体入るとつまらないから
ちょこっと出てはすっと知らないところに行って
またずっとしてるっていうかゴキブリ見ちゃいます

じゃあ皆さん
あのオーバーラップして
真ん中の方に集まって広がって体を動かして
いや月に使っていい場所をね
単純にゆっくり歩くっていうことって
どういうことかなとか
普通に歩くってどういうことっていうことを見せてほしいのね
分かりにくいかもしれないけど何か名前それちょっと今
名前を紹介しましょうっていうんだけど
えっと今ちょっとそれはいいです僕は知らない人としてみたいな
例えば私がパリオペラだのバレ
枝に振り付けたりとかしたことが何回もあるんですけど
そのときにみんなに言うんです
男性たちに朝イチで問われとかそういう人たちの言うわけ
あなた方は夢かもしれないけど
私にとっては今みんなあなた方の名前は必要ないって言うんですね
そうじゃなくてあなた私そそこにいる人いる人間としてみたい
体を足の裏で余計な力を見に行って運ぶ
まずは私が見るのは呼吸なんですね
歩くってことを呼吸と調和させる
足の裏の指肩とかの使い方と呼吸を調和させるって
どういうことですか
自分の体にそれを問いかけてみてください
手を広げたかったらまず脇の下を広げると
そして呼吸をどう使うかってことはとても大事な部分は
体の部分は脇の下なんです
で喉それから耳の下脇の下
それから股関節それから足の裏つまりあんまり日焼けしないところ
体に隠れてるところ柔らかい所っていうことが
実は一番人間の体をコントロールする制御するところ
特に大切な部分になるんですよ
でそうじゃなくて踊るってことは無で出し顔出し手出しし突き出し
ポジングじゃないけど

ういうことで
要するに表面で一番出っ張ってるところを見たがるわけ
ダンスっていうのは
だから表面上行うというエクスプレッション
釣れるという外側外向きのことではあるんだけど
ではないと言わないではあるんだけど
それはその裏側にあるあるそれ
そのえー反対側にあることこそが見えないものこそが見えるもの
動かないものこそが動くものを作ってる
今呼吸をしてるってことがどうしたって大事なんです
しかし呼吸って目には見えないじゃないですか
目には見えない呼吸というものが
みんなの動きを明快にしてるんですよ

えて脇の下である量定
はい
腕が
上がるっていうか
勝てるだけ知って変わっちゃった
履いて
口を大きくして
はいって
ほいで手を開く知ってで
二番で入って対して
変え
てやっていて
はいはい
そうで
それでそれを崩せ
はっきりしてもっと乱暴乱暴にやるためにはこっち側ですよね
乱暴にやるためには裏腹っていうか性格もそうなんだけど
あの関節を裏側に使う
つまりそうじゃない時はこうやったら乱暴できない
ランドっていうのは昔の横山デスクじゃないけど
こうなるわけ悩まないんだとそういう感じで体を開いて閉じる
だからちょうさっきほら
あのアリアでこう静かな動きやったじゃないですか
でそれだけじゃないよその反対もあるよ世の中の光と影もあるよ
善も悪もあるよ
もっと強烈にやらないと
ただのお敬語とお稽古おけいこごとになっちゃうよ
あのーこれ参加するってことはお稽古事じゃないですよねうん
何かを作って人をびっくりさせることだからありがとう
感情的になるってことに関して恥ずかしいから
そうしたくないなとありえない日常生活生きてるってことは
そういうことでしょう嫌なことをやなこととして絶望すること
は大事なことはただあのー
おそらくにいろんなこと今起こってるけども何か分かんないけど
悲しんでる人いっぱいいるでしょう

こってることに対して正直っていうか
感情的になるってことは大事なことです
という風に今なんかあんまり感情面になっちゃいけないとか
マスクでみんなバスっての
は顔を隠しているかのようにマスクしてるじゃん
呼吸だってまともに出来ないじゃん
だからそれはある意味おかしい訳だけど
それはしょせ節度としてしょうがないと思うけど
感情を表に出しちゃいけないっていうラインだから
ダンスやる人はそれぐらい感情的になっていいと思っています
ゼロからはい

一回一回やらしたら悪いじゃなくて
それっぽくするんじゃなくて
本当にそうなるまで気持ちがそうなるまで動かないでやってもらう
もう感じるまで感じてほいで
それはこう外に出てくるっていう風に
ちょっとそれはどういうことかってことを探ってみて

彼らが自分自身により興味を持って
自分のことを肯定的にあの否定的じゃなくて
自分の存在とか生き方とか自分の工夫考え方
ちょっとした思いみたいなものが力を持ってるんだ
力を用いるんだっていうことをあの画展できるような
そのとき分かんなくても時間をかけてコツコツコツコツ
何十年もかかるかもしれないけど
と思う気持ちを絶やさずにそしてたら何かつかむことがあるだろう
長く時間がかかるからできるかなと思って
自分にもできそうだな
と思ったっていうのがま自分が若い時に感じたことです
目の前にあそこであの全部分かった上でできるかできないかって
試されるのが一番苦手でま人との競争もそうだしなってるから
こう優劣という価値観も好きじゃないし
芸術にそんなものあるわけないし
あるいは芸術やすい人生食べ物あるわけないし

出身で言うとねむしろ美術だった訳ですよね
自分をどこからこう客観的に見るっていうのかな
あの自分をおもちゃあるいはこう人形みたいに見るところがあって
その彫刻とか
あるいはいろんなオブジェっていうのは
あの一種の人形みたいなものだと思うんですけどね
人間がある形にする
訳だからそれも人体を取ってなくても
一種の人形的なものだと思うんですよ
でそれをそのむしろ向こう側に
自分が言ってしまいたくなったっていうのかな
調査をやってたとして調査を作っていっているんだけれども
その朝宗に自分がなっちゃうそうですねだからそれが踊りとか
っていうよりはむしろまそういうことからだんだん踊り始めた
それがだんだん踊り始めた
っていう方が正確かもしれま一つの人形なのではないか
生きている人間なのではないか
勅使川原三郎の踊りは時々そう思わせる
特に倒れるときがそうだ
の舞台では段差は実によく倒れる
いや崩れる人間が倒れるというよりは
機械が壊れでもしたように崩れ落ちるのである
何度も何度も崩れる人間的ではない
その仕草が逆に人間の悲しさ悲惨さを感じさせる

はいよろしくお願いします
えー今日は今
頭から大体今えー
ちょっとまだ修正しなきゃいけないところありますが
頭からあります
そうですねとりあえず将来もう一回再もう一回ですか
もうずっとやりますよええ当然です
あのーいつもロコス明日公園なのにぎりぎりまでやります
踊らずにえー踊りよりも重要っていう
そういうわけじゃないですけど
踊り踊りでやりますからはいえーと
こればっかり言ったらちょっと下げ
これ七十
六十
こういうばっくりが美味しいね

私でもここでえー作品を作り続ける
面白さっていうところが大事で
自分の手でできるのでどこで人がいるっていうことが見える
っていうかあのいなくなったらそれこれバラバラに来たりとか
それじゃあしょうが作るのは会社になれるっていう観客になって
観客が自分を見てるっていう人
として自分を躍らせるっていう
自分で自分が踊りたいと思って踊ってるっていうよりは
自分を躍らせているっていう方が強いですね
色が違う衣装でこういう証明でっていう風になったときで
そのときに出てくる音楽がこういう音楽だっていうことによって
あのーもう私がどうすれば自分が考えるとかっていうのを超えて
ここではやっぱりこうあるべきだなっていうことが
やっぱり見えてくることに渡り歩だからもう
お互い尊重した上でこうする相手したらこうやろ
それはめちゃくちゃに即興的で
やってるっていうことは違うことは感じます
どっかにこう旅してても必ずここで出会えるっていうような
何かしらのこう記述が基盤があった上での自由というか
きちんと向かっていかないと出会えない
かもでも知られないっていう
まあことも含んでいるようなこうスリルというか出来た頃
こうウィンドウから出してきて
はいどうぞって見せる訳じゃないので
それは現場で作るっていう転機っていう寿司
寿司握ってくるみたいなみたいな感じですね

紙の上に線を描く自分の手は踊る自分の
身体と同じものなのか
描かれた線の動きは体の動きなのか
ドロイングの線は残され体の動きは
消えていく

人間の力ではどうしようもないこと
成功しようもないようなことに興味がある
でその中で自分がどうしてもこれは達し得ないものの中に
ある種の恐怖っていうか
圧力というかそれを権力と言っていいかどうかはあれだけど
世の中にあるこう苦しみ
でもそれどうしてそうなっちゃったんだろうっていうのって
理屈がつかないってことっていっぱいあると思うん
ですねでそれを理屈がつかないけども
もしそれに触れたらやけどして
もう皮膚が絶たれちゃうかもしれない
熱さ痛みでも副資材とわからないこともあるっていうのは
何か人間の愚かしいというんじゃなくて
むしろ恐ろしさなじゃないのかなと思います
自分の中にもしかしたら
そういうこれが潜んでいるかもしれない
したり事じゃないと感じることが
ただ心理とか時代とか背景とかじゃない
むしろ非現実的なものが現実ということを通して
見えてくるような気がするので

うん

まこんなんあれ
葛藤っていうのは
例えば戦いとか行き違いとか
多分問題が解決しないことかもしれないくらいに
矛盾することを抱えて生きているんだと思うんですね
そこの時に私はもう考えるのは孤立すること
孤独になることは決して悲しいこと
あるいは分断されたことではないと思うんです
英語で言うとセルフっていうか事故とは何か
一人一人の自分の好き勝手なことではなくて
えー一人一人が自分の一人として生きることとは何か
ということを求め続ける

自己をより深い関係を
作ること
その
セルフは必ず他者との深い関係を築く
基盤になるだろう
いいユアセルフ汝自身である

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aerith
ガジェット愛好家です。世の中にあふれるモノゴトはすべてヒトが作り出したもの。新しいモノの背景にある人の営みを探るのが大好きです。発見した情報はまとめて発信しています。