2000年に始まり、7回目を迎えた新潟県の大地の芸術祭。日本全国はもとより、海外からも大勢の人が押し寄せている。過疎の農村に何が起きたのか?20年の変化とは?
3年に一度開催される越後妻有アートトリエンナーレ。今年は世界各地のアーティストによる、380もの作品が過疎の農村を彩っている。当初芸術祭は知名度も低く地域の人々と距離があったという。現在は、アーティストと地元とのさまざまな交流が作品に結実し、その輪はさらに広がりを見せている。20年を経て芸術祭はどのように変化してきたのか?番組は芸術祭の準備段階から密着取材し、豊かな大地に息づくアートの力を見つめた
【出演】アートディレクター…北川フラム,絵本作家…田島征三,アーティスト…磯辺行久,中谷ミチコ,【司会】小野正嗣,高橋美鈴
放送:2018年9月2日
日曜美術館「大地に根ざせ!~越後妻有アートトリエンナーレ 20年目の現在地~」
「大地の芸術祭は、場に根ざした作品ということで、東京のアトリエで作った作品をただ遠くの公園とかにぽんと持ってきて、見てくださいっていうものではないのです。そこの場の歴史とかいろんなその集落の人の思いを話しに聞いて作品も進化する。そこが現代アートなんですけども、都会のものとはちょっと違うのです」
水辺には様々な小屋が。
鎌倉時代の随筆・方丈記にちなみ、四畳半の空間に建築家やアーティストが地域の魅力を表現しました。
ゆくゆくは商店街の空き店舗などに移し町を活性化しようという狙いです。
積み上げた土のうで神が宿るというアニミズムを表した「つくも神の家」
中には大地と人をつなぐ象徴としてたくさんの鍬が飾られています。
越後妻有地域の大半を占める十日町市。昭和25年の10万人をピークに現在の人口はおよそ5万人に減少。過疎高齢化が進んでいます。
芸術祭が始まる一ヶ月前。今は使われていない市民会館で鷲の小屋を制作しているアーチストを訪ねました。
小山真徳さん。どんな作品で地域の特性を伝えるか。小屋を作りながら模索していました。
「地元の人と交流できるようなスペースを作るっていう風に作り初めてるのですけど、ちょっと中の部分でちょっと自分の中で進展があってそれにちょっと時間を割きたいので」
二週間後ボランティアの手を借りて小屋の組み立てが始まりました。
小山さんは農家の営みにつながる仕掛けを考え始めていました。
「囲炉裏が来るんですけど。色々上に自分で考えた農棋のを切っていうゲームを考えたんですけど。農家さんとくまとかイノシシとかが盤上で戦うゲームを作ろうと思ってんですけど」
「作物をどういう風に盗ろうかってそういう考え方とかも害獣側に立って考えさせるというそう、いうそういうことですね。市街地でこういう農業させながら山の奥の動物とか鳥とかそういうも想像することができる空間にしようと」
十日町を訪れたら里山で生きる動物たちに思いを馳せて欲しい。そんな願いが託されていました。
十日町市とともに芸術祭の舞台になっている津南町。田園の中に不思議な空間が現れました。
縄を巻いて作られた高さ9 M の作品「国境を越えて絆」アーティストと地域の人のつながりを表現しています。縄はこの地域の稲藁を使ったもの。多くの人の手で作られました。命を支える大地の恵みを象徴しています。
7月初め。制作が始まったばかりの現場を訪ねました。
稲わらを撚り合わせて縄作りが進んでいました。
台湾を代表するアーティスト。リン・シュンロンさん。2009年の芸術祭から津南町で作品を発表しています。
今回は台湾のボランティアおよそ30人と、一か月間津南町に滞在して制作を行います。
来日してから3週間。完成が近づいていました。
木々に吊り上げながら縄を巻きつけていきます。
地域の人と力を合わせ時間をかけて作るその行為に土地に根ざすアートの意味があるとリンさんは考えています。
十日町の山間にある芸術祭から生まれたひとつの美術館が130人ほどの集落を変えました。
廃校になった小学校をまるごとアートにした鉢&田島征三絵本と木の実の美術館です。絵本作家の田島清三さんたちが、学校が空っぽにならないというテーマで作品を作り続けています
40年前400人以上だった集落の人口は現在半分以下になりました。130年の歴史を持つ小学校は2005年に廃校になりました。
校舎を利用した美術館作りが持ち上がったのは2007年。地域の人たちの手で学校は美術館に生まれ変わりました。
カメルーン出身のバルトロメイ・トグロさん。
人類はなぜ新しい土地を求めて旅をしてきたのかをテーマにしています。
ここには大地のゲイジユツ祭が人々を引きつける仕掛けがあります。
地元の人もめったに立ち入らない林道。
さん品に導かれて奥へと進むとそこには地元の人からも忘れ去られていた滝が。
作品を楽しみながら里山と触れ合う。
この発想がかつてない楽しみを生み出しました。
里山の自然と出会うこの発想が買ってないアートの楽しみ方を生み出しました
しかし構想がスタートした20年前。
住民の大半が芸術祭に反対でした。
現代アートで地域おこしなど前例がなかったのです。
北川さんは2000回を超える説明会を開き、理解をもとめました。
「いわゆる現代美術というものとか、今の美術はみんなありがたがったり奉ったりしているけれど、そんなにみんな面白がっていない。お客さんもあんまりいるもんではない。というのをずっと感じてました。だけど、僕たちが歴史で見る美術というものは。アルタミラとかラスコーとかいう洞窟壁画だったり、本当にすごい洞窟壁画以来、ルネサンスなどの時代も含めて、アーチストというものは時代の一番課題とか、一番みんなが興味を持ったり不安を持っていることに対してそれをうまく表すスタイルということをやってきたと思っているわけです。そういうふうに馴れ美美術は生きてくる。そういう美術をこの可塑の豪雪地で舞台にして頑張っていったら美術自身も生き返るし、地域にとって意味があることになるのではないか」
津南町にある公民館を使った展示スペース。
彫刻家中谷ミチコさんの展示作業が進んでいました。
「集落のおばあさんに作品を作るために昔の話を聞かせてもらいました。その中で出てきたイメージを彫刻に置き換えていきました」
((中谷ミチコさんは1981年東京都生まれ。 2005多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業2010ドレスデン造形芸術大学卒業2012-14文化庁新進芸術家海外研修員、ドイツ (ドレスデン造形芸術大学、ドレスデン),2014ドレスデン造形芸術大学卒アイスターシューラストゥディウム終了 現在、三重県を拠点に活動。))
「この近くのご老人三人に、昔の話を聞いても聞かせてもらって、2月だったんですが窓の外は白い雪で何も見えない状態で、こたつを囲みながら暖かい部屋で淡々とむかし話を聞いていていて、そのイメージが雪に投射されていくような。で、その形がないイメージに形を与えることをしてみたかった」
「お話が本当にあざやかで」
中里地区の農場に並ぶ作品。
「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」
風が吹くと風の力で音が奏でられる造形物です。
越後妻有を縦断する信濃川。
川沿いに広がる田んぼに芸術祭を象徴する作品があります。
5メートルおきに立つ700本のポール。
手前と奥。二本のラインでかつての信濃川の流れを表しています。
「川はどこへ行った」2000年の第1回芸術祭の時に作られ今回18年ぶりに再現されました。
芸術祭の大きなテーマはアーティストが地域を明らかにすること。
「こに地域の命は信濃川した記憶があります」
川はどこへ行ったを制作した磯辺行久さん。
信濃川に注目し2000年から作品を発表してきました。
20代の頃前衛美術家として活躍した磯部さん。
その後アメリカへ渡り地質学や気象学を網羅するエコロジカルプランニングを学びました。
帰国後第1回の芸術祭に招かれ信濃川とここに暮らしてきた人々の関わりを調査。
その中で明治以降、川の流れが人工的に支えられてきたことに着目しました。
「昔はこの中に中洲があったりと変化があった、その中で信濃川に魚介類もたくさんいたわけですけど、そういうものが全て消えてしまった。ということはこれマイナスであると同時には圃場としてですね米の生産に役立ってるというプラスの面もある。しぜんというものはこういうもんなんだと。そこに人が入ってくることによってどういう風な自然と人との関わりができてくるのかという人と自然の関わりを表現したかったわけですよ」
磯部さんは今回の芸術祭に合わせ新たな作品にも取り組みました。
「サイフォン導入のモニュメント」信濃川の水を利用した水力発電用の導水管がモチーフです。
地中に280メートルにわたって埋められている管を可視化しました。
昭和の初めこの地域が水力発電で発展し、水力発電の衰退とともに地域の過疎化が進んでいることを思い起こさせるといいます。