84歳、パレスチナへの思いを胸に描き続ける画家 上條陽子 。死の絵から生きる絵の世界へ。イスラエルの爆撃により、多くの死者を出したパレスチナ・ガザ地区。高さ8メートルの壁に囲まれた自由のない世界で、不屈の精神で描き続ける画家たちの姿。爆撃の1週間前に撮影した映像。死と隣り合わせの中、いとうせいこうが衝撃を受けたパレスチナの絵とは?全国各地を回るパレスチナ画家の奇跡の展覧会。上條陽子、執念の新作に挑む!
初回放送日: 2021年6月6日
日曜美術館「壁を越える〜パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦〜」
パレスチナガザ先月
イスラエル軍による激しい空爆で
町が破壊されにひゃくごじゅー人
以上が命を落とした
その半数は一般市民だった
パレスチナの現場に心を痛め
日本で制作を続ける画家上條陽子
たまたま訪れたパレスチナの過酷な状況に
衝撃を受けにじゅー
年以上その悲劇を表現してきたに年前
そんな彼女のもとに
傘の画家からごじゅーまんえん
近くの絵が届いた
本当の届いた時は
もう喜びましてきたのやつってななじゅー
年以上戦火にさらされ続けてきた傘から
日本に送られた絵では
どのように生まれたのか
私たちは爆撃の一週間前まで
傘の画家たちを取材していたが
里上條陽子悲しみといのちの会に迫る
滑らかな動き肉体が織りなす不思議な線音楽に
身を委ね自由に舞う
ダンサーの予測不能なリズム
その奇跡は一枚の紙の中に即興で描かれ
奇妙な形を生み出す
連続写真がいち枚になったかのような
見たことのないデッサン画家
上條陽子はちじゅーよん歳
一般的にモデルを使うデッサンは静止して
ポーズをとってもらう
しかし上条が描くのは
史実とは異なる別の何か
ちょっと待って
今ちょっと手が動くままに帰ってるから
何を書いてるんだかさっぱりわかんない
自分でもわかんないんだけど
いろいろな動きが色々な形になって
なんか決まっちゃう
買ったじゃなくてない
動きの中から
敵を捕らえてくってのが面白い
どこ行ってる理由として
生きてるって事動いて来るって事は
動かないことで
やっぱりその動きの中から許可をもらいたい
帰ってきたデッサンを
自宅のアトリエに広げる
こんなとこに足があったってが立ったり
これは人間であるかもしれないけど
昆虫でもアメーバでも
ウイルスかもしれないんだって
ちょっと違う空間においてと言うと
次の瞬間デッサンを躊躇なく切り始めた
一心不乱にはさみを入れていく
穴を開けた
ペットの空間空間空間あの違う空間ができて
そこが私の楽しみ
面白いなーと思って自分で面白くて
上条にはもう一つ重要な仕事があった
アルファ家たちの作品を託され
管理保管している
いくつもの段ボールに入っているのは
パレスチナのガザから送られてきたさん
人の画家の作品
上条は仲間とともに
傘の画家の展覧会を日本各地で開いている
きっとこのこれは私たちがあったんですけど
この枠を作ってキャンバス
私はりましたけど絨毯て
そしてこのキャンバス
だけ前行って送られてきました
作品として
あれするとなくなる
を盗聴される可能性もあるから
あのじゅーさんでした
2018年のクリスマスに傘から発送された
およそごじゅー枚の絵をした手段でなければ
作品を外へ持ち出すことができない
ガチャの厳しい現実があった
かけるにメートルの壁に覆われて
これが襟付け文書は検問所
これはエジプトのシナイ半島です
こっちでこっちがイスラエルつまり仲介ですね
だからここから
こっちもイスラエルが管理されてるから
逃げることはできないしここは同じです
こういう所ににひゃくまんえんにひゃくまんに
今もうにひゃくまんえんだって
にひゃくまん人もいるわけです
1948年ナチスの迫害を逃れたユダヤ人が
パレスチナへ向かい
新たにイスラエルを建国
パレスチナはこれを認めず抵抗
しかし圧倒的な軍事力で
イスラエルはパレスチナを次々に占領なな
じゅーまん人以上京都家を失い
パレスチナ難民となった
そして傘に流れ込んだ
その後も透析などで抵抗を続けるが
イスラエルは占領地を拡大
パレスチナの土地は
傘とヨルダン川西岸の見たいガザは
イスラエルによって周囲を壁に囲まれたら
逃げ場がないため
屋根のない監獄と呼ばれるようになった
上条が初めてパレスチナを訪れたのは
1999年ろくじゅーに歳の時
アーティストとして招かれたエルサレムや
傘でグループ展を開催
その時取り分け方の悲惨な状況に
衝撃を受けた
あのお母さんから出ると
出所した気持ちになるんです
私自身何も悪いことしないで
入っていったんだけど
その方の検問所てると
やっと食べられたっていう感じ
なんか本当に出走したような気分になって
でも周りいっぱい
銃持った兵士がいっぱいいるんだって
何で銃持ってる人
たちが誰のために注意を向けるのって思うし
私なんか何も悪いことしてないのに
なんか非常に屈辱感って言うかねし
とけばよかった無事に出てた感じでした
そんなのおかしいでしょ
過酷な状況下で生きる傘の人々
上条はその中でも
懸命に英語を学ぼうとする若者たちと
知り合う
その時に撮ったのがそれ
私はそういうあのちょっと連絡をした
と思ってて
その絵の具を誰かにあげようかな
と思って持ってたんですね
そしたらなんか若者がいたのですが
この間来あなたって言ったら僕にくれる
治って言うから入ったらすごい
喜んで飛び込んだったんですけど
それからずーっと七渡心
の中にやっぱりお母さんのね
若い人たちのことも忘れられないし
パレスチナの衝撃を忘れまいと
上条が作った作品
自由な未来を妨げる
高い壁帰れると信じて持ち出した
家の鍵ななじゅー
年以上経った今も戻れないままだ
自由を奪われたが
家の人々パレスチナと出会う前上條はよんじゅー
年以上独学で絵を書き続けてきた
画家の登竜門であった
安いショーをよんじゅー
いち歳のとき女性で
初めて受賞
人間とは何かその答えを模索し描いた
しかし受賞でが書けなくなる
その頃はやっぱり詩を読んだり
本を読んだりして頭で考えて
人はどっから来たどこへ送って
そういうそれが行き詰ってた
答えの出ない哲学的な問い
受賞のプレッシャーも重くのしかかった
本当に頭って書けない
苦しい思いを知ってるうちに
私は病気になりまして
心の耳に腫瘍ができて
聴神経鞘腫よんじゅーきゅー歳の時
耳の奥に見つかった元医師から
手術が成功しても
視力を失いでも動かなくなる
と宣告された
しかし梅はみるみるしても無事だったんです
よし今度元気になったら
もう思う存分自由に書くっていう女子頭で
考えるはやめた
重い病を得て生きる喜びに目覚め
再び筆を取った上条だな
パレスチナで目撃したこの世の不条理
お前に自分だけの
生きる喜びの世界が消えた
結婚式で打たれた花嫁の姿
その衝撃でブーケが飛んでいく
ドレスをまちづくりのは
戦争で死んだ人間一人一人の形
切り抜いた真っ白い紙の欠片に
上条は込み上げる感情を託し
目をそらすことはできない
パレスチナの悲劇を描く画家になった今年5月
上条は傘の画家
たちの展覧会を準備していた
に年前に作品が到着してから
日本各地を巡回してきた
手作りの展覧会だ
実はねやばいんだけど山の枝が折れる
これやっぱりあのなんだろう
心の中の何か表したくて
これ山に託して作品書いてる感じるんだ
一際目を引く木炭で描かれた作品
薄いは魚黄色を背景に
激しくうねる黒の線
ガザにはないはずの山見るものに
どこか不安と緊張を感じさせる
朝はいつも手足のない
あの本当に怪我した子供とか
大人ばかり書いてたんですけど
日本にこの絵が到着した時
びっくりしましたね全部花になってる
しかもあまりそれほど花がないのに
なんだか日本のベランダのように
いっぱい肌があるなんて
すごい明るいはずの動物がみんなね
赤やらブルーやらそれは何故って
私たちの拘留っていうのは
幸福にも巡回展をやってますが
形はどんな想いで作品を描いたのか
区の一週間前
日本に作品を送ってくれた
傘の画家たちを取材した家に梅なあ陽子
上條傘での撮影は4月下旬から開始
パレスチナとイスラエルの
対立が激化していた
これは爆撃されるに週間前に撮影した画像
ふぉー階の市場の様子
イスラム教のラマダン
断食明けの祝祭に向けて賑わっていた
しかしこの後
市場はイスラエルによる空爆を受けたソフィール
サーレム上から絵の具をもらった
あのお昼だ
十八歳の時に抗議
デモに参加して右足を撃たれ
今も骨に弾丸が残る
傘にはこれまで
家を展示する場所はなかった
ソヘイルは仲間とともに
傘で初めてのギャラリーエル地下を作った
現在よんじゅーなな歳結婚し
ご人の子供の父親だ
家には製作のためのスペースがないため
しばしばギャラリーを訪れ書いている
ソフィールといえば黒
ダイナミックに描いていくのは
傘にはないはずのあの山
繰り返し黒い雨のシリーズを描き続けて
タイトルは泡ランドナルト
フィレンツェの関連フィギュアなあなたTomcatサーバー
屋根キャンティーナ出せるよう
何度も繰り返されてきた爆撃機
2014年の激しい空爆の時
ソフィールは辛い記憶を思い出した
2008年に自宅が破壊され
結婚たばかりの兄が亡くなり
弟は重度の傷を負った
新たな空爆の度によみがえる記憶がなくなる
冒険家って何腕相撲はやと傘中心部で暮らし
毎日窓から外を眺め
インスピレーションを得ているという
画家ラエド一茶よん
じゅーろく歳日本に花の絵をじゅー
枚も送ってきたい
そのモデル達が小さな窓辺に入った
しかしこの場所で
絵を描けるようになったのは
ついにーさん年前
2014年の空爆で家を破壊され
ご年かけて生活を立て直し
今は妻と四人の子供と暮らしている
上条が不思議に思っていたが
他にはないはずの花育てていたのは
サボテンなどの植物だった
ムハンマドアルタバ子よんじゅー
ご歳川尻の祖母も
1948年に呼吸を
あれがさに逃げ込んできたパレスチナ
何だった妻も
馬鹿で四人の子供を育てている
動物好きな幅
自宅ではオカメ
インコなどよんじゅー枚以上買っている
かつてパレスチナの子今日では
人々はそれぞれの土地に家を建て
ろばやヤギなどとともに暮らしていた
しかし日傘は狭く土地がないため
そうした暮らしは失われていった
小鳥がなくこのアトリエで
動物を書いているハワイ
彼が描きたいのは
かつてのパレスチナの風景
動物たちと暮らしていた頃の景色だ
じゅー年以上ずっと動画シリーズを描き続けている
えーと番だって決めるの
傘の画家たちの
展覧会を訪れた人がいる
作家いとうせいこうに年前に
頭は傘を訪れていた
国境なき医師団に同行し
戦争の被害にあった負傷者を取材
傘での過酷な生活を目の当たりにした
明るい色で書きますね
すごいなあ
明るい色で書くこと自体が
抵抗政治的な文脈に引きつけて
考え過ぎてしまった
良くないけども
実際にものすごいも抑圧されてるから
よくこんな明るい色出かけるなっていう厄年とか
そうね自然がね
確かにこういう入り組んだ
小山みたいなところが続くんですよね
面白画像というよりは
テルアビブとかそれがつまり
イスラエル軍が実効支配と言うか
支配しているところの景色が
ずっとこんな感じで
傘にはない山を描いたソフィール
それはかつていたパレスチナの古鏡
の山を描いたのではないか
泡ランド私たちの土地
角ってこと自体が何かであると言うか
前さっきは抵抗だったけど
悲しさから少し逃れることだったり
俺が食う一筆一筆の時間が
彼らにとっては
すごくたくさんの意味を
持っているんだなーっ
ていうのが分かる分かると言ったら失礼だけど
それをこっちは分かりますよね
やっぱりねあの書かないで
そのことをただ受け入れてたら
文字が潰れてしまうような時に
芸術家とか作家っていうのは
それを書くという行為において
何事か別の次元のものに変えている
そのこと自体
が芸術とか文芸のパリ
僕は根源的な力なんじゃないか
と思うことがあってはるかに満足
これ書いてこっちが奇跡なんだ
言論の自由も犯されるし
移動の自由もね
待ってカッパでもの自由も
私も最低限の生活をすることを要求する
自由もないし
でも心の中犯されてねーぞ
って言う想像する力は
全然衰えてませんけどっていう
そういうユーモラスの尊厳を
このアラブの人たちから感じますね
に年前傘の画家たちが初めて来日した
ビザの申請からごヶ月よん
じゅーヶ所以上の検問を通り抜け
やっと実現した中心になって
彼らを傘から外の世界に出したのは
上條陽子だった
可能性にぱーせんとって言われて
しかもたとえ日本に来ても
土地が変えられる保証はないんです
よって言われたんですね知り合いからで
もそれはやってみなきゃわかんないし
それこそそんなことがあること自体が
問題提起じゃないですかって
私は思いました
とにかくやるやってみよっと
日本に到着するやいなや
そのことを伝えたいと三人は全国を飛び回り
講演したメディアの取材にも
積極的に対応
そんな彼らと共に過ごすうちに
上条の胸に思い
もよらない衝動が生まれた
彼らの気候直後
無我夢中で生み出した一つの作品がある
その上これまでにじゅー
年以上パレスチナの悲劇
足の世界を表現してきた上条
それが大きく変化した
なんとかが爆発しちゃって
私いつも真っ黒でばかり書いてたんだけど
なんかこういう赤い
なんか彼等ちゃったのかなっているが欲しい
そういう強さとかな
日本へ行って本当に気を感じたって
彼等言ってましたから
そういう彼等の思いがこの爆発
悲劇のパレスチナを吹き飛ばす程のエネルギー
理屈を超えた大噴火治った
そして2021年
春はちじゅーよん
歳の上条な新たな作品に挑んでいる
今表現したいのは
傘の画家たちから感じた強い生命力
ダンサーの動きを思うがままに描いた
デッサンを切り抜き
色塗りここまで変化させてきたカラフルで
全然別のものになったです
こんにちは今日セメント所の草くさとか
それのごーいち武器みたいなそれを表現
頭の中にはある高いの散る命
あの本当に毎日玄関開けると
雑草が終わって帰ってて
その生命力にちょっと圧倒されてるのって
本当になんかね
僅かなコンクリートの脇に
ほんとわずかの父があってもね
そこから芽が出るのね
草の姿になって
何で芽が出るのかなと言って
そんなにすごいのかなあと思うんですよ
それはみんな同じ地球の中に
地球の上にいるわけでしょ
彼等はそのビザごヶ月もかけてね
でも彼等は
本当に幸せに戻ってこれたわけですよ
しかも私たちが保証人になったから
出て来れたけど
一般の人は本当に出てこれないね
それっておかしいでしょ
そうそうなんかこっちはないの草も
遅刻したガザの画家たち
日本へ花の絵を送ってくれた
大江戸一茶画材が手に入らない中でも
新たに作品を作って言った
集めるのは海辺で拾い集めた平たい石に
人々の肖像が入った看護師やジャーナリストなど
皆戦争で亡くなった人達
石破パレ神にとって
イスラエルの占領に抵抗する武器であり
不屈の精神の象徴だ
一人一人の生きた証
岡山高野連動物の絵を書き続けている
ムハンマドアルハブシ
彼もまた画材がない中で
作品を生み出していった
使ったのはスパイスシナモン
カレー粉カカオなど家庭用の香辛料だ
ポプラのキャラクターさん個でいいよ
そしてソフィエルサレム
戦争の痛みから逃れることはできない
と語っていた彼もまた
作品を生み出したいった
お金がない中で使うのは
ペットボトル作ったのはいっそうのふね
友人たちとともに傘の前に広がる中
漕ぎ出す波間に揺れ壊れそうな姿に
傘の今を重ねた映像作品だ
那須も車検コアラの流れ
そんなのない歯医者さん大好き
お父さん大好き無車検に来てよろしくとは
空だけの花花
花花花情報喉鼻から
鼻の穴に落ちている
5月初旬上條の作品が完成しようとして
アースに分かれている一枚
一枚の絵を即興で並べていく上條の作品は
その場で初めて出来上がる
二度と同じ展示はない
躍動するダンサーから生み出されたにひゃく
枚以上の雑草タッチ
これはかたガチャを作ったこっちがね
地中海こちらがエジプトシナイ半島
最後に花で彩る
舌の庭に生えていたヒナゲシ子
本当に凄い生命力持ってきてるし
私もこれは雑草と言うか
そういう草花の生命力をちょっと表見した
しかも国境のない壁のない刑務所のない
自由な形を作る
つい最近トラックバックされたわけですね
お兄さんなくなったり
弟さんあれを怪我したの
それそれでもね
やっぱりあのみんなの
添えるだけでの一茶だってばくれて受け取る
でもほとんどの人で穴受けてないんだ
それでも頑張って帰って生きてるじゃん
そういう生命力の強さ
面白そういう時間に歯があるから
自分は行きたい
自分は1度取って言うね
どこかんじゃない
お姉さんやら弟やら家族が皆賃貸
自分は残された自分こそ
そのぶんまで生きてあげようって
生理重いかもね
じゅーいち日間に及んだ戦闘は
5月21日に訂正さん
人の画家は無事だった
しかし多くの人々がまた犠牲になった彼らは
今日も描き続ける