今年6月復元工事が完成した名古屋城本丸御殿。復元工事の様子や障壁画の復元模写の作業を織り込み、400年前の姿がよみがえった本丸御殿の魅力をあますところなく紹介。
今から400年前の1615年に建てられた名古屋城本丸御殿。1930年に天守閣とともに国宝に指定されたが、1945年5月空襲により焼失。名古屋市は、2009年から本丸御殿の復元工事に着手、9年余りをかけた工事が今年6月に完成、一般公開された。
番組では、加藤純子の指導の下行われている障壁画の復元模写の作業を織り込みながら、400年前の建造時の姿がよみがえった名古屋城本丸御殿の魅力をあますところなく紹介
【出演】古典模写制作…加藤純子,岡崎市美術博物館館長…榊原悟,【司会】小野正嗣,高橋美鈴
放送:2018年7月8日
日曜美術館「よみがえった国宝・名古屋城本丸御殿」
尾張名古屋は城で持つ。
名古屋のシンボルとなってきた名古屋城。
天守閣のすぐ前に400年ほど前の姿を復元した名古屋城本丸御殿が先月完成しました。
豪華絢爛たる御殿。
中でも将軍が宿泊するために作られた上洛殿はそれが際立っています。
巨大で色鮮やかな彫刻欄間。
きらびやかな飾り金具など、至る所に贅が尽くされています。
当初の姿に復元模写した障壁画。
元の絵を描いたのは狩野探幽率いる狩野派の絵師たちです。
現存するこの花鳥図は探幽の最高傑作と言われます。雪をかぶった梅の木。
広々とした空間に鳥が舞っています。
余白の美を強調した優美な絵です。
「独特の美意識と計算によって画面が作られています。これより先に行ったら何も亡くなるギリギリのところで抑えている」
障壁画の復元模写に取り組んできたのは加藤純子さんを中心とする日本画家たちのチームです。
戦前城郭建築の国宝第一号に指定されながら空襲で焼失した名古屋城本丸御殿。その建設当時の姿が蘇ったのです。
209年から9年半の歳月をかけて復元された名古屋城本丸御殿。元の御殿は1615年。徳川家康の命で建てられました。合わせて13棟。京都の二条城二の丸御殿と並び近世城郭建築の最高傑作と言われました。
本丸御殿は徳川家康の九男、尾張藩藩主の徳川義直の住まいでもあり、藩の政務を行う建物でした。
御殿を訪れた人がまず最初に足を踏み入れるのが玄関です。
玄関の間を取り巻くのが虎やヒョウの姿です。
水を飲んだり戯れたり、子どもも混じっています。
当時の人にとっては見たこともない異国の獣。
ヒョウはメスの虎だと思われていたそうです。
玄関から廊下でつながる隣の建物。表書院です。
藩主が謁見などを行った公式の建物です。
どの建物も華やかな花鳥図が周りを取り囲んでいます。
床が一段高い上段の間は藩主が座につく最も格式が高い部屋。
威厳を示すかのように松が描かれています。これは帳台構と呼ばれる部屋飾り。
細かい細工を施したきらびやかな細工金具が目を引きます。
本丸御殿の復元には伝統の匠の技が随所に生かされています。
飾り金具の復元には名古屋などの金具職人が挑みました。
飾金具製作の一例を見てみましょう。
まず銅板をタガネで切断。断面をヤスリで整えます。
砥石で研いだ銅板を火に入れ徐々に冷ます焼きなましを行います。
彫金しやすくするためです。
次に模様を転写してタガネですその文様を彫っていきます。
文様以外の地の部分には魚々子という細かな円を隙間なく彫ります。魚々子蒔というこの作業によって模様が浮かび上がってきます。
この後金の膜を貼り出来上がります。
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「 少しカジュアルって言うか日常的な感じになりましたね」。
こちらは対面所。藩主が家臣との面会や縁石など私的に利用した建物です。
ふすまや壁紙には庶民の暮らしを映し出した風俗図が描かれ、くつろいだ雰囲気を醸し出しています。
上段の間の天井は黒漆塗りの材を格子状に組み合わせた格天井という伝統的な作りです。
格子の一桝の中に更に細かく格子状に材が組み合わされています。
また天井の中央部を高くする折上げが二重に施された格式高い作りです。
天井の製作工程です・まず材料を加工しほぞを作ります。
そしてほぞ穴に差し込み材を組み合わせていきます。天井を高くする際に使うのは亀の尾と呼ばれる湾曲した材。
これらの材を一度実際に組み合わせて確かめます。
この後解体して黒漆を施してから再び組み合わせます。
最後に金箔を押した天井板をはめこみ仕上げます。
様々な伝統の技を駆使して復元された本丸御殿。屋根もまた古くから伝わる工法。
薄い板を無数に拭き重ねるこけら葺きです。
丸太を割り徐々に薄くしてこけら板を作ります。
この丸太からおよそ500枚のこけら板ができます。
まず軒先に板を積みのきづけを作ります。板の内側の隙間が通気性を確保します。
こけら板を拭くのに使う釘は竹釘。
錆びることがないので風雨にさらされても長持ちするのです。
さて本丸御殿の最大の見どころは三代将軍家光の上洛に合わせて作られた上洛殿です。
本丸御殿の中でも最も贅を尽くした建物です。
「ヒノキの香りがさらに濃く、癒される感じ。匂いが香りに癒される」。
「空間を自由に使っているという感じがします」。
狩野探幽の花鳥図の復元模写です。
右半分を斜めに横切るように雪に覆われた梅の木が描かれています。
背後の広々とした空間には金箔を細くした金砂子が撒き散らされ、そこはかとなく春の気配が漂います。
探幽の代表作で近世絵画史の傑作と言われる襖絵の模写です。
上洛殿にある上洛の間。上洛殿は家光が一度泊まっただけであとは江戸時代を通してほとんど使われなかったと言います。上段の間の床の間や、ふすま、壁には中国の工程の逸話が描かれています。これらは帝鑑図と呼ばれ、将軍や大名が行動の規範にしたといいます。上洛殿の豪華さを際立たせているのが部屋を取り囲むように並ぶ彫刻欄間です。色とりどりの鳥や花が立体的に彫り出されています。江戸時代から彫刻の里として知られる富山県井波。彫刻欄間に挑んだのはその井波彫刻師たちでした。戦前に撮影された彫刻欄間の写真を実物大に伸ばし、それを元に檜の板に彫っていきます。荒彫から仕上げまで、200本以上のノミや彫刻刀を使い分けます。写真を見ながら細部にわたって検討が重ねられます。1枚を彫り上げるの10人がかりで半年以上かかります。上洛殿の彫刻欄間は井波で彫り上げられた後京都で彩色されました。彫刻欄間の傑作が現代の彫刻師たちによって蘇ったのです。