20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチ。規則性と不規則性、人工と自然、相反する要素をきっ抗させ、調和させ、唯一無二の彫刻世界を作り上げた。そんなノグチ作品に触れた事が、その後の人生、アートにハマる“初期衝動”だったと語るのが、 サカナクション のボーカル・山口一郎さん。ノグチ彫刻に感じる“違和感”とは?そこにある、楽曲作りとの共通点とは?現代をけん引する山口一郎が、イサム・ノグチの魅力を語りつくす。
初回放送日: 2021年7月11日
日曜美術館 「 わたしと イサム・ノグチ サカナクション 山口一郎」
彫刻刀は何か。
彫刻にできることとは何か。
その人は常に問い続けていました。
時に瓦に落ちている石のようなものをこしらえ、時に東京ドーム40個分にも及ぶ広大な公園を生み出す。
さらに生活を照らす灯まで。
その人はこれら全てを彫刻と呼びました。
イサムノグチ。
彫刻で世界を未来を変えようとしました。
サカナクションのボーカル山口一郎さん。
デビュー前の20代初めにイサムの彫刻と衝撃出会いをしました。
「イサムノグチ全ての僕のなんかアートに対する興味をの入り口言語は関係なく人を宇宙に連れて行けるものだって
アートには何ができるのか。
時を超えた二人の対話です。
入ってすぐ分かりなんですね分かんですね
いくつぐらいあるんですか
159の灯りが吊り下げられています。
150もいっぺんに見ることないですか。
光が消えたための灯りって、こう灯りがついてない状態でます
美しいですね。
また違う立体に見えます。
ご紹介しましょう、ロックバンドサカナクションの山口一郎さんです。
よろしくお願いいたします。
今回の展覧会ではミュージシャンとしての山口さんが組織に貢献されてるって言う話を伺ったんですけども、僕の個人的な興味としてイサムノグチが生きていく中でどんな音楽を聴きながらデザインしてきたのかなってずっと気になったんですね
武自身の真レコード棚をもし見れれば明日は早いんですけれども
それが分からないのでその時代も合わせてどんな音楽がイサムの子だったのかっていうこととイサムがどんな音楽とか
買ってきたのかっていうこと徹底的に調べて
関わってきた音楽を聴きながらこの展示を見るということを企画させてもらいました。
なんかこう可愛らしさを感じますし、なんかこう僕は家庭モラトリアムなしてるじゃないですけど何かこう華やかな部分もあるんですけどどこか暗さを感じると言うか
内向的な少年の姿みたいな方ですね。
どこか効果音を感じる時でもなんかこう綺麗に磨かれている。
今に対して相手に傷をつけていくのだという行為も少しなんかこう幼年期と言うか、少年じゃなくてさを表現して名前なんすかね
そのやっぱり彼のちょっと複雑な効果で自身の幼年期みたいなところの影がやっぱり工作員としてるって言う事ね
1904年、ノグチはアメリカロサンゼルスで生まれました。
父は留学中だった詩人の野口米次郎。
母レオニーギルモアはその翻訳を手伝っていたアメリカ人でした。
ノグチは2歳の時すでに帰国していた父を追って母とともに日本に行ってきます。
しかし父、米次郎は他の女性と結婚していました。
それでも母と共に11年間日本で暮らします。
そこに居場所はありませんでした。
父から見捨てられ、外国人の血を引くことで差別もされた孤独な少年時代。
13歳の時、ノグチはたった一人でもう一つの故郷家に戻ります。
しかし日本人の父親を持つノグチはアメリカの学校でもよそ者でした。
そんな時出会ったのが芸術の世界。
表現の場では国籍は不問でした。
手先が器用だったノグチは彫刻の道に進みます。
そして21歳。
ある作品に出会います。
私の前に新しい美術の世界が急速に開けた
コンスタンティンブランクーシ抽象彫刻でした
鳥の姿形を写すのではなく
空間を軽やかに飛ぶ飛翔そのものを形にした作品。
想像もしなかった彫刻の可能性がありました。
野口はパリへと赴き
ブランクーシのアトリエを訪ねます
しかし学んだのは半年ほど藤田嗣治家
ジャコメッティの集うにじゅー
年代のパリ自らも
模倣ではない表現を見つけなくては
との決意でした
ヨーロッパとアメリカを行き来し
最先端のアートに触れていきます
それからにじゅー
年余りよんじゅーろく歳父の故郷
日本で目にしたのは
よんひゃく年以上も前の簡素な庭でした
岩石がただ単に
そこに置かれているのではない
それらは地面から生え出ていて
その重量が大地と結びついていると感じる
ここには掃き清められ
正常な宇宙が存在するリバーウォーク
そのことが空間の意味が広がりを一変させる
空間を司る聴覚
地震の目指す道が見えてきました
僕がこの中で一番好きになった
これで発見の道ですね
どうしてこれが違和感があるものに対して
何かと反応するタイプで例えばですけど
あのポテトチップスに
チョコレートがコーティングしたら
おかしいありました
僕の中では
ポテトチップスというものに対して
チョコレートがかかっているはずがないのに
かかっていることに対しての違和感です
それ食べた時にしょっぱいと甘いが
共存している
だるいと思いは今日とみたみたいな
頭違和感に対して
何か僕はこいつも反応男作る上でも
そういった部分を大切にしてるんですけど
もう過去の作品からますよ感を感じていて
あのものすごく緊張感のある部分と
すごく優しい部分と
後そのままの部分っていうのが
なんかこの人と立体中に訪問しているって
出た音楽に入る前に
文学に傾倒していた時期が長くなっ
て冷蔵の美しい言葉を
たくさんの人に伝えるために
音楽が必要だと思い音楽始めたんですね
それでも僕が言葉が一番
その自分の頭の中にある意識であったり
損傷性を具体的に伝えられるものとしては
Aよりも芸術アートよりも
音楽が文学一番強いと思ってたんですね
彫刻で楽しんで行ってから
目で見える抽象性とか
その方がより宇宙に近づけると言うか
自分の心の中にあるものを
より立体的に表現できるんじゃないかなって
いうふうに考えを改めた
改めるきっかけになったのは
実はまいさんの彫刻との出会いから
文学には文学の伝え方
があるんですか
パワード予告版への影響を及ぼし片付けたか
そこに対しては
なんか今まで考えてきたこととはまた
ちょっと違うものなんだなーって感じだ
ひさま作品に触れて
そうやったご自身のその音楽を作るの
基礎の作り方っていうか
その書体どっちものに
何かしら影響ってのあったんでしょうか
まぼ空港ミュージシャンとして
サンプルでやってるんですけど
もしアマチュア時代点があって
コンペに出てたんですよでコンペに出る
といろんなバンドが全国集まった
官能が一つのステージに上がって歌うんです
けどそこに並ぶとどれも同じというか
自分も含めて
どのバンドも全部
同じに感じてしまったんですね
その時にじゃ
この中で自分たちの出して出してくれて
どんなものが必要なのかっていうの考えた
時に間に合わないもの
混ざり合った時に生まれるよ違和感みたいなそれ
音楽で生み出せないかなっていうふうに考えて
僕のベースには
フォークソングってものがあったんですけど
あそこ一番遠い音楽って何なのかなって
考えて誰かに渡し明治降ったり
エレクトロニカっていうのがある
じゃない男を無理やり合わせたことによって
バランスを取らなきゃいけないんですか
バランスをとることでできる
その違和感みたいなものを発見してますが
今の自分のアイデンティティになってるか
なーって感じ
これですね山口一郎さんの音楽に
強烈な影響を与えた作品があります
光の彫刻あかり野口は
このあかりを岐阜の提灯メーカーと組んで
商品か手頃な値段で売り出します
暮らしの空間を
光の彫刻で変えたいと願ったのです
最初はどうやって出会ったんですか
それなんかある
なんか本物を見たとかあれば
小学校順で調べてたら心が生まれて初めて一人暮らし
ハンガー時に一人暮らし始めるわけですから
部屋のインテリアを崩壊されなきゃいけない
なんとかその曲を作る上でも
空間として
自分に合う雰囲気にしたかったんですが
それで一番って取ればいいのは
彼を変えることだと思ってはい
了解証明を変えることで色々調べて
その提灯に出会ったんですよ
部屋に語るっていうことを
何かやりたいと思って言う調べてく
とイサムノグチの存在を知って
いびつな形をした提灯の魅力を感じて
それを部屋につけるところから
北にサムの奥さん誰が始まったそうですね
それで終わりました
その空間はその場初めて人がした時って
家に他に誰もいないっていうか
人を本当には一人ぼっちになる
わけじゃないですか
それにすごく孤独を感じたんですけど
でもその明かりをつけることでパソコン
自分の秘密基地じゃないですけど
自分の世界に
ちゃんと止めてくれたっていうのは
僕はイサムノグチに惹かれていった
でも最初僕
イサムノグチっていう人の作品だって
知らなかった
デザインだけでサンセット
イサムノグチ参加したら喜ぶじゃないですかさね
本当にあのこの辺りのね
あの色合いに癒されるって話をもっとよく来ます
けれどもデザイナーの三宅一生さんがパリで
修業時代本当に行こう大変だった時
にたまたまやっぱりあかりと出会って
そう心癒されたっていう話を
お聞きしたことがあります
そういえば力があるんですね
この子の光の彫刻にはライブネスとか
でも実は使わせていただいたりとか
茶柱って曲がで
そのお茶を飲んで
茶柱が立った
女性のまあ話をしてるんですが
その演出でこの
どんな正面にしようかっていうのを待った双子
お茶っていうことテーマなので
日本っていうものをどこか持ち込めないか
という話になったんですけど
幽霊ランナー普通のただの提灯を下げるだけだ
とかまあこうよくあるもの
日本的なもの
ただ置くだけだと
どこかこういう違和感が生まれなくて
豊子のイサムの明かりを使ってみると
うまく馴染んだね
その灯光り方もそうですけど
そのステージの上に及ぼす影響力と言うか
そういうこうした時にも存在感のあるんで
野口の彫刻が
空間に及ぼす力を
目の当たりにした人がいます
建築家の安藤忠雄さんです
経堂ななじゅー年代の後半に
夜勤してさと深く交流があったので
紹介をされて
武さんとはよく石橋た
鋭い顔してました
その人はひゃく歳までは大丈夫だろう
という顔をしていたと思うんですね
安藤さんの設計した場所を
おの口が気に入り
元々の会場を急遽キャンセルし
そこで展覧会を開いたこともありました
これですよねちかさんが選んで
一緒に緊張感が走ります
の中に怒られた時に
一気にこの周辺に空間に緊張が走るのは
彼の魂学校に行きました
石がどのように中田時にして欲しいか
という声が聞こえてくれてる
その声をよく聞きながら自分を入れて
そしてその緊張感の中で作り上げるのが
彫刻だと彼は言ってましたけども
地下さん階の床に置いた時
一切の妥協を許さず
制作にも展示の仕方にも
全てにおいて最後までこだわり抜いた
野口時には衝突することもおいしかったでしょ
もういつももうちょっと
今日も見る目が全然違ったね
仕事時間間違ったあなたは
いつも前を向いて生きてます
いつも未来は輝いてると
いつも未来を見つめてる人は激しい
北海道札幌市の大通公園
ここにイサムノグチの彫刻があります
それは今も
子供達に人気のお尻で感じる聴覚
ブラックスライドマントラのぐちは1986年
ヴェネチアビエンナーレで
白大理石による螺旋状の滑り台は発表
大きな話題を呼びます
それを札幌の公園に儲けよう
というプランが持ち上がったのです
雪の日でも映えるように色を黒にして
野口が視察した
当時の映像が残っています
ろくじたったら答えてくれや
元々は鯨山と呼ばれていた滑り台を撤去し
野口の作品を置く予定でした
しかし野口は子供たちに愛される
くじら山を残すことを主張
さらにシャドウによって
途切れていた公園をつなぐことを提案
そこに自分の作品を置くと言うので
作品を置くならば
場所全体を変えねばならん
野口の妥協なきこだわりに
札幌下折れました
ものを作るだけでなく
その空間全体を築き上げる
それものぐちにとって彫刻でした
この頃同じ札幌での口は
大規模なプロジェクト与えていました
それは東京ドーム
およそよんじゅー個ぶんもある
ゴミの埋め立て地を公園にする計画でした
野口は言いました
人間が傷つけた土地を再生するそれは
僕の仕事です
野口の壮大な計画は
建築家河村純一とそのチームに受け継がれ
完成します
標高ろくじゅーにMの人工の山
モエレ山きゅーじゅーきゅーの石段を積み上げた
プレイマウンテン
まるで古代の野口が
三十歳の頃から構想していた
自然とアートの融合
さらに子供たちが体感できる遊具家
抽象彫刻からCモニュメントも常に前を向き
未来を見つめていた
野口彫刻とは何か
彫刻にできることとは何かを問い続けた
野口が生み出した広大な彫刻です
空間に例えばこう
ラベンダーの香りがすると
リラックスできたりするので
何もない空間に
今度チャンスが流れるとそういう気分になるさ
彫刻も同じだと思っていて
何もない空間にこれがポンと置かれることで
なんかそれをまあ感じる感じるわけですよね
それがとても山の上にぽんと置か
れるとやまとその彫刻を同時に感じる
と言うか交換
混ざり合うものな気がするんですよ
なのでそういう部分では
この作品はまこの場所にも置かれることで
まこれを感じてることと
リサイズ置かれている場所によって
またし感じること
違うだろうなと思うのではなくて風景の
一部になることで
違った空気を生み出すような感じなんですか
つながるって感覚かもしれないです
例えば純喫茶でコーヒーpopが流れると
なんか違和感あるんでも
ジャズが流れて違和感ないです
空間そこにあるものによって
関係の仕方が変わる前にでも
音楽も彫刻も
匂いも一緒なのかなって
思うんですよね
この作品を見た時に
何か音楽がもし聞こえてくるとしたら
どのような音楽が
山口さんには聞こえるでしょうか
そうですね勇の作品共通して感じるのは
やっぱりそのミニマルだと思うんですよね
そのそぎ落としていながらも
なんかそこに引っかかるものがあるって言う
そこをなんか
こうに貫いていく感覚と
日本の日にも
なんかそれ同じもの感じるんですけどは
科学とかそういったものにも
感じますよね
直接的にその例え科学省であった
じゃ聞こえてくるとかではないんですが
なんかその科学の相方というか
そういったものが
作品から感じる時がありますね
こちらに入ったら
山口さんとても刺激を受ける
という作品がありました
ノーグチの晩年の彫刻フロアーロック
削られた多面体が
二つ並んで置かれています
どういうところが
この無作為に破れただけのようなのに
なんかその割れてる部分を
しっかりと確保している緊張感があるって
言うか無作為と不作為性をナフコ
組み合わせてある感覚が濃いなあと思って
なんかこの無作為な部分と
きっちりと作為的にツルツルしてました
もし食べ
てるところですよね
この関係性っていうのが
すごく素敵だなぁと思います
男はずっとあい店とか残しておくんだとか
なんかすごいバランス感覚だなーって思います
おかしいですね
その放置しすぎるって
かなりが手を加えてないと
またそれはなんか
本当にこのアーティストの仕事なの
ってなるしやりすぎてちょ作り込みです
作り込みすぎてるんじゃない
っていう風なことを言われても
不自然じゃないみたいよ
と言われてそこがなんか音楽にも僕
ただ高歌詞に関してとかだと
僕ひとつの歌詞を書くのに多い時では
もうひゃくパターンぐらいかかるんですねひと
つの歌の歌詞にろく種類歌詞を書いてで
部分的にそれを買ったってじゃないですけど
無作為につなぎ合わせるんですよ
そうすると自分が想像してなかった意味が
自分の言葉の中から生まれ
地震の画像ひゃくパターン考えて
曲を作る時にこれで完成だと思うけど
一週間どんな瞬間
そうこれ完成したっていう風になりますか
それは簡単で
その自分が想像していない感動を
自分が生み出した時ですよね
想像してるものを生み出して
もたつまんないですかWI-FI噛んじゃった
金入れてみて
自分が思いもよらなかったものが現れた時
良質な花崗岩の産地で
ある香川県高松市牟礼町
午後にアトリエを構えていたの勝ち
今ではそこは美術館となっています
はちじゅーよん歳で
亡くなったの
家の晩年の
彫刻を目にすることができます
こちらが相撲とした場所ろくじゅー
ご歳から亡くなるまでのおよそにじゅー
年間毎年ここで数ヶ月過ごし
製作を続けたといいます
野口は今まで
とは違う表現を模索していました
当時の映像です
野口の政策を支えたのは俺の職人たち
なぜ高松に来たって言うから
中でも厚い信頼を寄せていたのが
じゅーご歳から医師の現場で働いていた
と言う和泉正敏さんです
のぶ先生は僕はもうあの誰かが作った
今の日本も興味がないので
もう新しいものに興味があります
だから昨日と同じような仕事の時ですが
できた時はこうで
夜食事してる時に機嫌が悪かったですね
何か新しいことを見つけるか
今まで自分が見たことないものができると
すごく喜んでいました
野口はここに車で石を掘るという行為は
自分を表現するために
自然を破壊することだと考えていました
しかし泉さん仕事を通して
別の手法に気づいたのです
それは事故を無にし
石の声を聞くことにしてね
本当に不思議でその丸一によってもういいよ
もういいやって言う漢字もある
しみしが教えてくれる折り方まあありますね
2月のひとつの人に
聞こえてくる言葉なんでしょうね。
時光広大空間を一変させる大プロジェクトを手がけたのぐち。
ここで自らの身を古い石の声を聞いていました。
お仕事入ったりでしょ聞こえますか聞こえないんだね
世の中っていうのはねに人があの今じゃねえし作ったもんで
そうじゃなければ高石です
全部で指定したからあの人間が出てきた石に戻ること
北イサムノグチってかっこつけたの
やっぱりデザインをするってこともそうですけど
おは作品を作る上でも
とんでもない扇子を持ってった
と思うんですよ
そういう人って
やっぱりかっこつけじゃないと
アリスナルシストじゃないと
そうならない気がするんですよね
そういう部分で
やっぱりこうちょっとここに入れとけみたいな
ここちょっとここに
ちょっとかっこいいんじゃんたいな時もあった
女性からそう思ってこのね石の庭を見ると
その格好つけなところって
結構あると思います
俺は山口さん
これのかっこよさって言ったら
どこですかを無理にあった
そこで見るのと
ここで見るのとじゃ全然感じが違いますね
そうですね濡れてみるよ
プログレッシブに感じるという形に感じますよね
あの空間で見ると
いびつな部分はなんかより
自然に感じるんですけど
この空間で見ると
いびつな部分は逆に不自然に感じたよ
そうですね胸の炎
普段毎日見てるスタッフの方があの子の見え方するんだって
おしゃれ作品も中にはありました。
ちょっと負けたねなってたりしますね。
猫レイヤーがこう非常に複雑に複雑な作品だったんだなーって
いうのはなんかここの違いとかも。
ここここだけ残したのかなとかここだけ自然にして
ここだけ打ってあそっちに来るぞそのまま鏡面になって
ここからまた自然なものですね。
このねその上はあえてこの部分だけ売ってて
こっちとかすごいプログレッシブだなーって感じます
ギラギラだったりとか
なんか濃いこてこてだと
僕らは全然引かれない
んですけどこれぐらいにしておく
ここここここそのセンスがやっぱりもう僕
宇宙人並みの持ち主
チャット宇宙人宇宙人
と思えるぐらいのセンスの持ち主だったんじゃないかと想像できない所に
ちゃんとタッチできてるから貯めてみてきましたけれども
イサムノグチ。どんな風に思われます。
そうですね。やっぱり寒い類稀なるセンスを持っていて、ずるい人だなってしまうほど何かこう色んな部分にちゃんと成長してたと言うか、ビジネスという側面を持っていながらアーティストとしてのセンスを持っているというと現代もしイサムノグチがいたらどんな活動していたのかっていうのもなんか想像してみたりしてそこもしれないUれーてんいち