“UTAMARO”として世界でも名高い浮世絵美人画の巨匠、喜多川歌麿。 歌麿 は“青楼(=吉原)の画家”とも呼ばれ、上級の花魁ををはじめ吉原の遊女たちのさまざまな姿を描き出した。また美人で評判の町娘をブロマイドのように売り出し大ヒットを飛ばした。他の絵師を“木っ端絵師”と呼び、自分こそ“美人画の神髄”を捉えていると自負した。美人画の可能性に挑み続けた歌麿の錦絵の魅力を伝える。
放送:2021年4月25日
日曜美術館 「美人画の神髄〜歌麿の錦絵〜」
眉を落とした既婚の女性が頬杖をついて
ぼんやりと物思いにふけっています
果たして誰のことを
やっているのでしょうか
はだけた胸を気にするでもなく
口に用事を加えた遊女
どこかふてぶてしさも漂う顔つきです
喜多川歌麿は
女性たちの心の内面まで描き出しました
まるで歌麿と一緒に暮らしてるのか
なっていうぐらい
その女性の本当に魅力が描かれてるんですね
どこでそのありしたのかなって思うぐらい
歌麿は江戸の女性たちの
美を余すところなく描きだしました
美人で名高い町の娘たちを
ブロマイドのように描き
大ヒットを飛ばしました
ウタマロは聖籠の画家とも呼ばれ
せいろとは吉原のこと
これは寝間着姿の遊女が夜中に起き出して
厠に行く時の姿
遊女たちの素顔まで描いたので
道路は死ぬまで頑張って
新しい作品先をつくるってこと
瞬足変わった歌麿は
時に大胆な試みをしました
浮世絵版画の命とも言える
輪郭線をなくしたのです
白い打掛の下に
華やかな着物を着た女性が
後ろを振り向いています
着物には輪郭線はありません
歌麿が自らこう記しています
近頃ご杯子達が下手な絵で
異国にまで恥を晒している私が
美人画の真髄を見せてやろう
美人画の新たな可能性に挑み続けた
歌麿の錦絵の魅力に迫ります
歌麿が一躍人気を博した
きっかけとなったのが
浮世絵の美人画で
初めて大首絵を描いたことです
大首絵とは
上半身をクローズアップにしたいのかと
でウタマロはそれまでの方にはまった
女性の顔に微妙な表情を描きなので
その美人奥ビデオ早速ご覧ください
熱心に手紙を読んでいるね
きっと恋文だよこの女性眉を剃っているでしょう
そして少し開いた口から
お歯黒が覗いている
それで結婚した女性とわかるんだ
それにしても手紙を握りしめ
目を近づけて読んでいるから
きっととても大切なことが
書かれているんだね
こちらの女性は
手鏡を見て気を付けとしているように見える
お歯黒の付き具合を
確かめている姿なのだ
普段人前では見せない
そんな女性の表情を盗み見て
歌麿は面白いと思う絵にしたんだね
湯上りで暑いのか
浴衣の胸をはだけているこの女性
肩にかけた手ぬぐいで手を吹いている
浮気の証拠なんてタイトルだけど
江戸時代の浮気というのは陽気で
派手好きな恋多き女性のことも
言ったらしい
振り返っているのは
男の方を見ているのかな
美しく髷を結い眉を剃っている
既婚の女性気だるそうに頬杖をついて
虚ろな目でどこか遠くを見やるように
物思いにふけっている
一体何を思っているのか
昔の恋の思い出か
それとも今の恋人のことなのか
宮崎遊さんは日本語を独学で学び
美人画に打ち込んできました
これは宮崎さんの木版画作品さん
年前自らの作品が半額されたことで
改めて歌丸に魅せられています
小唄丸は細部のこだわりがあったからこそ
こう一枚一枚の作品の女性の魅力を
最大限に引き出すことができたんじゃない
かなという風に感じます
はち代の既婚
女性は眉毛を剃って書かれてんですけども
実は大人物が格上で
眉毛ってとっても重要なんですね
最後目がキリッと決まるぐらい
この絵はもうこの女だけで
本当に物思いにふけっているのを
見事に表現できている
ところがこの限られたせんだけで
本当にすごいと
思います目尻が丸く描かれてるんですね
ちょっと丸みを
そうすることでキツイ印象ではなく
もし切れ長になると
ちょっと不機嫌なのかなとか
思われそうな表情になった
かもしれないんですけども
この顧客が下がってるんですけども
もしこの口角が上がってたり
口が開いてい
たらまた全然違う表情だったと思うんですね
ほんとこの女とこの口のバランスで
この表情が絶妙なバランスで
成り立っていると思います
歌麿が美人大首絵を描くのにな
役割を果たしたのが版元の蔦屋重三郎で
ウタマロは優れた企画力を持つ
tsutayaとの二人三脚で
浮世絵海に頭角を現してきました
tsutayaと
ウタマロのゴールデンコンビが生み出した大首絵
新企画として美人で評判の町娘を売り出し
当時江戸の町で評判だったさん
人の美人だ
いずれあやめかかきつばた
何て言うけどさん人ともとても美しすぎて
ちょっと見ただけじゃあ違いがわからない
中央が浄瑠璃富本節の名取豊科
占いひとみに通った鼻すじ
秦野水って話しかけるような表情だね
右は今の喫茶店にあたる水茶屋
難波屋の沖田豊科に比べると
鼻が高くて目が切れ長だよ
そして左はこれも評判娘
高島おひさややほっそりとした顔に
すっきりとした女版
一見同じように見えて
実は特徴を微妙にかき分けているんだ
もちろんブロマイドのような
単独の絵もあるよ
こちらはおいしさ表にして振り向く坊主この頃
まだ数えでじゅーなな歳だったそうだよ
沖田の方は
水茶屋の娘ろしく
お茶を持ち運んで振り向くポーズ
歌麿の絵のおかげで
お子様起きたの評判および目当ての客で
水茶屋は大繁盛したんだって
最もロワの美人ガム
日本にしようという試みをした
これ結構画期的ですよね
それでえっとまあ
多分江戸の人は驚いたと思います
今見てそんなにメールじゃないかっていう人も
いらっしゃいますけども微妙に違います
その大きさの個性と大きさのことで
まあこの人例えば起きた顔
大きさがすごくおとなしいけど
もう1回目でそのような
そういう個性までは
描き分けられてはいないんです
それはお友達死んだね
自分の考えを書いてるんですけども
寝てればいいもんいってもんじゃないと
そのことをね
と理解すべきだ
というふうに堂々と書いてますか
美しくなきゃいけないということです
ホテル玉の哲学堂で唯一
幕府公認の遊郭だった吉原1日に
千両の金が落ちるほど
賑わったと言います
ウタマロは足しげく吉原に通い
数多くの遊女たちを描きました
そのため吉原を意味する性能
という言葉を取って
聖籠の画家とも呼ばれるほどです
歌麿が独特なのは
遊女たちの表の顔だけではなく
日々の暮らしの中で見せる素顔いらしたことです
午後にじ頃まだお客も少ないので
くつろいでいるM女たち
真ん中の子は若くて位の低い遊女で
振袖新造と言うんだけど右にいる見習いの少女
禿の手相を見ているところ
龍は上級の遊女
花魁は何をしているかと言うと
画面の外にいる駅舎に占い
もらっているところだ
よく見ると占いに使う竹の郷西地区と
お礼のおひねりがあるね
午後はちじ頃
店先で客を待つ花魁
紐銭の上に座りないって
神を認めている
固まらに使える見習いの少女
買うのに何やら耳打ちしているね
膝立ちした姿勢で
小首をかしげていつけを聞く表情が
なんとも可愛らしい
真夜中のごぜんにじ頃
お客が滅入ったとこを買って
寝間着姿の遊女が厠に用足しに行くところ
さすがに顔はちょっと眠そう
手に持っているのは
開始と行灯の日をこよりに移したあかり
これで足元の草履を探しているんだ
夜明け前のごぜん
よじ頃とこを抜け出した二人の友情が
何やら話し込んでいるね
火鉢の石を紙で煽っている
こちらは客のものらしき男物の羽織を
客の噂話でもしているのかな
聞いているほうもくつろいだ
表情ところで
押して煙管を手に持っているね
その時間時間に高原室する
それを知らない部の日々の姿を
これはまあそれまでと違う
画期的なシリーズだと入れると
ごぜんにじみたいな感じですね
お薬の管理僕は鍛えてて
そこには男性客がいるんだ
ということが想定されてますよね
ちょっとうつむき加減にして
半分寝ぼけているのかもしれませんが
なんとなくこの物悲しい雰囲気が食べるじゃない
ですかと父が大全集そうなのに
この友情の気持ちが読み取れるような気分になる
とそういうのは
あのすごいなと思いますよね
果物ぐらいになると
吉原にチャリじゃなくてもOK
というような状況はあった指示されるので
そういう状況で観察はしてますよね
観察してないと恋はかけない
宇多丸は憧れの存在である
吉原の花魁だけでなく
普通美人画には描かれないような道端で
客を引く友情まで
独特の表情を描き出しています
夜な夜な街の辻に立って
逆を行くよたかという最下層の入場
黒い着物を着て
手ぬぐいをかぶって箸をくわえている
本当はそんな境遇のはずだけど
歌麿が書くと
とてもそんなふうには見えないね
でもこの友情はちょっと凄みがあるよ
吉原でも堀沿いの小さな店の牡蠣の遊女はだけ
用事を加える顔つきは
怒っかふてぶてしさがあるね
こういう姿を作品にしようっていう
作家さんが今までいたんだろうかって思うぐらい
ちょっとびっくりした作品なんですけども
めちゃめちゃたくましく見えますよねか弱さとか
儚さとかそういうものはもう感じないね
そうですねたくました
お蚕の繭にあると思います
この眉毛をもしもちょっと降格してしまうと
少し優しい表現が気じゃないですか
表情というか
ちょっと丸くなる感じなんですけども
この前で強さたくましさが
より強調されているなという本当に
この目元から強い生命力を感じてると言うか
その強さがあるからこそもう爪楊枝を
使って口に入れてても
もう平気みたいな
堂々とした感じですよね
もうどん底の環境の中で
たくましく生きている女性もいると思いますし
もうそういういろんな環境の統治を生きる
女性の魅力をを全部引き出して
作品にしたいっていう
着替えがもうこの作品からも
伝わってきますね
歌麿が美人画の第一任者として
人気を博したのは感性の時代
幕府では老中の松平定信が中心になって
寛政の改革を推し進めました
契約が履行された雛風俗の取り締まりや
出版の統制が行われました
そして美人をくびれも待ち
娘などの名前を入れることが
禁止されます
するとウタマロは
その禁止をかいくぐる工夫を凝らします
湯から上がったばかり
手ぬぐいで汗を抑えているんだろうか
どこか色っぽい感じだけど
紙の言い方から
後家さんだとわかるそうだよ
さて宇多丸が工夫したのは
このタイトルの横にあるぞ
これはさん次会というもの
この中に名前が隠されているんだ
上にあるのはマサ太陽が昇ってくるところで
橋その下にはご番があって
ごその下には髪の毛があってて
すなわち朝昼夜と読めるんだぞ
歌丸は名前が書けないという規制を
逆手にとって
頭を読み解きながら
美人画を楽しめるようにしたのだ
合わせ鏡を使って襟足の辺りを見ているのは
美人で評判の水茶屋の娘
高島おひさこれも判じ絵があるよ
一番上に綿鹿島踊りを踊っているので
写真はその横で火が燃えているのです
そして徳利の横に杯でさ
蛇は巳年のみ
その蛇の口から出ているしたが
黒字をしていてタック
これを読み解くと
高嶋ちさの身支度となるわけだ
この歌麿の工夫に対し
幕府は今度は
判じ絵で名前を書くことも禁止しました
ウタマロはその禁止と前後するようにして
新たな課題を手がけます
姿勢の女性達が
働く姿を描くようになったのです
かまどの周りで
家事をする女性達が書かれているよ
子供をあやしながら
漆のお椀も吹いているかと思えば
その前では
包丁で茄子の皮をむいている
こちらは火吹竹を吹いて
かまどの火を起こしているかと思ったら
何かを組もうとした女性が
煙に顔をしかめているよ
それぞれ仕草も表情も色々な女性達
生き生きとしているね
こちらは機織りに勤しむ女性
両手を器用に動かして
一生懸命に陥っている
手縫いを姉さん頭にして
いかにも働く女性だな
カビ取りを降りて
岩場で休む半裸の雨たちの姿
今取ってきたばかりの大きなアワビを
かごに入れるところだけど
雨は赤い腰巻の水を絞り
口にはまだ遠く
こちらも雨は濡れた黒髪をくしで弾きながら
赤ん坊に乳を吸わせている
kat-tun塩水につけながら座る
雨半身をあらわにして
白い肌を見せている
後ろの雨が魚の干しているよ
結構大胆なヌードだけど
ウタマロは何か言われたら
母だから裸になるのは当たり前だ
というつもりだったのかな
ボックスのあのと
無性の意味でかいくぐりながら
酒を作ってかなきゃいけない形ですよね
そういう点で
あの今まで描いてないようなジャンルとか
姿勢とか心に活路を見出させる
えないっていうところがあって
仕事している女性がいる日常の女性
子供をあやしてる女性をもそういう
ような人を描いても
私は女性の魅力を最大限以外はできるんだ
意外とやるぞ
みたいな自分を
色々なのポケモンエロセレナをやるんだったら
それに適応して
今までに負けないものはいないって
やつみたいなマー機外箱家
それは少なくてもあったと思います
歌麿は美人画を描くときに
様々な工夫を凝らしました
その一つがすだれやかややなどを通して
女性を透かし見る趣向です
二人の女性が
何か食い入るように熱心に見ているね
手前の女性は御殿女中らしくて
髪飾りも質素なのに対して
ミスの奥に透けて見える女性は
何とも豪華な髪飾り
高貴な武家の姫君らしいを見過ごしだと
どこか上品で
奥ゆかしく見えるような気がするね
衝立にもたれて
娘を見やる若者娘の方は
若者の薄い香りを
顔にかざしてあげているのに
こんな風に戯れて
いかにも仲良さそうな感じだけど
娘の顔が半分だけ水玉模様の羽織を透かして
見える仕掛けになっているんだ
最後は花や画面にいっぱいに花
8月られているけど
蚊帳の外と
内とでは書き方が違っているよ
寝巻きに着替えている
女性がくっきりとしているのに対してか
家の中でかんざしを抜いて寝ようとしている
女性はちょうどビールがかかったようだよ
こちらでは蚊帳を吊っている女性が振り向いて
うちわを仰ぐ女性と話をしている風情だけど
本当にうっすらと顔に線が出ていてか
家の中にいる感じになって
浮世絵の復刻を手掛けている
アダチ版画研究所です
歌麿がこだわった透かし見る施工
釣り師の競走よしおさんに
行ってもらいました
復刻するのはさん枚つづ
武人泊まり客の角左の一枚
蚊帳を吊る女性と
中でうちわを仰ぐ女性のです
まず最初は全体の輪郭線と
黒髪を生み出すります
続いている事にスリ重ねていきます
いよいよ透かし見るまず
かやのベースを草の色で降ります
ただ女性の顔や体には
このベースの色は乗せません
続いて蚊帳の網目を少しくらい
草の色で降ります
まずは横のてんは
顔にもかかっています
続いて縦の線
白い顔にも蚊帳の網目が入りました
離れてみると
顔や体もかすかに緑っぽく見えた
家の中にいる感じが出ています
そして最後蚊帳の外に立つ
女性の髪の毛に墨をすり重ねます
これだけで外にいる女性がリアーナ
漢字になりか
家の中の女性
との対比が鮮やかになります
歌麿の透かし見る志向には
スリの細やかな配慮がなされているので
女性の肌の上に
この模様がかかってきたりするっていうのが
本当に私には怖くて出来ないんですけども
この早野つけたところの後
涼しさというものを表現しようとして
たのかなとこういう光景だよね
って彼の中に入ると
ちょっと人物がおぼろになるよねっていう
ちょっとあのすりガラスみたいなイメージですよね
かえの中ってぼんやりした中で
ちょっと美女が浮かび上がってくるところに
打つ書いてたのかもしれないですね
これ女性の顔の真ん中にね
この黒いドットが入ってるんですよ
ブラックジャックみたいですよね
を間違えると
それでも魅力的に見えてしまうのは
ウタマロの子見せる表現力のすごいところだな
と思いますこんなに面白いんじゃないか
なっていう風に
処理技術って頭の中で膨らんで
行くんですけども
本当に色んな事を一つできるようになったら
次こういうことも試してみようかっていう
風に挑戦していた
ウタマロならではの表現じゃないかな
と思いました
歌麿は時に
極めて大胆な趣向に挑みました
浮世絵の命ともいえる輪郭線を
ほとんどなくすような
試みをしているのです
華やかな衣装を見せようとするかのように
花魁が身を反らして後ろを向いている
顔にこそ輪郭線が引かれているけど
この衣装を見て上に来ている白い打掛は
でも無線が見えずに
薄く陰影がついているし
よく見ると打掛だけじゃなくても
付いた着物にも黒い輪郭線がないんだ
輪郭線がなくなることで
何か不思議な雰囲気が醸し出されるような気が
するね
湯上りの二人の女性座って手ぬぐいを死亡
その白い腕はカタカナ透けて見えるよ
輪郭線がないから
透明感が出てる気がするね
それだけじゃなくて
ぬか袋をくわえている顔を見て
頬のところに輪郭線のないよ
もう一人手ぬぐいで
耳の辺りを吹いている
女性の顔の線がない
でもそのせいか
頬がふっくらしている感じもするなぁ
人物の肌の輪郭線
あの僕の美人画
作家さんがそうなんですけども
できるだけ細く薄く表現されてるんですね
でもこれ付箋をなくしてしまうっていう子
大胆な表現方法だと思うんですが
もう肌の白さや
柔らかさを最大限に表現しようとしたのか
なと思いましたすごく肌
もより居候って柔らかいような
すごく白いだろうなってのが
伝わってきますね
反発される危険もあったと思うんですけども
それよりも本当により
リアルな自分の見たものを
美しいものを表現したいっていう欲求の方が
強かったんじゃないかなと思いました
手紙を読み終えて
どこか放心したようにも見える
この女性の着物
もえもん線を省きに
絵を施すようにしています
歌麿が同時美人画の浮世絵師として
いかに自信を持っていたかこの絵の中に
こんな思いを綴っています
近頃針のように湧出した国会しどもがただ
色彩を頼りに下手くそな絵を描き
異国にまで恥をさらしているのが
嘆かわしい
私が美人画の真髄を見せてやる
鼻の中に堂々とそういうこと書いても
世間が許す版元が許す買う人が許す
ような環境になったということですよね
強烈なプライドを大事にし
意識ってのありますけど
でもそれを共にするために死ぬまで頑張って
新しい作品って魅力で作品を作るってこと
神速頑張ったそう見
てると思ってね
大事にしたっていうことをキープするために
それで努力してるわけです
歌麿の美人奥日を始めて世に出してから
いち年ほど経った寛政12年
ついに美人大首絵が禁止されます
しかしウタマロはそれでも美人
大首絵を描き続けています
女性が提灯の光を覗き込んでいる姿
その顔を浮かび上がらせるように光があたり
影の部分とのコントラストが鮮やかです
タイトルの横には
こんな文章が添えられています
この草は穏やかで上品で誠実心美しく
誰にも愛される
こうした文章は
品行方正な女性であることを強調し
幕府を刺激しないようにしたのではないか
とも言われます
文化元年せんはっぴゃくよん
年歌麿は突然奉行所に呼び出され
取り調べを受けます
禁令に触れたのは美人画ではなく
絵本太閤記に題材をとった武者絵でした
結局ウタマロは
手鎖50日の刑罰を言い渡されました
手錠をはめたまま
ごじゅー日間禁止にしたのです
歌麿の最晩年に出された本があります
西洋の画家と呼ばれた歌麿にふさわしく
吉原の遊女の
様々な様子が描かれています
最後にウタマロは
自画像ではないか
と思われる絵師の姿を描いています
遊女たちが熱心に見つめる中
大きく羽を広げる巨大な方の造園
学園歌麿が亡くなったのは
刑罰を受けたに年後のせん
はっぴゃくろく年でした