日曜美術館 「 よみがえるミュージアム 〜水害から 文化財 を守れ〜」

日曜美術館 「 よみがえるミュージアム 〜水害から 文化財 を守れ〜」

東日本大震災から11年、秋に新館がオープンする陸前高田市立博物館。救出した46万点のうち修復が終わったのは7割近く今も作業は続いている。新設された石巻市博物館は立地や収蔵庫に工夫を凝らした。水害で23万点が被災した川崎市市民ミュージアムは深刻なカビの被害に取り組んきた。修復には鹿の角、布海苔など伝統的な材料も使われた。 文化財 レスキューの現場を各地に取材。 よみがえるミュージアム では自然災害が頻発する今、何が必要なのか考える。

放送:2022年7月17日

 日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「よみがえるミュージアム〜水害から文化財を守れ〜」

台風や集中豪雨など
日本各地で水害のリスクが高まっています
nhk全国ハザードマップ
洪水エリアにも吐くパン屋
美術館があることがわかります
さん年前の台風じゅーきゅー号で
川崎市市民ミュージアムは
水没にじゅーさん満点が被災し
今も修復作業が続いています
水害から文化財をどのように守っていくのか
じゅーいち年前の東日本大震災の経験が
改めて注目されています
多くの絵画彫刻が被災した宮城県石巻文化センター
二度と同じ被害を出さないために
新しい博物館は課題に建設されました
収納庫をに階にする
などの工夫を凝らしました
北上まるは千年に
一度の洪水にも耐えられるように
ということで
修復された彫刻も
記載の痕跡をあえて残したまま
展示しています
震災の記憶とママ
まあ美術作品としては
ちょっと余計な傷ではあるんですけれども
じゅーごMを超える津波で一人を残し
多くの学芸員が亡くなった
岩手県陸前高田市の博物館
瓦礫の中から
よんじゅーろく
まん点もの文化財が救出されました
秋に開館予定の博物館では
被災当時の状況を再現したコーナーも
作られました
震災の記憶を後世に伝えるためです
たくさんありますね
津波の水って黒いんですよね
今も文化祭のレスキュー
活動が続いています
海水に浸かった文化財の汚れや塩分を取り除き
安定化させる作業
多くの専門家が
知恵を出し合ってきました
いろんなものが含まれた
津波をかぶったものを再生させるって
言う事は今まで
取りに行ったことがない状況でしたので
水害から文化祭をどう守っていくのか
記載した博物館の経験に学び
支え合うネットワークづくりについて考えます
ミツカンです最近ですね
あの異常気象か
洪水や場所以外
っていうのがねを増えてますよねえ
人々の暮らしが危険にさらされてますが
あの文化祭も
音を被災する危険性にさらされてますよね
そうなんですよね
今日はその小野さんの隣に
nhkの全国ハザードマップを今出して
ありますけれども
大きな河川のそばの薄いピンク色のエリア
というのは浸水の危険性があるエリアですが
得ピンク色の所によく見ると
意外に美術館や博物館が含まれていたから
ひとたびます以外洪水のようなことが起こると
文化祭も被害を受けることになりかね
ないとね今日
はですねそれ以外によって
文化財が被害を受けた時
長期に渡ることになる
レスキュー体制をどう支えていくのか
東日本大震災の被災地などの例から
みたきます
東日本大震災からじゅーいち年
陸前高田市立博物館が
およそきゅーメートルの盛土の上に
新しく建てられました
今年の秋開館する予定で
準備が進められています
こんにちはよろしくお願いします
よろしくお願いします
熊谷優さんは震災で生き残った
ただ一人の学芸員
じゅーいち年に及ぶ
レスキュー活動を支えてきました
準備中の展示室を
特別に案内してもらいました
まず最初のコーナーには
被災した博物館内で見つけた
象徴的なものが展示されていました
被災した博物館の研修
室という部屋にですね
こういった他の書き置きがあったんですね
誰が書いていただいたのか
わからないんですが
博物館資料を持ち去らないでください
高田の自然歴史文化を復元する大事な宝です
という風に書かれておりまして
今我々が文化財レスキュー
をする上でその心の拠り所になった
まあ一枚の紙なんですけども
高さじゅーごMを超える大津波
多くの文化財ががれきの混じる水に浸かり
流出したものもありました
その後のレスキュー活動によって
ごじゅーろくまん点の収蔵品のうちよん
じゅーろくまん点が抽出されました
はいの部屋だと思って目を上にして
ちょっとこれこれがですね
くじら修復されたツチクジラの剥製づっち
新生児の痛々しい傷跡は
あえて残したまま展示されました
ココアもケースがいっぱい
あのふるさとの宝を失っていないっていう
テーマのコーナーなんですが
良い文化財レスキューの様子を
紹介しているとこです
これは本当に被災直後にですね
我々の頃コンテナを使って
たくさん資料を救出したということで
今回は当時のこの様子を再現した感じ
なんですけども
これでさんぜんえん
ぐらいの箱の数にはなりましたね
本当にあの津波の水って黒いんですよね
こういう風に本当に真っ黒に
猫の水の中に名古屋旅行使っていた
物っていうのは非常に劣化が激しかったしたい
3日後ようやく博物館に入った熊谷さん
生き残った学芸員は
自分一人だと知りました
退職者などに声をかけ
瓦礫の中から収蔵品を探し
運び出すだけで精一杯だったと言います
一番ですけれども
こういった被災した文化財のレスキューをする
出世するっていうのの体勢っていうのは
ちゃんとした形でできている
って言うわけではまだなかったですから
我々がやら
なければこれらは朽ち果てていくだけなんだ
なっていう部分があって
なんとかやっていったという感じですね
陸前高田市の中心部から
細い山道を車で走ること
いちじかん閉校になった
小学校の校舎を使った仮設
博物館があります
震災後排出された文化財の多くが
ここに運ばれました
各地から修復の専門家が集まり
処理技術を指導
安定化処理という作業が始まりました
おで混じりの海水に使った資料は
まず冷凍保存されます
その後解凍し
腐敗やカビで
これ以上劣化しないように
安定化させていきます
この安定化処理は
じゅーいち年経った今も
続けられています
紙資料の処理は
主だった行程だけでもじゅー以上はあります
これは何をしているとこなんでしょ
これはですね
あの津波で被災した紙製の資料を今
安定化処理ていますが
津波をかぶってしまった
紙っていうのは
海水の塩分が含まれていますので
それによってそのまま放置
しておくと
ジメジメして
カビが生えたいっていうことになり
その劣化の要因をまず取り除く
ということで
中性洗剤の溶液を作ったところ
にその紙の資料を沈めて行ったところ
毎日津波の被災した
治療の難しい所っていうのは
見た目ではわからないんですね
見た目同じ片方
はすごく遠藤も含んでいたり
肩はあんまり震災からさん年目ぐらいで
処理が終わったものの中に異常が見られる
色が変色したり
ちょっと変な臭いがする
重要なものが出てきて
抜ける以外のタンパク質だとか
選ぶんが微生物によって分解されて
それが悪さをしてるんだっ
ていうことも分かってきて
それでダッシュということで
中性洗剤を使わないといけないなっていうこと
ここで事故って変わったっていうことになる
今注目されているのが試行錯誤を続け
進化した安定化処理技術です
様々なワークショップが開かれ
世界中から専門家が学びに来ています
陸前高田学校と呼ばれ
文化財レスキューの人材
育成にも役立っています
今このじゅーいち年経ったところで
どのぐらいのもの全部でですね
救出した数って
言うのよんじゅーろくまん点あったんですけど
もそのうちの大体さんじゅーまん点が安定化
処理終わった後だから
残りじゅーろくまん個あるんですけど
残っているものっていうのは
逆に言うと
難しいものをされてるっていう事
なんですね
安定化処理が終わった文化財は
体育館の中に作られた収蔵庫に運ばれ
温度や湿度が管理されています
こっちの店もいっぱい
あの実際に使ってたものなんでしょうね
って言ったものですね
これは船で使って言った感触なんですけど
パン屋さんはここは俺とそことそれで
まわりの部分は今回新たに作って
というこの絵は
そこの部分に行く入るんですね
博物館の収蔵品のほとんどは
陸前高田の人々によって寄贈された
貴重な品々でした
こういう道具類は
まぁ職人さん達が作ってきたものだ
と思うんですけれども
どういう形で修復するんですか
後痛みとかですと
ところが破れてたりすると
そこの部分っていうのはこれができなくて
横に漁師さんなので
漁師さんにお願いをして
地元の漁師や職人との共同
作業で修復されたものも
たくさんありました
先人の皆さんの知恵ですとか
上尾の文化といますが
そういったものも含めて
これからも伝えていくっていうのは
何その博物館の使命でもあります
単なる暮らしの道具じゃなくて
もう一つ一つに記憶が宿っているし
それぞれ使っていた
人たちの暮らしが残ってるんですね
この辺りであったり
思い出だったいっていうものがする
情報だと思いますので
それも含めて
残すというのが形を残す
という意味だと思います
秋に開館予定の博物館には
陸前高田の歴史や
文化を伝える漁具や民具が展示されています
綺麗ですねここは来ますねこれはですね
三陸というところは海ですので
世界三大漁場の一つ
とも言われております
人々の暮らしを支える三陸の海
その自然の豊かさも伝えています
津波っていうのは避けられないものですから
おそらく何年か後にはまた大きいのが来る
っていう風に思うんですね
それに備えて日々暮らしていくということと
あとはその海に対する何て
言うんでしょうねえー
のれんと言いますか
我々の今までの歴史であり
文化でありっていうものは
海から共有したものから
作られてきたっていうのがありますので
それをきちんと伝えていけっていうのが
博物館の里被災したときのね
あの文化祭の様子を見てると
胸が痛みますね
ではの文化財ってふるさとの宝だ
とおっしゃってましたね
やっぱりそこに来ている人たちの記憶
屋物語入ってる
箱底にポー保存されてるものですから
それやっぱり交通
どのように来を修復して
後世に伝えていくかっていう
その誠実なを真摯な取り組みっていうのを
今見てあの心打たれましたさ
今日のゲストを
ご紹介しましょう
震災直後から陸前高田の文化財レスキューに関わり
指導にあたった看板伸行さん
そして文化財レスキューの支援
体制づくりに取り組んできた
日本博物館協会の半田まさゆきさんです
よろしくお願いいたします
お願いしますのしくお願いします
神田さんはどのような経緯で
陸前高田の方に
来レスキュー入られるようになったでしょうか
私がのレスキュー委員会の岩手県担当として
陸前高田に入りまして
まずやることはした慰謝料の保管環境
それからそれを劣化から守るための安定化
処理とこの二つを早急にやらなければ
ならなかったわけです
小さな小学校ににじゅーまん点を越す
被災資料が運び込まれておりましたので
教室という教室は足の踏み場もないほどで
物で溢れかえってという状況でした
津波をかぶった
資料の様々な購入物を含んでますので
どういったものが含まれてるのか
っていう
のを書く調査する
そしてそれをどういう風にして取り除くか
という場合はいる安定化処理ですね
それの開発の支援をですね
あの岩手県立博物館の方と協力しながら
やっておりました
震災で非常に私も大きな衝撃を受けて
自分が何ができるのか
逆にその博物館の人たちの
ネットワークで
これからどういうことがやっていけるのか
一生懸命考えて日本博物館協会としては
独自に被災地域の博物館の状況を
調査をやりました
それと同時に
全国の博物館の方たちにお声掛けをして
現地でお手伝いいただける方をですね
組織するという準備を進めましたそれに
してもそこからじゅーいち年経っていて
しかもそのレスキュー活動が未だ続いている
というのは
なかなかそう簡単に
短時間で終わるものじゃないんですね
そうですね津波をかぶった次第
終了っていうのはま海水に含まれる塩分
それから海底から持ち上げてきたので
それから生活排水
を巻き込んでますから
雑菌してさらには流出した油脂
そもそも何が混入しているのかすることを見極め
それをどのようにして取り除いていくか
ということに大変時間がかかったわけです
今ばそのまま試行錯誤の過程も含めて
編み出してきた
色々なのはその陸前高田学校と呼ば
れるぐらいに
日本だけじゃなくても
広く知られるようになっていったと
陸前高田学校っていうのは
その現地に研修生及びして
まさおでリアルな体験ですね
大した文化財
そして現地の
それに携わっている方々と一緒になって
研修をするそうですね
そこであのー試行錯誤の中で徐々に
組み立てられていく修復の技術であるとか
あの安定化のノウハウをできるだけ
国内のあの学園さんとか
保存修復に携わってる方達と
共有することによっては
他で何かが起こった時も
対応できる人たちを数を増やしていこう
という形で展開されてきましたね
宮城県石巻市北上川の河口付近に
かつて石巻文化センターが建っていました
じゅーいち年前の津波による被害で
建物は解体されました
今は津波こう記念公園になっています
全くあそこに
文化センターがあったということは
もうわからないような状態になってます
けれどもね
海からにKM以上離れた内陸部に
文化センターに代わる石巻市博物館が
去年11月に開館しました
大ホールなどを併設する複合文化施設で
復興のシンボルにもなっています
修復の終わった美術品を展示した
開館記念企画展が開催されました
作品がどのように久石
どのように修復されたのか
じゅーいち年間の
レスキュー活動の軌跡を伝える展覧会です
このフロアにあるのは
すべてその水没したとか
それは俺も水に浸かってしまったので
胴体部分と頭の中が見つかりました
今下に写真がありますけど
こんな風になってそうですね
これが胴体ですね
これを退けて言って
そしたらパソコンの下に
頭の部分があったと
もういろんなものが
混ざってしまってる状態ですよね
津波は一回修造この天井まで浸水
多くの作品は土砂や汚泥
近隣の製紙工場のパルプ
靴にまみれていました
救出された
美術品はにひゃくさんじゅー
いち点応急処置をした後
全国の美術館や美術大学で安定化
処理や修復が行われました
浦和そばは活動産の若鶏という作品なんです
けれどもご覧のように右手がかけて
それから大統領若鶏のツナとか
くちばしのルーンをかけているんですけれども
して全身が傷だらけになってしまってます
けれどもまああのどこまで復元できるか
ということになりましてそれで震災
の記憶としても
傷ついたままま美術作品としては
ちょっと余計な傷ではあるんですけれども
でもなんか痛々しいけど
よくまぁこの形で残ったのかな
とは思うんですけど
多くの絵画も被災していました
地元石巻出身の画家の作品です
あの被災者当時は一面にパルプが付着し
まずそのパルプを除去して押して
その絵の具の霧とかはまれとか
そういうところを修復して
落ち着かせていただいて
すっきりしていて戻ってきました
本当に超えて戻ってきて
姿を見ることができるものがある一方で
まだ完全に修復終わってないものもそうですね
あの戻ってきているんですけども
まだ修復してるものがさん点ほどありまして
じゅー年経っても
私服が終わりきれていない部分もある
ということですけれども
ほとんどはこのようにして戻ってきたので
それについては大変感謝してるところです
新しい石巻市博物館には津波や洪水を想定し
様々な水害対策が講じられています
主倉庫は2階に
しかも廊下や
部屋で囲まれた
中心部に作られています
後はもう
収蔵庫さんにーいちとつー

福井扉

何で建物の真ん中につく前の石巻文化
センターの時は1階にあって
それがために扉が破れて
ピース資料が被災したと新しい建物では
より安全に住んだことで
所属を作ることにした
ということで
リスクを減らすために海や川から
離れた高台に立地されました
北上マノア千年に
一度の洪水君にも耐えられるように
ということで
もともと少し例えばそれではあるんですけども
ちょっと暗い盛り土をして
さらに高くして建物を建てることと
万が一そのロビーのスプリンクラーが
動いたりありますが
入ってきてもダイレクトに
前日に入らないようにと
いうことで吹田
排水機の中も考慮して
建てられております
は今何があるか
何があっても不思議じゃないようなことが
そういった中で一番ちょっと今怖いのは
やはりミスなのかな
という風には考えてます
かなり生々しい傷跡が残る
作品をご覧になったわけですけども
作品を展示する方法というのは
その歴史と言うか
その辿ってきた経緯も含めて
見せていくっていうやり方があるんだな
と思うそこはすごくびっくりしましたが
本格修理っていうのは
そもそも作品に強い負担をかける
負荷をかけるような
あの処置はあまり行いません
ですから修理を行った後
大なり小なりその際の痕跡
ってのは残るものなんですね
今文化財がその災害を行く度も乗り越えて
そして歴史を作ってきたんだと
重要なことを表現するために
毎週の象徴的な姿としてありえるかな
とは思いますね
私もあの柴田さんがご覧になった
あの石巻のてるなんか今拝見しましたけども
あの美術神化持ってる
本来の作品としての価値だけではなくて
津波という以上に
ご不幸な被害を受けた後に
出来る限りのあの修復
安定化処理がなされて
石巻に帰ってきたその
プロセスをしっかりと記録に留めて
震災を通して文化財がどういう風に扱われ
未来に残っていくのかを見ていただく
というところでは
非常に重要な展覧会でのこれからも
そうした形で博物館が果たせる役割ってのは
あの大きなっていうふうに思います
そのプロセスっておっしゃってました
それを知る事によって震災の記憶って言うか
それ以外の記憶っていうのが
投稿を自分の問題として
音を感じられるって言うか取れればそれだけです
作品等々に店っていう
お店を考えられるんじゃないか
と思いましたよね
あの石巻博物館の場合はも
立地も随分た高台にありましたし
それからその修造
この本当に建物の真ん中に
位置するように作られてましたし
今後その水害から博物館美術館を守っていく
その作り方ですね
どんな工夫があるでしょうかま
多くの博物館がまぁ冒頭のエリアマップの
ようなあの親水基にたくさんあります
まあそういった博物館は
やっぱりし頃から震災リスクがある
ハザードマップとこうやっぱりあのよく検証して
やっぱりリスクを消化する
という活動が非常に重要だ
という風にあの思います
まあもう一方では
今火の国を上げて進めていこうとして
いる動きとしては
あのそれぞれの博物館が所蔵している
資料のデジタル化
デジタルアーカイブを作っていこうという動きです
けどもまぁ万が一実際押してしまった時に
どこの博物館に
どういう資料があったのかっていうことを
あの白くあの関係者が共有することによって
その後の
レスキューが非常に高効率的に行える
っていうところでも
非常に有効な手段だというふうに思います
続いて川崎市市民ミュージアム
2019年の被災の後の道のりを見て
いこうと思います
2019年10月
台風じゅーきゅー号により
大量の雨水が地下から浸水した川崎市市民ミュージアム
およそにじゅーさん
まん点もの文化財が被災しました
川崎市のハザードマップでは
浸水の危険性のあるエリアにありました
収蔵庫は地下にあったために
水没してしまいました
大量に流入した水を抜くまでに
三日間かかりました
水の圧力でゆがんだ扉や倒壊した店
床には収蔵品が散乱し
運び出すのは困難を極めました
シカゴに水が引いた後に見た時は
本田三姉妹のか
あのますすごい状況でしたので
言葉にならないっていうのは
こういうことかなという状況ではありました
精神的に一番つらかったのは
水が抜けるまでですかね
何していいかわからないんですけども
何かが起こってること
は確かででも
どうしていいかわからん状況でしたし
当時ココノツの収蔵庫には
美術作品や歴史資料のほか
映画フィルムや漫画ポスターや写真など
多くのジャンルの文化
財が保管されていました
これまでに衣類を見ない規模の被害です
はちヶ月以上かかって搬出された文化財は
それぞれ乾燥や冷凍洗浄や燻蒸など
専門家たちの手で
応急処置が施されています
このとき力を発揮したのが
東日本大震災のレスキュー活動で生まれた
文化祭の防災ネットワークです
各地から専門家が応援に駆けつけました
に年以上経った今も
各ジャンル毎に
安定化処理の作業が続けられています
しかしこれまで手が付けられたのは
まだ全体のにじゅっ
ぱーせんとからさん
じゅっぱーせんと程度だといいます
作品も資料も一点一点性格が違うので
まずはその作品群に
どういう風な処置が今できるのか
一番は適切かどうか
っていうのを
探るところから始めていくのでは
今でも手探りな部分はありますね
被害の中で深刻なのは
カビの繁殖でした
にM以上の高さまで浸水した収蔵庫内は
温度や湿度の調整も効かなくなり
カビやキノコが繁殖
レスキュー作業の環境は最悪でした
防護服やゴーグル機密性の高いマスクを着用し
健康に十分注意しながら
作業を続けることになりました
安田靫彦の代表作
草薙の剣も水に浸かっていました
箱に収められていたおかげで
すべてが水に濡れる事態は避けられましたが
表面にカビが繁殖し
それを除去するのが一番の問題でした
今回のレスキュー作業にも関わった
文化財のカビ対策アドバイザー
高鳥浩介さんです
カビ自体がいる思ってるということで
非常に貴重な文化財
まあ文章でもそうですけれど
市美術品もそうですね
変えたもんでそこに変色してしまってしまう
あれはあの白色化してしまうという
こういう大きな問題が起こるので
時間が経てば経つほど厄介なるって
かなり時間がたっ
てるとお腹に行こうねを張っているために
なかなか対処しにくいというこれをですね
元に戻すというのは
昔かなり難しい問題
起こってる草薙剣は専門の工房に持ち込まれ
修復が行われました
中では色が濃い黒いカビ
赤いカビが紙の繊維の中に壊し
高浸透してしまいますとその
色素はもう沈着してしまったですね
漂白剤のような強い薬品を使わないと
取ることができないんですね
まずはこちらに寄るような
こういう柔らかい毛の刷毛を使いまして
この紙の表面優しくを払うようにして
紙の表面からまずその表面に付着してる
カビを取り除いております
にダメージを与えないように表面の
カビを払った後
残った汚れは
天然の材料を使い取り除きます
天然ゴムからできた細かく砕いた粉末ですねえ
これを画面に行こうパラパラと降りましまして
やはり同じように柔らかい刷毛で
粉末のゴムを寄せ集めると
表面を傷めずに汚れが取れる
という駆除作業を行いました
弱っている箇所の絵の具が剥がれ落ちないように
膠の水溶液を塗りました
今回は牛の皮を鹿の角で作った
伝統的なに
種類のに皮を使い分けています
その後へのクリーニングをしていきます
後世の人が修理をする時に
その修理の邪魔にならない
という材料を使っております
あのーございまのりですね
これは天然の海藻なんですけれども
ご覧になっていただくと分かると思いますが
あのあんかけのようにとろみがございます
これを加えることによって
浸透するスピードを
コントロールすることができます
は洗剤のような界面活性作用があります
その水溶液を不織布の上からね
これを取って行きます
画面直接すると
でも弓を当てることはできませんので
ポリエステルの薄い不織布を画面に当て
ましては不織布
腰に吸い取り紙ね
水に溶けた汚れを吸い取る処置を行いました
ねにダメージを与えないように
慎重に修復された
草薙の汚れた部分を
下へ前と比較してみると完全
にカビを取りきることはできませんが
かなり汚れは落ちています
これを額装すれば修復は完了
再びお披露目することが可能になります
カビ対策に苦慮しながらも
ロートレックのポスターなどの
修復が終わりました
頃中になってしまって
なかなか情報交換ができて今いないんですけど
もま缶としては
発信していくことをま一方で
あの重要視してまして
映像の記録を作ったりですとか
インターネットで公開したりとか
こうやってましたっていうことは
お伝えすることは少なくてもできるの
で作品のレスキューも大事ですけども
それを伝えていくっていうことも
あの感としては
きちんと行ってきたいと思ってる
ところで被災した博物館が
修復技術などを情報交換する
初めてのワークショップなオンラインで
開かれました
よん箇所の博物館とnpoが参加しました
ストーカーはですね
まあ様々な団体方に来ていただいているんで
そのあたりの情報共有っていうところは
最初にスキーを行っていく中で
一つの課題ではありました
ネットワークを広げて情報共有行くこと
それが長期にわたる文化
財レスキューを支えていく
大きな力となります
カビってすごい繁殖力って言うか
それでしかも健康被害が生じるって言うか
そういうような中でレスキューする人たちのは
健康を守りながら
どうやってこれはこう
なんかざわこうきキスしていく
特に文化祭の場合は
あの黒い色をしたカビは
人体にもとても甲斐があるということですから
すまそういうところにも注意しながら
しかも運び出した資料も
そのまま放置すれば
どんどん菌が繁殖するということですから
もう一刻も早く
あの作業を進めるには
あまりにも量が多いわけ
ですからまずは冷凍しなくちゃいけないで
待つのカビを寝取ると言うことも
今の安田靫彦の草薙剣の例を見ると
大変な作業になるわけですよね
カビというのは
修理修復の中でも
非常に困難を極める対象ですので
できるだけま
材質にダメージを与えない範囲内で見かけ
穏やかな
状態に回復させる
そのそこがとても
技術的に難しいところだろうと思います
あの川崎市民ミュージアムの収蔵品って
水上に高多ジャンルに及び
それを細くしようとすれば
本当に来た
ジャンルの専門家の力を借りる必要が
どうしても生じてしまうことがある
と思うんですね
やっぱり大事なのは
例えばあの川崎市民ミュージアムの例で言えば
神奈川県の博物館協会
普段からこうか
小川分かり合っている仲間達が
まず何ができるのかっていうところで
あの支援をするっていうような
あの地域のネットワークと同時に
国立文化財機構に設置されている
文化財防災センターというようなものが
中核となって
様々な分野専門機関との連携の中で
あの何
か起こった時に
満奇洞的に動いていく
という体制が整っていけば
まだまだこれからも
何か起こった時の馬
博物館に所蔵されている
ま文化祭っていうのは
あの効率的に救援活動が今進んでいく
ということが期待される
という風に思います
また水害があるかもしれないし
文化財守っていかなければならない
じゃあこっから先に必要な事なんでしょうが
まずは嘘の被害を受けることを想定しては
被害の最小化と利権際に勤めると
それはまあ例えば博物館に美術館という
施設内においては
その職域を超えてあらゆる
職員がそれに向けて努力をする
そして被害を受けた時に
作品をどこに運び込むか
これから被害が多発するということを想定する
とすればその文化祭シェルターのようなものです
日本各地に用意するってこと
私は必要だと思ってます
それともう一つは
そこに住んでいる地域の方
達と共に今やはり
あの博物館に
文化祭が保存されていることの意味価値
中濃地域と共有して
そして馬何かあった時に
あのそういうものを守ろうなくてはいけない
自分たちの次の世代につなげていく
っていう責任を持っているって言うことを
自分ごととして考えるという
気持ちがやっぱりより多くの人と共有できれば
これから先のレスキュー
何に何かあった時の対処て
いうものも進んでいくのではないかな