世界遺産・厳島神社の貴重な大鎧(おおよろい)。そこには雅でかわいらしい桜模様▽甲冑(かっちゅう)師が語る、貴族文化に憧れた武士の鎧(よろい)ファッションとは?▽義経・弁慶・巴御前が奉納したとされる薙刀(なぎなた)▽鎌倉時代から伝わる秘伝の薙刀(なぎなた)術▽北条政子奉納と伝わる豪華な手箱を特別公開!人間国宝が手箱の技術を読み解く!▽ いざ鎌倉 草刈正雄邸には、刀剣の化身・三日月宗近!<File562>
放送:2022年7月22日
美の壺「いざ鎌倉 武士たちの美意識」
平安から鎌倉へ移り変わる時代。
貴族文化とは異なる武士の文化は運慶快慶をはじめとする質実剛健な文化として知られてます。
武士が身に着けた大鎧。
猛々しい力強さ。
でもよく見ると全体に桜模様があしらわれ、雅な一面も。
この時代の花形となった武器・薙刀。
そこには弁慶ならではの特徴が。
鎌倉から受け継がれる秘伝の薙刀術もご紹介。
そして北条政子が残した豪華絢爛な化粧箱。
金粉で作られた見事なグラデーション。
近年の分析から驚くべき手法で作られていたことがわかりました。
今日は質実剛健でありながら華やかで雅な面も持ち合わせた武士たちの美意識に迫ります。
鎧
世界遺産厳島神社。
武士で初めて太政大臣になった平清盛が篤く信仰した神社です。
武士にまつわる貴重な部分が多数収められています。
国宝込みと脅しの鎧平清盛の長男重盛が奉納したと言われほぼ全ての部品が残っているという貴重な鎧です。
当時の鎧は馬に乗り、弓矢を用いた戦いに適した形。
大きく頑丈に作られています。
大袖は盾となって身を守る役目を果たしつつ、腕を自由に動かせる作り。
兜は矢を弾きやすいために反り返っています。
機能的なだけではありません。
住所に繊細な芸術性が見て取れます。
胴の部分は獅子の模様がかたづめされています。
胸を守る板には菊の花。
背中の紐は袖部分がめくれるのを防ぐため。
結び方にも工夫を凝らし、房を付け、後ろ姿のお洒落も忘れません。
中でも武士が重視したとされるのが縅(おどし)です。
縅とは鎧のパーツを結ぶ紐のこと。
この鎧で使っている縅は紺色の組紐です。
紫色は明治に補修されたものですが、紺色は当時のまま。
藍で濃く染められた紺色は勝ち色と呼ばれ武士に好まれました。
脅しのデザインや色素材によって全体の印象が大きく変わる鎧。
それは武士にとって美意識の見せ所でもありました。
源頼朝の叔父為朝のものと伝えられる大鎧「小桜韋黄返威鎧(兜,大袖付)こざくらかわきがえしおどしよろい」です。
こちらの縅は鹿の皮。
よく見ると桜の模様が施されています。
奈良時代は花といえば梅が人気でしたが平安に入ると貴族の間で桜が流行。
桜は武士の文化にも取り入れられたと考えられています。
金具にも桜が。
武士の並々ならぬ思いを感じられます。
京都の文化が入っておる雅やかな大鎧だと思います
生きるか死ぬかの戦場で纏う鎧に星は強さだけではなく美しさを求めました。
今日最初の壺は命をかけて身にまとう。
命をかけて身にまとう
甲冑師西岡文夫さん。
国宝をはじめとする鎧の修復・模造に携わり鎧を研究してきました。
小札板に紐を通して上下を繋げるというのが威しという作業。これが甲冑の基本的な構造になるわけです
鉄や革に漆を塗って作った板。
そこに緒を通すことから縅と呼ばれました
縅の主な材料は組みひもや革、布をひも状にしたもの。
色や柄にもこだわり華やかに仕上げます。
「尚古鎧色一覧」
平安から鎌倉室町時代の絵巻に書かれた縅の様々なデザインを紹介しています。
端に向けて色を変える縅は十二単など平安貴族の実の色の文化を表現しています。
貴族に従属するような身分だったので上昇志向というか貴族に憧れるといった文化に憧れるっていう意識があったんだろうと思います
他にも遊び心溢れる個性的なデザインも。
当時の人たちの美意識と言うか、戦に臨むにあたっての鎧を着飾ると言うかそういう意識。死装束なんでしょうけれどもできるだけ戦場で目立つようなそういう形をしたいっていう意識があったのかもしれない。
鎧には武士たちの覚悟と思いが込められていました。
薙刀
源平合戦の舞台ともなった瀬戸内海。
ここに奉納された武具の保有数日本一を誇る神社があります。
神の島とも呼ばれる大三島。
大山祗神社は海上交通の覇者、村上水軍河野水軍が崇めた神社で、古から数々の宝物が奉納されてきました
武人が崇める神様ということで戦の神様としてご信仰がございます。戦勝のご祈願、御礼ということで奉納されたと思いますが、それはやはりその自分の身近なもの、自分が使っていたものをご奉納されたと思います。
奉納された文化財は、国宝、重要文化財だけでも169点。
なかでも天下に名を轟かせた英雄たちが奉納した部分が薙刀です。
薙刀は長い柄の先にそれがついた葉を持つ刀の一種。
平安時代に生まれたといわれています。
勇壮な姿は戦場の花形になりました。
義経、巴御前も弁慶が奉納したと伝えられる薙刀です。
薙刀は相手との間合いが取れ、突く、切る、薙ぎ払うと、攻守万能。
巴御前ら女性の武器としても重宝されました。
源義経が奉納したと伝えられる薙刀。
薙刀の魅力は切っ先の曲線。
先が太い薙刀は多くを薙ぎ払いやすい形と言われています。
波紋は寄せては返す波のよう。
鋭さの中に落ち着いた風格を醸し出す薙刀です。
薙刀使いとして歴史に名を馳せた武蔵坊弁慶。
その薙刀はひときわ大きく、刃の長さは一メートル。
重さは二キロを超えています。
その反りも大きく、比べてみると一目瞭然です。
屈強な豪傑だけが使いこなせるその迫力。
数々の戦や敗戦で接収されそうになっても守りながら今に伝えられました。
今日二つ目の壺はその輝きに心を映す。
その輝きに心を映す
直元流大薙刀術。
鎌倉時代より秘伝として守り受け継がれてきました
私たちがやってる薙刀術はですね、剛力無双の男子の武器として主に平安時代末期から戦国時代にかけて僧兵等もしくは武士たちが主に戦場で用いられたと言われています
稽古で使うのは九尺。およそ2.7メートルの木刀の薙刀。
遠いところから相手に技を仕掛けられるというのは利点になります。薙刀非常に自由自在で、切り払いそれから突いたり上から真っ二つに下ろしたりそういう動作の使い方ができます。
太平記には薙刀を振る武士の姿が記されています。
薙刀水車に回して踊りかかる。
水車。
その技は今にも伝わっています。
こちらが水車。
持ち手を切り替えるなめらかな所作。
水車のようにたゆま作り出されます。
力を抜いて柔らかく振る。それが一番切っ先に力が加わることでございますので、羽衣を身にまとうような気持ち
というイメージを持って振っています。
こちらはウンランという方なぎなたの切っ先を
三日月に見立て
乱れた雲をかき分けてみかづきが垣間見える
神羅万象をそこにイメージする。森羅万象というのが一番自然の理に適っている。それを目標としてそこの方にどの色付けをしていくという
物語風の話題になります。
鎌倉時代から800年武士の精神は今に受け継がれています。
手箱
静岡の三嶋大社。
源頼朝が源氏再興を祈願して以来厚く信仰。
妻北条政子が奉納したとされる宝物が残っています。
国宝梅蒔絵手箱。
漆と金粉を用いて作られた豪華絢爛な手箱です。
水辺から飛翔していく雁の躍動感あふれる姿。
そこに金と銀の梅の花が咲き誇ります。
一筆一筆繊細に描かれた水のうねり。
絵の中には漢字が隠れています。
唐の詩人白居易の漢詩で、弟と共に昇進を遂げた喜びが歌われています。
図柄の衣装から手箱の世界観を読み解く遊び心。
持ち主の教養の高さを伝えています。
手箱に収められていたのは34点の化粧道具。
鏡や毛抜き化粧筆に至るまで梅があしらわれています。
手箱はおしろいやお歯黒様。
当時最高の材料と最新の技術を用いて作られました。
蒔絵工芸品には様々な技法があるんですけども、その基本的な技法が全部詰まった最初の手箱と言っていいと思います。技術も非常に素晴らしくては最高峰と言って良い方だと思います。
蒔絵は漆で模様を書いた上に金粉などを巻いて絵柄を描く漆の装飾技法です。
模様の部分を盛り上げ立体的に作る高蒔絵の技法は鎌倉時代に生まれました。
丘の上は銀を少し混ぜた青みがかった金粉を。
波打ち際にかけても異なる形の金粉を蒔き分けています。
手箱に使われた金粉は20種類。
金粉のわずかな違いを組み合わせて複雑で多様な表現を生み出していました。
今日最後のツボはきらめく技の玉手箱。
手箱 きらめく技の玉手箱
今から27年前。
三島大社の国宝・梅蒔絵手箱の模造を制作するプロジェクトが発足しました。
模造とは剤貴方は調査分析した上で精密に再現すること
およそさん年もの歳月を掛け鎌倉時代の技法が解明されていきました
プロジェクトの責任者だった蒔絵の人間国宝室瀬和美
鎌倉時代の物っておおらかっていうイメージがすごくあったんですけどいざ細かいところ調べてみると本当に計算され尽くしたぐらい繊細でものすごくやっぱり神経が行き届いてる。これがちょっと自分の印象以上に驚きでしたねちゃんが一番驚いたことは金粉の形。私たちが今使ってる勤務って本当に球体なんですよ。この時代はかなり粒子が粗いさらっとしたものを使ってますね。携帯じゃない金粉っていうのはやっぱりそれまであまり見たことなかったですからね。この女は携帯箱に出会って手掛けて初めてきゅー体じゃない金粉てこんなに表情が違うんだってのありましたよね
乱反射して複雑に怒ってくることによって一粒一粒にみんな表情があるって
極端に言えばねそういう無機質でなくて結構有機質な表情がその同じ金の色でありながら
見えてくる仕事で作る味わいのある
ただ荒く削るだけでは作れない絶妙な形
再現するのに半年以上かかりました。
梅蒔絵手箱の模造が完成しました。
800年前の技術に迫った緻密な再現。
鎌倉の技と輝きが今に蘇りました。
これを創った時代の人は
そういう気持ちで作ったじゃない
こういう気持ちで描いたんじゃない
こういう気持ちの表現したじゃないかっていう作品として
その時代の技術者と会話できたような気持ちになってすごくそれはない充実感がありました
戦と常に隣り合わせの日々
極上の美を求めた人々の思いが今に受け継がれています