美の壺 「己を表す はんこ 」

誰もが必ず一つは持つ「 はんこ 」。代々受け継がれてきた技が成す精巧な作りと、究極の美を兼ね備えた実用品「はんこ」を堪能!▽龍や虎、好きな言葉を刻んだ個性溢れる武将印にシシド・カフカさんもびっくり!▽400年以上続く印判店が受け継ぐ道具と技の世界とは?▽中国伝統の技「印鈕(いんちゅう)」のミクロ彫刻▽文字や図柄に込められた人々の思いや祈り。紀元前のものや世界の貴重なはんこも続々登場!<File557>

放送:2022年5月20日

 美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「己を表す はんこ」

誰もが必ず一つは持つはんこ
その起源は古代にまで遡り
各時代の暮らし向きに応じたユニクで
多様な判子が世界中で誕生しました
うん印面の文字や
津軽に刻まれた人々の思いや祈り
代々受け継がれてきた技術がなす
精巧な作りと芸術作品としての美しさ
神戸は究極の美を兼ね備えた実用品です
今日は奥深い判子の世界に迫ります

チャンネルでしたね

石川県金沢市
ここに四百年以上
続くイン難点があります
十二代目の当主細字佐伯さん
先祖はこの地を治めていた
加賀藩のお抱え印判師でした
御用というま
要するに加賀藩の御用商人の明石です
わねまうちだけしかなかったらしいですけど
これを持ってないとかが
半々な仕事ができないと
そもそも細字気に
印判点を営むように命じたのは
あの豊臣秀吉だったのだとか
京都の地において
約百名の日本の職人さん集めまして
一年間信用させたと聞いております
その中の優秀な方
三名に五十の星を与えたと以来
細字気は川班や石川県の行員など
重要なハンコの政策を担ってきました
その技は加賀藩の藩札にもわずか四センチ
四方の枠の中に
二百問という文字とウサギがには
極細の線でかたどられています
判子作りに欠かせない
道具や資料も
大切に受け継がれてきました
これは時代の見本帳はんこには
中国漢の時代の文字が用いられますが
美という文字一つとっても様々な事態があります
うん仙台でも人さんでも
こういう人が殆ど頭の中は行ってるんですね
とおんなじさっさとかい書いてましたですね
あれだけは本当に尊敬してました
へえこれは健康
親父からそのまま受け継いた道も
結構あります
印面を掘るための道具咽頭です
だからそれは
何十年も七八十年
まだ使ってるかもしれない
うんこちらは戦線大のお手製
小さな犯行を
握りやすくするための巻竹です
よいしょはんこを
竹の中にハサミ
革紐で巻きつけて固定します
馬親父が馬馬って言ってましたね
手元を安定させて掘るための題です
うんこれらの道具は
今でも現役いい判子を作るための知恵と技が
現代のハンコにも
生かされているんですね
年ば行けば行くほど
なんかそういう難しさ
凄さってものを分かって
できたような気がします
ま私ももう七十遊んでおりますけど
ま体の動く限り天皇動く限り
この仕事はずっと続けたいと思いますいるんです
今日二つ目のツボは技を伝え
未来へつなぐ天に向かって首を長く
伸ばす獣に似た架空の動物
次に注目するのは
はんこのつまみ部分胃ん中です
福岡でインタビュー作家として活動する田中智子さん
医師の印材に細かな彫刻を施して行きます
うん二十年前書を極めようと留学した
中国で田舎に出会い
その世界に魅せられました
この立体のものが持つエネルギーっていうのにすごい
僕はそのとき引かれてで
それプラス医師の美しさ
というのがあるのですね
まそれではまった感じですね
弟子入りを志願した当初
外国人に田舎の技を習得するのは
難しいと断られた田中さ諦めず通い続け
入門許可が下りたのは半年後
それまではひたすら
師匠の作品を観察する日にちでした
師匠から言われたのが
スケッチ書いても意味ないよって言われて
三百六十度から見て
上からも見て観た観イメジをつく
あの石の中に移して掘りなさいって言われて
頭の中で十分イメージをしてから
下絵なしに直接石材を掘っていきます
迷ってたら音がしないですね
吸ってるような音しかしなくて
ちゃんと掘りたいなって思って
ちゃんと力入れていったらパリパリパリとか
二十五歳のとき
タナカさんが初めて掘った作品です
それから二十年およそ五千個の作品を制作し
本場中国で数々の賞を受賞しました
上海や広州の美術館には
田中さんの作品が所蔵されています
田中さんが中国で高く評価されている
理由の一つに石を見極める技術があります
ちょっと黄色が入ってるのわかります
これで引退を作っていくんだったら
この黄色の部分に
何かを掘る感じになっていきますね
透き通る緑の石が目を引くセミの員
岩田と蝉の部分は異なる
石のように見えますが
なんと一つの石です
じっくり見ててあの色の違いがあるところとか
うっすらと形が動物というか
浮かんでくるんですよね
掘って作っていくというよりも
医師の中にうんいる動物を掘り出していく作業
みたいなイメージ的にはそんな感じで
僕は作ってます
中国伝統の技を受け継ぎ
田中さんは今
自分ならではの
作品の世界を追及しています
うん少し笑いかけているように見える
口元ほんの少し口角を上げた
愛嬌のある表情が
田中さんの作品の特徴です
ちょっとかわいい感じに作りたい
人手に渡ってからも触ってもらうと
本当にどんどんその人が
育ててくれるような感じなんですね
まそれが嬉しいと言うか楽しいというか
石に宿る生命が
人の手の中で育っていきます
うんいつから探してるんですけど
小さい頃からね
そんな長い間
これ徳川埋蔵金土の子き何かでも
タキは特別なのだそう
見つかるといいですね
よし必ずある
おど
どこ行くんですか

うんこれはね
ヤマさん山サンゴがくっついてる可愛いでしょ
これ見てこんなの篆刻家の小田玉英さん
半世紀以上にわたり世界を旅し
各地の判子を集めてきました
これがたまにスタン砂漠の中子どもがね
なんかいろんな雑物を売ってるんですよ
その中でこれを見つけたわけで
これもいらんだしこれもいらんだし
これは古いからエジプトね
やっぱり懐かしいでしょ
あそこであんなもの買ったなとかね
これまで訪ねた国は
およそ四十か国集めたハンコは
千個に及びます
判子は歴史の語りべという小田さん
反抗を通して当時の人々の暮らしに
思いを馳せてきました
旅をしていると
いろんな民族の文字がありますよね
デザインじゃないかと思うぐらい
この美しさに惹かれましたよね
これは古代のバビロニアの菌がついてる
因子ローラ印象です
紀元前千九百年頃
メソポタミアで使われていたハンコ上に
一気に絵を差し出す様子が描かれています
神がまだなかったこの時代
やわらかい粘土版に転がすと
注がらが浮かび上がってくる
というものでした
当初判子は戦や円絵柄などの文様に始まり
やがて文字へと発展していきました
ってまたはんこには
もともと魔よけやお守り
といった意味がありました
足の形をした
インドのフッ足石印釈迦のシンボルとして
古くから人に祀られてきました
こちらはチベットのハンコ
万物の始まりと終わりを意味する
阿吽の吽の字が
チベット文字で書かれています
ラマ僧が護符として
身につけていたと言われています
その民族民族でね
印象が伝わってきた訳ですよね
もうもちろん滅びてしまった民族もたくさんいる
けれどそこに思い
祈りとかそういうものを
やっぱり感じますよね
今日最後のツボは韻に込められた祈り
世界中を旅してきたオダさんは
篆刻家としては
一風変わった作品を手がけてきました
ラテン語やペルシャ語など
様々な文化の文字が
作品の中に登場します
異端者かもしれませんよね
でも何を補ってもいいんじゃないですか
やっぱり世界を歩いてると
いろんな文字がありますよねで
そういうものを守りたい
と思うようになったわけです
ビルマ語でおかげさまと書かれたハンコ
はいこちらはラテン語で来るものには
安らぎを去りゆくものには幸せをはいはい
ハンコに刻む言葉に
特別なこだわりを持ってきたオダさん
九十歳になった今も
精力的に制作に取り組んでいます
かつて古代の人々が判子を守りのように扱い
祈りを捧げたように
織田さんもまた
祈りの言葉を掘り続けています
うんそれはね
あの聖徳太子の思ってとうとしと為すという
私が大好きな言葉で今このコロナの時とかね
それから戦争があったりしてますよね
でそういう中にあって
やはり派というものが
平和が大事だっていうことを
で私は特にこの子を今掘った次第です
都内の寺に
小田さんが制作した判子が
収められています
寺が開かれて
五百年を記念して作りました
印面に掘ったのは弥勒菩薩を表す梵字
この寺に祀られている
弥勒菩薩像を表しています
未来を司り人々を救う仏様です
弥勒菩薩はずっとあのー人を救う仏様として
ずっと長い間
拝まれてきたんだと思います
祈りながら取らせていただきました
未来への希望が韻に込められています