美の壺「 縄文 美の1万年」

縄文

縄目 文様や、ダイナミックなデザインの「縄文土器」。岡本太郎が「とてつもない美学」と称した縄文土器の魅力とは?▽今や世界でも人気の「土偶」。現代アートも驚きの造形!▽土偶を愛した人間国宝・濱田庄司。民藝(みんげい)と縄文の共通点とは?▽太陽の動きを観測し、数もかぞえた?!縄文人の高度な知性▽里山のルーツは縄文!縄文人のすごさを伝える森づくり!<File565>

放送:2022年9月9日

 美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺「縄文 美の1万年」

縄文時代中期になると、盛り上がった大胆な装飾の土器が出現しました。火焰土器です。口にはとげとげしい巨大な突起が四つあり、全体が渦巻きのような文様で埋め尽くされています。一体この装飾は何を意味しているのでしょうか。

火焰土器が見つかったのは昭和11年、新潟県長岡市の馬田遺跡でした。その後、信濃川流域のあちこちで次々と同じ形の土器が見つかります。火焰土器の特徴として、一つは土器についている四つの大きな突起の部分が燃え上がる炎をイメージすることで、火焰土器という名称がつけられたというふうに伝えられています。また、信濃川に近いものですから、胴体にある渦巻きの模様が信濃川の出水に関係しているのではないかという意見もあります。そのように、見る人によってイメージを膨らませるような造形なのだと思います。

日本を代表する前衛芸術家の一人、岡本太郎は考古学の資料だった縄文土器に芸術的な価値を見出しました。初めて縄文土器を見た岡本はこう記しました。「一体このような反美学的な無意味さ、しかも見る者の意識を根底からすくい上げ天に通じさせる、とてつもない美学が世界の美術史を通じてかつて見られたであろうか。」昭和27年に発表した『縄文土器論 四次元との対話』という題名がついていました。私たちの現実世界では見えない世界や超自然的なものを表す言葉が四次元だと思います。その対話というのは、超自然的なものと縄文人たちが生活の中で密接に結びついていたことで、縄文土器が生まれたというふうに岡本太郎さんは考えていたと思います。

今日一つ目の壺は「描き盛り上げ埋め尽くす」

長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳西南の麓からは、多様な形の縄文土器が出土しています。官庁の小松隆志さんは、土器の形や文様から縄文人の思いを解き明かす研究を行っています。

平成4年に出土した縄文中期の土器について、小松さんは中央の文様が蛇の姿だと考えています。蛇は世界的に生命力の象徴として描かれることが多く、成長し続ける蛇や冬眠から春に再生する姿が表現されています。これは、煮炊きによって生まれる食べ物に力が宿るという縄文人の思いを反映しているとされています。

昭和44年に出土した顔の付いた土器について、小松さんは、顔の下部が女性の体を象徴し、中央の穴が山道を表すと考えています。裏側のデザインは異なり、大きな虚ろな目がドクロをモチーフにした可能性があるとされています。これにより、生と死が背中合わせの縄文人の世界観が表現されていると見られます。

縄文時代の土器は、様々なデザインで飾られ、その造形力を今に伝えています。

縄文時代の遺物で、初めて国宝に指定された「縄文のヴィーナス」は、腹部が妊娠しているように見えるため、子孫繁栄や豊穣を祈るために作られたとされる説や、自然に宿る精霊の姿であるという説もあります。これらの遺物は、心やイメージする世界を表現するために作られ、祭りや儀礼で使用されたと考えられています。

また、栃木県芳賀郡益子町で、陶芸家で人間国宝の濱田庄司は、縄文土器を日本の民芸の先祖として高く評価しました。濱田庄司は、縄文時代の道具を大切に保管し、その価値を認識していました。

濱田庄司の孫である濱田ともさんは、約30年前に「縄文の女神」と呼ばれる複製を依頼されました。この造形は、強烈な印象を与え、すべての線と面が有機的に繋がっています。濱田さんは、この作品を作る際に神聖なものを感じ、生と死を常に意識しながら創作したと述べています。

今日二つ目のツボは人型に祈りを込めて

日本の伝統と現代的な美意識を融合させた独自の世界観で注目を集めるアーティスト、小松美羽さんは、子供の頃から縄文文化に親しんで育ちました。長野県出身で、近くの遺跡を訪れながら生きた学びを経験し、母が縄文の土器の形が好きでレプリカを飾っていた影響を受けたそうです。縄文時代に対する尊敬の念は、自然に吸収していたことに気づいた結果でした。

今年の春、小松さんは京都の東寺でおよそ1か月間、巨大な曼荼羅を描きました。この曼荼羅には、すべての神や仏の教えが調和する独自の世界観が込められています。完成した曼荼羅は美術館の古典で公開され、神秘的な世界や動物たちが描かれています。

小松さんは、曼荼羅の制作中に自然の精霊や目には見えない存在を感じ、作品に反映させました。また、彼女が心中と呼ぶ獣たちの形は、自然の精霊を表現したものであり、現世の獣たちとも似た部分があると感じています。伝統に基づいた彼女のアートは、昔も今も変わらず純粋なものを追求していると述べています。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、世界文化遺産の一つです。ここには、二つ並んだ日本最大級のストーンサークルがあり、石はおよそ8,500年前のものとされています。中には200キロにもなる石もあり、これらは1キロ離れた場所から運ばれたと考えられています。

ストーンサークルは日時計のように組まれており、具体的にどのように使われたかは不明ですが、周辺に住む人々の共同墓地だったと考えられています。また、呪術や祭りの際に人々が集まっていた痕跡も残されています。

遺跡からは縄文人の高度な知性を示す出土品も見つかっており、数の概念を持っていたことを示す道具もあります。また、弔問人が自然の移り変わりを観測していた形跡もあります。石を結ぶ延長線上が夏至の頃の日の沈む方向とほぼ一致していることから、縄文人が太陽の動きや季節の移り変わりを意識してこの環状列石を作った可能性も考えられています。

今日最後の壺は「自然に従い共に暮らす」

岩手県二戸郡一野辺町にある御所の遺跡は、世界文化遺産の一つです。遺跡内には復元された竪穴住居が並んでいます。よく見ると、茅葺き屋根ではなく土で覆われています。この遺跡では土屋根についての調査や実験が行われてきました。

調査の結果、蚊帳が一歩も出てこなかったことがわかり、その土が屋根に使われていたと考えられました。しかし、土屋根では湿気が多すぎて人は暮らせないという意見がありました。そのため、自分たちで作ってみようと始まったのがこの実験です。

建物の中は外から見る以上に広々としており、地面を掘り下げたことで得られた土が屋根材として活用されたと考えられています。屋根には丈夫で腐りにくい栗の木が使用され、地面に穴を開けてしっかり固定した掘っ立て柱も使われています。十年にわたり温度や湿度を計った結果、焚き火や通気の作用もあり、想像より住みやすい家だったとされています。

経文の集落は、水場の近くや川沿いの大地の上に多く作られました。住居の周囲は切り開かれ、その外には森があり、縄文人はこの森を管理していました。トチノキやコナラ、ウルシなどが育てられ、食料や建材、巻きなどに利用されていました。

御所の遺跡では、地元の人たちの力を借りて、縄文の暮らしや里山を蘇らせようとしています。例えば、栗の木の皮を使って屋根の葺き替えを行っています。このような遺跡は作って終わりではなく、維持し継続していくことが重要です。そのためには、関わる人が必要です。縄文時代のように火を焚いて屋根を燻すことで、かびや虫の被害を防ぎ、建物の寿命を延ばす作業も行われています。また、鳩山作りでも縄文時代を再現し、当時の木に植え替えています。縄文の里山に近づけるように進めていきたいと考えています。

縄文の人たちが心を込めて作り上げた山を知ることができるのは、すごいことだと感じます。縄文の時代に思いを馳せ、その暮らしや知恵を現代に伝えていきます。

理科実験
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大湯ストーンサークル館/鹿角市

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