美の壺 「日本の原風景 古民家」<File546>

神奈川県葉山の古民家でスローライフを実践する家族に密着!▽デービッド・アトキンソンさんが愛する、京町家の美意識▽静岡の古民家を400年支え続ける柱や梁(はり)には、戦国時代の城造りの技▽福島県南会津に残る古民家群の、美観を守る工夫▽都会の古民家を、シェアハウスにして存続させるプロジェクトとは?▽建築家カール・ベンクスさんは、古民家でコミュニティーを復活!▽草刈正雄邸には謎の猫!?<File546>

初回放送日:2021年8月6日

美の壺 「日本の原風景 古民家」

この家が、戦前までに建てられた古い住まい古民家人々が代々そこで暮らしてきました。そんな古民家が今見直されています。太い柱や針を組み合わせる古の匠の技が。ここにもあそこにも古民家を改造したカフェやギャラリーも。大人気今や憧れのスポットです。「こんにちは。どうぞ。おはようございます」古民家に惚れ込み、新たに住み始める人も増えています。暮らし続けることで輝きを増す古民家。今回はその魅力をご紹介します。

愛着

神奈川県三浦郡葉山町、ここに古民家ライフを楽しむ家族がいます。山田奈美さんご一家です。「でっかいの入ってよいしょ」息子の大地くんは小学生。泰宣さんは手すき紙の作家。奈美さんは薬膳や発酵食品の料理研究家です。

住んでいるのは、昭和5年(1930年)に建てられた築91年の古民家。地元の名士の家でした戦後は、会社の保養所になったり、いろいろな家族が住んだり、十一年前、縁あって東京から移り住みみ、「古屋1681(こやいろあい)」という和食薬膳教室を営んでいます。


「結婚してから、できるだけ自然の中で畑仕事をしながら、自然に寄り添った暮らしをしたいと思い、古いお家で自然の中にあるという条件で色々探していたところ、ここを紹介されて引っ越してきました。縁側の日差しが長くなっているので、夏は日が入らず、冬は奥まで陽が差し込む感じで、暖かく過ごせます。自然素材に囲まれているので、触れるものすべてがひんやりせず、湿度は高いけれど、カビが生えたり結露したりすることもなく、とてもよく考えられた作りだなと思います。やっぱり日本家屋って感じですね。」

「すごく綺麗な黄色ですね。懐かしい台所道具も昔ながらのものばかりで、せっかくの古民家なので、暮らし方も合わせています。食事は座敷にちゃぶ台を広げていただきます。ここが暮らしの中心です。」

「はい、それではいただきます。ごく暮らし自体が楽しめるようになりましたね。やっぱりここに来るとみんな懐かしいとかおばあちゃん家みたいな感じで懐かしんでくれる方が多いですね。」

食事が終われば、同じ部屋が寝室に早変わり。蚊帳を吊るして、おやすみなさい。

食べごと研究所・古屋1681(こやいろあい)

今日一つ目のツボは「住めば済むほど奥深い」


「京都の古民家といえば、町家です。町家は都市に暮らす商人や職人の家として建てられました。大正時代に建てられたこの大きな京町家は、実業家が住んでいたため、税を尽くした古民家です。講師堂を開けると前庭があり、玄関が二つあります。一つは畳敷きで、もう一つはのれん掛けがありますが、どちらから入るのでしょうか。現在のある字。デイビット・アトキンソンさんも二つの玄関には戸惑ったといいます。」

「実際にここに住んでから一番びっくりしたのは、この裏にあるプライベートスペースが全然違ったことです。裏にあるスペースにいると、いきなり郵便屋さんがこの内側の家の玄関に勝手に入ってきて、なんで自分の家に人がいるんだろうと思いました。」

「のれんは誰でも入ってよいという目印です。家族や顔見知りはこの内玄関を使います。入ると通り庭と呼ばれる土間があり、ここは台所や作業場も兼ねています。一方、畳敷きの表玄関は、ある字や来客のために格式ある造りになっています。」

「ここにもありますが、これは玄関でありながらも、それなりに人を迎えることを前提にしています。略式ではありますが、床の間も設けています。ただし、少し工夫がされていて、ここは結婚型になっているんです。このように非常に難しい仕事がされていて、大変な見どころの一つです。ただし、ほとんどの人がその点を理解しています。」

アトキンソンさんは日光東照宮や春日大社などの文化財修復を手がける老舗企業・小西美術工芸社の社長で、町家に魅せられて十四年前にこの家を購入しました。戦後の改築部分を元に戻し、家の良さを味わえるようにしました。奥に進むと壺庭があり、あかりとりと風通しを兼ねていますが、そこにも京都の美意識が息づいています。「狭い空間でありながらも、かなり奥行きがあるような形になっていると思います。」

壺庭に面した前座敷では、通常の客が通されます。しかし、この家にはさらに特別な来客のための空間があります。それが一番奥に位置する奥座敷です。ここは最も格式が高く、他の部屋とは異なる工夫が凝らされています。

「この辺の襖の縁が全部黒なのに対して、ここだけは赤いんです。何が違うかというと、黒の場合は漆を一枚だけ塗れば黒になりますが、この赤を出すには何回も何回も塗らなければならないからです。つまり、こちらの方が位が高いということになります。そういう意味では、ここに通された人は一番位の高い部屋に案内されるということが、いろんなところで強調されています。」

贅をこらした襖も、夏が近づくと取り払われます。吉戸や水を蔵から出し、すべて取り替えます。アトキンソンさんにとって、この手間こそが古民家に暮らすことだと言います。

「面倒なことだと思うのか、それとも生活の行事の一つとして楽しむのか、どちらかだと思いますけど、私としては季節が変わるごとに家も変わっていくことを楽しむのが素晴らしいことだと思います。」

寄り添えば喜びをくれる古民家です。

著:デービッド アトキンソン
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造り


日本の住居の源流は縄文時代の縦穴式住居に遡ります。縄文時代の人々は、土の上で直接火を燃やし、寝起きしていました。最も古い古民家の一つが静岡県伊豆の国市静岡県伊豆の国市 にある重要文化財 江川家住宅(えがわけじゅうたく)。※重要文化財 江川邸
建てられたのは関ヶ原の戦いがあった1600年頃です。まず目に入るのは広い土間です。縄文時代から受け継がれてきた場所です。「見上げると、複雑に組み合わされた柱や針が力を分散し、重い屋根を数本の柱で支える工夫が見られます。土間は食事を作り、家畜を飼い、力仕事をする場所として使われていました。この頃、家の造りには変化が現れ始めます。」建築史家の 後藤治さん。

「この土間のある火を使う掘っ立て柱的な縄文的なものの系譜と、床上の生活空間を中心にする構造が合体してできるというのは、全国的に見られる現象です。まさにそれが一体化した最初の例が、この古民家だと言えるでしょう。大屋根を支える構造は、戦国時代の城づくりの技術を応用しています。柱と針などの部材をつなぐ技術もその一つです。例えば、針が単純に刺さっているだけではなく、上の方を見ていただくとわかりやすいですが、柱に開いた穴に細い棒・鼻栓(はなせん)が刺さっており、この鼻栓が針が引っ張り抜けようとするときに抵抗して抜けにくくするのです。この技術は耐震性を高めるものであり、古民家の技術的な発展の一例です。」

四百年の時を刻んだ古民家のルーツ。

今日二つ目の壺は「今に残る先人の技」

江戸時代、福島県の会津若松城下から江戸に向かう街道沿いには宿場町が点在していました。その一つが 大内宿(おおうちじゅく)で、江戸時代に建てられた古民家が今も軒を連ねています。大内宿の設立は、徳川三代将軍家光の時代に遡ります。築約400年と伝えられる古民家の中には、現在そば処 本家玉屋(ほんけたまや)が営まれています。

この古民家に入ると、まず目に入るのが広い土間で、その奥には座敷が広がっています。太くてたくましい大黒柱や針は、冬の雪の重みから屋根を支える役割を果たします。家の構造は機能的であるだけでなく、風格も表現しています。家の奥に進むにつれて、木材の仕上げが徐々に変わっていくのも見どころの一つです。

一番奥には、大切な客をもてなすための座敷があります。ここでは、触れるすべての部材が繊細に仕上げられており、江戸時代の大工の美意識を感じさせます。夏でも火を絶やさないようにという祈りが込められており、煙が屋根裏に上がり、かやぶき屋根を蒸して足元を守る工夫がされています。これは家を長持ちさせる知恵の一つです。

当主の佐藤和恵さんは若い頃に一度大内宿を離れましたが、家を守るために16年前に再び戻り、そば屋を開店しました。

「歴史って簡単に作れないですから、やっぱり長く続いているものを守っていかなきゃという思いは、離れてから感じましたね。」と佐藤和恵さんは語ります。

集落の外れには倉庫があり、そこでは解体された古民家から取り出した木材が大切に保管されています。これらの木材は、古民家の修繕に利用されます。釘を使わずに組み上げられた木組みの部材は、再び手に入らない貴重な宝です。傷んだ部分は切り落とし、最後まで大切に使われます。


「例えば、この小国柱ですが、これは栗材で、非常に強いです。ですから、これはきっと二百年以上使われたんだろうと思います。見ていただくと、この木は完全に土変わろうとしています。もう限界が近いという状態です。こういったボロボロになってしまった部分は、燃やしてはいけません。使い切るという考えが重要です。」

住民が力を合わせて行うかやぶき屋根の吹き替え。年長者が若い世代に技を教え、その世代がまた次へ何台も、そして何台も重い受け継ぐ古民家です。

住み継ぐ

東京都台東区の谷中界わいこの一帯は、東京大空襲の線香を免れ、古民家が多く残る地域です。近年、住む人がいなくなり、カフェやギャラリーに改装した古民家が人気のスポットになっています。明治時代に建てられたこの家も、元は職人の家でしたが、三年前に 未来定番研究所(みらいていばんけんきゅうしょ)のオフィス兼イベントスペースに変身しました。そんな中古民家をシェアハウスとして活用する取り組みも行われています。この日は、家の持ち主、住民、シェアハウスの活動をするNPOのメンバーたちで、大掃除を行い、家をみんなで力を合わせて守っています。

「本当に古い建物って、かなり努力をしないと残らないですねいろいろ工夫をしないと残らない。」「母が亡くなったときに空き家になったんですが、ここなんとか残したいと思いまして、生きた形で残したいと思って、若い方にも入ってもらえるような、そういう形でシェアハウスという運用を続けているわけです。」家主の 岩田洋夫さん。

今住んでいるのは中国からの留学生。日本らしい家に住みたいと昨年入居を希望しました。

「たまに誇りが多くて、掃除が毎日しなければいけませんし、不便なところもありますが、すごく好きと思います。」

「昔は家制度とかよくも悪くもあったので、お父さんから子どもから孫に言って家を継ぐのが普通でした。でも今は血のつながらない若い人に家の管理を任せて住んでいただくことで、家の文化もつながりますし、物語も引き継がれますし、その家とか町が好きな人が増えていけば、人口減少の時代ですが、大事にされていくと思います。」國學院大学教授の 椎原晶子さん。

今日最後の壺は「人に生かされ、人を生かすよいしょ」

新潟県十日町市。家族が進んでいた村が一組の移住者によって変わったといいます。その人たちが住む古民家
この家に惚れ込み理想の空間に作り変えたのだとか。ドイツ人建築家のカール・ベンクスさん。若い頃から日本文化に憧れてきたベンクスさん。三十年近く前に妻のクリスティナさんとこの集落に移住しました。

元の家の良さを最大限生かしながらも自分流にアレンジするのがベンクスさんの楽しみ方。明治時代に建てられたこの家。ベンクスさんが住む前は廃屋同然に放置されていました。昭和になってからの増築部分を取り除き二年がかりで再生。現在の姿に仕上げました。

「大体山の中のですよね。暗いイメージが昔からあるらしいですよ。たぶん雪の生徒は凄く苦しめした生活したのことでしょうけどね。それじゃなくて本当にこっちに住むとはその楽しい雰囲気作りたいですよね。」

集落内には他にもベンクスさんが蘇らせた古民家が点在しています。空き家になって朽ちかけた家を放っておけず住む人のあてがないまま再生すると、その家に住みたいと新しい住民が移住してきました。そんなことを繰り返すうち集落は昔からの住民と新しい住民が共に暮らす民家村として知られるようになりました。

「快適っていうのもあるし、こういうデザイン性がある。それでなおかつ昔の職人の技術が住んでいながらにして見えるっていうのは生活としては子供の教育にもいいなと思います。」

吉田さん今も新たな住民の家を解体修理中。仮組みを見にみんな集まってきました。ベンクスさんは傷んだ家を一旦解体し、基礎から組み直しますが建具など使えるものは修理して再利用します。次々に壊されていく古民家を何とか救いたいと始めたこの仕事。これまでに六十件ほどの家を再生しました。

「楽しかったから。今でも自分のふるさとみたいなものになりました。だからますごくうんままだコミュニティ小さいけどー楽しみですよね」

人と人を結び過去と未来を繋ぐ古民家。世代を超えて受け継がれる宝物です。