亡くなった人の霊がこの世に帰って来る…夏の特別なひととき お盆 。日本各地で繰り広げられる亡き人へのもてなしを紹介。盆提灯(ぼんぢょうちん)として有名な岐阜の提灯(ちょうちん)。伝統の技で描かれる秋の七草。香川県小豆島では、名産品のそうめんを使った飾りが。京都の「お迎えだんご」と「送りだんご」も登場!静岡では、戦国時代から続く先祖供養の歌と舞。幽玄な音色に酔いしれます。
【出演】草刈正雄 【語り】木村多江
放送:2022年8月11日
美の壺「ともに過ごすお盆」
亡くなった人の霊がこの世に帰ってくる
亡き人に思いを馳せる夏の特別なひとときお盆
お盆はもともと旧暦の七月十五日を中心に行われる仏教行事と日本古来の祖霊進行などが混ざり根付いたと考えられています
なき人と過ごす数日間のために人々は様々な思考をこらしてきました
今日はお盆に秘められた美の世界と人々の思いに迫ります
お盆に飾られる盆提灯
亡き人の霊が迷わず帰ってこられる目印とされてきました
その盆提灯が多く作られているのが岐阜県
岐阜は昔から良質な竹や和紙などの産地でした
細い竹ひごと透き通るように薄い和紙が織りなす繊細優美な姿
こちらの工房では伝統的な技法で岐阜提灯を作り続けています
足に絵を施すのは刷り込み師といわれる職人です
和紙の上に型紙を乗せて顔料を薄く刷り込んでいきます
刷毛図解の強弱で繊細なぼかしを表現するのが匠の技です
多い時には百回以上もこの作業を繰り返し草花を色彩豊かに描き上げます
灯がともされると、薄す灯に桔梗やなでしこが浮かび上がりました
今日最初のツボは亡き人の霊をしとやかに導く
岐阜提灯は古くから盆提灯として人気を博してきました。江戸時代後期に書かれた随筆。流行の梵字。
提灯は岐阜提灯といい、薄い紙に美しく緻密な絵が描かれたものと記されています。
岐阜提灯はその美しさから江戸でも高い人気を誇りました。人気の理由はその絵柄にあると言います。
「あの絵柄の基本は秋の七草なんですね。夏に使うものなんですけど、これから涼しくなる秋の柄が多いです。そして干支。花以外でも書くものは山水の絵柄になるんですよね。ま水をこうやって書いてみたりとか、そういうところは結構大きいですね。お盆の暑い時期にあえて秋草を涼を呼ぶ工夫が喜ばれたのですね」
新しい技術を取り入れて岐阜提灯をつくる工房があります。振り込みは伝統的な技法と同じように見えますが、絵柄の大部分はシルクスクリーンと呼ばれる布地の方を使う多色刷で描かれていました。
「元々はあの木版で輪郭を吸って、それをスタンプのように持って色の濡れてない部分をこういう型紙を使って全部色を付けていくっていうやり方をやってたんですけれど、それですとすごい時間もかかってしまうので、シルク印刷で印刷をしてます。一部分花のぼかしだけだとか、菊の花びらだけを刷り込みで入れるようなことをやってますね」
正しい技法を取り入れながらも守り続けられる伝統の秋草模様。続いて「針」と呼ばれる作業です。丸い提灯に仕上げるため、九つの面に分けて張っていきます。絵柄を合わせ、連続した模様に仕上げるのが熟練の技です。風にそよぐフジバカマのように。
亡き人を華やかに迎える岐阜提灯。今も変わることなく受け継がれています。
お盆にはその土地ならではのもてなしがあります。
香川県小豆島では、名産品を使ったお供え物が用意されます。たとえば、生のそうめんを使った「おい縄そうめん」があります。香山さんがそうめんを編んでのれんのように飾るおい縄そうめんです。乾燥すると固くなってしまうため、届いてからの一時間が勝負です。おい縄そうめんは仏壇にかけられ、そうめんで美しくご先祖様をお出迎えします。
「今食べて時間をかけて手入れにしてあげたら、五千三喜ぶね」「こっちも分かります」
帰る時にはもう一つの役割があり、果物などと一緒にお渡ししたいと思います。その時には、このお素麺を使って荷物を作り、ご先祖さんに持って帰っていただきたいと思います。先祖を思う気持ちがみんなお供え物に込められています。
京都のお盆は「六道まいり」で始まります。六道まいりとは、砦山の裾野にある六道珍(ろくどうちん)で先祖の霊を迎えに行くことです。この寺には平安時代から続く井戸があり、お盆の時期には先祖の霊がこの井戸を通って帰ってくると信じられています。
同じ頃、京都ではお迎え団子と送り団子が作られます。お盆の頃にだけ作られるこの団子には、代には汚れのない気持ちで先祖を迎えるという意味が込められています。緑の模様が入った団子は、水の流れを表しています。お盆には精霊流しなど、水にちなんだ行事も多いため、白と緑で表わします。
お迎え団子はお盆の初日に備えられ、仏壇の中央に三つ積まれます。奇数に積むのは、先祖との縁が割り切れないようにという願いを込めてです。松本留美さんは、毎年必ず団子を供えてきました。
「ご先祖さんがみんな帰ってきはりますので、一時も早く無事に帰ってきてもみんな待っておりますので」
京都ではお盆の間、毎日お供えする精進料理の献立を工夫します。最終日に送り団子を供えたら、亡き人との時間もあと少しです。帰ってほしくないけれど、帰ってもらうためには送り団子をして、ろうそくの導線をつけて、表の戸を少し開けて帰ってもらいます。
「五山の送り火で別れを告げたら、京都のお盆が終わります。」
夏の風物詩といえば踊り。東京音頭や炭坑節など、軽快なリズムに合わせて楽しく踊ります。
踊りの起源は、念仏を唱えながら踊る「念仏踊り」と言われます。それがやがてお盆に亡き人の供養のために踊られるようになりました。その古くからの踊りに近いとされる盆踊りが、東京の鹿島に伝えられています。踊りは同じ場所で繰り返される単調な動きで、念仏を唱えるように歌う踊り歌が江戸時代から口伝えで伝わってきました。
行きつ戻りつを繰り返す踊りは、もともと狭い砂浜で踊っていた名残りだと言われます。隅田川の上流で、明暦の大火があった際に、この隅田川に様々な形で人間も動物も流れ着いたといいます。こちらに住んでいた漁師さんたちは、丁重に本願寺さんと協力して踊りを始めたと言われています。故人の供養として踊られる「戻り踊り」は、そうした歴史的背景を持っています。
最後のツボは亡き人を思う
夏の前、静岡県浜松市では、7月13日から15日にかけて「遠州大念仏」という伝統的な行事が行われます。この地域のお盆の行事で、遠州大念仏はもともと戦で命を落とした兵を供養するために始まり、やがて初盆の家を訪れる先祖供養の行事へと変化していきました。
「まあ家の人もね、やっぱ寂しいじゃないですかね。なんとなくそういう時に、こういうので地域の人たちが供養してくれるってことは嬉しいことじゃないかなと思いますけどね。そういうことで続けられてるんじゃないかなと思いますけどね」
「えつこさんは9か月前に亡くなりました。鳥取で亡くなったんですけど、すぐ葬儀ってことで、なんかその別れる機会が全くなくって、あっという間に終わってしまったということがあって、大念仏に向けて色んな気持ちとか整理しながら迎えるということであれば、念仏があることが大切にしていくと思ってます」
大念仏の行列がやってきました。先頭には笛を持った方が先導し、その後に飾り物やのぼり、太鼓、歌い手が続きます。迎える家の親族が隊列を家まで案内します。
念仏に節をつけて歌い、うちわで声を震わせながら歌います。早晩という二つ一組の金があり、二人の息をぴったり合わせなければ美しい響きが出せません。
突然降り出した雨にもかかわらず、大念仏は途切れることなく続けられます。訪問先のもてなしを含めて約一時間、行事の最後はひょっとこ十瓶で楽しく締めくくられ、次の家へと向かいます。
「お母さんもきっと、楽しく見てくれてたと思います。雨が止めてくれたもんでね。やっぱり念仏には雨がつきものだということで。おばあちゃんが一緒にちょっと来てくれたかなと思って。画面の中でもうまく太鼓を叩いて、本当にいい第二波響有限。」
二人の魂に寄り添う夏の夜です。