美の壺 「神秘の楽園 奄美大島」<File551>

2021年7月に世界自然遺産に登録された「奄美大島」▽五感を研ぎ澄ませ、自然の「美」を慈しむ暮らしに迫る!▽島の写真家が記録する「森の声」。リュウキュウアカショウビン・アマミノクロウサギの授乳▽倒木から再生する丸い器▽カメ仕込み黒糖焼酎で町復興▽ソテツの葉が秘める色をストールに▽江戸時代の書物から再現した色鮮やかな島料理▽島唄で姉妹神に祈る▽妖怪・ケンムンを追う平泉成が草刈家に!<File551>

初回放送日:2024年9月17日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「神秘の楽園 奄美大島」

森に覆われる奄美大島。大木の影や茂みに、森の妖怪がいると、島の人たちは信じてきました。自然を恐れ敬う心は受け継がれ、森では希少な生き物が命をつないでいます。

二千二十一年、奄美大島は世界自然遺産に登録されました。島には、五感を研ぎ澄ませて自然の恵みを慈しむ暮らしがあります。

自然の美を暮らしに生かす奄美の知恵に触れてみませんか。

島の面積の八割を占める森、年間降水量三千ミリの雨が多くの命を育んでいます。森の生き物を四十年にわたり記録している奄美大島在住の写真家・浜田太さんは、早朝に野鳥を狙います。「追えば逃げる」を信条とし、じっと待ちます。

「姿が見えないので、こちらが声の主を探します。」
琉球アカショウビン。夏の渡り鳥です。「あっ、これ、 ズアカアオバト っていうハトなんです。」
 ズアカアオバト とその鳴き声から尺八バトとも呼ばれています。鳴き声を聞き分けながら姿が現れるのを待ちます。近づいてきた瞬間に距離を詰めます。天然記念物のオーストンオオアカゲラ 。奄美大島にしか生息しない絶滅危惧種です。メスが先に来て、その後、オスが巣に立て去り、木を叩く音がしたりします。これは自分の縄張りを主張するためです。

森には不思議な言い伝えがあります。木を切ると妖怪・ケンムンが現れたたりがあるといいます。「森を理解せずして生き物を理解できないと思い、森に入る決心をしました。最初はケンムンの敵心のような雰囲気を感じ、誰かが見ているような気がしました。」

日々、森の中では人の想像を超えた営みがあると言います。ここは島のへそと浜田さんが呼ぶ奥深い森の中で、世界でも奄美大島と徳島にしか生息しないアマミノクロウサギを独自の方法で記録しています。

特に浜田さんが大切にしているのは声です。
「生き物たちがどのように息遣いで生活しているかは、車で追いかけてもわからないので、ここでしっかり映像と音を記録することで彼らの日常生活が見えてくると考えています。音にこだわって撮影しています。謎に包まれていた子育てもとらえました。私たちが知らない世界の中でこうした音が響いていることに、神秘性を感じます。」
森が生きている証のようなものが伝わってきます。

生き物たちの声に、今日も浜田さんは耳を傾けます。

奄美の映像 | 浜田太写真事務所 | インフォメーション | 奄美在住 | 写真家

今日、一つ目のツボは「森の声を聞く」

家の前に置かれたたくさんの木片。木工作家の 今田智幸さんは、台風などで倒れた木を用いて作品を生み出しています。

丸みを帯びたその形は使い道が自由なのだとか。「角材の状態の時には、だいたい想像ができる木目しか出てこないので、それを局面にしたり、丸くすると、全く予測できないような綺麗な木目が出てくるので、すごく面白いです」と今田さんは言います。外からは分からない部分が、中の方に節があったり割れがあったりすることがあります。「風景と捉えて作ることが多いです」とのことです。

百年を超える樹齢を刻んだシャリンバイの景色。この日、今田さんが手にしたのは椎の木です。森の八割を占める椎の木は、島の自然を保つ土台となっています。雨や風にさらされてできた穴は生き物たちのすみかとなり、実は命の糧となります。森で役割を終えた椎の木の声に、今田さんは耳を傾けます。

「節の部分だったりとか、虫食いも少し見えています。虫たちにとってはすごく住みやすい、居心地の良い木だったんだなと思って、あえて残すことが多いです。」

丸く削っていくことで現れるのは、木が積み重ねてきた森の時や虫が生きていた証、強い日差しと雨風が育んだ木目です。

「やさしくも恐ろしい自然を生き抜いてきた木です。この木はこういう手触りなんだとか、こういう木目なんだとか、香りだったりとか、そういうのを歩み寄るきっかけになればなぁと思っています」

生活の中でアイテムと植物の間の感覚を意識して作っています。森の囁きが聞こえる器です。

ウッドワークス キュー(woodworks CUE)

植物

サトウキビで作る黒糖は、江戸時代、薩摩藩の収入の要でした。米作りを禁止された島の人たちは、やがて黒糖で酒造りを始めます。今では甘味群などでしか製造が許されていない黒糖焼酎。島の特産物にするために力を尽くした酒蔵があります。昭和26年(1951年創業)の 富田酒造場です。

黒糖焼酎
¥2,400 (2024/09/16 21:58時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場

この蔵には、あわもりを作るために沖縄から船で運んだ三十二個のカメが並んでいます。創業者は、あわもりづくりの知恵を生かして島の人たちと協力し、特産物としての土台を築きました。カメを使った焼酎作りは、孫の富田雅幸さんに受け継がれています。

「カメ一つ一つに、うちの土着の金みたいな物が潜んでいるので、たくさんアルコールを作ってくれるカメもあれば、香りが強いカメもあります。そういった個性が最終的には一つにまとまり、僕たちの味の奥行きや複雑味につながっていると考えています」

この日は、570キロの溶かした黒糖をカメに入れていきます。すでにカメの中で発酵する米麹に黒糖が注がれ、二次発酵が促されます。発酵の速度も一つ一つ異なり、「カメは子供のようだ」と富田さんは言います。

「とにかく異変があるとすぐに気づくので、目で見て発酵の具合を確認したり、撹拌をして耳から入ってくる発酵のシュワシュワという音や、感じられる嗅覚を駆使して取り組んでいます」

黒糖を入れておよそ二週間、潮流を経て透明な焼酎へと生まれ変わります。「国東焼酎は島の人たちにとって、もうなくてはならないものだと思っています。その場が華やかになることもあれば、悲しみを共有できるもので、当たり前のように日常に添えられているものだと思っています」

今日、二つ目のツボは、「自然の恵みをいただく」

奄美大島に自生する植物は、およそ1300種。その中でもソテツは貴重なタンパク源として島の食を支えてきました。ソテツは現在、染料としても使われるようになり、植田正輝さんは大島つむぎの技を用いて染色に取り組んでいます。

これまでに70種類ほどの植物の色を布に移してきた植田さんは、目につく植物がどんな色を出すのかに興味を持っています。植物の表面の色が同じでも、内側にある植物自体が持つ色が異なると考え、その違う色を見つけるのが楽しみだと言います。

植田さんが見せているのは、植物に備わる本来の色です。サトウキビの葉は見た目と同じ優しい緑色で、一方、椎の木の枝は柔らかい黒を持っています。桑科のアカメイヌビワの枝の枝には鮮やかな紅色が潜んでいました。

一年を通して青々としたソテツの葉が、どんな色を持っているのかが興味深いです。真っ白なストールが黄色に染まっていく様子は、季節や気温によって微妙に異なる唯一無二の色です。ソテツの葉が見せたのはほのかなクリーム色です。これで完成ではありません。

泥田と呼ばれる田んぼに漬け込みます。土に含まれる鉄分が色を定着させるのだと言います。大島つむぎの技を生かした知恵です。

次に植田さんが足を運んだのは海岸。水道水にはカルキが含まれており、カルキは脱色の性質を持っています。泥だらけの染めたものを海水にさらすことで、より強い染色力が増します。そのために海晒しをします。「自然を取り込むのではなく、逆に自然に取り込まれて、その中で動いているという感じです。人間はその植物の色合いを出すために少し手助けをしているぐらいです」と語ります。自然が秘める色の神秘を、魔法のような技で表現しています。

染色工房 しまむたび Amaminosomeshi-Ueta’s Store

つなぐ

甘味市郊外の自家菜園では、島の料理を研究する泉和子さんです。方言で「ビリヤ」と呼ばれるにらや「しぶり」と呼ばれることのある冬瓜を分けていただいています。新鮮な島野菜を使って腕を振るっています。

まずは島の伝統料理、ニラとタナガ(手長エビ)を使います。タナガは近所の川で採れる夏の味覚です。ニラと色鮮やかなエビを組み合わせたこの料理は、かつて三月の節句に食べられていました。料理が少し忘れられているので、ぜひ伝承したいと考えています。

この料理は泉さんが江戸時代の書物から再現しました。『南島雑話(なんとうざつわ)』は、島に五年暮らした薩摩藩士 名越左源太による衣食住の記録です。「昔の人が言いましたように、手間をかけた料理はやっぱり美味しいと思います」と話します。

冬瓜は郷土料理で、一軒で一個は食べきれないので、切ったときは必ずお友達や隣近所にお裾分けします。三十分煮込んだ自撮りのスープに豆板を入れ、味付けをします。保存食でもある豆板をおいしくいただく母から子に受け継ぐ味です。

普段のおやつは海の恵み、マガキガイの塩茹で。黒糖の菓子 ムスコ はハレの日に伝統食として楽しんでいます。

「先人が作っていたものを次の世代に残していけたら」と考えています。自然の恵みも取り尽くしてしまったら、来年はまた食べられないだろうという知恵があったのだと思います。

今日、三つ目のツボは、「伝統を 慈しむ」

昭和24年、アメリカ統治下の頃に開業した楽器店。創業者が始めた島唄の録音を、二代目の指宿正樹さんも受け継いでいます。

島ののど自慢が、暮らしのひきこもごもを歌い上げる島唄を残そうと考えました。「ここは自分の島だ」と、自分の地域の島の集落の方々との交流を通じて、島唄を記録してきました。各集落ごとに少しずつ違いがあり、ある集落で「この人は上手い」と聞けば、そこを訪ねていって録音するという活動を続けてきました。現在までに録音した島唄は700曲を超えます。

島を代表する歌者の一人、前山真吾さんは普段ケアマネージャーとして老人施設で働いています。

「生活の中で歌があったことを教えてくれるお話をたくさん聞くことができ、現場に携わっていることで大変勉強になります。」

前山さんは、島唄は宝物だと考え、詩に歌われる場所を訪ね、歌い続けることで残そうとしています。「昔の人々は自然と密着して共存共生していた生活があったと思うんですよ。山の恵み、海の恵みの中で、常に海には神様が、山には山の神がいて、常に祈りを捧げていました。歌の根底にあるのはおそらく祈りなんです」と話します。奄美大島の人々は、女神様が島を守ると信じて、高い声で歌い、祈りを神に届けます。