長崎で育まれた唯一無二の和華蘭(わからん)文化で生まれた祝いの円卓・卓袱(しっぽく)料理▽バスティー?ハトシ?謎の料理がいっぱい▽神戸の中華街では、街をあげて祝う中秋の名月。中秋節限定の月餅はアヒルの卵入り!▽壮観!70頭の獅子が舞う!横浜中華街。新しい獅子に命を吹き込む点睛開眼(てんせいかいがん)という珍しい儀式のあとは華やかなパレードへ。人々の幸せを願う気持ちが込められる。<File492>
初回放送日:2019年12月6日
美の壺 「祝い渦巻く 中華街」
日本には三つの大きな中華街があります。江戸時代の終わり、まず長崎に中華街ができました。その後、横浜と神戸の港町にも中華街が誕生しました。これらの中華街は、伝統文化を取り入れながら観光スポットとして発展し、世界でも類を見ない街が形成されています。三つの中華街はそれぞれ独自の文化を育んできました。
まず、長崎の中華街です。江戸時代、中国やオランダと貿易をしていた長崎では、独特の食文化が発達しました。
次に、神戸の中華街です。9月に行われるお祭りでは、町に満月を模したランタンが現れます。また、お祝いで食べる「月餅(げっぺい)」にもお月様が描かれています。
横浜中華街では、中国の建国70周年を祝う盛大なパレードが行われ、新しい獅子に命を吹き込む神聖な儀式も執り行われました。
長崎・神戸・横浜。一味違う中華街巡りに出かけてみましょう。
長崎県長崎市。長崎は江戸時代から外国の玄関口として発展してきた港町です。長崎中華街が形作られたのも江戸時代で、日本との交易のために多くの中国人が長崎に渡り、東神屋敷を住まいとしたことが起源となっています。長崎の華僑の約8割が福建省出身で、福建省は昔から海外に出ていく風習があり、そのため、長崎でも商売を成功させた華僑が多く、彼らの願いが町づくりにも反映されています。
中華街の東西南北には「パイロー」と呼ばれる中国式の門があり、古代中国の五行説に基づいた霊獣が描かれています。北門には亀に蛇が巻きついた神・玄武が描かれ、北の方角を守ります。南門には火の守護神・朱雀(すざく)、東門には青龍、西門には白虎が描かれており、四つの守護神が町を災いから守っています。
門をくぐると、約30軒の店が並び、夜になると色鮮やかな電飾が龍や鳳凰などの吉祥模様で長崎の夜を美しく彩ります。一方、オランダなど西洋とも交易があった長崎では、南蛮文化も発展しました。長崎では、江戸時代から清国、民国、オランダとの貿易を通じて生まれた「南蛮文化」が今でも感じられ、独特の味を楽しむことができます。
その一つが「ハトシ」という料理です。名前の由来は、海老を表す広東語の「蝦多士(ハートシ)」と、英語の「トースト」を組み合わせたものです。材料は海老のすり身、豚の背脂、くわいを混ぜ、パンにたっぷり挟んで油で揚げます。カリッとしたトーストの食感と海老の香りが絶妙で、この料理は長崎市民の間でも人気のおやつであり、郷土料理として親しまれています。
今日、一つ目のツボは、花開いたマカラン文化
長崎には「マカラン文化」を象徴する料理があります。それが、1642年創業の老舗料亭で提供される「卓袱(しっぽく)料理」です。卓袱とは中国南方の方言が語源で、朱塗りの円卓を意味します。長崎で出会った異文化が、赤い円卓の上で賑やかに混ざり合う大皿料理です。
「長崎の日本の食材と外国の食材を合わせて、おもてなしとして良い食事を提供したいという純粋な気持ちがあったと思います。長崎の人々の思い、外国の方をもてなす心が強かったのでしょう。」
卓袱料理は今も形を変えずに提供されており、その食べ方にも作法があります。まずは「尾ひれ」という一品。鯛の身、はんぺん、お餅などが入ったお吸い物です。「昔はお客様一人に鯛を一匹つけた名残で、尾ひれの中に鯛の身を入れています。おかみの『おひれをどうぞ』から始まります。」
その後、テーブルいっぱいに料理が並びます。こちらは「バスティー」という料理。網目状の生地がその名前のヒントです。実は、バスティーの語源は「パスタ」。小麦粉の生地を伸ばして皿の縁に張り巡らせ、十分に焼いた後、卵の黄身を塗ってツヤを出し焼き上げます。中に入っているのは、和風だしのスープ、フカヒレや湯葉で巻いたすっぽん、ネギなどです。
「卓袱料理は長崎で生まれましたが、中国料理、オランダ料理、ポルトガル料理、そして和食が融合し、一つの形として完成したものです。長崎の人々の思いは、この伝統料理を残していきたいということだと思います。」
長崎のお祝いの席は、異国文化にあふれる料理で彩られています。
兵庫県神戸市の繁華街、元町には中華街があります。1868年、神戸港が開港し、中国人がこの場所で商いを始めたことがその始まりです。神戸の中華街は「南京町」という名前で親しまれています。
9月、町の人々にとってとても大切なお祭りが行われます。広場の中央に作られた祭壇では、町の繁栄と商売繁盛を祈願します。このお祭りは「中秋節」と呼ばれ、旧暦の8月15日に月を見ながらお祝いするものです。満月に見立てた黄色いランタンがたくさん吊るされます。ランタンには、逆さに書かれた「福」の文字があり、福が天から落ちてくるようにとの願いが込められています。
「お月さんと私たちの生活がつながっているのです。現世との距離が近いとされており、それを一つのきっかけに供養を行い、先人を偲びます。そして、現世に生きる私たちが一年間、災難のない無事な生活を送れるように感謝の気持ちを込めて祈ります。」
月に昇ったとされる先人を想い、現世の暮らしを守ってもらうよう祈る中秋節。今では、多くの華僑と日本人が共に月見の宴を楽しむようになりました。そうしたお祭りに欠かせないのが「月餅(げっぺい)」です。
今日二つ目のツボは月を目で吸収を祝う
中国では中秋節に「月餅(げっぺい)」を家族で食べたり、親しい人に贈る習慣があります。南京町の食材店でも、多くの月餅が作られています。月餅の表面には桜や金木犀、福禄寿など、縁起の良い模様や文字が刻まれています。こちらは中秋節限定の月餅で、中に月が浮かんでいるように見えます。
中秋節が近づくと、月餅作りが忙しくなります。月に見立てた部分は、塩漬けしたアヒルの卵で、それをハスの餡で包みます。さらに生地を伸ばして餡を包み、型に入れて形を整え、焼き上げます。表面に描かれる文字は、卵の黄身と蓮の餡を意味します。
このお店を経営するのは、ホウさん一家です。彼らは家族で月餅を食べ、中秋節をお祝いします。一つの月餅を四等分に切って、家族で分け合って食べるのが中国式の作法です。
「いただきます。美味しいですね。私たちのおばあちゃんの時代なんかは、木型を使って月餅の型をとり、焼いて作っていたみたいですね。昔は木を掘って、自分の家紋のような模様を入れた型を作っていたんですよ。」
かつては各家々で木型を作り、その家だけのオリジナルの月餅を作っていたそうです。大正時代に祖父が関東省から日本へ渡ってきたホウエツ章さんは、中秋節をとても大切にしています。
「海外に行っても、たとえ親兄弟が離ればなれになっても、月の下で同じ気持ちを共有しているという意味を込めて、月餅を食べる。そういう風習を次の世代にも伝えていってほしいと思いますね。」
中秋節を祝う神戸の華僑たちには、ふるさとと家族を思う気持ちが込められています。
神奈川県横浜市には、日本最大の中華街があります。1859年に横浜港が開港され、外国人居留地に中国人が暮らし始めたことがそのきっかけです。現在では学校や病院もある華僑の一大タウンに成長しています。
「一時期は関東出身の人が多かったんですが、今は四川や東北三省出身の人々など、様々な地域からの出店者が増え、また日本人の方々も多く、多様性に富んだ街になっています。」
横浜に来た中国人が心の拠り所にしている場所が二つあります。ひとつは「横浜媽祖廟(まそびょう)」で、赤がまぶしい中国様式の建物です。祀られているのは海上安全の守護神である媽祖(まそ)で、特に海外で暮らす華僑に信仰されています。もうひとつは「横浜関帝廟(かんていびょう)」です。中国の三国時代に活躍した武将、関羽(かんう)を祀っています。関羽は商売繁盛の神として信仰されています。
9月、新しい獅子を抱えた子どもたちが関帝廟にやってきました。「点睛(てんせい)式」と呼ばれる儀式で、獅子に命を吹き込む神聖な式典です。「まず、獅子の瞳に赤い点を入れると、命が宿り、獅子たちは踊り始めます。獅子は守護神であり、結婚式やお店の開店などで福をもたらすため、魂の入った獅子でしっかりと表現したいと大事にされています。」
この「点睛式」は、獅子を迎えるたびに行われ、50年の歴史を誇ります。命を得た獅子たちは神様の前で感謝の舞を披露します。世代を超えて受け継がれる伝統は、学校の体育館に並ぶ70頭の獅子にも現れています。今年は中国の建国70周年を祝うため、横浜中華学校の全校生徒600名が初めてパレードに参加します。子どもたちは獅子の目や口に赤い点を入れる作業を初めて体験し、魂が込められた獅子たちが動き出します。
放課後、中学校の獅子舞クラブの生徒たちは、パレードに向けて毎日練習を重ねます。獅子舞は二人一組で行い、頭と前足を一人、胴体と後ろ足をもう一人が担当します。二人の息が合って初めて獅子の豊かな感情を表現できるのです。獅子は中華街の店を回り、幸福をもたらす大切な役割を担います。
「パレードで活躍したい」という思いで、子どもたちは練習に気合を入れます。
「中華街でこんなに素晴らしいことをやっているというのを、ぜひ中国の皆さんや多くの人々に知ってもらいたいと思います。」
その後、華やかなパレードが始まりました。例年の3倍となる1500人が参加し、盛大に行われます。このパレードを通じて、人々は横浜中華街の発展を祈り、華僑としての絆を深めます。獅子舞クラブの生徒たちも、太鼓に合わせて激しく踊り、観客の頭を噛んで邪気を払います。店を回り舞を披露する「百福臨門(ひゃくふくりんもん)」と呼ばれる舞は、幸福をもたらすとされています。店頭に用意されたご祝儀袋を、お礼としてありがたく受け取ります。
「やっていて楽しかったです。お客さんの笑顔を見られて、とても良かったです。」
このようにして街に幸せを呼ぶ獅子舞は、国や時代を超えて受け継がれていきます。