美の壺 「仰ぎ見る幸せ 天井」

数寄屋建築の名工が手掛けた大徳寺・黄梅院の天井▽贅の極み!実業家・松下幸之助が伊勢神宮に奉納した茶室▽必見!普段は非公開・匠の技が光る網代天井▽絢爛豪華!120人の日本画家が描いた天井絵▽福島・村を守るオオカミの天井絵に込められた先人たちの願い▽巨大な傘があなたを包む!光と風をあやつる天井▽老舗ホテルの天井に刻まれた推古芸術の美▽声優・石川界人が天井の精に?    <File 570>

初回放送日: 2022年12月2日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「仰ぎ見る幸せ 天井」

仰ぎ見れば天井。
屋内の印象、暮らしの気分まで大きく左右する空間演出です。
整然としたデザインは部屋を格調高い雰囲気にします。
木の板を編んで作る天井は温かみがあり、穏やかで親密なひと時へと誘います。
絵を描き祈りを込めることもあれば、豪華な装飾で晴れの日を演出することも。
古来、人々は天井に様々な意味を込め暮らしを彩ってきました。
今日は天井の至高の世界を堪能しましょう。

数寄屋建築の巨匠・山本隆章

京都市北区の大徳寺境内にある塔頭寺院。この寺院は、千利休が手掛けた庭園が残ることで有名ですが、もう一つの魅力として、数寄屋建築の巨匠が技のすべてを注いだ茶室が存在します。この茶室は、伝統的な日本建築と美意識が融合した空間であり、その設計には数寄屋建築ならではの細かな工夫が凝らされています。

この茶室は、椅子に座ってお茶を楽しむ立礼席形式のもので、天井のデザインに変化が施されています。亭主が座る側の天井は低く抑えられ、客が座る側の天井は勾配がつけられており、空間を広く見せる工夫がなされています。さらに、天井に貼られた葦(あし)を縦に押さえている竹は、ほんのわずかに円弧を描くように上向きに配置されています。これは、直線のままだと目の錯覚で垂れて見えるのを防ぐためで、数ミリ単位の微妙な調整が行われています。こうした細やかな設計は、訪れる人々に無意識のうちに心地よさを感じさせる工夫です。

この茶室を設計したのは、数寄屋建築の巨匠、大工の棟梁・山本隆章(やまもとたかあき)さんです。彼は、京都迎賓館の桐の間を始めとする数々の名作を、昭和から平成にかけて残してきました。山本さんの技は、単なる設計図に基づく建築ではなく、素材の魅力を最大限に引き出すことに重点を置いていました。

山本さんの下で40年以上仕事をしてきた弟子の穂園光二さんは、その技の奥深さについてこう語ります。「ここに使ってある垂木(たるき)は芽付き竹といって、枝を綺麗にはらわず、あえて切り口を残して見せているんです」。つまり、竹の自然な形状をそのまま生かし、空間に味わいを与えているのです。数寄屋建築では、このように素材そのものの特性を見極め、それを活かして建築の一部として組み込む技術が求められます。

床の間の柱には一位(いちい)の木が使用されています。この木の表面には凹凸があり、色の濃淡も自然のままに残されています。こうした自然の表情をそのまま生かすことで、力強さとぬくもりが共存する空間が生まれます。数寄屋建築は、単に決められた寸法通りに建物を造るのではなく、素材との「出会い」を大切にし、その素材がどのように空間を生かすかを見極めていくものです。

この大徳寺の茶室は、数寄屋建築の魅力を凝縮した場所です。巨匠・山本隆章の手によって、素材の自然美と職人の技が一体となった空間は、訪れる人々に静寂と心地よさをもたらします。材料との対話を大切にする数寄屋建築の精神が、この茶室には深く息づいています。


素材の声を聞いて生まれた天井のしつらえ。
今日一つ目のツボは包まれて安らぐ

包まれて安らぐ

神宮茶室


松下幸之助が奉納した茶室と匠の技:伊勢神宮の秘められた空間

三重県伊勢神宮の広大な森には、樹齢数百年の巨木が並び、静寂で神聖な空気が漂っています。この神域に、実業家・松下幸之助が奉納した普段は非公開の茶室が佇んでいます。この茶室は、素材や技術に対するこだわりが詰め込まれており、特に天井に使われた最高級の材料と伝統工芸の技が光っています。

茶室に入ると、まず目を引くのが「竿縁天井」です。この天井は、横板を支える長い桟が廊下の先までまっすぐに伸びる造りで、一本の丸太から切り出された継ぎ目のないおよそ7メートルもの竿が使用されています。この竿は、極上の材料であり、その美しさは茶室の豪華さを一層引き立てます。使用されているのは「北山丸太」と呼ばれる杉で、京都北山の厳しい寒さの中で長い年月をかけて育てられ、材質が緻密で光沢があるのが特徴です。

この茶室を設計したのは、戦後の数寄屋建築を支えた名工・中村外二(そとじ)さんです。彼は、数寄屋建築の伝統を引き継ぎつつも、独自の工夫を凝らし、心地よい空間を創り出す技術に卓越していました。そのこだわりは、特にこの茶室の天井に顕著に表れています。

茶室の中で、特に目を引くのが「網代天井」です。網代天井とは、魚を捕る網のように板を編んで作られた天井のことを指し、使用されているのは黒部杉を斧で割った「へぎ板」です。この板は、手作りならではの網目模様を生み出し、空間に奥行きと温もりをもたらします。この天井の製作には高度な技術が求められ、へぎ板の厚さはわずか3ミリほどであるため、作業時の微妙な力加減が非常に重要です。天候によって板が膨張したり収縮したりするため、その日の状況に合わせた繊細な調整が必要です。

中村外二さんの孫であり、その技術を引き継いだ中村公治さんは、祖父がこの天井を通じて、心安らぐ空間を演出しようとしたと語ります。「元々は自然界の草木を編んで作る面や袋など、生活の中で使われる美しさを天井に取り入れようとしたのではないか」と彼は言います。このような自然素材の持つ温かみを活かすことによって、訪れる人々に親しみやすい空間を提供しています。

この非公開の茶室は、伊勢神宮という神聖な地にふさわしい、素材と技術の粋を集めた空間です。竿縁天井の北山丸太の美しさ、そして網代天井の繊細な職人技が、訪れる人々に静けさと安らぎを与え続けています。中村外二という名工の遺したこの茶室は、日本建築の伝統美を現代に伝える貴重な存在です。

祈り

仏教と美術が融合した東京増上寺の天井絵

東京増上寺は、多くの人々に親しまれている寺院ですが、そこには特別な天井があります。この天井は、仏教と日本美術が見事に融合した作品であり、僧侶たちの修行を支える役割も果たしています。

天井はもともと、仏像の上部を守るための布や板などから発展したものです。それが現在の形になる過程で、天井は「天」を象徴するものとなり、広い空や自然の力を表現するようになりました。特に、天井に描かれる絵には、火災や災害を避けるという人々の願いが込められています。東京増上寺の天井も、その伝統を受け継ぎつつ、さらに美しく彩られたものとなっています。

増上寺の天井は、格子状に組まれた「格天井」と呼ばれる構造が特徴です。ここに描かれている絵は、日本画壇の重鎮から若手の画家まで、総勢120人もの手によって奉納されました。それぞれの絵には、四季折々の草花や風景が繊細に描かれており、文化勲章を受賞した小倉遊亀による「椿」や、初夏に咲く「カキツバタ」など、自然の美しさが存分に表現されています。

この天井絵は、ただ美しいだけでなく、僧侶たちの修行を助けるものでもあります。「九工商店」と名付けられたこの広間は、心を笑顔にし、未来を切り開く力を育む場所とされています。僧侶たちは、天井絵を見上げることで、極楽浄土の安らぎを感じ、その気持ちを後押ししてもらうのです。

この天井絵の中で、特に注目すべきは中島千波氏が描いた「満開の桜」です。夜空に照らされた満月と桜の美しさが、まるで極楽浄土の一部であるかのように表現されています。中島氏はこの作品について、「格天井全体が極楽浄土のような絢爛豪華な場所であり、人々の思いが一つのモザイクのように結ばれている」と語っています。

東京増上寺の天井絵は、単なる装飾ではなく、僧侶や訪れる人々に深い感銘を与える作品です。仏教の教えと日本美術が融合したこの場所で、誰もが心の安らぎと希望を感じることができるでしょう。


今日二つ目の壺は「込めた願いに導かれて」

福島県飯舘村の山ノ神社と蘇った狼の天井絵

福島県飯舘村には、山ノ神を祀る神社「山祇神社」があります。この神社の天井には、山ノ神の使いとされる狼の絵が描かれています。しかし、2013年の火災で神社は焼失し、天井絵も失われました。しかし、その後の復元作業によって、狼たちは再び村を見守る存在として蘇りました。

もともとの天井絵は、約100年前に地元の医師・伏見藤四郎によって描かれたもので、長い間村人たちに崇拝されてきました。狼は、災いから人々を守る神の使いとして信じられ、村の生活に深く根付いた存在です。しかし、2013年に神社が火災に見舞われ、天井絵もすべて焼失してしまいます。この火災は、村人たちが東日本大震災による原発事故で避難している最中に起こりました。

不幸な出来事が重なりましたが、火災の直前に、日本狼の研究者が偶然にも天井絵のすべてを写真に記録していたことがわかりました。この貴重な記録を元に、2016年、東京芸術大学の新井啓輔を中心としたチームが、天井絵の復元に着手しました。

新井氏は、復元に際し村人たちの想いや、土地の歴史、狼との深い関わりを大切にしながら、学生たちとともに慎重に作業を進めました。およそ237枚の板に絵を写し取る作業は半年にも及び、狼の姿が一枚一枚丁寧に描かれていきました。

復元された狼たちは、従来の強くて恐れられるイメージとは異なり、驚くほど優しい姿で描かれていました。狼が子育てをしたり、花が咲いた野原で昼寝をしている姿など、穏やかな自然の中での生活が表現されています。新井氏は、この描写について、「村人たちが豊かな自然の中で幸せに日常を送ることを願い、狼を擬人化して描いたのではないか」と語っています。

2016年10月、復元された狼の天井絵は、再建された山祇神社に収められました。この出来事は、避難生活を送っていた村人たちに勇気を与え、故郷への希望を取り戻すきっかけとなりました。

山祇神社の狼たちは、これからも村の人々を静かに見守り続け、村の平穏と幸せを象徴する存在であり続けるでしょう。

横浜港を見守る歴史的ホテルとその美しき天井

横浜港を一望する場所に、長い歴史を持つホテルが佇んでいます。1927年に建てられたこのホテルは、世界各国から訪れる外国人を迎えるために設立され、時代を超えて多くの人々に愛され続けています。その洗練された洋風のインテリアには、さりげなく和の要素が織り交ぜられており、伝統とモダンが見事に融合しています。

ホテルの象徴とも言えるのが、豪華な宴会場です。そこに足を踏み入れると、まるで虹のような美しい曲線が目に飛び込んできます。この優美なフォルムの天井は、漆喰で表現された花や雲が舞い、空を彷彿とさせるデザインが広がります。この設計を手がけたのは、渡辺仁(わたなべじん)という建築家です。彼は、東京国立博物館の本館など、日本を代表する名作建築を数多く残したことで知られています。

渡辺仁が得意としたのは、西洋建築に日本の伝統美を巧みに融合させる手法でした。このホテルでも、アーチ型の天井には日本の美が取り入れられ、舞台の両脇には和の伝統が漂うデザインが施されています。まさに、洋風でありながらどこか懐かしさを感じさせる空間が、訪れる人々の心を惹きつけています。

このホテルが建てられた背景には、1923年に発生した関東大震災からの復興という願いが込められています。戦後の混乱期にも、戦火を免れたこのホテルは、人々が再び立ち上がり、新たな希望を見出す場として大切にされてきました。

宴会場の管理を約50年担当してきた佐藤正夫さんは、このホテルで多くの記念すべき瞬間に立ち会ってきました。彼が特に印象深いと語るのは、結婚式の思い出です。「開業当日に結婚式を挙げたお客様もいらっしゃいましたし、親子三代にわたって披露宴を行ったご家族もいました。さらには、ホテルの開業60周年を迎えた際に、その時の結婚式を祝うために戻ってこられたお客様もいらっしゃいました」と佐藤さんは語ります。

このように、世代を超えて愛され続けてきたこのホテルは、単なる宿泊施設ではなく、人々の人生の大切な瞬間を見守り続けてきた場所です。

この歴史あるホテルは、単なる建築物としてだけではなく、時代と共に歩んできた証として横浜の象徴の一つです。洋風建築に和の美を取り入れたそのデザインは、訪れる人々に感動と安らぎを与え、これからも多くの人々に愛され続けるでしょう。

今日最後の壺は「ともに時を重ねる」

自然と調和する岐阜市の文化施設:伊東豊雄による快適な空間デザイン

岐阜市には、市民が快適に過ごせるよう設計された文化施設があります。この建物は、波打つような独特の屋根が特徴で、周囲の山々の稜線と美しく調和するデザインとなっています。世界的に有名な建築家、伊東豊雄さんが手がけたこの施設は、訪れる人々に開放感と快適さを提供する、ユニークな空間が広がっています。

この施設の最大の特徴の一つが、2階に上がると見られる、木製でうねるような天井です。天井からは「グローブ」と呼ばれる球状の構造物が吊り下げられ、まるで木々の間に漂うような感覚を生み出しています。これらのグローブは、人々がリラックスしたり、読書をしたり、思い思いの時間を過ごすための空間として機能しています。

伊東豊雄さんは、多くの公共施設で壁のない自由な空間を作ることに取り組んできました。この施設でも、その思想が反映され、90メートル×80メートルという広大な空間が広がっています。伊東さんは「できるだけ外に近い雰囲気を持たせる」というコンセプトを追求し、自然光を取り入れるデザインを工夫しています。天井から吊り下げられたグローブ内にも、心地よい自然光が降り注ぎ、読書やリラックスに最適な環境が整えられています。

この施設のもう一つの魅力は、地元産のヒノキを使用した天井の構造です。ヒノキのしなやかさを活かし、幅12センチ、厚さ2センチの板を三角形に組み合わせ、強度とデザイン性を両立させています。グローブの素材も、光と風を通す工夫がなされており、包み込まれるような安心感と開放感を同時に感じられる空間が広がります。

この天井のデザインには、空気の流れを調整する役割もあります。冬場には、暖かい空気が建物内でゆっくり循環するように設計されており、自然な空気の流れを活かした快適さが実現されています。また、夏には温まった空気を排出する開閉装置が設置されており、常に外の環境に近い心地よさが維持されています。

この施設は、単なる図書館や文化施設としてだけでなく、地域のコミュニティにとっても大切な場所となっています。ある父親は、小さな子供を連れてほぼ毎日この施設を訪れ、散歩感覚で過ごすことを日常的な楽しみとしているといいます。人々が本を読まなくても、ここに集まり、出会い、コミュニティの一部としてつながることができる空間となっているのです。

伊東豊雄さんの手によって設計されたこの文化施設は、岐阜市の市民に快適な時間を提供し続けています。自然と調和したデザインや、開放的で自由な空間が、訪れる人々に心地よさと癒しをもたらし、日常の中で新たな楽しみを生み出しています。