必見!特別撮影が許された桂離宮に浮かぶ名月▽日本庭園の傑作に秘められた月を見るための仕掛けとは?▽国宝!聖徳太子のために作られた日本最古の刺しゅうに「月とうさぎ」▽国宝・源氏物語絵巻には恋を呼ぶ月が!▽スティーブ・ジョブズが愛した版画家・川瀬巴水が描く「月」▽月のパワーを身にまとう!伊達政宗の甲冑(かっちゅう)▽圧巻の美しさ!国宝・三日月宗近▽刃文に浮かぶ“三日月”の秘密とは!<File574>
初回放送日:2023年2月10日
美の壺 「輝きに心映して 月」
夜空をそっと優しく照らす月は、満ちては欠け、移り変わる姿に人々は心を移し、季節の移ろいと共にその姿をめでる鑑賞の対象でもありました。
月を眺めるために作られた京都の桂離宮には、後続の遊び心が詰まっています。とことん月を堪能するための仕掛けが施されています。
今回特別に撮影を許された夜の桂離宮では、月と語らう雅なひとときを楽しむことができます。
聖徳太子のために作られた刺繍には、日本最古の月と兎が描かれ、源氏物語には「声を呼ぶ月」が登場します。また、伊達政宗の褐虫に見る月もあります。現代の刀鍛冶が挑む三日月模様の謎も、国宝「三日月宗近」に見られる美しき三日月の秘密も興味深いです。
月に何を思うか、古より人々を魅了する月の世界へご案内します。
桂離宮
京都の桂離宮は、日本が生んだ美の極みとして世界から讃えられている離宮です。
十七世紀初め、 八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)によって建てられました。その目的は、月を見ながら和歌を詠むことでした。月見は貴族の極上の楽しみであり、そのため、桂離宮は月にこだわり抜いて作られています。
例えば、庭園内の襖の取手は「月」の文字の形。欄間は「月」の字を崩したデザインになっています。また、灯籠にも月がかたどられています。
月をめでるための建物もあり、茶屋 月波楼(ちゃや げっぱろう)がそれに該当します。月波とは白居易(はくきょい)の漢詩「月点波心一顆珠」から、歌にあるように水面に映る月を楽しむための趣向が凝らされています。
ここでは、月の出と池に映る月、両方を楽しみ、その思いを歌にしました。極めつきはこちらの建物、古書院です。月を見るための台が大きく庭にせり出しており、これを「月見台」と呼びます。
刻々と天高く登って行く月、その変化を堪能できるまさに特等席です。さらに通好みの仕掛けもあるそうです。
庭園管理をしてきた川瀬昇作さんです。
「庭園の設計で気づいたことがありました。松琴亭(しょうきんてい)に向かう道ですが、飛び石の中で一つだけ三角形に配置された石があります。整列された石の中で、一つだけ三角に置かれた飛び石が揺らぎを感じさせます。」
気づくと、「こんな意図がここにあるのか?」と心に緊張感を与え、力を与え、目覚めさせます。立ち止まってその景色の美しさに惚れ直し、心に安らぎを与える仕掛けです。
本来、歩きやすく配置する飛び石に、あえて視覚的な違和感をゆらぎとして与えることで、眠っていた感性が呼び起こされます。こうした細やかな工夫が桂離宮にはたくさん施されています。
また、橋の左側がわざと傾けられ、遠近感を狂わせています。これも感覚に訴えるゆらぎの一つであり、整えすぎない庭の美学を表しています。これにより、今までの経験にないようなすごい世界が広がります。人間と庭が一体感を持てる仕組み、まさに究極の美しさです。
無数の仕掛けによって感覚を研ぎ澄まし、その心で月と向き合う。月を見るための神秘が、桂離宮には込められています。
今日最初の壺は「月と向かいて心を澄ます」
桂の地に月が昇りました。今宵は十月八日、十三夜の月です。
十三夜の月は、「収穫の名月」として知られる十五夜の月に次いで美しいとされ、日本ならではの風習である少し欠けた月を楽しむ日です。
桂離宮から見える月は、庭と月が見事に調和しています。詩人が歌ったように、水面に映る月は真珠のようで、なんとも雅です。
桂離宮を作った八条宮智仁親王が詠んだ歌があります:
月をこそ 親しみあかぬ 思うこと
言はむばかりの 友と向ひて
月というのは、親しく飽きることがなく、何でも思ったことが言えるものとして、もっと向かい合っています。
月と過ごす極上の夜。道に敷き並べられた小石は、銀河にまたたく星のように輝きます。桂離宮での特別な夜が過ぎていきます。
月光
日本人が月をめでる歴史について、渋谷区立松濤美術館 学芸員で月の美術史が専門の平塚泰三さん。
「明治時代になって対応暦が日本で採用されるまでは、太陰暦といって月の満ち欠けをもとに作られた暦が生活の基礎になっていたため、月の動きや満ち欠けは日本人にとって生活のサイクルそのものだったと言えます。」と言います。
「エンターテインメントが少ない時代において、変わらないものは見ていてもあまり面白くありませんが、月のように変わるものは興味を引き、干渉の対象になり得たと思います。」
国宝「天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)」は、七世紀に聖徳太子の妃によって作られた刺繍です。
聖徳太子の冥福への祈りが込められています。この刺繍には月にウサギが餅をついているように見えますが、実際には不老不死の薬を作っているのです。月にウサギの衣装は、日本最古のもので、平安時代に大陸から伝わった文化です。
平安時代になると、月は物語の中で効果的に登場するようになりました。
竹取物語などでは、月から降りてきた姫が登場し、お茶物語の代表的なものとしては『源氏物語』があります。夜の場面が多く、プライベートな時間や恋愛を中心にした話が進むため、夜や月明かりの場面がよく描かれます。
国宝「源氏物語絵巻」では、光源氏の息子薫が姉妹の姫君を覗き見るシーンがあります。
月が雲に隠れる夜、一瞬だけ開けた雲間から差し込む月の光に見えた姫君の姿に恋に落ちる薫。しかし、再び雲が立ち込めていき、月が見えなくなることで、儚い月明かりが心の揺らぎを表現しています。
満ち欠けする月は、自分の思いが人の心から離れていく様や、その状況が人々の心情に影響を与えることがあり、月と人との心情的なつながりを表すものとなります。移ろう心を月に重ねて。
今日、二つ目のツボは、月の明かりに心を移す
大正から昭和にかけて活躍した川瀬巴水の版画です。
巴水は月を好んで描きました。深い青のグラデーション、儚げに浮かぶ月と桜がしみじみとした美しさを醸し出し、多くの人々の心をつかみました。
巴水の版画に惚れ込んだ作家の林望さんです。
林さんが評価するこの版画の特徴は、「非常に静かで音がない」という点です。月の周りに滲ませた「おぼろ月」の表現が全体を統一し、ひとけのない春の夜の寂しさを描き出しています。
夜の帳が降りた田園に浮かぶ満月。巴水の月の作品には、逆光で描かれるという特徴があります。
月が描かれていても、実際には陰影の方が描かれており、陰影を際立たせるために月を描いているという感じです。日本語では「影」は光を意味し、光と影が分かちがたい関係であることが、日本ならではの美学です。光があるからこそ影ができるという考え方がそこにあります。
特に林さんのお気に入りの作品は「笠岡の月」です。
題名には「月」とありますが、実際には月が描かれていません。あえて月をほのめかすことで、空がぼんやりと白くなり、月がこれから出てくるということを示唆しています。この作品では「月白」と呼ばれる空の色合いが描かれ、空気は逆光で真っ暗です。このような暗さを描いた作品は他に例がないでしょう。
夕闇が訪れ、暗くなった建物と道の中に一人の男が描かれています。巴水自身が老いを迎える時期に、希望と生への憧れを感じながら描いたとされています。人生の終盤を迎えた破水が描かれているものの、未来への期待感が感じられます。今は真っ暗でも、これから月が出てくるという期待が描かれており、未来が感じられる作品です。
光とともに影をも讃えようとする伝統が、そこには息づいています。
三日月
満ちては欠け、また満ちる月には神秘性が感じられ、戦国武将たちに愛用されていました。伊達政宗が戦場で身につけていたと伝わるのが甲冑です。
竹に雀が描かれた「伊達の門」や、同じく竹に雀が衣装された小刀が備えられています。そして何より、金に輝く大きな三日月が掲げられています。これは非常に斬新なデザインであり、あの時代に飾りの前立てが三日月をデザイン化した例は珍しいです。俗に「大弦月(だいげんげつ)」と呼ばれ、これは政宗が考案した非常に特徴的なデザインです。
左に大きく跳ね上がる躍動感あふれる三日月は、風流でありながら斬新でしゃれたデザインです。この左右非対称のデザインには、武将ならではの理由がありました。右手の方を短くしてあるため、肩の振りや立ちを振り上げても邪魔にならないように考慮され、さらにデザイン的に構成されています。
この三日月の前立ては、付け替えが可能という珍しい仕様です。実戦の時には八日月の方を使うのではないかと考えられます。この大玄月の場合は、出陣する時や対戦の時に使用された可能性が高いです。
なぜ月を身につけるのでしょうか。兜のメインの前立てに月を据えることは、戦いと同じように勝つとは限らないことを示しています。欠ける時もありますが、また丸く復活するという意味が込められており、危険な状況になっても再び戻るという象徴的な意味があると考えられます。
さらに注目すべきは井伊直政(いい なおまさ)が身に付けたと伝わる甲冑です。兜には、 天衝(てんつき)と呼ばれる大きな角がデザインされています。天衝とは突く勢いを表していますが、元々は「天月」という名前で、天の次の月を意味していました。全体で月を表現しており、赤い鎧と合わせて印象的です。
戦国武将たちの月と遊ぶ姿が、歴史の中に刻まれています。
今日最後の壺は「月とともに生きる喜び」
国宝「三日月宗近」は平安時代に作られた太刀で、その姿や形の優美さから、日本で最も美しい刀と評されることもあります。その特徴は波紋にあります。三日月模様は、雲間に浮かぶ三日月のように、有限で美しい模様を見ることができます。
実はこの三日月模様、描かれたものではなく、歯が研ぎ減った結果生じた模様です。しかし、どうやったら三日月模様が浮かび上がるのか、詳しくは分かっていませんでした。
この三日月の謎に挑戦したのが、刀鍛冶の石田國壽さんです。
「三日月宗近の特徴といえば、三日月型の波紋が連続している点です。そのため、作為的に無作為を作り出しているというイメージがあります。最初は三日月模様が連続してくっついている 二重刃(にじゅうば)であったと想像されています。二重刃とは、二重に構成された波紋の一種で、研いでいった時に残った模様が三日月に見えるというのです。」
2016年、石田さんの挑戦が始まりました。 二重刃ができても、研いでみると波紋が消えてしまったり、くっついてしまったりして、美しい三日月が現れません。試行錯誤を繰り返すこと三年、作った刀八振りの中で、ようやく三日月を再現するプロセスが見えてきました。
石田さんが作った「三日月宗近」は、三日月が浮かび上がる前の当初の姿がよみがえりました。
堂々たる風格と豪華な波紋、それでいて繊細な優美さも漂っています。この二重刃を研ぐことで、三日月がいずれ顔を出すのです。国宝「三日月宗近」は、時間をかけて研ぎ澄まされた三日月模様が、刀の中に見出された雅な三日月として、多くの人を魅了し続けています。
「三日月をその刀の中に景色として見出して、それをたくさんの人と共有する、その美しさを共有できるというところが、未来につながっていくんじゃないかなと思うので、そのことはとても尊いことだと思います」と石田さんは語ります。
暮らしの中で人々に深く愛されてきた月。その姿をそこかしこに見つける喜びが、時代を超えて多くの人の心を結んでいきます。
月のうさぎ 役は元宝塚歌劇団で俳優・歌手・声優の 七海ひろき(ななみ ひろき)