特別天然記念物に指定されて70年の「タンチョウ」。タンチョウ専門のカメラマンと追う、鶴ならではの極上の姿!▽俵屋宗達はじめ多くの芸術家を魅了してきた鶴の姿。鶴の文様に秘められた吉祥の意味とは?▽「天と地をつなぐ存在」といわれる鶴。着物デザインのセオリーとは?▽今年20年ぶりに式年造替が行われる奈良・春日大社の若宮。国宝「金鶴」の復元プロジェクトに、彫金の人間国宝が挑む!<File553>
初回放送日: 2022年10月30日、2022年4月8日
美の壺 「めでたきかな 鶴 」
日本で繁殖をする唯一の野生鶴。
タンチョウ。
特別天然記念物に指定されて今年で七十年になります。
体長およそ1.4メートル。
頭のてっぺんが赤いことからタンチョウと名がつきました
吉祥の象徴としても親しまれてきた鶴。
縁起の良いモチーフとして様々な形や表現が生まれ今に受け継がれています。
奈良、春日大社には平安時代に純金で作られた神宝・金鶴が受け継がれてきました。
その貴重な金鶴の復元プロジェクトを追いました。
なぜ私たちは鶴に引かれるのか今回は鶴の奥深い魅力に迫ります。
舞う
北海道阿寒郡鶴居村。
タンチョウの生息地として知られています。
鶴居村で生まれ育ち、50年間タンチョウを専門に撮り続けているカメラマンの和田正宏さんです。
「ここが私が今まで撮った作品を展示しているギャラリーです。私の場合は静態的な作品よりも情景的な風景の中のタンチョウ。物語が浮かんでくるようなそんなような風景の撮り方してます。これなんて面白くて、これつがいのタンチョウの求愛の鳴きあいなんですね。
タンチョウはどっちがオスでどっちがメスかっていうのはなかなか外見上で判断できないです。鶴の一声って昔からいいですよ。鶴の一声っていうのはオスなんです。オスが鳴くんです。オスが一声怖っと大きく鳴くでメスが二声鳴く」
一年を通してその多くが釧路湿原やその近辺に生息繁殖をするタンチョウ。
時には人里近くに姿を現します。
「美しいです。もう鳥ではもうダントツですね。ビジュアル的な綺麗さもありますけども、内面的な綺麗さもあります」
今日最初のツボは北の大地に羽ばたく。
朝五時過ぎ。
和田さんの活動が始まります。
向かったのは川に架かる橋です。
「そんな感じで手前にはつがいで二羽いてその奥に複数」
タンチョウのねぐらです。
真冬でも凍らない水の流れがある場所で過ごすといいます。
「何回かまた戻ってきて水を飲んだり、川の縁の方の越冬してる蛙だとか水生昆虫とかそういうのを食べる」
この日の気温はマイナス十六度。
樹木に氷が付く霧氷が見られます。
朝日に照らされながら、川辺で北海道の厳しい寒さをしのぎます。
午前八時過ぎ、11月から3月にかけてタンチョウが集まる場所があります。
多い時には二百羽ほどのタンチョウがやってくるといいます。
目的は食べ物。
日本野鳥の会が中心となり、保護活動の一環として毎日二回餌を与えています。
「現在は11月の中旬から三月の下旬で冬をいかに生き延びさせるかが大きな課題だったので
トウモロコシの餌をあげるという行為してたんですね」
江戸時代には甲州にも飛来していたと言われるタンチョウ。
乱獲や開発により一時は絶滅したと思われていました。
しかし大正14年に釧路湿原で十数羽発見され、その後保護活動が始まります。
その一人が鶴居村の酪農家・伊藤良考さんです。
昭和41年から40年間にわたり給餌活動を行いました。
今では全国からタンチョウ目当てに多くの観光客が訪れます。
二月から三月の交尾期にかけ頻繁に見られる行動があります。
いわゆる求愛ダンスです。
こちらはつがい。
タンチョウの場合、すでにつがいになるって言っても行うのだとか。
全身を使い体を優美にくねらせます。
その姿はまさにダンスをしているかのよう。
一方こちらはどうやら三角関係のようです。
北海道鶴居村の冬の風物詩です。
夕方、和田さんはさらに別の場所に向かいました。
「ここは夕日をバックにねぐらいに帰る途中のタンチョウが飛んでいく姿を撮れる場所です」
5時過ぎ。タンチョウが次々とねぐらへと戻っていきます。
北海道の大自然に暮らすタンチョウ。
寒さを生き抜く逞しさと優美さを併せ持つ魅力がありました。
吉祥
中国の明の時代に描かれた鳴鶴図。
中国では鶴は千年生きると言われることから吉祥の象徴となりました。
奈良時代にその文化が日本に伝わり、絵画などの題材としても多く用いられました。
江戸時代初期に活躍した絵師・俵屋宗達による鶴下絵三十六歌仙和歌絵巻。
137羽の鶴が飛び立ったり、舞い降りたりする姿が金と銀で描かれています。
日本の伝統文様を研究している成願義夫さん。
一口に鶴の文様というでも様々な形があると言います。
『しきたり』や『型』 成願義夫さんのお話し | 和のすてき 和の心を感じるメディア
「鶴っていうのは夫婦の仲が非常に良いっていう代表的な生き物ですので、一対で描くことが多いです。
もう一つ形としても「あうん」で描くという。描くときは向かって右があであり左がうん。
まさに夫婦のにふさわしい意味がそこにあるもんですから今も伝わっているということですね」
鶴の文様は他にも多くのバリエーションがあります。
円で書くことで夫婦円満を表わす「向かい丸鶴」
平安時代宮中の衣装の文様として使われた「雲鶴」
中国で雲の中を飛ぶ鶴が、抜きん出た人格を表すとされたことから生まれた文様です。
こちらは鶴と亀甲。
萬年生きると言われる亀と合わせることで長寿を願います。
「鶴に対する日本人の思いは変わらないだろうなって私は思ってます」
今日二つ目のツボは吉祥を運ぶ。
伝統文様の研究家、成願義夫さんは紋様作家としても活躍しています。
天と地をつなぐ存在とも言われる鶴は着物の柄としても様々な形で取り入れられてきました。
「上半身の柄は中に向かうイメージですね。裾の柄は東西南北で言うとこちらが東こちらが西
っていう発想で描くのです。鶴は必ず日が昇る東の方に飛ぶ。しかも少し上向きにっていうのが
一応セオリーになってます。鶴の表現も鶴の柔らかいその羽の感じであるとか特徴だけは残しつつ
いかに図柄として成立させ、私の鶴というようなイメージになるんですけど、
ありとあらゆる表現が可能なので私は大好きなモチーフですね」
日本に伝わり千年以上。
鶴は特別な存在として様々な形で受け継がれています。
金鶴 銀鶴
奈良、春日大社。
ここに平安時代に作られた貴重な鶴があります。
純銀で作られた銀鶴。
そして金の枝に止まった金鶴。
全て国宝です。
純銀の鶴は二種類。
こちらはかつて百円切手の絵柄にも採用された高さ十三センチの金鶴です。
そして全て純金でできた金鶴。
高さ47センチ。幅3.7センチと小さいながらも非常に精巧にできています。
立体物の鶴としては日本最古のものです。
平安時代春日大社の摂社・若宮が創建されたのを機に奉納されました。
「国が疫病が流行り、そして飢饉が起こり大変な中で、神様のお力で救っていただきたいということで
五点ができます。その時に一番若宮様がお喜びになると大変小さなかわいらしいですよ。
その鶴を収められました」
昭和5年。
若宮から滴下され国宝になりました。
毛彫りで丁寧に表現された羽や目。
その完成度の高さから最高の鶴の神宝と言われています。
金鶴の枝は純銀製。
しかし本来鶴は木に止まりません。
なぜ木にとまる姿に作られたのでしょうか。
「中国の吉祥の中で特別な鶴。すごく長い木の鶴というのが松の上に泊まったり巣を作ったりっていう伝承があってそれが王朝文化の中にも取り入れられていて
この末に鶴が止まるっていう造形ができてきた」
今日最後の壺は小さき鶴に願いを込めて
今年十月。
春日大社の摂社・若宮は二十年に一度の式年造替が行われます。
造替に合わせて鶴を復元して十年ぶりに若宮に戻すことが決まりました。
造替の一年三ヶ月前。
金鶴の復元が始まりました。
製作するのは彫金の人間国宝・桂盛仁さんです。
素材は純金。
実際の寸法や写真をもとに鋳物で型を作ります。
その後、羽の厚みや柄の幅など全て本物に合わせて作っていきます。
「美しいですね。本当に鶴つてこうするという感じになって売ってるんですよ
あのーこんなちっちゃいんですよ。こんなちっちゃいんだけれど
この中に本当の鶴がいる用に作られてるで、それを今度は復元ですから模写するわけですよね。
そうすると部分的にえ何どうやったのこれっていうようなところが出てくる
それを復元しなきゃいけないんでちょっと苦労してます」
何十種類もの道具を細かく使い分けながら復元作業を進めます。
「今はすごく便利な道具を使ってやってます。あの時代は多分何にもない時代。それでやってたっていうことは
どどうやったんだろうなってくらい考えましたね」
今回復元のために春日大社と奈良国立博物館が共同で調査を行ったところ様々な発見がありました
金鶴のCT撮影では鶴の胴体に空洞があることが分かったのです。
桂さんはその空洞も正確に再現しました。
空洞部分は蓋をする構造になっているため足をつけやすくなっていると桂さんは言います。
松の枝も純銀で正確に作っていきます。
今年二月。
桂さんは春日大社を訪れました。
国宝金鶴です。
写真や数値だけでは分からない細かい部分を様々な角度から照合です。
わずかな違いをその場で修正していきます。
今回復元のための調査でさらに判明したことがありました。
州浜です。
州浜とは浜辺などの形状をかたどったもの。
「鶴と枝とこちらの州浜がですね、まずその関係さえ分かんなかったんですよ。スキャンを取って調べたところちょうどこのこの場所なんですけども
銀が出てきたんですよ。銀の棒。でこちらの先折れてるっていうことに気が付きましてねつまりこれがここに刺さっていたんだっていうことが分かった訳ですよ
斜めに立てられていたと思われた松の枝。
州浜の画像からまっすぐだったということがわかりました。
今回その州浜も復元されました。
本物と同じく木で作り科学分析から判明した色も再現。
製作開始からおよそ八か月。
つがいの金鶴が完成しました。
まっすぐ立ち上がった純銀製の松の枝。
そこにすっと立ち上がる新しい金鶴。
今年十月新たな輝きとともに令和のご神宝として春日大社の摂社若宮に納められます。