美の壺 「人と共に在る 馬」

初回放送日:

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「人と共に在る 馬」

馬、馬はるか三千年以上前から人間の傍らに存在する相棒です、人を乗せて長い距離を移動し、戦の場では共に戦う。人々の暮らしに応じて馬は活躍してきました。スラリと伸びた長い足に引き締まった体。ウェーブのかかった艶やかな長い縦髪は、まさに王者の風格。その美しさゆえ芸術の対象にもなり、数々の傑作が生まれました。あの人気漫画にも馬人馬一体になってると、この部屋を飛び出るように描きたいなっていうの主人公が引き立つんですよね。馬が一緒に一緒にいる絵を描いてあげると、走る芸術と称えられる馬、その魅力に迫ります。

2022年春の天皇賞。圧巻の走りで人々を熱狂させた一頭の馬がいます。タイトルホルダー。圧巻の7馬身差逃げ切りでGI・2勝目の成績を持つタイトルホルダー。馬の中で最も速く走る芸術品と称されるサラブレッドです。最高峰の舞台で活躍する馬ともなれば、その 体の美しさは桁違い。切りそろえられたたてがみ、引き締まった体、そして膨らんだ足の付け根の筋肉ともと呼ばれ、地面を蹴って推進力を生み出すスピードの要です。サラブレッドは三百年前、早く走ることを目的に人の手で生み出されました。
「これはタイトルホルダーの血統書父親、母親から祖父、祖母とさかのぼり、およそ三百年前に誕生した初代のサラブレッドまで、すべて祖先をたどることができます」
この徹底した血統の管理はイギリスで始まりました。エリザベス女王が馬好きで知られたように、イギリスでは紳士宿所の嗜みとして古くから馬が愛されてきました。より早く走る馬を王に献上しようと、東洋酒とイギリスの在来種をかけ合わせて生まれたのがサラブレッド。その語源はソロを徹底的に増え、品種改良されたもの早く走る優れた遺伝子のみが残され、交配を繰り返してサラブレッドは進化してきたのです。三百年にわたるすべての血統は、ジェネラルスタッドブックに記録されていますタイトルホルダーもそこに名を連ねています。

今日一つ目のツボは、人が作り出す芸術品

サラブレッド日本一のサラブレッドの産地、北海道日高地方。タイトルホルダーを排出した牧場では、次に続く競争場の育成が始まっています。
「おはよう」
数々の名馬を生産育成し、タイトルホルダーも手がけた岡田真希男さん。
「合わせ合わせる、合わせて、合わせて。あの細い足で何ともの体重を支えながら走ってるわけで、無事に走り終えた時に本当にこの動きがすごいなって、これ、芸術品だなっていう」
優れた血統で生まれた馬をより強くするために、岡田さんは育成に力を入れています。一歳を過ぎると、馬具や蔵をつけ、人を乗せて走る練習が始まります。一キロにわたる坂道の走り込み適度な負荷をかけていき、丈夫な心肺機能と蹴り出す足の筋肉を鍛えます。そしてもう一つのこだわりが昼夜放牧。練習以外は常に広大な敷地に放し飼い。普通は厩舎で休ませる夜間もあえて厳しい自然環境で緊張感を与えます。そうすることで馬の本能を目覚めさせ、強さにつなげていくのです。
「馬がどうすれば骨が丈夫になって、筋肉の質が成長とともに強くなれるかという、そういうことをいろいろ突き止めていくと、できるだけ自然な姿でそれで人間が関わっていくという、とりあえず周りを気にし、絶えず自分の立ち位置、相手との距離、そういうものを押し測って感じている間の方がやっぱり能力高いですよねやっぱり」
一頭一頭に担当者がつき、毎日大切に育てられるサラブレッド。まさに人馬一体となって、晴れの舞台を目指します。
「このサラブレッドのスピードには夢とか希望とかドラマとか持ってるんで、そこに倒されるっていうのがこの城とかもいいところだと思います乗ってる時はいつも頑張って走ってくれって話したりしてますね。多くの人の想いや努力がつながり、サラブレッドの究極の走りが生まれます。

時代劇の魅力といえば、迫力の合戦シーン。武将たちを乗せ、戦場を縦横無尽に駆け回る馬が欠かせませんこれらの馬はヤクウマと呼ばれる撮影のプロです山梨県小渕沢町こちらが傾斜になっています役馬に用いられるのはアメリカ原産の馬高い身体能力に加え、人の指示をよ く聞き冷静に仕事をこなす知能の高さが特徴です映画やドラマで活躍する役馬を三十五年にわたり育ててきた田中光則さんこの日、撮影の仕事から帰ってきた馬がいました田中さんが熱い信頼を寄せる役馬のバンカーですもう今年二十歳ですねもう七十ぐらいになるんで、大ベテランというか、大御所ですね今回はエレベーターも初のエレベーターに乗ったんですね大河ドラマにも毎年出演し、小栗旬さんとも共演しました役馬の身のこなしをご覧くださいで、しっかり伝わってみてくださいダイナミックな動きでドラマを盛り上げる迷惑役です少なくとも三年はかかるという役馬の育成一体どんな練習を行っているかというと、まずは鉄砲など大きな音になれる練習訓練中のオレゴンともう一方はベテランのバンカーです三二一 はい、びっくりして暴れるオレゴンに対し、バンカーはこの通り一歩も動きません続いてこちらも撮影現場でよく使われる旗ひらひらと不規則に動くものは馬は大 の苦手少しずつ慣れてもらい、怖いものではないと教えていきますこっち側から絶対に裏切らないってことを徹底してるんですねその信用してるからこそ、人間は、例えば刀を振り回してもやり持ってとかられても自分たちには危害は加えられないとそれが怖いことじゃなくなってくるんですけれども、そのたった何秒の絵にものすごい精神を注いでいるわけでそこに馬も携わって、馬も一緒にその映像を作っているっていうところがすごく幸せなことだしそういう意味では本当にもう僕らって馬と共に一緒に生きてるっていうんですかねそういうのが感じられる瞬間でもあるので

今日二つ目のツボは、迫力の迷信に迷惑あり

漫画でも強烈な存在感を放つ馬がいます。北斗の拳に登場する「黒王号」。主人公ケンシロウの最大の敵ラオウが乗る愛馬です。漫画家の原哲夫さん。
「黒王号を描くにあたりこだわったことは、蹄を描く時に僕、これぐらいって書いちゃってるんですよねだから心の目で見た大きさっていうか、実際はそんな大きくないかもしれないですけど、漫画ってやっぱり 心に残ったイメージを絵にしないといけないんで、それがデフォルメなんですけど、それをちょっと僕の場合、デフォルメをマンガチックにやるっていうよりはリアルな絵でやるそこがちょっと他の人と違う攻め口寿司、寿司、寿司、うわぁ」
国王号の設定は大きさ三メートル、巨大な馬が目の前に現れた時の迫力を大胆なデフォルメで表現しています。
「もう一つのこだわりが黒王号って、やっぱその怪物みたいな化け物みたいな感じで書いておいてだけど時々綺麗な目を描くんですよそうするとそのギャップが生きてくるっていう」
実は黒王号にはモデルになった馬がいます。原さんが高校時代に買って、今も大切にしているフランクフラゼッタの画集。馬が幻想的に描かれています。
「かっこよかったですよね。絵になるところで止めるっていうか、そういうのはすごく経営局って」
馬の一瞬の美を切り取るフラゼッタの作品から、原さんは黒王号のイメージを作り上げていきました。
「鼻の描き方とかも、やっぱりちょっと息がガーッと出たバフォーっ ていうイメージで、バグって思いながら描いてるんで、ここから今バフって出てるみたい」
黒王号が登場する数々の名シーンで、原さんが特に気に入っている絵があります。
「ユリアの城に突撃していくシーンがあるんですけど、画面から飛び出すみたいな感じで描きたいなっていうラオウと人馬一体になっているところの絵を、バーン って飛び出るように描きたいなっていうのは、あれを絵はかなり乗って描けましたね」
黒王号が目の前に迫ってきました。

岩手県遠野市。日本有数の馬産地で、人と馬が共に生きた歴史が今も色濃く残されています。山の中で馬が大きな丸太を運んでいます。遠野で古くから伝わる地打引と呼ばれる馬鹿技術です。山仕事で活躍するのは、重さ一トンを超える大きな馬。物を運ぶのに適した太い足と発達したお尻の筋肉を持つ力持ちです。馬方の味方よしかつさん。ちだびきを続けているのは、今ではもう味方さんとその弟子だけになりました。
「これ、地下に入る通りに山なんと壊すから、近いに道路まで連れてってもらえるんだこの木、手の 間で埋まった通り泉と森より区別するから山が壊せねd まるでおかしくない」
車も道もなかった時代から、遠野では馬が材木や食料を運び、人の暮らしを支えてきました。仕事を終えると馬も家に入り、一つ屋根の下で共に過ごすそうした暮らしを味方さんも三年前まで続けていました。
「まずこれ、宝物にしえているからさ家族と話したら小倉さんの部分では食えないんだよなこうやってヨーグルト分断お酒飲んだ時は、いやー、今日は頑張ったら、ナスがアダハネイルやちょいって言って、ハッズボールやってるんですよ」
人と馬が共に生きる遠野の暮らしを記録し続けた人がいます。写真家の浦田保一です。1960年代、高度経済成長期に遠野に移り住み、その暮らしを写真に収めていました。早朝の霧が立つ山の中で働く馬と人仕事を終えて川で老をねぎらう男性と馬。一つ屋根の下、馬は家族の一員、病で命を終えようとする馬を抱きしめる女性。人の隣にいつも馬がいる日常。同じ時を過ごす息遣いが伝わってきます。そうした人と馬との濃密な関係はお城様という伝説を生みました。馬と恋をして駆け落ちした娘に父親は激怒。馬の首を跳ねて殺してしまいます。悲しんだ娘が後を追って死んでしまうという悲しい物語です。かつて多くの牛やが放牧されていた月毛市長には、馬の神を祀った神社があります。特別に本殿の中を見せていただきました。壁には奉納された絵馬がたくさん飾られています。大正10年に奉納された千匹絵馬。かつて遠野の馬市では、千頭を超える馬が売買されていたと言われます。びっしりと描かれたその数に、馬への感謝と健やかな成長の願いが込められています。

今日最後の壺は馬とある暮らし

遠野から2500キロ離れた沖縄。日本に八種類しか残っていない在来馬の一種がここにいます。与那国馬です。背丈は120センチほど。全身が茶色の毛で覆われ、小柄な体型ですが、見た目以上の馬力の持ち主。50年ほど前まで、米やサトウキビを運ぶために、一家に一頭はごく普通に飼われていました。しかし、現在は絶滅の危機に追い込まれています。そうだよ与那国馬を絶滅から救いたいと立ち上がった久野正輝さん。
「うわぁ、 綺麗すごい切れたねここの差が光って、馬が逆光で、このシーンが一番好きなんですよこのまさみ、このシーンが最高だよね」
一時は五十頭まで減っていた与那国馬を、仲間とともに40年かけて170頭まで増やしてきました。さらに久野さんは島の子どもたちへ与那国馬の魅力を伝える活動に力を注いでいます。
「まず手で触ってあげて、あ、ここだって言ったらピカピカにしてあげて、いつも馬の目が見えるようにするんだよ見える馬の目嫌だよとかくすぐったよとか全部出るからねそれを見てたよなんかふわふわしてて気持ちがいい」馬と触れ合うことで、その魅力を子供たち自身に感じ取ってもらいたい。久野さんの願いです。
「風が感じるし、乗ってると馬と触れ合えるからその辺が好きです馬にも個性があって、あんま走らない彦とかすごい、走る子とかそういうの個性が感じられたりとかして、とっても楽しいです」
在来馬とは、ありきたりでごく普通にいる馬という意味。馬が景色に溶け込み、人と共に暮らす日常がこれからも続きますように。