美の壺 「山野に輝く 清流」

どこまでも澄んだ、青やエメラルドグリーン。高知・仁淀川を撮り続けた写真家イチオシの「色」。植物学者・牧野富太郎も通いつめた山が育む、清らかな水▽7mもの川底に手が届きそうなほど透明な長野・阿寺川。地元の人が楽しむ「水音」の名所とは?▽京都・るり渓でさまざまな響きと音の変化を味わう▽静岡・伊豆の清流の恵み「わさび」▽岐阜の7世帯の集落が伝える、幻の「川海苔(のり)」とは?!<File582>

初回放送日:2023年6月14日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「山野に輝く 清流」

清流の旅清らかな水の流れ、清流日本を流れる河川の数はおよそ三万五千豊かな森に育まれた美しい水が、山や野を流れ下ります。深さ七メートルの川底が見える。澄み切った青い淵耳を傾ければ極上の響きも清らかな水の恵みが、人々の暮らしを潤します。川で採れる川のりは、山里に暮らす人たちの夏の楽しみが。今回は清流の奥深い魅力をたっぷりお伝えします。

日本有数の清流として名高い高知県の仁淀川は、透明度の高い水が流れる川として広く知られています。仁淀川の美しい光景に惹かれて、30年以上写真を撮り続けてきた高橋伸之さんは、仁淀川流域を巡りながら水の美を写真で追求してきました。水の見せる様々な色合いの中でも、特に青が素晴らしいと言います。

「ネイチャーの中にブルーというのは意外とないんですよ。空の青を除けば、青という色は意外と出会わないんです。それが比較的田舎線より仁淀川が多いということですね。」

仁淀川をさかのぼると、数多くの支流に出会います。その一つ、安井川は澄んだ水の流れが絶えず姿を変え、見る者に時間を忘れさせます。流れの中を見てみると、淡い青の世界が春には木々の緑を映し、水の色はエメラルドグリーンになります。

仁淀川の澄んだ水の源は、森の中流にある横蔵山です。ここは植物学者・牧野富太郎も通い詰めた場所で、樹齢二百年以上と言われる落葉広葉樹もあります。幾重にも地表を覆うのは落葉で、空から降り注いだ雨は落ち葉をくぐり抜け、清らかな水となって湧き出します。その一つが安徳水です。

安徳とは、平家の没落とともに命を落とした安徳天皇のこと。地元では、壇ノ浦の戦いを逃げ延びてこの泉にたどり着いたと伝えられてきました。この泉と森はその伝説に守られてきたのだとか。

仁淀川の清らかさの理由は他にもあります。ブルーにも様々ありますが、ここは水色が出る場所で、ホワイトウォーターのストリームと言いますか、背です。ここで酸素を供給して、細かな治療を沈殿させます。川のシステムが非常によくできており、それが清流の美しさの要因の一つだと思います。

今日一つ目のツボは、山に湧き青くゆらめく

仁淀川ならではの水の色を探しに来た高橋さんは、流域で多く見られるあるものに注目しました。それは、緑色の変換で、平成ランの一種で、グリーンの色をしており、細かい砂になりにくい硬い石です。土砂になりにくいことから、水が非常に濁らず、川底がグリーンであるため、さらに美しいブルーが出やすいのです。

仁淀川流域の緑色沿岸には、青い層のあるものも多く見られます。川底にあるこの石の色と水の色が重なり合い、仁淀川の水に豊かなグラデーションをもたらすと言います。

高橋さんは次に、動画で水の世界に迫ります。「滝でぶつかった水が水滴となっておりますよね。その丸い球、できたらブルーの丸い球を撮影したいなということで向かったのは、激しく水が流れ落ちる滝です。綺麗ですよ。ブルーの弾は出なかったですけど、金の小さな水滴の踊るようなシーンは撮れました。もう偶然だけですよね。もう人間がコントロールできないですから。」

清流が生み出す豊かな色合いが、ここにあります。

長野県南部の山あいを流れる阿寺川は、全長およそ二十キロメートルで、その大半は深い渓谷です。水は澄み切った青で、最も深い場所がここ熊が淵です。深さはおよそ七メートルで、川底に手が届きそうなほど水は澄んでいます。

地元の人によると、阿寺川は耳でも楽しめるのだとか。これは「洗浄岩」と呼ばれ、畳が洗浄ぐらい率いるという意味の大きさを表しており、洗浄という岩の名前が付いています。別名「セオトイワ」とも言われ、阿寺川の流れが反響して、この大きな石に上から注ぎ降りるような音が聞こえ、面白い感じがします。

中須は「宇成島」と呼ばれ、名前の由来は地元に伝わる伝説にあります。昔、許されぬ恋をして駆け落ちをした男女がここに住んでいました。ある時、女が事故で命を落とし、その後、雨で水が増えると男の嘆き悲しむ声が聞こえてくるようになったと伝えられています。

水音にまつわる場所がもう一つあります。ここは「吉宝の滝」と言います。昔、山の人たちがここを通った時にすごく大きく聞こえたので、何かあるのかなと思って里へ帰った時に奥さんに子供が産まれていたという良い幸せがあったことから「吉宝の滝」と呼ばれるようになったと聞いています。

都会や車、雑音が多い中で、本当にこの静かな音だけを聴いていると、すごく癒されるなぁと思います。

今日、二つ目のツボは、流れが生み出す悠久の響き

京都府南端市にある渓谷、ルリケイ。この渓谷もまた、水音の名所です。流れる水の音だけではなく、その微妙な変化が味わえる場所です。こちらは「明白滝」という滝で、滝の後ろ側に空洞があり、不思議な音がします。泣く滝と書いて、迷惑水の音が空洞に反響し、少しくぐもった感じに聞こえます。

こちらの名前は、硫化炭岩の間を抜けて縁に落ちる水の音が、龍が歌を歌っているように聞こえることからつけられたと言います。こうした文学的な名前の場所が数多くある類型ですが、かつては「なめら系」と呼ばれていました。「類型」に変わったのは明治三十八年のことです。なぜ名前を変えることになったのか、類型の保全活動に長年携わってきた人に聞いてみました。

明治大、ここにもありますけども、私たちの尊敬する竹内玄太郎という方と時の軍長が一緒になりまして、その先生たちがいろいろ考えたものよと、こういう警告も素晴らしいものはぐるぐる置いてありません。こうした努力もあって、ルリケイは多くの人たちが訪れる場所となりました。

ルリケイの一番の魅力はやっぱり渓谷の流れ、水の音が静かに、あるいは水玉のようにコロコロと水が滴る景色です。これが立派だと私は思っております。

奥村さんの言う「コロコロ」という音を実感できる場所がここです。名前は「玉草版」。川床を覆う岩の小さな凹凸で、水のはねる姿が玉のように見えることからこの名がつけられました。

今、目の前を流れている水玉。この音が十年前も同じように流れていたんだなと感じると、悩んでいたことが本当に小さなことに感じられて、自分はこのルリケイに生かされているんだと感じ、元気になろうという気持ちに励まされます。清流の水音は時代を超えて、今日も鳴り響いています。

砂地から姿を現したのは、わさび水のいい場所で育つ清流の恵みです。静岡県伊豆市イカダバ、大見川の上流にあるわさび田です。ここでわさびの栽培を行っている農家は45軒、わさびの名産地として知られています。イカダバのわさび田は石積みで仕切られた棚田で、湧き出してくる豊富な水をかけ流しにしています。

わさび田の中には、砂濾過装置の役割を果たしています。砂地を抜けて綺麗になった水は、石積みの間から染み出し、かけ流しの水とともに流れていきます。わさび農家15代目の塩谷義久さんは、ひび水と向き合いながらの作業が続いています。「良質のわさびを作るためには、常に水を流していくことが大切です。また、わさびを植え付けしている際には、どうしても濁りの水が出てしまうので、よその方のわさび田に水が入らないように気をつけながら作業をしています」と言います。

30年ほど前、家業を継いで間もない時に、塩谷さんは水源地であるものを見つけました。それは、水の神を祀る小さな石の祠です。側面には「大正五年」と刻まれています。「多分、僕のひいおじいさんが作ってくれたんじゃないのかなと思うんですが、一年中、すべてのわさび田に水が潤うように、いつもそういう風にお願いしています」と話します。

今日、三つ目のツボは、暮らしを潤す

岐阜県山形市円原地区、現在七世帯が暮らすこの集落の人たちは、川とともに生きてきました。火にかけているのは、近くの川で採れた川のりです。川のりは海の海苔と同じ藻類の一種で、知る人ぞ知る食べ物となっていますが、かつては夏の味として親しまれていたと言います。

集落のそばを流れる円払川で川のりが取れます。川のりの旬は、夏から秋にかけてで、5月にはようやく芽吹いた頃です。集落支援員の山口伸一さんと下本悦子さんは、川のりを地域の名産品にしたいと活動を続けています。「あれは行けるかな。分からない事が多いので、どういう状況でそれが無くなってしまうとか、それから増えていくというのは、まだ調べることが多いので、見つけられたらやっぱり良かったなと思います」と話します。

川のりの生える場所は毎年異なり、取れる量もわずかだと言います。「あー、とりあえず見えない。めっちゃ、ちょっとやっとのことで見つけました」と語ります。川のりが根付くのは、流れの速いところにある石の表面で、他の藻類や苔と争う必要のない場所でないと生育できないのではないかと考えられています。

山口さんたちが川のりの存在を知ったのは、長年この集落で暮らしてきた水原藤子さんとの出会いがきっかけでした。「星にカゴをつけてね、こうして取っては入れ取っておいでして。まぁ、四月に縫った手当たりでいい。足が痛いがね、素足で入るんだからねぇ。砂利とかゴミとかがいっぱいあるもんで、それをね、綺麗に取って、それから天ぷぼしにしたんです」と当時の様子を語ります。

昨年の収穫量は、このサイズの板のりでわずか42枚。地域の資源としての活用を目指して、種付けを行うなど、川のりの保護活動を続けています。「昔は川と住んでいる方の距離がすごく近くて、洗濯とかお風呂も川でしたし、川のりを守るというのは、この地域に住んでいた方と川との関係性をもう一度見直すという意味があるんじゃないかなと思っています」と話します。

集落の食卓を彩ってきた清流の恵みが、次の世代へと受け継がれていきます。