美の壺 「和の光満ちて 障子」

カーテンがない!障子の魅力を味わえる邸宅▽昭和の豪邸に設えられた変わり障子の数々▽再現不可能!?職人の超絶技巧が光る逸品▽光を操り、空間を演出!障子に宿る日本人の知恵と美意識▽職人の腕自慢!精巧を極める障子のミニチュア▽障子づくりに密着!木という自然に向き合う職人魂▽豪華絢爛!人気の観光列車の車内を彩る障子▽金沢に夏の訪れを告げる簾戸替えに密着!<File583>

初回放送日:2023年7月5日

美の壺 「和の光満ちて 障子」

今回のテーマは障子。木枠に和紙を貼り付けたシンプルな建具です。古くから日本の住まいには欠かせない大切な存在でした。職人たちは縦横の着ぐみに工夫を凝らし、様々なデザインを生み出してきました。そして現代、なんと生じは列車の中に実は障子には光を和らげ空間を演出するという力が秘められていました。シンプルで美しい日本の建具障子、その魅力あふれる世界にご案内いたしましょう。

福島県に障子のあるお宅を訪ねました。玄関から今に通じる引き戸も小路です。開けると南に面した窓にも大きな障子がここだけではありません。今の横にある和室、階段上の踊り場にも 障子がここには普通の家にあるあるものがつけられていません。
「家庭がいらなくて、その代わり小児を使う障子のある家にした。朝の明るさを優しく飛ばしてくれる。」
朝の光を優しく通す障子。それは障子紙に使われる和紙に理由が。隙間の多い和紙の繊維が日の光を乱反射させ室内に広げますそれが柔らかい光となって、目には優しく感じるのだそうです。そしてこの家の障子には仕掛けがありました。上が開くようにしてもらいました。
「それは夜を感じたかったんですね 夜の暗がりっていうのも、上をちょっと開けて感じたかったので、そういう風にしてもらったんですけど。」
開けていただきました。これは障子の一部が上下するすり上げ障子の一つ。月見障子とも呼ばれます。少しずつずらしてあけるのはイトウさんのこだわり。
「全部同じ高さにしちゃうと面白くないんで日が沈むのが西なんで、ちょっと西を多く開けていますちなみにこれが夜の正直、確かに夜の雰囲気がいいですねそしてこんな見え方も家の中にいれば外を感じ、外から見ると家の中の温かさを教えてくれる単に遮るものというだけではない。」
障子にはまた違った役割があるようです。

今日最初の壺は光を操り家を彩る

昭和初期に建てられた豪邸が残されています。実業家で美術品収集家でもあった遠山厳一が、成果の最高と母の安住の住まいとして三千坪の敷地に建てたものです。農家風の 今に面白い障子がありました。この建具は五段組のこの剣道型になっておりまして、これを外すと風が通りやすくなるという仕様になっています。剣丼とは、上下につけられた溝を使ってつけたり外したりできるふたのようなもの。自然の風を部屋に取り込むための工夫です。続いて案内されたのは書院作りの 大広間。
「ここは一番広い小路の面があるところになりまして、外からやってくる光を中に入れるためにこの生地が使われているわけです。」
障子には光を拡散させる効果があり、和紙を通った陽の光は部屋の中の隅々まで広がっていくといいます。その光を利用したある仕掛けがこの大広間に施されていました。
「この障子が縁側からやってきた光を廊下に流しています。ここの廊下の突き当たりの部分が重く沈んでしまうところを、縁側から来た光を逃がしてやることによってこの空間を明るくすると、そういう効果を持った特別な表示になっています。」
その障子を開けると、畳敷の廊下が続いています。障子を通ってきた光が暗い廊下を照らしていました。ほのかな光美しいですね。普段は公開していない二階へ。現代では再現できないというとても珍しい障子があります。さびたけときんぐみといわれる障子です。数寄屋づくりで珍重される錆びたけで作られたものだそうです。サビタケとは、サビのような斑が生じた竹のこと。その竹を割り表面を張り合わせて作られたものを格子に組み、さらに節を合わせ絶妙に配置匠の技が上質な輪の空間を作り出しています明るさを演出し、輪の佇まいを艶やかに彩る生じには、日本人の知恵と繊細な美意識が宿っているようです。
「それはなすり上げ商事、雪見商事と呼ぶ者もおるへえ、知ってますよ冬の雪景色の庭が生じ越しに見えるええ、いい風情ですねそうじゃなそれを変えるのかこんな生地を作れる職人も少なくなっておるのだぞうん、そうですよね。

平安時代に生み出された障子。閉じたままで光を通すという画期的な建具でした。江戸時代になると様々な種類が作られます。ここに障子の歴史的資料が残されています。今回特別に見せていただきました。中に入っているのは建具雛形と言われるものです。建具雛形 とは、建具を作る時に世主に見せる見本として作られたミニチュアのようなもの。これは昭和初期に大阪の建具店が作ったものだそうです。実にいろいろな形があるんですね。これは最も基本的な横組み障子。縦長の格子がたくさんある縦重障子。障子の中央に額縁が付いている角入り障子。生地の下に腰板と呼ばれる板が付けられたものを
「こちらの表示はですね、結構ポンスずらすと、このように濡らしてこの右側の方がガラス面が見えるという構造ですね猫マン障子という風に呼んでいます猫の間と書いて猫マンです諸説があるんですけれども、猫が出入りするために、本来はここはガラスではなくて開いている状態で猫が出入りできる。」
それにしてもずいぶん精巧に作ってありますね。
「それぞれの職人が自分の腕を振るどれが腕を持っているのかということを示す目的もあったと考えられます。よく見ると、細い木の角が削られ、動く部分も実に丁寧に作られています。
たとえ見本であっても妥協しない当時の職人の心意気。

二つ目のツボは橋橋 に宿る職人のこだわり

福島県日本松市渡辺さんの工房です。十九歳でこの世界に入り、今年で四十五年。障子をはじめ、さまざまな建具を作ってきました。建具を作るには決まり事があると言います。それは完成した時に木が森に立っていた時と同じように木材を使うこと。
「建てた時に下は下降りが上気が逆さにならないようにとか、そういう使い方あと、急落音点があるんで、木の内側が縦の内側にくるようにとか、外側は外に浮くようにとか、そういう一応基本的な使い方はあります。」
木浦とは木の芯に近い方、木表とは木の外側に近い方を言います。例えば、障子の両側の縦枠には外側に木 表が内側にキュウラが来るように作ります。完成した時に障子に狂いが出ないようにするためだと言います。木という自然と向き合ってきた建具職人だからこその知恵です。
昔ながらの組み方で雪見商事を作るところを見せてもらいました。仕上げる前に、濡れた布で生地の枠になる部分を拭いていきます。
「仕上げる前に一回濡らすからねこれ、あの加工してる間に 傷度がぶつけ台でこうちょっと凹んだりするんじゃないですかそれを一回水で戻して、それから知らない水をつけると戻るんですね戻さないでそのまま下ネットを研ぎ、立ってからそれが膨らがってギャグにポコッと必ず一回濡らしてこうしてやると結構綺麗にすらなんだよねやっぱり際生き物なんですね。」
細く加工した木で縦横の格子を組んでいきます。ここからが職人の技。
「こうやって少し落としてって縦横の細い木を、布を折り上げる糸のように、それぞれ交互に組んでいくのです。」
木をねじりながら行うので、ねじ組と呼ばれる技です。こうすることで格子が外れにくく、また障子が剃りにくくなるでも手間も技術も必要なので、今はほとんど行われないと言います。格子を組み終えると、外枠にはめていきます。最後に上下に動く格子を取り付けます。どれだけ作っても納得がいくものはなかなかできないと渡辺さんは言います。
「やっぱどっかに不満が残んだから本当に満足できるっていうのはなかなかないかもしれないですね これ、完成した雪見商事です隙間なく格子が交わり、美しく仕上げられた生地こだわりをもった職人がつくりあげたかたちがここにありました。

博多駅のホームに人気の観光列車入線してきました。九州を走り、驚き、感動、幸せの三つが味わえるそうです車内に入ると、そこには障子がこれも障子。西洋の列車の中に輪の生じが違和感なく溶け込んでいます。この列車を仕掛けたのは水戸岡英二さんです。高校卒業後、日本とイタリアで工業デザインを学び、やがて独立。1987年からは数多くの鉄道関連の仕事に携わってきました。国内外で高い評価を受けています。九州を巡る観光列車そのビューフェニーはこんな障子を。
「おしゃれですねでも、なぜ列車の中に照準をほとん ど、車両というのは百パーセントほとんど工業製品なので洋風なんですよ。和風の要素は一つもないですねで、生地を入れるだけで生地を入れると全体の、まあ五パーセント以下のデザインですけど、その五パーセント入れるだけで和風だって皆さん言うんですよ。確かに列車の中なのに障子があるというだけで、雰囲気が違って見えるんですね障子っていうものは、不透明じゃなくて半透明っていうか光を通すし、雲みたいな家の中に空の雲がいるみたいで、そいつが動くんだそうってそうするとそれは、雲が動かなくなると景色が見えたり、雲がなくなると光が入ったりそんなね、とてつもない、その日本人が発明した、その王族というか、七十六もらって障子っていうのは何なんだと思うと障子って、すごい万能な火炎装置。」
平安時代に生まれた和の失礼は、時を超えて、 今なお新たな形で生き続けていました。

三つ目のツボは、変わる時代、変わらぬ和の心

日本には夏に備えて特別な生地をしつらえる暮らし方があります。夏障子と呼ばれるものです。
ここは江戸時代から続く金沢の茶屋。文化を今に伝えています。種塗りの階段を上がると、大きな広間今も一日一組限定でお刺身をあげています。大広間の一面にひつらえられた生地です。どことなく艶っぽい雰囲気。こちらの座敷にはされた生地がこれらを夏生地に入れ替えるのだそうです。
「ウチらは、私らはスドガイって言うていうけど、外帰せんなんて言って素人って言ったら、本当に昔は贅沢品で、そんでもやっぱりその夏の失礼としてやっぱり大事なもんやっていうことで、ずっとず っと毎年五月の一番最後の日にみんなして同じだけやけども、こうやって素晴らしてっていう、そんなずっと続いてきてますね。」
この日、すど替えが行われました。女状態の茶屋では、須藤貝は女性たちの仕事です。
「ありがとうございます。」
すどがえのすどとは、すだれをはめこんだしょうじのこと。六月一日のころもがえにあわせかならずおこなってきました。角替えが終わった大広間。少し広くなったような気がします。足で編まれたすだれが、向こう側の風景とともに、外の涼しい風を部屋の中に届けます。障子からすどへ、こうして金沢は夏を迎えます。
「例えば、風鈴の音で涼しさを感じるっていうことがあるじゃないですかその角っていうのは、やっぱりその角の姿でまた涼しさを感じるっていうか、季節になったらもう本当にないとダメだもんみたいな感じで 私らはそうやってしつらい整えていくんですけど。」

季節とともにしつらいをかえる日本人のくらしのかたわらに、しょうじはいつも寄り添ってきました