「竹の寺」と呼ばれる京都の寺。美しい竹林を作り上げる手入れとは?▽名人の心意気が生み出す「京銘竹」の世界▽さまざまな物語とともに受け継がれる「茶杓(ちゃしゃく)」。千家十職の黒田家の見極めとは?▽室町時代から500年以上伝えられてきた「茶筅(ちゃせん)」の技▽建築家・隈研吾さんが語る「竹と日本人」▽世界が注目する巨大な「竹アート」。伝統と現代を融合させる製作現場に密着!<File584>
初回放送日:2023年7月12日
美の壺 「まっすぐ清らか 竹」
青々とした竹が立ち並ぶ竹林。有限な世界が、訪れる人の心を癒します。日本人は古より竹を利用し、さまざまな道具を作ってきました。茶の湯を確立した千利休も竹製の道具を好んだと言います。室町時代から五百年以上、一子相伝で作られてきた茶筅。職人技の結晶です。竹は今、建築の分野でも注目を集めています。「日本文化と竹は非常に相性がいいと思いますね」と言われています。竹は世界を驚かせる巨大な造形にも姿を変えます。今回は、不思議な魅力と存在感で私たちを惹きつける竹の奥深い世界をご紹介します。
京都府西京区にある地蔵院です。山道の両側に並ぶ青々とした竹が参拝に来た人を迎え、本堂へと導きます。ここは南北朝時代に建立された禅寺で、竹の寺と呼ばれています。
昼食の藤田将校さんです。朝、参拝者が訪れる前に欠かさないのが竹林の手入れです。「チェーンソーを使う手もあるんですけれども、あれはちょっと騒がしすぎるので、私はこっちの方が好きなんです。」
美しい竹林には竹同士の感覚が大切です。景観や日当たり、風通しなどを考えながら、余分な竹を切ります。手入れは毎日三時間に及びます。
「私はゼンデラというのは、一見自然に見せていても、究極の人工美だと思っています。人間が一生懸命手を加えた方が、私は綺麗になるのではないかと。やはり参拝の人々が気持ちいいなと思われるような、そんな竹林を作りたいですね。」
今日、一つ目のツボは、手をかけるほどに輝く
京都府の南西部に位置する向こう市は、古くから竹で知られた地域です。春先の竹林にはもう一つの楽しみがあります。「これは中にあるというのがわかります。」清水義弘さんが地面から顔を出す前のたけのこを、掘りという伝統の桑で掘り出します。この地域のたけのこは、皮が白く、柔らかく、甘みのある京野菜の一つとして知られています。
清水さんが次に向かったのは、建築や竹細工に使う竹を取る竹林です。京都産の竹材、共鳴地区を作っています。およそ六百種ある日本の竹ですが、竹材に向くのはほんのわずか。太く高く育つ妄想地区、縦に筋の入ったしぼちく、弾力に優れた真竹、独特の黒が生える黒竹、淡い緑をした淡竹、ごまのような模様のごま竹、亀の甲羅のような築港竹などがあります。
竹材には三年から五年の竹が適していると言われます。水洗いしながら丹念に品質を確認します。次は油抜きの作業です。火にかけて、中からにじみ出てくる余分な油分を拭き、磨いていきます。カビや虫の被害などを防ぎ、長く持つ竹材になると言います。
次はため直しです。一見まっすぐな竹も、わずかに曲がっています。そりを見極め、熱いうちに一本一本強制します。数週間天日干しをすると、クリーム色で艶のある共鳴竹の一つ、白竹になります。「我々としては、いい竹でいい素材の共鳴軸を支えようという、自分の頭と心と体にある、これではない、これではではという意気込みです。」
竹を見極め、竹を生かす職人の技です。
(タイトル)
千利休ゆかりの寺、大徳寺。茶石では様々な竹製の道具が使われます。茶の湯を体系した千利休は、高級な材料ではなく、どこにでも生えている竹を使うことで、わびさびの精神を高めたと言われています。茶杓もまた、様々な物語とともに受け継がれる大切な竹製の道具です。
「祇園さんの笑みだけ、ああ、そうです。その清涼という、そうですか、頂戴しております。いかにも清々しい青ふり面でね、ちょうど季節で祇園さん。京都は七月といえば祇園ですもんね。」
祇園祭の山ほこ巡航で、稚児が断ち切るしめ縄を結んでいた竹から作られた茶石です。「茶色っていうのは茶人たちが自ら手作りした最初の道具なんですね。ですから、まあ千利休の咀嚼というのがありますけれども、もう利休さんから始まって、それぞれの茶人が思いを込めて自分で作ったっていうことが非常に大事でね。ですから、茶色を握ってみれば、その昔の茶人と握手しているようなもんなんですね。」
京都市中京区、千家実食の一つ、黒田将暉さんが住む京町家です。佐藤の参戦家のために竹製の茶道具を代々作り続けてきました。
「こちらは一応茶色の材料を置いてございます。」壁一面に並べられた華奢な材料は、切り出された年や種類ごとに保管されています。家元らが削る茶色の材料を吟味するのも仕事です。景色と呼ばれる色や模様などはこの段階で決まります。
「これはしぼちくのこの部分、ちょっと枯れたようになっておりますが、これも景色としては面白いのではないかということで置いております。これ趣味が入っておりまして、こちらの面白いところは、趣味の中によく見ますとゴマ状のものが入っております。著作というのは、やはりおもちゃ人の方が景色からいろんなものに見立ててですとか、そういう思いを込めてお作りになられて初めて完成する、それにお答えできるように準備いたしております。」
これは表千家八代家元、訴訟祭が削ったとされる茶石。朝日に照らされた下柱が輝くような厳しくも爽やかな美しさを見立てたと言われています。著作研究でも知られる歴史学者の西山松之助が削った鬼の抜け殻、弟子たちから鬼と恐れられた西山が、竹の穴を抜け殻に見立てた茶色です。
今日、二つ目のツボは、その一本に宇宙を見る
奈良県生駒市高山に、室町時代から五百年以上、二十代続く茶川市の工房があります。谷村丹後さんが、茶の湯に使われる茶煎作りの技を一子相伝で伝えてきました。今作っているのは紅白の糸で編んだ茶筅です。糸の色は黒が基本ですが、海外の愛好家を中心にカラフルな糸を使った茶筅の注文が増えていると言います。浦千家の作動家である永江草案さんとその母バーバラさんが、注文していた茶筅を取りに来ました。
「お茶会がありがとうございます。」
紅白の糸はバーバラさんが生まれたカナダの国旗から発送しました。茶筌(ちゃせん)は流派によって竹の種類や形が異な ります。代表的な形の一つ「新一穂」。浦千家では家畜が好まれます。いろりの煙でいぶされたすすだけを好む表せん。武者小路千家では黒地区が好まれ、穂先がまっすぐに伸びています。流派ごとに異なる決まりを守りながら、代々茶腺を作り続けてきました。茶筌は直径およそ三センチの竹から作られます。
「茶筌づくりというのは、基本的には五百年以上、西方が変わっていないわけで、道具も昔からあるような、ありふれたと言ったら変ですが、一般的な包丁を使っています。
竹の先端を十六分割した後、外側の皮と身を分けます。使うのは強くてしなやかな皮の部分。内側の頬は外側よりわずかに細く、交互になるように割いていきます。水に浸けた後、さらに薄く削っていきます。これが「味削り」と呼ばれる最も大切な工程です。この薄さ加減というのは、指先の間隔だけで確かめます。
「作品作りのことを『死闘芸術』と呼ぶこともありまして、指の頭の芸術と穂先をしごき、竹のしなやかさを利用して丸みをつけていきます。」頬を一本ずつ面取りし、大きい穂先を外側と内側に分けていきます。根元に糸をかけながら外側の方を広げます。どこまでもきれいな弧を描く蛇船が完成しました。
「裏千家の代表者も昔からよく言っていただいていたお言葉で、『お茶と茶碗と茶さえあればお茶は事足りる』と。これは非常に我々としてはプライドを持って作り続けられる一つの理由であると考えますね。」
変幻自在に形を変える竹、数百年受け継がれてきた技です。
東京築地の日本茶専門店。竹上を引くデザインです。テーマは「のだて」。竹を短冊状に細く切り、のだて傘のイメージで広げました。一本一本、すべてのカーブが異なっています。設計したのは建築家・隈研吾さん。隈さんはおよそ二十年以上にわたって、世界中に竹を使った建築をつくってきました。これまで手がけたプロジェクトはおよそ三十。建築素材としての竹に面白さや可能性を感じて取り入れてきました。
「やはり竹の持っている柔らかさや透明感が、日本人の波長と一番合うと思うんですよね。そういう意味で、日本文化と竹は非常に相性がいいものだと思いますね。」
この会社が店の設計を隈さんに頼んだのは三回目です。「実際にお客さんには、何か心が癒された気分になるとか、心が温まった気分になるというようなご意見をいただいて、本当に竹にして良かったなと思っています。」
今日最後のツボは、未来を開く可能性。
東京銀座、高さ十メートル近い巨大なインスタレーションが目を引きます。まるで生きているかのように伸びた造形は、細く切った竹ひごで作られました。その数、およそ五千本。黒竹が過去、白竹が未来を表し、三本の柱が絡み合いながら未来へ向かって上昇している姿なのだとか。
四代田辺地区運裁さん。作品は太平博物館やレトロポリタン美術館などにも収蔵され、世界で活躍しています。その仕事は竹ひご作りから始まり、竹を割り、少しずつ細くします。「竹割三年というんですけど、毎日朝から晩まで竹を割って、三年経つと大体一人前に割れるようになります。竹のひごが正確で美しいということが全てを構成するので、基礎技術が一番大事ですね。」
この家に伝わる伝統の技、竹雲祭七儀で竹ひごを編んでいきます。
「これは飾り玉縁という技法の飾りなんですけども、等間隔に玉が生み出されて揃うように編んでいくのがとても難しいですね。これが一段一段斜めに上がっていくのですが、編み方をずらすことによって、波模様の段差が一つ一つ階段のように上がるように編んでいます。これが船の形で波をかき分けて進んでいくような、そんなイメージの編み方をしています。」
七種の編み方を組み合わせた花かごです。こちらは初代地区温泉が考案した荒網の花かご。持ち手には朽ちた竹艶のある竹と朽ちた竹のコントラスト。
「私は東京藝大で彫刻を学び、現代美術を勉強しました。現代アーティストとして、地域のサイトや伝統、宝物、そして軍隊という二つのハイブリッドな部分を持つアーティストであると考えています。それが、私にとっての四大地震災だと思っています。」
五月、竹運祭さんの個展が大阪で開かれました。時計回りに少し回転させながら、インスタレーションの制作が始まりました。タイトルは「天と地」。自然の力が巨大なエネルギーとなり、天と地を循環しています。
工房で作ったパーツに現場で竹ひごを加え、大きくしていきます。使われているのは、表面に虎のような模様が入ったトラフだけ。会場全体が一つの作品になっていきます。
「竹の特性を生かして、いくらでも増殖ができたりとか、柔らかさとかは、あとは無限大に広がるとか、竹のあと若い方とかを含めてですね、やっぱり体感して 竹の面白さとか、そういうものが広がっていくんじゃないかなと思って空間を感じていただくということですかね。」
古から年々と続いてきた竹の文化。時代が移り変わっても、竹は私たちに寄り添い続けます。