400年前、肥後・熊本で生まれた「肥後象がん」。鉄の表面に、金や銀で緻密な模様を施す工芸品で、大切に受け継がれてきた。今も伝統の方法で作られ、0.1ミリ単位の細工を施す極小の技、鉄の美しい黒色をひきだす謎の液体「さび液」(海水・ネズミのフンなど秘伝の材料を調合)など驚きの連続!武士のダンディズムを今に伝える肥後象がんの、知られざる魅力に迫る!<File393>
【出演】草刈正雄,細川護煕,【語り】木村多江
美の壺 「肥後象がん」
東京銀座の街の文具店でいま話題の万年筆があります。
それがこちら。
2016年5月に開催された伊勢志摩サミット。
各国首脳への贈呈品としてこの万年筆が贈られたのです。
金で桜の花やイチョウの細工が施されています。
この細工が肥後象がんです。
肥後象がんはかつて肥後の国と呼ばれた熊本の伝統工芸品です。
金属の下地に金や銀で模様を付けます。
手の込んだ細かい絵柄が特徴。
緻密な仕事に職人の技が光ります。
もともと肥後象がんは刀の鍔や鉄砲などに用いられた装飾です。
金や銀から模様を象って下地にはめ込んでいます。
肥後象がんの名品を扱う美術商米野純夫さんです。
古い刀の鍔には職人たちの卓越したセンスがうかがえると言います。
特に感心するのは肥後象がんの金と黒の組み合わせの妙。
「金色を引き立たせるためには黒がかった色が一番いいからですね。黒の中に少し金が少しパッパッと
そのまばらに言ったら非常にそのバランスの取れた入れ方をしてるのがたくさんありますですね金と黒ってあうんですね」
400年の時を超え今に伝わる肥後象がん。
その魅力を紹介します。
金
アクセサリやインテリアなどにも用いられる肥後象がん。
現在熊本では15名の職人が腕を振っています。
伝統的な図柄から現代的なデザインのものまで様々。
個性豊かです。
肥後象がんの職人坊田透さん。
この道60年のベテランです。
伝統を踏まえながらもモダンで斬新な図柄。
繊細な表現で知られる職人です。
こちらは宝石箱。
ススキや萩などの秋草や鈴虫が金や銀で描かれています。
熊本阿蘇の大自然を緻密な動画の技で表現しました。
直径五センチほどの朱肉入れ。
羽を広げた孔雀が描かれています。
直径一ミリ以下の金や銀の線を使った手仕事です。
「線で細いのは技術的には難しいけども、目で見えないのは指先で見えるていますか
ある程度細かいところは自分の感覚で模様を付けていきますね」
細かい技の積み重ねが肥後象がんの美しさを生み出しているのです。
今日一つ目のツボはミクロの技が生み出す雅。
今回棒田さんが作るのは帯留め。
横幅およそ6CMです。
まず薄い金の板を型で抜きます。
このわずか三ミリほどのモチーフを象がんならではの方法でつけていきます。
初めにべースになる鉄の板に鏨という小さなのみで溝を刻んでいきます。
その細かいこと。
一ミリの間に七本から十本の溝ができています。
さらに向きを変えて同じように溝を刻みます。
これを繰り返すと表面はまるでガーゼのよう。
拡大して見ると無数の突起が並んでいるのが分かります。
布目切りと呼ばれる技法です。
たがねで四方向から撃つことで細かい突起ができます。
これが布目切です。
ここに型抜きした金のモチーフを打ち込みます。
すると、金が突起にしっかり食い込み剥がれません。
金をつける時に使うのは鹿の角。
古くから使われてきた肥後象がんに欠かせない道具です。
「鹿の角は一番独特な柔軟性と粘り強さと硬さと持っています」
出来上がったのは金銀のイチョウの葉をリズミカルに散らした帯留。
一方こちらの帯留ではさらに細かい技が。
0.1MMに満たない金の線を使って菊の花びら一枚一枚を描いていきます。
緻密な布目切りが施してあるからこそ黒バスの金でも密着するので
全ての模様をはめたところで何と布目を全て消して行きます。
家の黒をより美しく見せるためです。
金を傷つけないように慎重に消します。
完成した肥後像がん。
これでもかという細かい技の連続が美しさを生み出すのです。
「基本的に細かいことに手を抜かずに、ちょっとでもいいもの。
昨日よりも今日はもうちょっといいものを作ろうっていう気持ちでもって
ずっと仕事を続けていると細かいいいものが自然と残っていくと」
小さいながらも華やか。いにしえの雅を伝える肥後象眼です。
地
肥後象がんはおよそ四百年前に加藤清正と細川家に仕えた金工職人林又七が始めました。
それを洗練された工芸に発展させたのが、戦国時代に活躍した細川忠興でした。
茶人でもあり千利休の愛弟子だった忠興。
林又七をはじめとする職人を指揮して今の肥後象がんのスタイルを確立します。
細川家18代当主細川護煕さんです。
「忠興という人はおそらく武将として活躍した人ですし、茶人としても活躍しましたから、利休の影響で、都のセンスってものを熊本に持ち込んで肥後の金工っていうものを育てていったと自分でもやりながらそういうものを大事にしていったと思うんですね。武士のダンディズムとして、ストイックな美しさを非常に珍重する雰囲気が当時出てきたということでしょうね」
忠興が追及した肥後象がんのストイックな美しさやダンディズム。
それを象徴するのが肥後象がんの時の色。黒です。
二つ目のツボは、黒のダンリズムを極める。
林又七が作った肥後象がんの鍔。
金が映える苦労を出すのが当時の職人の腕の見せ所でした。
肥後象がんの職人稲田憲太郎さんです。
昔の黒に憧れて伝統的な手法で黒を表現しようと試行錯誤を重ねています。
肥後象がんの黒は特殊な方法で作られると言いますが。
「黒はですねあのさびなんですよ」
黒はサビ。一体どういうことなんでしょう。
黒色の出し方を見せていただきます。
取り出したのはサビ液と呼ばれるサビを出すための液体。
稲田さんは江戸時代から口伝えで継承されてきた錆液を再現しています。
「サビ液の中身はですね川ガニの味噌とかネズミの糞とか赤土だったり、あとは海水が少し入ってたり
井戸水湧き水が入ってたりとか、色々不思議なものが入ってるんですけど、どれをどれぐらい入れるって言うのは自分のさじ加減なので、実際使ってみてもちょっとこっちを足そうかとか引いたりして結局作るんですよね、ちょっとが黒魔術みたいな感じ」
金の装飾を施した鉄に熱を加え、先ほどのサビ液を塗ります。
急激に熱せられると鉄が酸化してサビが出ます。
10回20回とサビの出具合を見ながら作業を繰り返します。
さらにサビ液に直接つけまた加熱。
これも何度も繰り返します。
こうしてきめの細かい錆を出すのです。
鉄は放っておくと腐食して表面がボロボロになってしまいます。
一方サビ液をつけて熱した鉄は細かいサビが膜のように表面を覆います。
このサビの膜が美しい黒を乱すのでここです。
もうひと手間。
鍋に入れたのはお茶の葉です。
煮ること20分。
鉄が真っ黒に。
お茶に含まれるタンニンがサビに反応して黒く変化したのです。
煤を混ぜた油を使って黒に深みを出します。
仕上げに使うのは伝統のコーティング剤。
イボタ蝋貝殻虫が分泌した蝋です。
さび止めとツヤ出しの効果があります。
「道具なんかもそうですけど、あの全部古来のものを使い続けることでちゃんと伝承していくことができるので、そういうのも含めて守っていかなくちゃいけないものだとは思いますけど。いい状態になるとやっぱ金もにも見えるバランスがやっぱり一番良い肥後象がんの作品になってるんじゃないかなとは思いますけど」
おもい
熊本県宇城市に住む松崎奏裕さん。
松崎さんには長年大切にしている肥後象がんがあります。
こちらのペンダント。
真ん中の十字の部分が肥後象がんです。
十年前に誂えました。
当時松崎さんはウェイトリフティングの選手。
国体で優勝した経験もあります。
ペンダントを作ったのには理由がありました。
「スポーツをしてて怪我が多かったね。それを少しでも予防するじゃないですけど、そういう意味を込めて作りました。やっぱり金なんで一番っていう意味ですね」
現役を引退した今でも大切にしています。
「気持ち的に落ち着きます。自分がつけることでそれ何のネックレスですかとか聞いてくる人もやっぱりいるんで、肥後象がんって言うんだよっていう」
肥後象がんは人々の思いや願いに寄り添っています。
今日最後の壺は、物語を刻む。
肥後象がん職人の稲田さんが今取り組んでいるのはオーダーメイドの箱へその緒入れです。
女の子を授かったお父さんからの依頼です。
あしらわれているのはなでしこの花。
花びらは漆で色を付けています。
肥後象がんは手入れをすることで美しさを保ちます。
この日クリーニングをしていたのは持ち主が30年以上も愛用してきたネクタイピン。
「贈られたものだったり、自分が本当に好きで買われたものとか思いみたいなものに宿ってると思うんですよ。また新たにメンテナンスして使っていただけるというのはとてもありがたいことですね」
クリーニングを依頼した梅木節男さん。
学校の先生です
玄関には学に入った肥後象がん。
桜を描いた象がんは定年退職のお祝いに教え子たちから贈られたものだそうです。
長年小中学校で教鞭を取ってきた梅木さん。
若い頃から大の肥後象がん好きでした。
人生の節目節目で買ったり贈られたりした肥後象がんの数々を大切にしています。
「黒いのに金があって重厚な美って言うですかね。熊本はもともと質実剛健の気風がある。肥後の職人気質がここに出ています」
梅木さんは普段から肥後象がんを身につけています。
ループタイやカフスボタン。
ベルトのバックルなどどれも愛着があります。
肥後象がんを次の世代に伝えていきたいという梅木さん。
クリーニングを終えたネクタイピンは。
「気に入っていたひとつを孫に渡して伝えていけたらなと思ってんです」
自動車の営業マンをしている孫の真一郎さんに贈りました。
「改めてま下の代にも引き継いでいけたらと思います」
家族の物語を刻んで肥後象がんは代々受け継がれていきます。