美の壺 「かぐわしき癒やしの木 ひのき」

日本が世界に誇る「木の文化」を支える「ひのき」▽森林浴発祥の地・長野木曽谷の「ひのきの森」を歩く▽香りと美しさを誇る木曽の「ひのき風呂」は職人技の結晶!▽伊東豊雄さんの現代建築に見る「ひのき」の魅力▽「ひのき」が生み出す国宝・薬師寺東塔の美!その秘密とは!?▽伊勢神宮が進める「ひのきの森」200年計画!▽日本一の「大ひのき」と守り人の物語▽草刈さんが「ひのき」の日曜大工に挑戦!〈File 614〉

初回放送日:2024年9月4日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺 「かぐわしき癒やしの木 ひのき」

ヒノキは、日本を代表する針葉樹であり、日本固有の種です。木材としては世界最高の品質を誇り、日本の木の文化に欠かせない存在です。「ヒノキ」の名は、古くからこの木を使って大切な火を起こしていたことから、または最も尊いとされる「日」、すなわち太陽に由来すると言われています。

日本の木造建築も、ヒノキがなければ現在の姿とは異なっていたかもしれません。たとえば、「晴れの場」を意味する「ヒノキ舞台」という言葉も、かつて農村歌舞伎の舞台にヒノキが使われていたことに由来しています。

さらに忘れてはならないのが、豊かな香りが漂う「ヒノキ風呂」。古代から現代に至るまで、日本人の生活と文化を支えてきたヒノキ。その魅力を今日は存分にご紹介します。

長野県南西部を貫く木曽谷は、ヒノキの一大産地です。この地で産出される「木曽ヒノキ」は、江戸時代から木材の最高峰として知られてきました。山から切り出されたヒノキを運んだのは、木曽谷に張り巡らされた森林鉄道です。かつては総延長が400キロを超えましたが、トラック輸送に押され、次々と廃線となり、現在では長野県上松町の赤沢自然休養林で、その一部が観光列車として運行されています。列車は、日本三大美林の一つに数えられるヒノキの森を走り抜けます。

「おはようございます。よくいらっしゃいました。私、ガイドをしています下原陽子と申します。」

下原陽子さんは、ヒノキの森を案内する森林散策ガイドで、木曽谷で生まれ育ちました。彼女のお父さん、牧野義一さんは営林所の作業員で、森林鉄道の運行に関わっていたと言います。下原さん自身も営林署や森林組合で働き、基礎ヒノキについて熟知しています。

「この森の中には『フィトンチッド』というものがたくさん出てるんです。ヒノキから発散されるんですよ。」

科学的にもその効果が認められているヒノキの香り。この森では、世界初の「森林浴大会」が開かれたこともあります。「これがヒノキの大切な力なんです。400年以上、こうして受け継がれてきたんですよ。もしよかったら、木にハグして、その力を感じてみませんか?」と下原さんは語ります。

今では貴重となった温帯地域の針葉樹林。この森は国有林として保存され、未来へと受け継がれていきます。「私が見慣れているからかもしれませんが、やっぱりこの森は美しいですね。気持ちのいい空気と風が流れていて、心地よいです。この素晴らしい森を、もっと多くの人に知ってもらいたい、そんな思いでガイドをしているんだと思います。」

清らかな香りと美しい姿で訪れる人を癒すヒノキ。その魅力は、ここ木曽谷で感じることができます。

今日、一つ目のツボは、その美しさと香りを堪能する

中山道の宿場町として発展した木曽福島。木曽川沿いの老舗旅館で楽しめるのが、木曽ヒノキで作られたヒノキ風呂です。ヒノキの放つ豊かな香りに包まれ、心身ともにリラックスできるだけでなく、しっとりした肌触りも魅力です。

今回は、ヒノキ風呂がどのように作られるのか、長野県南木曽町にある製材所を訪ねました。製材で最も重要なのは、木をどのように切り出すかを決める「木取り」の技術です。

「この木は、板目と柾目(まさめ)の両方を取ります。こちらに節が多く、反対側はきれいなので、この部分を板目に引いていきます。」

木は生き物で、一本一本が異なります。枝の生え方や節の位置を見極めながら、ノコギリの入れ方を工夫します。この日、製材されるのは樹齢250年を超える天然の木曽ヒノキです。板目と柾目の両方を切り出しました。出来上がった板を比べてみると、左が板目、右が柾目です。

「板目は少し硬い部分があるため、風呂桶には向きません。テーブルやカウンターなどに使われます。一方、柾目は木目が縦にまっすぐ揃っており、風呂桶に最適です。」

厳しい冬を越える木曽谷の天然ヒノキは、年輪が狭く、木目がきめ細かいため、ヒノキ風呂に最適な木材とされています。製材されたヒノキの板は、桶工場に運ばれます。

ここで働くのは、この道23年の職人、熊倉秀雄さん。まずは板の表側を平らにし、次に四角い板に丸みをつけます。次に、板と板が接する部分に角度をつけることで、丸く組み立てることができるのです。「3枚つなげてみると、だんだん丸くなっていくのがわかりますね。」

およそ50枚の板を木目や色が合うように並べ、接着剤を使って仮組みします。半日ほど乾燥させた後、タガをはめてしっかり固定します。そして、最後に表面を手カンナで丁寧に削り、仕上げていきます。人の肌に直接触れる部分を滑らかに仕上げる重要な工程です。「手で触って、光るくらいまで仕上げることにこだわっています。」

こうして光り輝くほどに磨き上げられた木肌は、しっとりとなめらかで、触れると心地よさを感じさせます。極上の木曽ヒノキで作られたヒノキ風呂には、職人たちのこだわりと技術が詰まっているのです。

岐阜県岐阜市の背後に広がる山並みと調和するように波打つ大屋根。このユニークな建物は、なんと図書館です。建設が始まったのは2013年で、横90メートル、縦80メートルにわたる大屋根は、実はヒノキで作られています。使用されたヒノキの量は、丸太およそ17,500本分。地元の名産であるヒノキが大量に手に入ったことから、この壮大な構造が実現したのだといいます。

設計を手がけたのは、世界的に有名な建築家・伊東豊雄さん。彼は「貴重なヒノキをこんなにもふんだんに使えるのは初めて」と話します。

「屋根の構造材として、こうした工法を含めて、まさかヒノキでこれほど大量な屋根を支えられるとは思いませんでした。本当に私たちにとっては至福の経験でした。」

中に入ると、ヒノキで作られた屋根の構造が一層際立って見えます。強くて軽く、しなやかなヒノキのカーブが、壁のない広大な空間を支えています。格子状に組まれた木材の隙間からは、光や風が通り抜ける仕組みです。

「斜面がよくわかるし、いい香りがします。まるで自然の中にいるような感じで、とても癒されますね。」

「この工法のおかげで、天井が張られていないため、音が吸収されやすいです。また、ヒノキの香りが強いので、読書をするには最適な空間です。」

現代建築でもその個性を発揮するヒノキの魅力が、この図書館でも存分に生かされています。

文の流れを整理し、情報を簡潔にまとめました。

今日、二つ目のツボは、世界に誇る建築素材

現存する世界最古の木造建築、法隆寺。1300年以上前に建てられた伽藍はヒノキで作られています。『日本書紀』には「杉と楠木は船に、ヒノキは宮殿に、薪は火継ぎにせよ」と記されており、日本の建築においてヒノキ造りは最上とされてきました。

奈良市西ノ京にも、同じく1300年前に建てられたヒノキ造りの建築が残っています。薬師寺の東塔です。高さ34メートルの三重の塔は、その美しさをヒノキが支えていると言われています。

「塔全体を見ると、大小の屋根が3セット繋がっているように見えます。これによって美しいリズムを作り出しているんです。そして、その屋根を支えているのがヒノキです。ヒノキの軽さ、強さ、そして粘り強さを生かして、この大きな軒のデザインが実現しています。この塔の美しさは、ヒノキによって支えられていると言っても過言ではありません。」

2009年から2012年にかけて、東塔は全面的に解体修理が行われました。すべての部材を一度解体し、必要な修理を施した上で再び組み直したのです。この修理に携わったのが、薬師寺の宮大工の棟梁、石井博さんです。彼と修理に参加した運野さんが、印象に残る修理箇所を特別に案内してくれました。

それが、仏舎利を収める最も重要な柱「心柱」です。しかし、シロアリの被害で根元が腐食し、空洞になっていることがわかりました。

「この心柱は、そもそも塔の象徴であり、お釈迦様のお墓とも言えるものです。ですから、できる限り建てられた当時の心柱を残すべきだと考えました。」

そのため、同じ太さのヒノキを探し出し、心柱を継ぐことにしました。元の心柱を可能な限り残しながら、腐食した部分は同じ直径の新たなヒノキで補うことに成功しました。こうして、心柱をよみがえらせることができたのです。

「山から木を切り出すと、その木の命は一度そこで終わっているように感じますが、実際には、そのままの状態で生き続けていると思います。決して死んではいないんです。」

修理を通してまず驚かされたのは、ヒノキを多く使った昔の技術者たちの知恵が詰まっていることです。そして、こうした修理の技術を、私たちの世代だけで終わらせるのではなく、次世代以降にも絶え間なく受け継いでいくことが重要だと感じています。

古の宮大工から連綿と伝えられてきた匠の技。ヒノキの建築は、絶え間ない手入れによって千年を超え、今もなお生き続けているのです。

三重県伊勢市、豊かな森に囲まれた伊勢神宮。伊勢神宮は、20年に一度社殿を新たに建て替える式年遷宮で知られています。最も清らかとされる白木のヒノキで建てられた内宮の正殿。前回の遷宮の際、神様の「引越し」にあたる遷御の儀が執り行われる前に特別に撮影されました。

一回の式年遷宮でおよそ1万本のヒノキが使われるといいます。式年遷宮に使われるヒノキは、もともと伊勢神宮の裏山から切り出していましたが、中世には枯渇し、現在は他の地域から運ばれています。しかし、100年前から伊勢の日の木の森を復元する計画が始まりました。

こちらが、最初に植えられた樹齢100年のヒノキです。

「これは大正14年に植えた木で、ちょうど百年生になります。ヒノキは植えてから200年育てることになっており、今はちょうど半分、100年が経ったところです。今後、さらに100年育て続けます。」

このヒノキは将来、社殿の太い柱に使えるようにと、手入れされながら育てられています。将来の式年遷宮に使える最も品質の良い木は、印をつけて特別に管理され、それに次ぐ木も同様に手をかけられています。印のついた木が十分に光を浴びて成長できるよう、他の木は適宜間伐されています。

間伐されたヒノキは、境内の貯木場に保管され、水中乾燥と呼ばれる方法で管理されています。直径約30〜40センチメートルの木材が保管されており、水中に浸けることで内部の不純物が取り除かれるのです。

古代から受け継がれてきた先人の知恵を活かし、木材は次の遷宮でも使用される予定です。また、別の場所では、今年の春に3,000本のヒノキの苗が植えられました。この木が社殿の柱になるのは200年後と見込まれています。

「今携わっている私たちが、200年後の山の姿を見ることはありませんが、それでも誇りに感じます。」

遠い未来へと貴重な遺産を残す、大切な仕事が続けられているのです。

今日最後の壺は、数百年の時が育む

安土桃山時代の絵師、狩野永徳が描いた国宝「檜図屏風」。どっしりと根を張った太い幹、躍動するように伸びた枝、その圧倒的な存在感が見る者に迫ります。これは、一切人の手が加わらず、数百年を生き抜いたヒノキの姿です。

宮崎県椎葉村には、この「檜図屏風」と同じように自然のままの大ヒノキがあります。椎葉村の大久保集落に住む柴吉次郎さんは、幼い頃からこの大ヒノキを見て育ちました。大ヒノキに近づけるのは集落の人々だけ。特別に許可を得て同行しました。

これが「大久保のヒノキ」。樹齢はなんと800年以上。樹高32メートル、幹回りは9メートル以上、枝は四方に30メートル以上も広がる、日本屈指の大ヒノキです。

「ここにお花とお神酒を捧げます。」

このヒノキは、大久保の人々にとって神様の木であり、村の宝でもあります。

「大火の木は、私たちの集落をずっと見守ってきました。自分の体が続く限り、この木を大切にしていこうと思っています。」

古来より、日本人はヒノキに特別な思いを抱き、神聖な存在とし、異形の念を持ち続けてきました。その恵みに感謝し、祈りを捧げてきたのです。この思いは、これからも変わることはないでしょう。