美の壺 「金沢の手仕事」

百万国の城下町として栄えた石川県金沢市江戸時代、加賀藩主による工芸振興で様々な技が培われてきました二千二十年にその製造がユネスコ無形文化遺産にも登録された縁付金箔およそ一万分の一ミリの薄さその秘密は博打神にありました金沢伝統の着物、加賀雄然、独特の色と表現方法で作り出す優美な世界に迫りますそして金沢で独自の発展を遂げたのが水引贈る心を繊細な結びに込めて、今日は金沢の手仕事、その奥深き世界をご案内します。

美の壺 「金沢の手仕事」

日本の建築、美術工芸などに欠かせない金箔金を一万分の一ミリまで薄くしたもので、ほとんどが金沢で作られています紙に載せた時縁ができることから縁付金箔と呼ばれ、その製造はユネスコ無形文化遺産にも登録されています金沢市にある本願寺金沢別院です本堂には一面金箔が施されていますその数五万枚、日本有数の量を誇ります正面一番中心にいらっしゃる阿弥陀如来というご本尊阿弥陀如来様のお浄土というのは光の浄土であると言われております阿弥陀如来様のおられる光のお浄土の世界を表すために、この金箔を施しているということでございますよく見ると場所によって輝きが異なっていますこちらの 壁の 金箔は 下地に和紙を施してありますですので、少し落ち着いた雰囲気にお見受けします反対にこちらの柱の金箔というのは大変艶やかな輝きを放っておりますこちらの柱の方には金箔の下地には漆が施されてありますので、趣が全く違って見えるというものでございます下地によって全く趣が変わっていくというところも素晴らしいですし、一枚 一枚に仏様をお祝いする気持ちが込められてあるというところに、とても美しいな、 美しいの中に大変大切な意味が込められているだろうなということを思わせていただいております

今日最初のツボは荘厳な輝き放つ

金沢市、昭和初期に創業した金箔工房がありますおっと、博打職人の青島茂雄さん、金箔づくりおよそ五十年になります純金にわずかな銀と銅を混ぜたものを千分の一ミリの厚さまで伸ばし、一定の大きさに切りそろえます一枚一枚紙に挟んでいきます実はこの紙が金箔作りの要この紙ないと金箔が作れない最も大切なの元気という植物と土から作られる和紙ですが、そのままでは使いません紙仕込みと呼ばれる作業数ヶ月かけて職人自らが作ります稲わらのアクとかきしぶを混ぜた液に一枚一枚浸していきます絞り、乾かし、さらに打ち込んでなじませていきますこの髪が金箔の出来を左右するとも言われますおよそ半年、毛羽立ちがなくなり、金箔がくっつかない丈夫な髪が出来上がります紙に挟む金はおよそ千六百枚少しずつ薄くしていきます白が平均になるように、型が厚かったり、中が厚かったり

せんように、

あっち買ったりこっち買ったり、

打ち続けると

髪がへこむため、何回か髪を変えて打ち込んでいきますありがとうございました金箔の完成です厚さ一万分の一ミリツヤドローをリストした感じになってくると一番いいね仕上げは静電気で金箔がつかないよう、鹿皮を張った台にのせ、竹で切りそろえます湿潤な金沢の気候と職人技の手仕事が作り上げる輝きでへぇあ、そう面白いな これガイドブックで予習 です金沢の見どころはバッチリですねありがと金沢弁でね、ありがとうっていう意味らしいよじゃん金沢稽古ですまとっているのは加賀優先およそ五百年前の梅染めに始まったとされる金沢伝統の着 物です江戸時代に京都の奥義江市宮崎雄前祭によってその技法が確立されました写実的な柄が特徴です加賀雄然作家の奥田雅子さんです絵の力だけで表現できるっていうのは、こう科学以前の素晴らしいところじゃないかなと思いますね奥田さんは日々植物をスケッチして着物の柄に生かしています単なる模写ではありませんいいなと思ったらどういうところがいいなと思ったのを自分の中でちょっと噛み砕いて、なおかつどういうふうに配置をしたら勢いのある流れになるかなっていうので、どの一部分をとっても一つの絵になるように描くようには 意識しています加賀悠然のもう一つの特徴は色加賀五歳という五色を基調に描かれますオート園児愛草色古代紫奥田さんはこの五色をベースに様々な色を作りますん、ちょっと言葉が悪いんですよ私たちが色を殺すっていう風に言うんですけれども、派手な色でも少し色を殺すことで、落ち着いた色で馴染む色になるっていう風にやっています表現方法にも特徴が書いているのはリンゴの花まず花びら全体を白で彩色、そして外側をぼかす外ぼかしと呼ばれる技法ですこうすることで小さな花でもくっきり見せることができると言い ます、こちらは奥田さんが二年の歳月 をかけかきあげた里山の風景聖地に描かれた木々や山まるで一服の絵画のよう華やかで多彩なのに、やっぱり横が落ち着いていて、自分の思いっていうのも形にできますし、それをなおかつ来てくださる方がいて成り立つっていう、そういうのがすごく素敵だなというか

今日、二つ目のツボはタイガオマト

金沢を代表する茶屋街、東茶屋街ですこちらは東茶屋街の中でも最も古いお茶屋の一つお茶屋のおかみ、馬場花子さんですこちらは今現在でも夜になるとお座敷を上げているお部屋ですね千八百二十年に建てられたというふうに言われて、まして金沢の中に残る落合建築の中では一番希望が大きいというふうに言われています馬場さんが愛用している互い夏の茶バナのようなものをたくさん書いていただいているんですけれども、上品で切るとスッと背筋が伸びるというか、私たちはやはりお仕事で着ることが多いので、例えばこの 室内にピタッとはまるというか、お客様のお座敷の中にピタッとはまるというかそんな馬場さんの最も特別な一枚がこの振袖ですこれは私が一番最初に来たかが有前になりまして、両親が成人式の時にあつらえて着物になります二十歳の 時の思い出のかが優先特別な思いがありましたそして今年の成人式で、娘の花さんがこの加賀悠然の振袖を受け継ぎました感動しましたねやっぱりその姿を私の母親も見て涙してましたからねやっぱり彼女にとっても初めての考えですね私にとっても初めての香川優先本当に嬉しかったですね改めてその来た姿を見て、やっぱりかか優先って本当に綺麗だなっていうふうには思いましたね伝統の技とともに、着る人もまたつないでいく加賀悠然です金沢あたりではね、弁当忘れても傘忘れるなっていう言い伝えがあるらしいですよどういう意味なんでしょう北陸の天気は変わりやすいっていう意味です えっ、あ、そうそう、金沢には金沢和傘っていう雨や雪に強い若さがあるらしいですよ長さ息でいいですねいいね祝儀袋などに用いられる水引水引には、紐を引いて結ぶことで人と人を結びつけるまた、ほどきにくいことから未開封であるという意味でもあると言います和紙を小寄り状にして水のりで引くことからその名がついたと言われます結び方によって心を表現するという役割も基本となるあわじ結び簡単にはほどけないことから、末永く続くようにとの意味があります一方、あわじ結びを応用したより返し、より返す波にたとえて、良いことが幾重にも重なりますようにという意味を持っていますこちらは今後同じことが起こらないようにという結びきり金沢市にある大正初期に創業の水引工房です水引は金沢で独自の発展を遂げました一般的に平面だった水引を立体的な造形にしたのですこちらはつる、こちらは亀あわじ結びを応用して作られています工房の初代津田宗吉です平面だった 水引を立体にできないかと試行錯誤を重ねて作り上げ、図面に起こしました水引というのは気持ちを相手に伝えるということが一番重要なところなんですねそういう気持ちの延長に自然と飾り、水引が立体的になって、その飾りになってついた方が相手って喜ぶよねっていうのがやっぱりあると思うんで本来の水引の本質に合っているところだと思いますね

今日最後のツボは思いを結ぶ

水引細工はどのように作られるのでしょうか。まず、六本の水引を揃え、結んでいきます。立体的な造形は膝を使って作ります。これは初代の図案をもとに考え出されました。

「自分的には、やはり手で作るものですから、唯一無二の価値があると思っています。だからこそ、心を込めて作れば、それが人に伝わるのではないかと思っています。」

一つ作るのに数時間かけて、見事な鶴が完成します。そもそも、立体の水引細工は、折形と呼ばれる包み紙を立体にすることから始まったといいます。厚さ、幅、高さ、小さい、大きいなどで、包み方には百通りものバリエーションがあり、包み紙と水引細工が全て合わさって、送る人の思いが形になりました。職人の手仕事は、人から人へ思いを伝えます。