美の壺 「金沢の手仕事」<File615>

2024.09.11.美の壺「金沢の手仕事」

厚さ1万分の1ミリ!金箔(ぱく)の秘密は、半年かけて作る専用の紙にあり!▽金箔(ぱく)5万枚!日本有数の量を誇る本願寺金沢別院の本堂。さまざまな輝きを組み合わせて作る黄金の世界▽金沢伝統の着物「加賀友禅」。加賀五彩を基調とした表現豊かな色と、写実的な柄が生み出す優美な世界!▽金沢で独自に発展した「水引」。工房で代々受け継がれてきた華麗な職人技!<File615>

初回放送日:2024年9月11日

美の壺 「金沢の手仕事」

百万国の城下町として栄えた石川県金沢市江戸時代、加賀藩主による工芸振興で様々な技が培われてきました二千二十年にその製造がユネスコ無形文化遺産にも登録された縁付金箔およそ一万分の一ミリの薄さその秘密は博打神にありました金沢伝統の着物、加賀雄然、独特の色と表現方法で作り出す優美な世界に迫りますそして金沢で独自の発展を遂げたのが水引贈る心を繊細な結びに込めて、今日は金沢の手仕事、その奥深き世界をご案内します。

金箔

日本の建築、美術工芸などに欠かせない金箔。金を一万分の一ミリまで薄くしたもので、ほとんどが金沢で作られています。紙に載せた時、縁ができることから縁付金箔と呼ばれ、その製造はユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

金沢市にある本願寺金沢別院です。本堂には一面金箔が施されています。

西本願寺 金沢別院

その数五万枚。日本有数の量を誇ります。

「正面一番中心にいらっしゃる阿弥陀如来というご本尊阿弥陀如来様のお浄土というのは光の浄土であると言われております。阿弥陀如来様のおられる光のお浄土の世界を表すために、この金箔を施しているということでございます。よく見ると場所によって輝きが異なっています。こちらの 壁の 金箔は 下地に和紙を施してありますですので、少し落ち着いた雰囲気にお見受けします。反対にこちらの柱の金箔というのは大変艶やかな輝きを放っております。こちらの柱の方には金箔の下地には漆が施されてありますので、趣が全く違って見えるというものでございます。下地によって全く趣が変わっていくというところも素晴らしいですし、一枚 一枚に仏様をお祝いする気持ちが込められてあるというところに、とても美しいな、 美しいの中に大変大切な意味が込められているだろうなということを思わせていただいております。」高橋祐大さん

今日最初のツボは荘厳な輝き放つ

金沢市、昭和初期に創業した金箔工房・箔座株式会社。箔打職人の青嶋繁夫さん。金箔づくりおよそ五十年になります。純金にわずかな銀と銅を混ぜたものを千分の一ミリの厚さまで伸ばし、一定の大きさに切りそろえます。

一枚一枚雁皮紙(がんぴし)に挟んでいきます。実はこの紙が金箔作りの要。「この紙ないと金箔が作れない。」最も大切なの雁皮(がんぴ)という植物と土から作られる和紙ですが、そのままでは使いません。紙仕込み(かみしこみ)と呼ばれる作業。数ヶ月かけて職人自らが作ります。

稲わらのアクと柿渋を混ぜた液に一枚一枚浸していきます。絞り、乾かし、さらに打ち込んでなじませていきます。この紙が金箔の出来を左右するとも言われます。およそ半年、毛羽立ちがなくなり、金箔がくっつかない丈夫な紙が出来上がります。

紙に挟む金はおよそ千六百枚。少しずつ薄くしていきます。「白が平均になるように、型が厚かったり、中が厚かったりせんように、あっち買ったりこっち買ったり、打ち続けると紙がへこむため、何回か紙を変えて打ち込んでいきます。」

金箔の完成です。厚さ一万分の一ミリ。「ツヤドローをリストした感じになってくると一番いいね。」仕上げは静電気で金箔がつかないよう、鹿皮を張った台にのせ、竹で切りそろえます。湿潤な金沢の気候と職人技の手仕事が作り上げる輝きです。

加賀友禅

金沢芸妓です。まとっているのは加賀友禅。およそ五百年前の梅染に始まったとされる金沢伝統の着物です。江戸時代に京都の扇絵師・宮崎友禅斎によってその技法が確立されました。写実的な柄が特徴です。

加賀友禅作家の 奥田雅子さんです。

「絵の力だけで表現できるっていうのは、こう科学以前の素晴らしいところじゃないかなと思いますね。」

奥田さんは日々植物をスケッチして着物の柄に生かしています。単なる模写ではありません。「いいなと思ったらどういうところがいいなと思ったのを自分の中でちょっと噛み砕いて、なおかつどういうふうに配置をしたら勢いのある流れになるかなっていうので、どの一部分をとっても一つの絵になるように描くようには 意識しています。」

加賀友禅のもう一つの特徴は色。加賀五彩(かがごさい)という五色を基調に描かれます。 黄土、えんじ、藍、草色、古代紫、の5色をベースに様々な色を作ります。「ちょっと言葉が悪いんですよ。私たちが色を殺すっていう風に言うんですけれども、派手な色でも少し色を殺すことで、落ち着いた色で馴染む色になるっていう風にやっています。」

表現方法にも特徴が。描いているのはリンゴの花。まず花びら全体を白で彩色、そして外側をぼかす外ぼかしと呼ばれる技法です。こうすることで小さな花でもくっきり見せることができると言います。こちらは奥田さんが二年の歳月をかけ描きあげた里山の風景。

「精緻に描かれた木々や山まるで一服の絵画のよう華やかで多彩。なのに、やっぱり横が落ち着いていて、自分の思いっていうのも形にできますし、それをなおかつ来てくださる方がいて成り立つっていう、そういうのがすごく素敵です。」

今日、二つ目の壺は「絵画をまとう」

金沢を代表する茶屋街、東茶屋街です。こちらは東茶屋街の中でも最も古いお茶屋の一つ。お茶屋のおかみ、馬場華幸さんです。「こちらは今現在でも夜になるとお座敷を上げているお部屋ですね。」1820年に建てられたというふうに言われていまして、金沢の中に残るお茶屋建築の中では一番希望が大きいというふうに言われています。」

馬場さんが愛用している夏着物。夏の茶花のようなものがたくさん描かれているんですけれども、とても上品で、着るとスッと背筋が伸びるというか、私たちはやはりお仕事で着ることが多いので、例えばこの 室内にピタッとはまるというか、お客様のお座敷の中にピタッとはまるというか。」

そんな馬場さんの最も特別な一枚がこの振袖です。「これは私が一番最初に着た加賀友禅になりまして、両親が成人式の時にあつらえて着物になります。」二十歳の時の思い出の加賀友禅。特別な思いがありました。

そして今年の成人式で、娘の さんがこの加賀友禅の振袖を受け継ぎました。「感動しましたね。やっぱりその姿を私の母親も見て涙してましたからね。やっぱり彼女にとっても初めての加賀友禅ですね。本当に嬉しかったですね。改めて着た姿を見て、やっぱり加賀友禅って本当に綺麗だなっていうふうには思いましたね。」伝統の技とともに、着る人もまた繋いでいく加賀友禅です。

水引

祝儀袋などに用いられる水引(みずひき)。水引には、紐を引いて結ぶことで人と人を結びつけるまた、ほどきにくいことから未開封であるという意味でもあると言います。和紙をこより状にして水のりで引くことからその名がついたと言われます。結び方によって心を表現するという役割もあります。

基本となるあわじ結び。簡単にはほどけないことから、末永く続くようにとの意味があります。一方、あわじ結びを応用したより返し。より返す波にたとえて、良いことが幾重にも重なりますようにという意味を持っています。こちらは今後同じことが起こらないようにという結びきり

金沢市にある大正初期に創業の水引工房加賀水引 津田です。水引は金沢で独自の発展を遂げました。一般的に平面だった水引を立体的な造形にしたのです。「こちらはつる、こちらは亀あわじ結びを応用して作られています。」

工房の初代津田左右吉(つだ そうきち)です。平面だった 水引を立体にできないかと試行錯誤を重ねて作り上げ、図面に起こしました。「水引というのは気持ちを相手に伝えるということが一番重要なところなんですねそういう気持ちの延長に自然と飾り、水引が立体的になって、その飾りになってついた方が相手って喜ぶよねっていうのがやっぱりあると思うんで本来の水引の本質に合っているところだと思いますね。」

津田水引折型|石川県金沢市の結納品 水引細工店「希少伝統工芸加賀水引細工」

今日最後のツボは思いを結ぶ

水引細工はどのように作られるのでしょうか。まず、六本の水引を揃え、結んでいきます。立体的な造形は膝を使って作ります。これは初代の図案をもとに考え出されました。

「自分的には、やはり手で作るものですから、唯一無二の価値があると思っています。だからこそ、心を込めて作れば、それが人に伝わるのではないかと思っています。」

一つ作るのに数時間かけて、見事な鶴が完成します。そもそも、立体の水引細工は、折形と呼ばれる包み紙を立体にすることから始まったといいます。厚さ、幅、高さ、小さい、大きいなどで、包み方には百通りものバリエーションがあり、包み紙と水引細工が全て合わさって、送る人の思いが形になりました。職人の手仕事は、人から人へ思いを伝えます。