祝!国宝「通潤橋」▽嫁入り道具にも「橋」。縁起の良い意匠として珍重される▽もうすぐ百歳!隅田川に架かる「復興橋」▽「永代橋」と「清洲橋」、二つの橋は名コンビ?▽構造美と自然が響き合う「猿橋」▽建築写真家・藤塚光政さん、亡き友・大野美代子さんの代表作「鮎の瀬大橋」を撮る▽創建350年!「錦帯橋」を受け継ぎ、守る大工たち▽長崎・出島で橋を「拭く」?▽草刈さんも「橋」造りに挑戦!?<File 592>
初回放送日:2023年12月13日
美の壺 「時をつなぐ 橋」
2023年9月。土木構造物として初めて国宝に指定された熊本県山都町にある「通潤橋」。これは江戸時代に築かれ、現在も周辺に水を送る現役の水道橋です。特に用水路の清掃のために行われるダイナミックな放水が人気を集めています。
「橋」と一言でいっても多種多様です。奥深い山間にかかる不思議なデザインの橋もあれば、日々激しい交通を支える鋼鉄の橋もあります。それぞれの個性は、じっくり見てみると浮かび上がってきます。
「橋はその町に存在する大きな彫刻だと私は思います。」
350年もの時を経た歴史ある橋から、技術の粋を集めて作られた最新の橋まで、今回は古今東西の知られざる橋の物語をお届けします。
ちから
日本の道路の起点となっている日本橋。現在の橋が架けられたのは1911年、明治時代を代表する石造りの橋です。最初に架けられたのは江戸時代初期。歌川広重が描いた浮世絵「日本橋行列」をはじめ、数多くの浮世絵に日本橋が描かれてきました。
隅田川に架かる新大橋を描いた「大はしあたけの夕立」や、花火を楽しむ人々が印象的な絵には、両国橋が描かれています。工芸品にも日本人の橋に対する思い入れが見て取れます。例えば、住吉蒔絵蚊除けや、大名家の婚礼調度品である貝合わせの器などです。
「これは大阪の住吉大社の景色を描いたものです。太鼓橋や鳥居、松のある砂浜といった、住吉大社を象徴する縁起の良い図案は、多くの工芸品に使われてきました。」
住吉大社のお祭りを描いた屏風には、太鼓橋の頂点で神輿が担がれ、祭りのエネルギーが表現されています。
「橋は非日常的な空間となり、日本古来からの橋のイメージも重なり、非常に面白いと感じることができます。」
今日一つ目の壺は「日常と晴れが同居する特別な場所」
今日の注目ポイントは、日常と非日常が同居する特別な場所、東京の隅田川に架かる永代橋です。現在の橋は1926年に架けられ、当時の最新技術を駆使した橋梁構造が特徴です。97年を経た今もその美しさと強さは健在で、国の重要文化財に指定されています。
永代橋の歴史を辿る栗林英夫さんは、江戸時代の1698年に最初に架けられた木造の橋から、明治30年に鋼鉄を使った強い鉄橋への変遷を語ります。しかし、1923年の関東大震災では、木造部分が焼失し、逃げる人々を救うことはできませんでした。これを教訓に、焼け落ちない橋として永代橋をはじめとする復興橋が建設されました。
栗林さんが特に気に入っているのは、1928年に完成した清洲橋です。女性的な美しさと隅田川で最も多くの鉄を使用した強さを兼ね備え、復興橋の中でも際立つ存在です。
清洲橋は、ワイヤーではなく、鉄板を6枚重ねたチェーンで吊る独特の構造を持っています。この構造は日本で唯一のもので、隅田川の復興橋は当時の東京の人々に新しい時代の幕開けを告げるものでした。
「橋は町の中にある大きな彫刻です。その美しさがなければいけない。」
隅田川に架かる復興橋は、時代を超えて人々を励まし続けています。これからもその力強さと美しさで、未来へと繋がる架け橋となっていくことでしょう。
デザイン
山梨県東部を流れる桂川に架かる猿橋もまた、ユニークなデザインで知られています。猿がツルを伝って谷を渡る姿を模したという伝説を持つこの橋は、「跳ね橋」という構造が特徴です。両岸から羽根木を突き出し、上部を繋げる特殊な技法が使われています。橋を支える羽根木には、小さな屋根が付いており、雨が溜まらないように工夫されています。
「猿橋の羽根木が風景に溶け込んでいて、橋全体が自然と一体化しているところが非常に魅力的です。」
今日二つ目の壺は「自然と響き合い風景となる」
東京都八王子市にある多摩美術大学アーカイブセンターには、建築写真家・藤塚光正さんの撮影した橋の写真の一部が収められています。藤塚さんが撮影した橋のひとつ、葛飾にある東京の橋は、荒川と荒川放水路に架かる橋でした。この橋のデザインは、橋脚が京極から伸びる独特の形状で、まるで風を受けているかのように見えます。
この橋をデザインしたのは大野美代子さん。彼女は日本初の女性橋梁デザイナーとして知られ、横浜ベイブリッジをはじめ、多くの大規模な橋の設計に携わりました。中でも代表作とされるのが、熊本県山都町にある「鮎の瀬大橋」です。この橋は140メートルを超える深い渓谷に架かっており、通常の工法では建設が困難な環境にあります。そのため、橋の半分は吊り橋としてワイヤで支え、もう半分は桁橋という構造で橋脚を持たせることで、この難しい条件をクリアしました。橋は1999年に完成し、25年経った今も美しいオレンジ色のワイヤが鮮やかに輝いています。
完成当時、藤塚さんは依頼を受けてこの橋の写真を撮影しました。「25年前なんて言いますが、そんなに経ったとは思えないほど、橋は変わらずにその壮大な姿を保っています。」と藤塚さんは語ります。鮎の瀬大橋は遠くから見るとそのデザインの美しさがより一層際立ち、周囲の自然と調和しています。
「橋はその場所に存在するだけで風景を豊かにし、まるで芸術作品の一部のように感じさせます。」藤塚さんはそう語り、特にオレンジ色のケーブルが周囲の景観に与える効果を絶賛しています。
守る
続いて紹介するのは、山口県岩国市にある「錦帯橋」です。この橋は350年の歴史を持ち、地元の人々に愛され続けています。錦帯橋は、全長30メートルを超える5つのアーチ状の橋脚が組み上げられ、200メートルほどの川幅を渡る美しい木造橋です。この独特の工法は「錦帯橋方式」と呼ばれ、代々、地元の大工の技術によって受け継がれてきました。
平成13年から16年にかけて行われた「平成の架け替え」では、最年少で参加したのが大工の沖川君彦さんです。「自分がこの錦帯橋に関わることができるというワクワク感と、絶対に失敗してはいけないという強い思いで取り組みました。」と、当時28歳だった沖川さんは振り返ります。
現在、沖川さんは錦帯橋の保守管理を担当し、月に一度その状態をチェックしています。次の架け替え時には、彼が中心的な役割を担う予定です。
「錦帯橋を建てるには、技術を磨くだけでなく、全体を俯瞰する視点が必要です。遠くから橋を眺めると気付くことも多くあります。」と、平成の架け替え時に棟梁を務めた蛯崎米次さんも語ります。
錦帯橋は、木造の橋として100メートルを超える規模を持つ世界唯一の橋です。地元の大工たちが技術を受け継ぎながら、この誇り高き橋を次の世代へと繋げていく意志を強く持っています。
今日三つ目の壺は「人の想いを繋ぐ場所」
江戸時代、西洋に対して唯一開かれた場所である長崎の出島。その出島の玄関口として新たに架けられたのが「出島表門橋」です。この橋は鉄製ですが、落ち着いた色合いで歴史的な出島の景観に調和しています。橋の滑らかな曲線は未来へ続くかのように見え、その独特な構造が特徴的です。
橋全体の重さは、出島側ではなく対岸部分に支えられており、川岸に設けた支点を利用したテコの原理で橋を支える仕組みです。このようにして、国の史跡に指定されている出島側にはほとんど重量がかからないように設計されています。この橋を設計したのは建築家の渡部龍一さんです。彼は歴史的な風景を損なわないよう、細部にまでこだわり抜きました。
特に、橋のウェブ板に無数の開口がある点が注目されます。この開口部には軽量化の目的もありますが、遠くから見ると橋が透けて見えるため、橋が掛かっていることに気付かない人もいるほどです。この設計により、橋は出島の景観に溶け込み、調和するようにデザインされています。
夕暮れ時、出島表門橋の袂に人々が集まってきます。彼らが手にしているのはバケツで、目指すのは橋の上。これは「箸吹き」というイベントで、月に二回開催され、今年で6年目を迎えます。毎回およそ15人が集まり、橋を掃除しながらその美しさに触れ合うのです。
参加者の一人は「デザイン的にも優れていて、おしゃれな橋だと思います。橋を拭くことが楽しく、冬は冷たい橋を温めたいし、夏は逆に冷やしてあげたい気持ちになります」と話します。この出島表門橋はまだ架けられてから5年半という短い歴史しか持たない「新参者」ですが、こうして橋を撫で、手入れをしていくことで、徐々に愛着が生まれていくといいます。
まとめ
この活動が20年、30年、そして50年と続いていくことで、やがて出島表門橋はこの町の一部、そして歴史の一部として迎えられることでしょう。橋と人との触れ合いが新しい歴史を作り、いつしかこの橋は町の顔となっていくに違いありません。