美の壺「 屋根 」

屋根

ある時は雨や風をしのぐ役割として、またある時は建物の「顔」として存在感を放つ「 屋根 」。京都・東寺の屋根に使われるヒノキの皮むきや、ふき替え作業の匠(たくみ)の技。1400年前に作られた現役の瓦とは?建築家・隈研吾さん、彫刻家・名和晃平さんが生み出す、伝統と現代が融合した現代の屋根とは!?さまざまな屋根の魅力に迫る!<File441>

放送:2022年3月19日

美の壺 これまでのエピソード | 風流

美の壺「屋根」

雨や台風が多い日本で独自の進化を遂げてきたやね
その造形は千差万別
ある時は権威の象徴として
またある時は暮らしに寄り添う役割を果たしてきました
例えば京都御所荘厳な屋根は千年以上に渡り
匠たちによって支えられてきたもの
そして
屋根の魅力は現代建築にも受け継がれてい
ます
屋根の常識を覆すユニクな模索も
今日は
少し目線を上げて屋根の魅力を堪能する
たびにご案内します

一当時境内の一角に弘法大師空海の住まいだった道があります
二年前から屋根の葺き替え作業が行われています
桧皮葺手作業でヒノキの皮をむいていく日本独自のやね
材料のヒノキの皮の厚さはおよそ一点五ミリ
これを十センチほどに重ねていきます
一枚一枚はすごい薄いんですけど
それがこう重なることによって
こう自然の丸みというかいると思うんですよ
等間隔にずらしながら重たけの釘で固定します

は一度に三十本も口に含み尖っていない方をすぐ
に出せて一人前
四十三万枚もの皮を次々と打ち付けていきます
女に入り組んだか分もぴったり追うことができるのも
日和田だからこそ
匠の腕の見せどころが角の部分
ここ
は凹凸が複雑なため
三次元の曲を正確に見極めなければいけません
それはもう桧皮葺の一番の魅力というか特徴というか
他の子には絶対ない曲線やと思います
やっぱりこの緩やかなこのであったり
この店の曲線であったり
っていうのがこう自然な曲線が出せるか出せない感じ
屋根とって一番見えるところが大事かなと思いますけど
全体の完成形を常に考えながら一枚一枚置いていきます
屋根づくりを知り抜いた匠たちが
代々受け継いできた桧皮葺の技です
側もですねこの本当に千年以上の間に
どのぐらいのこう皮の厚さがいいんだろうとか
流せばいいだろうとかね
こう色々お試しながら
今これが一番姿として残ってきたんだと思います
今日一つ目のツボは
日和田が生み出す曲線日

都市右京区ここで
桧皮葺の材料が作られています
この赤く見えるものが皮を剥かれたヒノキ樹齢百十年頃のものです
百年経った木を一度向いてさらに十年かけて夕日を再生
こうすることで
初めて屋根の材料として使えるようになるといいます
正面がもう全くやって全部最初に向いた側は折れやすいため
その下の層を育てて使います
僕らが油系とか言うんですけど
これ降った光沢があるようなことを油汚れてるんですけど
まそういう言われる側は良質な革なんで
これを取っていくような感じで
くっつけられるようにやっていきますね
鬼怒川っていいます
これがまこれがだから
油気が一番含んでる部分で良質な材料になるやつ
なんではい赤いそうと樹皮の間にある薄い絹川
これも一緒にはぎ取って
いきます
そうすることで水を通しにくく
強い屋根の材料になるのです

ねばリテラルというか
こう

岩田を向く人々は本川氏と呼ばれます
全国におよそ二十人しかいない専門の職人です
本川氏が火を昇り降りするのに使う道具は一本のロープだけ

を傷付けずに上り下りすることで
十年後にまた良質の日和田が取れるのです
樹齢
百十年以上のヒノキから丁寧に剥ぎ取られた
桧皮二人がかりで
一日に取れる量は三十キロほどです
取れた日和田は形が整えられていきます
両方系を斜めに切って片方をひっくり返し
日和田膨張という特殊な包丁の先で固定します
基本の形は台形屋根の外から見えるのは広がった方
体型にするのは全体の厚みを均一にすることと
貴重な桧皮を効率よく使うためでもあります
引き上げ
に曲がった包丁で底辺に丸みを付けます

屋根のか分や反り具合を自分で確認して
株を細かく設計えー仕事から生み出される
桧皮葺の屋根伝統に培われた曲線です
よいしょあなるほど水槽で羽を伸ばしてあれどこによるね
引っ掛かり引っかかりよ辺辺り

あっこれ
ほら竹とんぼですよ
確かね飛ばし引っ越した時にね
亡くなったやつえー屋根の上だったんだ
まあ五十年以上もよく風雪に耐えましたね
ボーヴェし帰宅
六甲山の北側には今も茅葺の家がおよそ七百と残っています
中には千年以上も前に建てられた
日本最古と言われる民家もあります
茅葺き屋根の特徴は
雨水が蚊帳の中を抜けていかないように勾配を急にしてあること
茅葺きのかやとは足やススキわらなどイネ科の植物
木の中が空洞になっているため断熱の効果があり
夏は涼しくて快適と言われます
家の屋根を茅葺きのまま残したい
そんな家が地元で増えてきています
年中どこかで屋根の葺き替え作業が見られるようになりました
この日屋根を解体するのは若い職人たち
リダは地元出身下がら幾也さんです
何かあの昔の蚊帳も
こうやって見るとささが混ざってたりとかして
当時その茅場っていうんですけど
皆が入ってるところ植生が分かったりするんだからね
こねくりの作業はねあの進まないですよね
何があるかな
何か生えてたかなと想像しながら
カマキリの卵とか昔の昔の出てきたりとか楽しいでしょう
これだから元々は結構長かったんで
高いところに卵を産んでるから当時結構雪が降ったのかなとかね
記事の卵を見たらその年の雪の量がわかるって言いますから
タイムカプセルですよ本当に
ここでは昔から田んぼの畦で茅が育てられてきました
今も自分の田んぼの横にある茅場で鈴木を育てている人がいます
晴れて丈夫になった鈴木の萱それを借り入れます
農家のくだら高木さん
生まれてからずっと茅葺き屋根の家で暮らしてきました
自分で蚊帳を集め
自分で屋根を吹いてきた最後の世代ひと一倍愛着があります
いや前の綺麗じゃないテレビがない
きれいな分からせれば井村やり大変
大変吹き替えたばかりのくだら三名や色に濃淡があるのは
時代ごとに茅の一部を残して再利用しているためです
こっちがこうくみ取ろうとしないと一切何も答えてくれない
それこそあのー何でしょうかね
あの頃のおじいちゃん
おばあちゃんみたいなもので基本無口だしシャイなんです
でもこっちがこう積極的に関わって何かをくみ取ろうと思うと
ぽつりぽつりとあの時間をかけて語ってくれる
ので二つ目のツボは屋根が語る日本の風景
日本で一般的な屋根といえば
瓦屋根現存する最古の瓦屋根が奈良の元興寺に残されています
日本で初めて作られた寺飛鳥寺を移築しました
その瓦屋根は
見た目が色とりどりあのこの辺に
全部ま瓦が集められているわけですけれども
明らかに千四百年前一番古いだろって呼ばれてるのが
あのこちらの方の黒いっぽいからそうです
黒っぽく見えるのが六世紀末に作られたとされる日本最古の瓦
その数二百余り他の時代の瓦とともに長年寺を守ってきました
あの日の当たるところとあの当たらないところ
煙が当たるところによって
黒っぽいのと赤っぽいのになるでしょうね
それを固めてみると
まあまあまだらになってああいうなんとも言え
古代の色って言うんですかね
どこのお寺も
そんなに色統一された色にはなってなかった可能性が高いですよね
千四百年の長きにわたって現役頑丈な河原だからこその光景です
元々瓦屋根は
寺や特権階級だけに許された権威の象徴でもありました
やがて街に家が密集するようになると恥が多発し瓦が解禁
庶民の家も板葺きから瓦屋根になりました
普及するきっかけは十七世紀後半ある瓦の発明でした
二つの瓦を重ねていたものが一つになり
さらに簡略化
安く大量に作れるの字型の桟瓦に紋柄武器はやっぱりあのー
高くつくものと瓦がたくさんいると思いということで
それからまあの火災とかそういうものが一番怖いということで
それで江戸時代に相良ができたと大きな転換でです
のでそれは涙出はなかったと思います
さらに町屋には隣の家事を避けるための壁も作られました
うだつですこれを瓦葺にするのがはやり
河原のうだつを屋根に挙げられてこそ
一人前うだつが上がらないという慣用句にもなっています
茅葺き屋根と瓦屋根暮らしに寄り添ってきた日本の風景です
よいしょよいしょ
降った降ったあれ
お金じゃない
ですね
派ですか

誰かが

広島
県福山市にある新勝寺

その隣に造られたのが瞑想を体験できる工程です
屋根はこけら葺きという小さい板を重ねた
伝統的な手法で作られています
しかもそのこけら葺が軒の下側にも
木材が建物全体をすっぽり包んでいます
その一五十九万枚に上ります
この建物をデザインしたのは彫刻家の名和こうへいさん
いわゆる屋根裏部屋をどう使うかっていうことで
まこの物質的な海をこの石の庭で体験してで
その空中に浮いてる船の中で意識の海と出会うというようなま
そういう体験を作るっていうこと
に強くこだわってました
自分のスタジオが京都なので
京都のお寺とかいろんなものを参照しながら
このボリュームとここの空間と
どういう風にアジャストしていくかっていうのは常に考えてました
出来上がった時は全体が同じ色でした
一年半が経ち
屋根の部分だけが日差しや雨で変色
屋根の存在感が際立ってきました
屋根の伝統的な技法が現代の建築にも刺激を与え続けているのです
今日最後のツボは
伝統と織りなす未来系

東京港区
ここに屋根が印象的な美術館があります
根津美術館切妻と呼ばれる三角形の瓦屋根を持つ建物です
入り口
までのアプロチが大きく張り出した時の下
屋根の下を通るうちに
次第に街の喧騒を離れ美術を鑑賞する
気持ちになるのが狙いだとか

建物に入ると目の前の庭にも軒が張り出し
屋根の傾斜に合わせて天井が張られています
屋内でも屋根が感じられる仕掛けに設計したのは
建築家の隈研吾さん
建物と環境をなじませるのに
屋根は重要な役割を果たすと考えてきました
二十世紀にいわゆる近代建築っていう
あのコンクリトや節電できたその箱型の機能的建築が出てきた時に
一旦屋根は否定されたんですね
屋根みたいなのはま無駄だじゃ
まだ四角い箱が一番作りやすいんじゃないかっていうのが
そういう時代が二十世紀の最初に来る訳ですでところがですね
そういう箱が並んだ年っていうのが非常に殺風景でで軒下もないし
雨宿りもできないしでそういうふうに箱を越えようっていう
ふうにみんなが思い出した時にあ屋根があったじゃない
あの屋根をうまく使っていけばもう一回都市の中に潤いとか
あるいは何か人間をいやす力とか
そういうのを取り戻せるんじゃないかって
そういうことに気づいたのが今っていう時代だと僕は思いますね
でこの根津美術館の場合は
それを感じさせるために屋根の軒先をですね
なるべく下にこう下げてきてるんですよ
でそのためには少しあの急勾配かなと思うぐらい
角度急に下ろしてきてですね大胆に降ろされたやね
その傾斜は美術館の庭に繋がっています
更に建物と庭をなじませるためある工夫が凝らされていました
そうですねあのこのあの屋根で一番特徴的なのは
ま二段葺きになっていて
それで下の段の方
下の段の軒が金属でシャップになってるってことなんですね
でそれによってそのシャープなエッジ
先端が庭との連続性っていうものを作ってですね
これだけの周りに高層ビルが建っ
てる中であのこの庭っていうのは
まあ一種のあのオアシスなんでその庭にですね
あの屋根をこううまくこう添わしてくることによって
このオアシスの持ってる柔らかさみたいなものを
この屋根がま思ってですね
だからこれが止めじゃなくて
四角い箱の建物があったら
こういうなんか
オアシス感とか守られなかったら出なかったと思います

の中でもどこかほっとできる
屋根ならではの魅力です