セレクトショップが「日本の食卓にやちむんはぴったり」という理由とは?▽古陶から現代の器まで、600点以上のやちむんを集めた店主が語る、やちむんの魅力▽民藝(みんげい)の柳宗悦や濱田庄司も絶賛した、人間国宝のやちむん▽琉球王朝の品格を受け継ぐ現代の技▽曲線に沖縄の美が宿る!沖縄6地域の赤土をブレンドして作る伝統の「嘉瓶(ゆしびん)」。▽「シーサー」がみんなに愛される秘密とは?!<File571>
初回放送日: 2022年12月9日
美の壺 「沖縄のやきもの やちむん」
沖縄の土で作られた焼き物やちむんです。
やちむんとは焼き物を意味する沖縄の言葉。
自然を写し取ったような鮮やかな色彩。
暮らしに育まれた形。
やちむんは沖縄が琉球と呼ばれる王国だった頃から人々の暮らしに寄り添ってきました。
沖縄のシンボルシーサーのやちむんです。
原料となるのは沖縄の赤土。
陶工の手と炎の力を借りて新たな命を宿します。
どっしりとたくましい形の中に秘められた美しさ。
今日はやちむんの魅力を紐解きます。
多様
東京世田谷区。うつわのセレクトショップうつわのわ田。
東京の食器専門店・うつわのわ田で理想の陶磁器に出会えます
今注目を集めているのがやちむん。その種類は様々です。
沖縄の自然を思わせる豊かな色彩。
素朴で温かみのある形。
沖縄の言葉でマカイと呼ばれる丼。
沖縄そばで使われるなどマカイはやちむんを象徴する普段使いの器です。
「やちむん全般がかなり土を感じられるポッテリとした力強い厚みがありますので、特にマカイっていうのはそれを感じれると思います」
模様や装飾も様々です。点打ち(てんうち)、唐草(からくさ)、イッチン、線彫り(せんぼり)などの模様や技法。
水玉模様は伝統的なデザイン「点打ち」。唐草模様には子孫繁栄を願う思いが込められています。白い粘土をスポイトで垂らすイッチンの技法。沖縄に古くから伝わる線彫りが施されています。
削りながら図柄を浮かび上がらせる装飾です。
「生き生きとしてる感じ。動きがあるのが魅力かな。動ですねやちむんは。日本の食卓って和食も食べるし洋食も食べるしエスニックも食べるし中華もあって、テーブルの中でそれがごちゃまぜになる時があるじゃないですか。そういうのが全部やちむんがあるとすべてカバーできます。包容力があるのかなと思います」
今日一つ目の壺は「どっしりと包み込む」
沖縄県那覇市壺屋。壺屋は沖縄が琉球王国だった頃からやちむん作りが盛んな場所です。
ここにやちむん好きが高じて泡盛と沖縄料理を楽しむ飲食店を始めた人がいます。 オニノウデ 店主の 佐久川長将さん。
400年前のものから現代の器までその数600点以上。
沖縄の赤土だけで焼かれた酒器、鬼の腕。
腕っぷしの強い船乗りたちが愛用したことからその名が付いたといわれています。
「大きい酒瓶の間にクッション材としてですね、ずれないように持って行って、途中海賊とかもいたらしくてですね、その時にあの後両手でですね、持って大きく見せたっていうことも聞いてます」
こちらはカラカラと呼ばれる倒れない形が評判となった徳利。
かせかせの方言からからがその名の由来とも言われています。
抱く瓶と書いて抱瓶(だちびん)。
三日月形の徳利は琉球貴族が好んで用いました。
「馬の競技の装飾として使ってたっていうのを聞きました。陶器やちむんはですね育てるっていうことで沖縄の食材でお料理を作って大切に使ってます」
家庭料理からハレの日のごちそうまで。
沖縄の自然の恵みに優しく寄り添うやちむんです。
風土
沖縄では古くからやちむん作りが盛んでした。
琉球王国の時代より、中国や東南アジア、朝鮮の影響を受けながら独自に発展しました。
しかし、第二次世界大戦で焦土と化した沖縄では、戦後間もなく、収容所から百数十人の陶工が壺屋に送られました。
生活のための茶碗を焼くために、焼け残った登り窯でやちむん作りが再開されました。
そのうちの一人、金城次郎が沖縄で初めて人間国宝となります。
民芸運動の柳宗悦や陶芸家で人間国宝の濱田庄司にも高く評価され、その名は全国に知られるようになりました。沖縄県南城市では、琉球が育んだ精神と技が今も引き継がれています。石倉一人さんもその伝統を受け継ぎ、創作の源は潮が引いた時に姿を現す珊瑚礁から着想を得ています。
彼は、青の濃淡で沖縄の唐草模様と可憐な花を、風にそよぐ様子で描いています。この日取り組んでいたのは、線彫りで唐草を表現する作業です。幹の部分は有馬国風で、道具を工夫し、細い線や抑揚、深さなど、筆のような感覚で彫り進めます。葉の部分は別の道具を使って繊細に仕上げます。
石倉さんにとって、祖父が作ったやちむんは特別な存在で、その佇まいには品格があります。沖縄の焼き物を考える際、祖父の作品を見返しながら新たなインスピレーションを得て、自然の恵みを映す作品作りに励んでいます。
二つ目の壺は「自然の恵みをうつしだす」
沖縄県読谷村。
年に四回、土づくりを行います。原料となるのは、沖縄北部六つの地域、名護、石川、屋嘉、谷茶、喜瀬、嘉手刈の土で、個性豊かな土をブレンドし粘土状にします。それを赤瓦に乗せていきます。瓦の吸水性と太陽の力を借りておよそ半日。これを集めて、機械化が進む中でも伝統の土作りを続けています。
四人の陶工がこの窯で作陶を始めたのは30年前のことでした。その一人、松田共司さんは50年近く土と向き合ってきました。松田さんが追求するのは伝統的なやちむんで、優雅な曲線を持つひょうたん型の油壺(ゆしびん)。祝儀や祭祀などで酒を運ぶのに用いられました。
「中国や日本本土にもなかなかない形なので、その沖縄独特の形というものなんですね。しっかりとした、たくましい油壺を表現したいなという自分なりの思いですけどね、これね」
ろくろの成形は一発勝負。粘土の塊に手を入れて、胴をしっかりと立ち上げて、さらに首を作っていくバランスもあります。
「一気に持っていくというのと、線が入るんでしょ。しっかり立ち上がっている力が欲しい」
そして首の部分、松田さんは細く長く作ります。形ができると白化粧を施します。そして、釉薬。サトウキビと松の灰を混ぜた釉薬、真鍮で波柄を描き、ガジュマルの灰を混ぜた釉薬を流しかけます。
こうした伝統のやちむんを残したいと、松田さんは作陶を続けています。
「僕らの時代というものがあってね、その一部になるんだと。沖縄が非常に楽しい。自分が沖縄で何もないんだ。自分の正体を見つけ出したかったから焼き物をやったというのが本音なんですが、できるものならもうちょっとその素晴らしい形を自分も作ってみたいな」
仲間で協力し合って登り窯を焚いて、松田さんの嘉瓶(ゆしびん)が完成しました。
シーサー
台風や厳しい歴史を乗り越えてきた沖縄には、その風土が生み出した「やちむん」という焼き物があります。やちむんには、自然や文化から受けたたくましい力が宿っており、その力が病気や災いから守る力とも結びついていると考えられてきました。
やちむんの象徴として、シーサーが挙げられます。シーサーの起源は、百獣の王ライオンとされ、災いを防ぐために集落の入り口に石獅子として置かれました。沖縄では「マジムン」と呼ばれる悪霊を追い払う役割も果たし、シーサーは家の守り神として屋根の上に飾られるようになりました。この伝統的なシーサーの造形は、沖縄の焼き物作家たちによって今も受け継がれています。
今日三つ目の壺は「土に願いを込めて」
沖縄県大宜味村の山深い窯場 陶藝玉城(とうげい たまき)で生まれ育った玉城望さんは、ユーモアがあり、子供たちと一緒に遊ぶような温かさを持ちながら、シーサーを制作しています。彼が作るシーサーは、悪霊を威嚇するだけでなく、幸せをもたらす存在であることを目指しています。シーサーの骨組みは、轆轤でひいた筒を組み合わせて作られ、大地をしっかりと踏みしめる姿勢が表現されています。
シーサーの顔や動きにも細かな配慮がなされ、堂々とした表情や、風に負けない力強さが意識されています。手のひらいっぱいに広がる大きな顔には、強さと温かさが込められており、製作の過程でその表情が少しずつ形になっていく様子に楽しさを感じると、妻の和歌子さんも語っています。
玉城夫妻が22年前に作った登り窯で、三日三晩かけて焼き上げられるシーサーは、沖縄の土と火の力によって命を吹き込まれ、人々の暮らしを守り続けています。