島根県出雲地方は、日本刀に欠かせない玉鋼の産地。そのゆかりを生かして日本刀と同じ手順で作ったぺティナイフ。また、刀の鍛え方を参考にしたフライパン作りを紹介。 島根県出雲地方は、日本刀に欠かせない鋼鉄、玉鋼を生み出す唯一の場所だ。そのゆかりを生かして、地元の鍛冶師たちが台所用品を作った。一つは日本刀と同じ材料、同じ手順で作り上げたペティナイフ。しかし、一つだけ大きな壁にぶつかる。それをどう乗り越えたのか?また、コロナ禍で家食が注目される中、評判を呼んだ鉄のフライパン。カギは鉄の鍛え方だが、それは刀匠だった父や祖父の技と知恵を随所に生かしたものだった。
放送日: 2022年11月25日
イッピン「日本刀とのゆかりを生かして〜島根 鉄製品〜」
武士の魂と言われてきた日本刀。
その研ぎ澄まされた美しさは今で注目を集めています。
そん日本刀と縁の深い場所が島根県の出雲地方です。
日本刀に欠かせないあるものがここで作られ、刀鍛冶をはじめ多くの鍛冶師がいました。
そして今ここで生まれたのが切れ味抜群のペティナイフ。
材料も作り方も日本刀と同じなんです。
「作り自体も日本と同じような感じで作っておりますので、切れ味と粘り強さ。皆さんに知っていただければと思います」
熱がよく通り、料理が美味しく仕上がると評判のフライパン。
その秘密は日本刀を作りの技を随所に活かしたこと。
刀鍛冶の家系に生まれた鍛冶師が作ったものなです。
「藤岡家ではと日本という存在がすごく大きくて、重たいことになっていましたが自分の中にも行けずいていることですね」
日本刀とゆかりの地で生まれた台所用品。
そこに込められた技を見つめます。
黄色に輝くこの金属玉鋼と呼ばれる最上級の鋼鉄です。
硬いだけでなく粘り強さもあります。
日本刀に欠かせない材料
それがこの玉鋼なんです。
作られているのは島根県の奥出雲町。
作業の基本は砂鉄と木炭を粘土で作った窯に入れること。
これを30分おきに三日三晩続けます。
砂鉄は純度を上げながら窯の底に落ちて固まります。
ものを見極めながら窯に入れる砂鉄と木炭の量を調整します。
最後に窯を壊し鉄の塊を取り出すまで成功か失敗かわかりません。
塊の中の銀色に輝く部分が玉鋼。
投入した砂鉄の1/10しか玉鋼にならないと言われています。
それほど貴重で、また高価なものなのです。
玉鋼の産地。
瀧奥出雲町にある鍛冶師の工房です。
で楠清典さん
この地で代々包丁や農具を作る鍛冶師の家に生まれました
今作っているのはこれが私が作った縁なしで
実は玉鋼で作った問題です
玉鋼で作る刃物包丁ではなく
一回り小さなペティナイフにした理由は
玉鋼自体が高価なハガレンでして
あの一般的に
あの包丁に使ってはあの高くつくっていう感じになりまして
まあそれでもあの奥出雲町
特産品のあのものです
自分でも納得して
あのお客さんにまー高いお金は出していただいても
これはもうちょっとやっぱり違うね
っていう風に言われるような商品を
まず作りたいっていう風な思いありましたんで
この家で生まれる最高の鋼鉄玉鋼それを日常の暮らしに活かしたい
刃渡りじゅーごCM以下のペティナイフなら
値段を抑えることができるそう考えたのです
正しい作り方は
できるだけ日本刀と同じにする
関西への道のりは楽ではありませんでした
玉鋼の硬さと粘り強さそれをさらに強化します
土の中で寝しては叩いて伸ばす
途中で切れ目を入れ折り返します
これを繰り返すといくつもの魂金の層ができます
子牛玉鋼独特の強靭さが増していきます
長ささんCMほどの玉鋼の板いちにーさん
CMぐらいに伸ばそうと思ってます
厚みがななミリぐらいありますかね
最終的ないちミリにミリぐらいですかねにしようと思いますね
徐々に刃物の形が現れ始め
ました
ほぼペティナイフの形になりました
でも難しいのはここからだと言います
柔らかいところも残し
あの固いところも固くするっていうことをしないと
あの包丁としてあの切れ味が宿りませんので
まだ出来上がってませんいい本当には
硬い部分と柔らかい部分がありまあなたはボルサに通じます
柔らかい部分がしなやかさを持たします
焼き入れという作業で硬さと柔らかさを両立させます
まず投資にyakima土という土を塗って行きます
畑には
その他は
厚く塗ります
その中で十分でしてから一気に水の中
土を薄く塗ったところは急速に知らされたんとか
鉄の中に閉じ込められて硬くなります
一方厚く塗ったところはゆっくり消える家に炭素が逃げ出し
柔らかくなります
この日本刀の焼入れと同じことできないと
でも行う必要が楠さんのこだわり
です
しかし日本刀とペティナイフでは大きさ厚さが全く違います
土を厚く塗るのはどこまでなのか
薄く塗る葉先の部分はどの辺りまでなのか
焼き入れは違う
家辺りが暗くなってからごぼうのあかりも全て落とします
土の中のペティナイフの色で何度になったかを知るため
目指すのはおよそはっぴゃくド今です
素早く水につけま
その結果は刃先が欠けて手順に誤りはなかったはずなのに
なぜこうなったのか何かが悪くてあのあれが出たんだと思います
問題は何かを考えた末出した結論は焼き場土の塗り方でした
土を厚く塗る部分を増やしなるのを防ぎます
そしてもう一つやっぱ月の厚みですね
まあ焼き場土のでこぼこしてたんで
薄いところはちょっと焼けやすい
アピタから焼肉
創遊村ができたかもしれそれのせいで
焼き割れが起きたかもしれないと思ったら
その辺ちょっと鳴らして均一な感じにして
焼き色をやってみようかなっていう風にやって本当に雨
ペティナイフ自体
が薄いもんでちょっと先生にしたほうがいいのかなと思って
歯がもろに当たった時衝撃を和らげるクッションの働きをする
胸の部分ここにさんミリの土を塗ります
乾燥させた後作業台で家をこすり落とし
ほぼにMMの均等な厚さにしていきます
子牛亭焼入れに再挑戦です
溺愛良かったと思います
まだ最後あのトイレ見ないとはっきり分かりませんけども
良いものができたと思う
鋭い切れ味としなやかさを併せ持つ玉鋼のペティナイフ完成です
玉鋼の切れ味と粘り強さ
これがあの皆さんに知っていただければと思います
できなかったら
もうちょっとお客さんに自信を持って立つことができないんで
それができたことが一番まあ嬉しいですね
奥出雲町の北隣日本海に面した安来市
江戸時代には鉄の積出港だった町です
玉鋼もここから全国に出荷されていました
刀鍛冶の攻防が何件もありました
ここもその一つでした
こちらこそよろしく
今作っているのは宿題や柿など鉄製の工芸品ですので
日本刀を中心に作っていまして
動くの小さい頃に本当実際に見たいとかですね
作ってるところの風景とおぼろげながら記憶に残ってるんです
けども
祖父の木久扇さん
戦前から戦後にかけて数多くの日本刀を手がけます
ポルチオでは名の知られた投稿でした
父の浩成さんもその技を受け継ぎました
1996年の映像が残っています
広也さんごじゅーよん歳
確かな腕を評価されない
このろく年後に最後のひとふりを作った後に
本当を手がけていませんが店の注文がめっきり減ったためです
広成さんは日本島への思いを断ち切り鉄の工芸品に活路を求め
お父さんもその後を引き継ぐことに
そんなことをさんがに年前から出かけているのがこれです
ちょうどコロナになってですね
展示会の数が激減しましてで
時間もできたんで
ちょっとそれに新商品として向き合って作ったのがこのフライパン
コロナ禍のため家で食事をとることが多くなり
このフライパンが注目を集めます
短時間で火が通り食材のうまみを逃しません
日本刀を作る時の技とクルーガーここに生かされて
いるんです
築ひゃく年を超える工房
ソフィア父が日本刀を作っていた場所です
材料は丸い穴の歌ろっぴゃくドの牢に入れて熱し
柔らかくなったところを金槌で叩いていきます
またことで熱が硬くなり
同時に不純物が飛び錆びにくくなり
難しいのは縁の部分を
同じ角度を同じ高さに立ち上げなければなりません
叩き方を変える必要があります
強く叩くと歪んでしまいます
微妙な力加減が求められます
ヒントになったのがいい本当の形を整える木づくりという工程
後藤さんが幼い頃何度も目にした作業です
父は細心の注意を払って刀を叩いていました
父の仕事場が元ネタ遊び場みたいなものだったのでも
無意識のうちにね
作業する風景だったとか建て方の所作だったりとかですね
飯食いに行こう遺伝子じゃないですけども
振り込まれてるみたいなと思います
かなづちを軽いものに持ち替えます
そのぶん時間はかかりますが
こんこんと同じ強さで根気よく叩きます
口ができたら平らな重しをのせ
大きな金槌を使って表面の凹凸をならします
こうして初めての試作品が出来上がりました
しかしそこにはある重大な欠点があったのです
IH調理器に乗せてみたところ
グラグラして安定して電気が通ったり
通らなかったりでうまく加熱できなかったのです
表側は平らなのですが
裏側に見た目ではわからないほどの凸凹があったのです
そのわずかな歪みにIH調理器が反応してしまいました
後藤さんはIH
調理器がそれほど敏感に反応するものだとは
思ってもいませんでした
それもそのつもりみたいだし
見た感じでそんなにするっていうところはなかったと思いますので
意識してなかったですね
一切今終了になってるIHで使えないと
道具としても機能しないんじゃないかなって
もう一度見して書き直すのか
でも目下鉄は柔らかくなり
変形しやすい同じことの繰り返しになります
ここでも日本刀を作りがヒントを与えてくれました
形を整える最終の工程から締めです
消えた状態でわずかな凹凸を鳴らすのです
ただし冷えた硬い鉄を平らにするのは容易ではありません
必ず大きくて重いものを使います
整形した金槌のいってんなな倍以上の重さがあります
裏側のほんのわずかな歪みを見つけては叩き続けます
大事
なのは
私座ることで体の軸がぶれ
ないようにします
膝の内側に肘を当てて固定し
金槌がいつもまっすぐに振り下ろされるようにしました
スローで見ると垂直に当たっているのが分かります
ちょっと中央がまだ盛り上がってる感じなんで
今日もいちどるだそうですね
ほんのごミリぐらいあるかないかぐらいかな
獣王
の膨らみを叩きながら外側に
逃がしていきます
これで行けると思います
IH調理器が使えるほど平らにすることができました
もう一つ持ち手の部分にも日本刀作りの知恵が活かされました
それは刀の鍔を作るときに使うもの
この道具で先端に唾を吐け漏電にします
でも持ち手はそれほど熱くなりません
どうしようかなと思っていて
報告を散らしていたらこれ貼ったので
この持ち手のこの持ちやすさをフライパン
苦手な
持ち手は
折り曲げて隙間を作ってあり熱を逃がしてくれ
ます
この形が使えるのではないかと気づいたのです
少しへこんでいるのは持ちやすくするための工夫でした
これなら熱くなったフライパンも持てるといいます
日本刀を作りの知恵と工夫それは行動フライパンの中に続けている
後藤さんはそう言います
ボート船体が培ってきた時に本当中ですね
それを作る資格模擬そんなところがないんですけども
それがずっとこう自分に合っていてもらってくるのが作ってる作品
ガチガイドひゃく
年にひゃく年とも
知っていただけるような作品を
作り続けられないっていう意味で言うと怒ってる
なんて
島根県出雲地方に本当と深い縁を持つこの地には
その伝統を今に生かそうとする職人たちがいました