日曜美術館 「陶の山 辻村史朗 」

日曜美術館 「陶の山 辻村史朗 」

荒々しさと静けさが同居する唯一無二の作品で知られる陶芸家・ 辻村史朗 。20代で奈良県の山中に自ら窯を築いて以来50年、師につくことなく一人で土と格闘してきた。自宅と作業場がある2万坪の山には、生み出した数十万もの焼き物が無造作に置かれる。「焼き物の真骨頂は、茶碗。」信楽、備前、唐津、伊賀などあらゆる茶碗に挑んできた辻村が、今最も心血を注いでいるのが志野。作陶の道を究め、挑み続ける創作の現場に密着!

放送:2022年7月24日

 日曜美術館 過去の放送 | 風流

日曜美術館 「陶の山 辻村史朗」

何かも学べますので
もしそれがいちじかんでも見てられるような魅力があるんですよね
ちょっと惜しいなってよ
それは言葉には出せないもんの面白さっていうのは
これは誰に文句を表現しもんやと思うんです

のことならから車でさんじゅっぷんほど

よろしくお願いします
もう着きますよろしくお願いします
もう行って拾ってきたもん
もうに階ですボタン育ててる
時はどこ住んでても来ないし
起動できたテントを張って寝たら
お正月からやったらマイナスごじゅーろく摂氏温度って
ここで投稿より寒いとこに出ると人間がいられるみたい
普通に置いてる店
すごいですね
なんかなんか自分で作ったんですか
全部全て消すから末広できでは
どうしてぐちゃぐちゃになってたんだよ
持って来たんですか
これは家事で頭の中に捨ててる最中のとこ行ったら買い取りする所
こうたのはガラス瓶で頭そちらですかはい電話してまして
この家を作るときも一緒だったのでその代わりです

野菜はいっぱい取った方がいいんです
一番怖いらしいです
自作の器に手料理が並ぶ何でも出来上がった器は
みえこさんが優先的に手に入れるらしい
敷地は広さにまん坪
そこには驚きの光景が広がっているみたいな
辻村は自ら焼き上げたものを消して壊すことはない
あのなんやそっくりの置いてる場所おいて何ですか
何か入ってるたっぷりです
そんな裏もだいぶ前に埋めたものなんですか
見えてない勝てない勝てないんだ
勝手に動いただけで枯葉とかで埋まっちゃったんすかね
とも入るも入るの花も嫌やなそれすぎる
これはさんじゅー号車ですが
集まってきたのかなってるみたいすごいね
器が自生してるみたいな古代遺跡に行ってきたんですね
たとえ土の上に転がしておいても一つ一つが大切な作品
6月まで京都で開かれていた辻村の回顧展
そこで展示されていたのは皆あの山に置かれていた
焼き物
おかしいよおかしい
考えてるお金で雇われず
どっちが破れるかもしれ一応これをした者です
こうやって反応してる感じ

辻村の作品は世界へ
全種類の絵の具
セラミックス
lotOFgreen
いちろく巻blu-ray
辻村の作品はメトロポリタン美術館を始め
今や世界各国の美術館に収められている
1月中に不倫相手に負けたくないで一緒に走り始め
これこれ俺を怒ってたので
走れ作業が必要だな
ここで作られたんですよ
どこで座ってやってるんですか
コロコロはどこですかってあったんですか
電気つけたらには
このに年間没頭してきたこと

あった
どのぐらいかけて
これだけの量わかる失敗失敗
第よんせんごひゃく波の湯文化の黄金期跡地
桃山時代に作られた市の茶
は柔らかな白に浮かび上がる赤
この茶碗を作ることに夢中になっていた
ちょっとあのあそこ行っても軽い感じになるんですが
特殊なもんでないですね
ほらほらそこら辺で持ってきて使うんですけど
あれだけもらってきたんですけど
にじゅっぷんぐらいあるかで死ぬまで着かへんの足では来れません
ドレン口に手を添えると瞬く間に器が形になっていく
このいっぷんかからへんぐらいと思ってるから
もうこれを言ったらやってるから
気になって気になって気に
なる気になるって多いので
朝のにじに起きてこないで削ったりとか
前向きっていう言葉じゃなくてなんていうかな
やりたいことに対して
前のめりに行くっていうのもつんのめってる状態みたいなね
せっかちも普通の人じゃちょっと理解できないぐらいに
せめてにおいてなんか前しか見てないですねほんまの目の前歯科
たとえ常識破りでも気になったことは
やってみなければ気が済まないお体を大事にする人もいるみたいな
私の声はもう結果が大事になってんだから
電子レンジで焼けた電子レンジでもいいんやけど
それが魅力的な文だったら
それはそれでいいっていうあの概念なんです
よ私を私のやり方でやってるっていう感じですかね
だから電気釜で歯の焼いても結果はえもんで
霧はそれでいいやろうっていうことでやってます
このに年で作った子の茶碗はよんせん個
しかしまだ望む茶碗は手にできていなかった
とし殺しのをやってるんですけど
古いものならではの面白いなと思ったもんがあって
ここののはながきっていう
あの死ぬの有名な茶碗があるんですけども
寝起きではないんですけど
魅力あることは確かで
それに匹敵するような魅力のあるもできたらいいなと思って
何千凝って作ってるんかもしれんなんですね
なら
の牧畜を営む家に
生まれた

の道をずっとやってたんやけど
学校へ行く
そういうのもやっぱり自分の中では合わないような気がして
放浪の画家みたいに憧れたんやけど
じゅーきゅーの位かな座禅に興味持ち出して
禅宗のお寺に入った通算に年出たり入ったりして
どうげんさんのお尻をやってる想像主やったんですよ
そこで生活っていう形を
その教えの中でやったらいいかよくやった映画
この中でも開いても
開いて絵を描くしかないっていう形になりました
にじゅーいち歳ふと訪れた日本人霊感で
一つの茶碗に出会った
無名の
陶工が作った大井戸茶碗銘山伏

それはむしろ茶碗というより人間と相対しているような状態
人の手で作られたものを作った人の手を離れ
時代を問わず変わることのないその内なる流れをそっくり
ひとつの器に踏み込んで表現しうるということに
自ずと私がいったい何をどうしようとしているのかなぜこの
ように生きているのか質問の答えを見出せるように思うのです

年後奈良の山奥にせんにひゃく坪の土地を買った

最初に作ったのは家ではなく釜茶室作業場
欲しいものから順番に作っていった
藤村
とつまみ
その手には自由だけがあったと自分たちの場所があるけど
基本自分たちの場所にあるよ
そっから始まるって言うなんかすごく嬉しかったし
失敗をものともせずこんないいものできました

現金が必要になると作った焼き物をカゴに詰め
夫婦で山折りと並べて田んぼの畔で並べて売ってましたね
夜になったら橋の下に寝てました
それをごーろく年やってたかないつも心の中にあったのは
あの時に見た大井戸茶碗と先人が作ったそういう人
でも茶碗なんかねちょっと触発されるけど
そういうことからずっとまた自分の中でこう妄想して
自分もあの作りたいもんでも出てくるような気がするんです
行った時にはもう何年もいち年以上それをちゃんと退院できんよ
そんな感じであのそれにのめり込んでんですけど
これは最初に作った茶碗なんですけど
OKgoogleでいる時
持って行ったこの丼は何じゃあれ言われた茶碗でそういうの
いやこれどう森者っていう漢字のあの
送信押し問答がありました
そのこうなってしもたら男みたいになるんですよ
なんかもやってモヤモヤでその者に対して
あのそれよりも作りたいって言う
農業みたいな俺の金はあるみたいやね
漢字だからそれもまた現実に戻ってみたらいい
こんなもんねっていう感じになるんか
もしれん
今ココアの井戸売ってきたんだよ
これ

見てかっこいいん

そのいちかその作品は
かつて憧れを抱いた茶碗から自由になって羽ばたいていた
その

差なんて大したことない
やるかやらへんかそっち
雷みたいなんやけどもう俺はやるっていう方向で行ってるんやろね
日本中のあらゆる焼き物にたった一人で挑んできた
今公演しなさい
今家作って来られたいろんなあのちゃんがあって
それぞれ何々茶碗っていうのがあるのでこちらに公式公式ですか
株式これが引き出し苦労ですね
以上は刷毛目茶碗という時も
これはあのすすきの方の勝ち聞いてきたので
行くところは減免みたいはげないじゃん
自分の歯の形であり
自分の色であり自分の唐津でありっていう感じですね
ご人で全部自分でやろうとされるでしょ
なんかぜろから全部自分である目的のためにやろうとするから
それを実現するためにもめちゃくちゃなんか手間がかかるし
労力もかかるし時間もかかることされてますよね
効率的には実は悪いかもしれないが逆にいいんですいいんですよ
あの例えばそのままで良いかとか
すごいやいろんなもの以外で空いてるのありますよね
私のあれなんか
普通だったら年に2回ぐらいしか焼けないんですよね
まあ費用もかかるし
それでできるって言うのが一番私にとっては大事なことであっても
多い時あったら50回以上焼い
てましたしんどくないからね
一番かなのは人数ですわ
その穴がもしメール電源を締めるの
閉める時のタイミングって言うのはもう
ほんまに神経がどこらさんと駄目っていうのはあるんです
この移動にしても
最後のガスをどこで止めるか
ごふんで止めるかさんぷんで止めることによって
この色が違ってくる
微妙さんがあるんで
そんなの人とこの人がやってるような問題ではないんですね
ほんとはねよんせんえん
相手の望むものができていなかったあの子の
茶碗
求め続けてきた茶碗は焼けた
のかまだまだです
これはこれの良さだからって言うけども
これはこれはこれの良さなんだけど
これが欲しかったわけじゃないっていう部分がどっかにあれば
やっぱりまだやったーないと作らないと気が済まないんじゃない
自分の中にあるものを持ってるわけだから
祖母とかそういうもんやったら形も綺麗
景色も綺麗ていたあーそうかっていうぐらいで済むんですけど
茶碗のわんマナでもしてるので回して
それがいちじかんでも見てられるような魅力があるんですよね
とりあえずあの技術があった
ところでそれは魅力ある茶碗ができるわけではないみたい

焼き物
材料
鬼門と
の資本にに点かもしれない
そのある種のこういうもんて
自分を持ってても
後でこういそのや形によって違うのと同じようにやってるうちに
だんだん告白的に出てくる
これおもろいなあっていうところを取られてんのかもしれないが
もう結局自分の子なんか
感情的なもんがピッと出るときにそれはやってるみたいで
それより靴じゃないなんかよ
なんでよまじ予定は何その線に勢いが出たら
なんか魅力があるような気がする
結局字を書くの書くのを一本の線みたいなもんは
茶碗の中にあるんやと思う
このひつじ村は新たな方法を試そうとしていた
ここに鉄があるをかぶってるから
ちょっと鉄を終えるに見せ見せた感じに出してそのものも
せんえん時もあるんやけど
今回はちょっと出してみようかなとこれぐらいで

電気釜でも何十回で行った
中のちょっと違った感じが出るんかなーっていう穴がある場合は
強烈にこの鉄を引き出すようなやり方は分かってるんやけど
それがやっぱり1回ずつのかまぼこ
製造結果だと言っても全て変わってくる
全くうちできへんもんやと思うんですよほらやる
しかないっていうかな
いうことになるのがほとんど
やけど
でもやってるって言う事ですね
お茶碗を作り続けてさん年目の腫れを
こうしたいと願ってたことだから
今年俺は一回しか言わへんのにもう1回同じ温度ぐらいで焼いてね
この赤い虫の有効夕紅みたいなさ
せたのはできたんですか
席に招かれたさん年越しで生まれた子の
茶碗
合わせてんの実はいっぱい
ありますどうしても頂いて美味しい
アンテナ
やっぱりなんか不思議な奥深さがあるから
その作り手も買い手も
やはりそれなりに呼吸があった時にいいなと思っちゃいますか
感じたのは今日ここに訪れてなんか一緒にやろう
自分が焼かれたものは香嘉行
大切に港満潮のお金取った山の中に置かれててことで
一つましててないっていうことと
あと全部それは自分が作った子供だから
子供にはいろんな子供がいるけど
その大切っていうお話を少しされていたと思うんですよね
ここんとこ
なってるこれもいいし
こっちもこれもいいんだっていうの聞くとなんかそこになんかこう
器の持つなんかこっちからってますかねそれから触んなんですね
やっぱ焼き物で一番の真骨頂は茶碗作りたくで楽しみたいを作って
また撫で回してこのみたいっていうそういうあの面白さっ
ているのは何回天皇てもいて欲しいなーっていう
それは言葉には出せない部分の面白さっていうのは
俺は誰にも表現できないもんやと思うんですが
中に一瞬の中にすごい時間が含まれてるなって感じるんですよね
一緒にそれは着物の歴史があり
焼き物三内閣て寅さんが僕が作った時には
そういう長い時間がこう含まれてるんでしょ
例えば今国府中央年の中中心にある人がいなくなったとしても
職員たちはやっぱりこう輝き続けるんだろう
それは何百年経ってすごい出していたら
これは一体何なんだって風に例えたら誰が作ったんだみたいな
それはあのさんびゃく年の子のもし見れたら見たらおもろいやろ
なーっていうのはありますけど
これぐらいの量を作った人間は多分いない
どこ探してもいないと思いますが
それは断言できるぐらいのことですか

は数十万の焼き物が眠る島の山